37 / 50
人形の謎 1
しおりを挟む
秋晴れの空の下、マークと瑛一郎を乗せた車は高速を走っていた。
「うわあ、見て見て瑛一郎さん。家がすごいスピードで走っていくよ!」
「はいはい。走ってるのは車だから。家は動かないからな」
ウィンドウに張り付いたマークは物珍しい光景に歓喜している。家が後ろ向きに走るという新しい発見が落ち着くと、いそいそと弁当を開き始めた。
「もう昼か」
時計を見ると十二時だ。高速を下りれば、目的地までもうすぐ。祖母の家には日の高いうちに着けるだろう。
マークは大仰に重箱を掲げて「じゃじゃーん」と運転席の目の前に差し出してくれる。
「すごいすごい。早起きして作ったもんな。運転の邪魔になることはやめような」
見えないんだっつうの。
ちらりと重箱の中身を見ると、色鮮やかなおかずが詰まっていて美味そうだ。綺麗に並んだ太巻きに目を惹かれる。これなら運転中でも食べられそうだ。
「太巻き食べたい」
「はい、あーん」
ご丁寧に口に入れようとするので、咄嗟に片手で太巻きを握った。
「いいよ、自分で食べるから」
「運転に集中しないと。はい、ハンドル握ろうね」
「おまえに言われたくないっつうの」
「俺、あーん、するのが好きなんだ。はい、あーん」
仕方ないので口を開く。咀嚼すれば米の甘い風味のなかに、弾ける海老の旨味が口いっぱいに広がる。磯を思わせる海苔の香りが鼻孔をくすぐる。
「んまい」
「良かった。お茶あるよ」
「言っとくけどお茶は手渡せよ」
「はい、あーん」
聞いちゃいない。水筒のコップを口元に付けられ、お茶を含まされてしまう。前方から目を離せないので飲むのが難しい。口端から零れたお茶が顎を伝い落ちた。
ぬるま湯で良かった。熱湯だったら大惨事だ。
袖で拭おうとしたら、ぐいと手首を掴まれる。
「おい、もう邪魔……んっ」
ぺろりと、顎から口元にかけて舐め取られる。
呆然とカーブに沿ってハンドルを切っていると、マークは何事もなかったかのように自らも太巻きを食べ始めた。
「イカさんウィンナーもあるよ。それから……」
弁当の解説を聞きながら、瑛一郎は舌が触れた感触が、いつまでも口元に留まっているのをやたらと意識していた。
予定通り午後には市街地に到着した。田舎といっても日本国内なので、熊田市とそう景色は変わらない。見慣れたコンビニの看板、同系列のデパート、忙しそうなサラリーマン。
「婆ちゃんの家は、ここから山を入った集落にあるんだ。距離的には遠くないけど、山越えがあるから一時間くらいかかるな」
コンビニに停車して地図を確認していると、マークは車を下りて屈んでいた。大柄な男が駐車場に這いつくばって懸命にアスファルトを見つめている姿は一種異様でもある。
「すごいよ、瑛一郎さん。アリが一列になって行進してるよ!」
「はいはい。蟻さんは仕事中だから邪魔するなよ」
こいつといると、楽しいな。
そんな風に思えることは初めてだ。
これまでの人付き合いとは瑛一郎にとって、仮面を被って行う仕事であり、疲れる以外の何者でもなかった。それはぐる愛メンバーや蘭丸が相手であっても、やはり「瑛さん」という仮面を付けることは同じなのである。
マークの前では素の自分でいられる。何も繕わなくていい。
こいつと、ずっとくだらない話をして、笑い合って、適当にドライブしていたい、いつまでも。
そんな風に思いながら地図上の道路を指で辿る。
「ほら、見て! 女王アリだよ、すごいでしょ」
突然目の前に蟻をぶらさげるので、驚いてシートに反り返ってしまった。
「女王蟻のわけないだろ。放してやれよ」
「ええ。こんなに大きいのに。じゃあ、お兄さんアリにしておくね」
「わかったわかった。お兄さん蟻だな。そろそろ乗れよ。行くぞ」
「じゃあね、お兄さんアリ」
マークは蟻を列に返して手を振っている。近くを通りかかった学校帰りの小学生が不思議そうな顔でマークを眺めていた。瑛一郎は肩を竦めて、ギアを入れた。
市街地から山道へ入ると、急カーブと急勾配の連続になる。盆地の街並みが次第に遠ざかり、天空へ上っているような錯覚すら起きる。遠くの山は紅葉が進み、赤茶に塗られていた。
「キレイだねー……。何だか頭がくらくらする」
目眩を起こしたらしく、マークは目元を掌で覆っていた。車酔いしたのかもしれない。
「吐きそうか?」
「ううん、平気」
「うわあ、見て見て瑛一郎さん。家がすごいスピードで走っていくよ!」
「はいはい。走ってるのは車だから。家は動かないからな」
