白熊皇帝と伝説の妃

沖田弥子

文字の大きさ
上 下
29 / 57

襲撃

しおりを挟む
 夜更けまでアイスダンスを楽しんだふたりは、ようやく氷上を後にした。
 極北の大地は夜でも明るいが気温は下がるので、防寒具に覆われていない頬は凍りついたように強張る。

「寒くないか。別荘はすぐそこだ。さあ、行こう」

 レオニートは結羽の頬に手を宛てて顔を覗き込むと、ずっとそうしていたように手を繫いで歩き出した。
 アイスダンスを踊っていたので身体は冷えていない。それにレオニートが傍にいるので、身体も心も温かなものに満ちていた。

 馬車はユリアンを乗せて返してしまったので徒歩で別荘へむかう。
 レオニートによれば、皇族の所有する別荘が村外れにあるので、遠出などで帰りが遅くなるときは無理をして丘の上の城に戻らず、別荘に泊まるらしい。城と同じように召使いがいるため、いつ寄っても食材や暖房が整えられているとのことだ。
 白樺の佇む路を通れば、ふたりが雪を踏みしめる音だけが樹陰に響き渡る。
 夜の森は静寂に沈んでいて、どこか恐ろしさを覚えた。
 ヒュウ、と一陣の風が吹き抜けた。結羽はぶるりと背を震わせる。
 震えが伝わったのか、振り向いたレオニートは繫いだ手を引き寄せた。

「結羽、怖いのか? もっとこちらへ……」
「レオニート!」

 光る双眸が木陰からこちらを睨み据えていることに気づく。
グルル……と猛獣が放つ低い呻り声が響いた。
 身構えたレオニートの背に庇われる。
 声の主は、星明かりの下にゆっくりと姿を現した。
 斑模様の毛並み、口許から覗く鋭い牙、しなやかな身体は敏捷性に優れている。
 雪豹だ。
 肉食の獰猛な獣はまるで敵に対するように、警戒を露わにしている。

「この雪豹は獣人ではない。森に巣くう獣のようだな」

 ということは、獣型に変化したときの獣人とは違い、話が通じない。皇帝であるレオニートに牙を剥いていることからも、森を荒らしに来た敵だと判断しているようだった。
 突如、雪豹は咆哮を上げて跳躍した。
 前脚を振り上げ、鋭い爪が一閃を描く。

「……くっ」

 血飛沫が、真っ白な雪に散る。
 立ちはだかったレオニートは雪豹の攻撃を片腕で受け止めた。

「レオニート、血が……!」
「平気だ。かすり傷だ。結羽、君は逃げるのだ。私が雪豹を食い止める」

 なぜ、雪豹の爪を受けたのだ。
 レオニートが身を翻せば、雪豹の一撃を躱せたはず。
 結羽は呆然として純白の雪を染め上げる真紅の雫に見入った。
 僕が、後ろにいたからだ……。
 結羽のために、レオニートは怪我を覚悟してまで雪豹に対峙した。本来なら結羽が皇帝であるレオニートを守るべきなのに。

「僕だけ逃げるなんて、そんなことできません。僕が雪豹の注意を引いている隙に、レオニートは別荘まで走ってください」

 レオニートに怪我を負わせてしまったのは、自分の責任だ。
 結羽は前へ出ると、両手を広げ、毅然として雪豹に立ち向かう。
 雪豹がどんなに獰猛で危険な動物なのかは問題じゃない。結羽では太刀打ちできないかもしれない。けれど、レオニートを守りたい。その一心だった。

「やめるんだ、結羽! 食い殺されてしまうぞ、下がれ!」

 必死に叫ぶレオニートの声にも、動じなかった。
 僕は、レオニートに命も捧げると誓った。
 だからここで雪豹に殺されて命を落とそうとも、それは自らの望んだことなのだ。
 どんなにレオニートが結羽を退かそうとしても、脚を踏ん張り、歯を食いしばり、決して動こうとはしない。
 雪豹は姿勢を低くして、再び脚を蹴り上げた。
 結羽の首許をめがけて、鋭い爪が繰り出される。
 そのとき、背後で殺気を帯びた気配が走った。
 迫る雪豹の爪が細い首筋を捉える。結羽は、ぎゅっと目を閉じた。
 一瞬の後、悲鳴を上げた獣の身体が雪上に転がる。

「えっ……?」

 結羽の眼前にあるのは、高貴な純白の獣毛。
 それは王者の風格を漂わせた、大きな白熊だった。

「まさか……レオニート?」

 一度だけ夢うつつの中で白熊に温められたが、これがレオニートの獣型なのか。
 なんという気高さ、そして漲る皇帝の品格。
 白熊はまさに、この極北の王なのだ。
 轟く咆哮を上げた白熊は雪豹に襲いかかる。身を引いた雪豹はしばし応戦したが、すぐに地を蹴って逃げ出した。
 呆然として両者の戦いを見守っていた結羽は、ふと背後に赤いものを見つけて手を伸ばす。レオニートの血と、その隣には彼の着ていた服が脱ぎ捨てられていた。
 振り向いたときにはもう、白熊の姿はどこにもなく、裸のレオニートが静かな眼差しで結羽を見据えていた。

「……できれば、獣型に変化したくはなかった。結羽に、怖がられたくないからな」

 最強の白熊皇帝ともあろう人が、人間の結羽に怖がられるのを恐れるだなんて、なんだか可笑しくて、結羽はくすりと笑みを零した。

「驚いたけど、怖くはないですよ。でも服を着ないと風邪を引いてしまいますね」

 裸のレオニートに赤い上着を着せかける。釣られたようにレオニートも笑みを浮かべた。

「私の身体は丈夫なのだ。多少のことで伏せることはない」
「血が出ています。怪我の手当てをしないと……」
「言ったろう。かすり傷だから心配ない。けれど消毒くらいはしておこうか。結羽が手当てしてくれるか?」
「もちろんです。僕の肩に掴まってください」
「それはありがたい」

 脱ぎ捨てた服を身につけたレオニートは、結羽の肩を抱きかかえるようにして別荘への道のりを歩いた。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

完結・虐げられオメガ側妃なので敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン溺愛王が甘やかしてくれました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

白銀オメガに草原で愛を

phyr
BL
草原の国ヨラガンのユクガは、攻め落とした城の隠し部屋で美しいオメガの子どもを見つけた。 己の年も、名前も、昼と夜の区別も知らずに生きてきたらしい彼を置いていけず、連れ帰ってともに暮らすことになる。 「私は、ユクガ様のお嫁さんになりたいです」 「ヒートが来るようになったとき、まだお前にその気があったらな」 キアラと名づけた少年と暮らすうちにユクガにも情が芽生えるが、キアラには自分も知らない大きな秘密があって……。 無意識溺愛系アルファ×一途で健気なオメガ ※このお話はムーンライトノベルズ様にも掲載しています

【完結】あなたの恋人(Ω)になれますか?〜後天性オメガの僕〜

MEIKO
BL
この世界には3つの性がある。アルファ、ベータ、オメガ。その中でもオメガは希少な存在で。そのオメガで更に希少なのは┉僕、後天性オメガだ。ある瞬間、僕は恋をした!その人はアルファでオメガに対して強い拒否感を抱いている┉そんな人だった。もちろん僕をあなたの恋人(Ω)になんてしてくれませんよね? 前作「あなたの妻(Ω)辞めます!」スピンオフ作品です。こちら単独でも内容的には大丈夫です。でも両方読む方がより楽しんでいただけると思いますので、未読の方はそちらも読んでいただけると嬉しいです! 後天性オメガの平凡受け✕心に傷ありアルファの恋愛 ※独自のオメガバース設定有り

巣作りΩと優しいα

伊達きよ
BL
αとΩの結婚が国によって推奨されている時代。Ωの進は自分の夢を叶えるために、流行りの「愛なしお見合い結婚」をする事にした。相手は、穏やかで優しい杵崎というαの男。好きになるつもりなんてなかったのに、気が付けば杵崎に惹かれていた進。しかし「愛なし結婚」ゆえにその気持ちを伝えられない。 そんなある日、Ωの本能行為である「巣作り」を杵崎に見られてしまい……

夢見がちオメガ姫の理想のアルファ王子

葉薊【ハアザミ】
BL
四方木 聖(よもぎ ひじり)はちょっぴり夢見がちな乙女男子。 幼少の頃は父母のような理想の家庭を築くのが夢だったが、自分が理想のオメガから程遠いと知って断念する。 一方で、かつてはオメガだと信じて疑わなかった幼馴染の嘉瀬 冬治(かせ とうじ)は聖理想のアルファへと成長を遂げていた。 やがて冬治への恋心を自覚する聖だが、理想のオメガからは程遠い自分ではふさわしくないという思い込みに苛まれる。 ※ちょっぴりサブカプあり。全てアルファ×オメガです。

あなたが愛してくれたから

水無瀬 蒼
BL
溺愛α×β(→Ω) 独自設定あり ◇◇◇◇◇◇ Ωの名門・加賀美に産まれたβの優斗。 Ωに産まれなかったため、出来損ない、役立たずと言われて育ってきた。 そんな優斗に告白してきたのは、Kコーポレーションの御曹司・αの如月樹。 Ωに産まれなかった優斗は、幼い頃から母にΩになるようにホルモン剤を投与されてきた。 しかし、優斗はΩになることはなかったし、出来損ないでもβで良いと思っていた。 だが、樹と付き合うようになり、愛情を注がれるようになってからΩになりたいと思うようになった。 そしてダメ元で試した結果、βから後天性Ωに。 これで、樹と幸せに暮らせると思っていたが…… ◇◇◇◇◇◇

最強で美人なお飾り嫁(♂)は無自覚に無双する

竜鳴躍
BL
ミリオン=フィッシュ(旧姓:バード)はフィッシュ伯爵家のお飾り嫁で、オメガだけど冴えない男の子。と、いうことになっている。だが実家の義母さえ知らない。夫も知らない。彼が陛下から信頼も厚い美貌の勇者であることを。 幼い頃に死別した両親。乗っ取られた家。幼馴染の王子様と彼を狙う従妹。 白い結婚で離縁を狙いながら、実は転生者の主人公は今日も勇者稼業で自分のお財布を豊かにしています。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版)

処理中です...