ウィンドウに張り付いたマークは物珍しい光景に歓喜している。家が後ろ向きに走るという新しい発見が落ち着くと、いそいそと弁当を開き始めた。
「もう昼か」
時計を見ると十二時だ。高速を下りれば、目的地までもうすぐ。祖母の家には日の高いうちに着けるだろう。
マークは大仰に重箱を掲げて「じゃじゃーん」と運転席の目の前に差し出してくれる。
「すごいすごい。早起きして作ったもんな。運転の邪魔になることはやめような」
見えないんだっつうの。
ちらりと重箱の中身を見ると、色鮮やかなおかずが詰まっていて美味そうだ。綺麗に並んだ太巻きに目を惹かれる。これなら運転中でも食べられそうだ。
「太巻き食べたい」
「はい、あーん」
ご丁寧に口に入れようとするので、咄嗟に片手で太巻きを握った。
「いいよ、自分で食べるから」
「運転に集中しないと。はい、ハンドル握ろうね」
「おまえに言われたくないっつうの」
「俺、あーん、するのが好きなんだ。はい、あーん」
仕方ないので口を開く。咀嚼すれば米の甘い風味のなかに、弾ける海老の旨味が口いっぱいに広がる。磯を思わせる海苔の香りが鼻孔をくすぐる。
「んまい」
「良かった。お茶あるよ」
「言っとくけどお茶は手渡せよ」
「はい、あーん」
聞いちゃいない。水筒のコップを口元に付けられ、お茶を含まされてしまう。前方から目を離せないので飲むのが難しい。口端から零れたお茶が顎を伝い落ちた。
ぬるま湯で良かった。熱湯だったら大惨事だ。
袖で拭おうとしたら、ぐいと手首を掴まれる。
「おい、もう邪魔……んっ」
ぺろりと、顎から口元にかけて舐め取られる。
呆然とカーブに沿ってハンドルを切っていると、マークは何事もなかったかのように自らも太巻きを食べ始めた。
「イカさんウィンナーもあるよ。それから……」
弁当の解説を聞きながら、瑛一郎は舌が触れた感触が、いつまでも口元に留まっているのをやたらと意識していた。
予定通り午後には市街地に到着した。田舎といっても日本国内なので、熊田市とそう景色は変わらない。見慣れたコンビニの看板、同系列のデパート、忙しそうなサラリーマン。
「婆ちゃんの家は、ここから山を入った集落にあるんだ。距離的には遠くないけど、山越えがあるから一時間くらいかかるな」
コンビニに停車して地図を確認していると、マークは車を下りて屈んでいた。大柄な男が駐車場に這いつくばって懸命にアスファルトを見つめている姿は一種異様でもある。
「すごいよ、瑛一郎さん。アリが一列になって行進してるよ!」
「はいはい。蟻さんは仕事中だから邪魔するなよ」
こいつといると、楽しいな。
そんな風に思えることは初めてだ。
これまでの人付き合いとは瑛一郎にとって、仮面を被って行う仕事であり、疲れる以外の何者でもなかった。それはぐる愛メンバーや蘭丸が相手であっても、やはり「瑛さん」という仮面を付けることは同じなのである。
マークの前では素の自分でいられる。何も繕わなくていい。
こいつと、ずっとくだらない話をして、笑い合って、適当にドライブしていたい、いつまでも。
そんな風に思いながら地図上の道路を指で辿る。
「ほら、見て! 女王アリだよ、すごいでしょ」
突然目の前に蟻をぶらさげるので、驚いてシートに反り返ってしまった。
「女王蟻のわけないだろ。放してやれよ」
「ええ。こんなに大きいのに。じゃあ、お兄さんアリにしておくね」
「わかったわかった。お兄さん蟻だな。そろそろ乗れよ。行くぞ」
「じゃあね、お兄さんアリ」
マークは蟻を列に返して手を振っている。近くを通りかかった学校帰りの小学生が不思議そうな顔でマークを眺めていた。瑛一郎は肩を竦めて、ギアを入れた。
市街地から山道へ入ると、急カーブと急勾配の連続になる。盆地の街並みが次第に遠ざかり、天空へ上っているような錯覚すら起きる。遠くの山は紅葉が進み、赤茶に塗られていた。
「キレイだねー……。何だか頭がくらくらする」
目眩を起こしたらしく、マークは目元を掌で覆っていた。車酔いしたのかもしれない。
「吐きそうか?」
「ううん、平気」
0
お気に入りに追加
141
あなたにおすすめの小説
告白ゲーム
茉莉花 香乃
BL
自転車にまたがり校門を抜け帰路に着く。最初の交差点で止まった時、教室の自分の机にぶら下がる空の弁当箱のイメージが頭に浮かぶ。「やばい。明日、弁当作ってもらえない」自転車を反転して、もう一度教室をめざす。教室の中には五人の男子がいた。入り辛い。扉の前で中を窺っていると、何やら悪巧みをしているのを聞いてしまった
他サイトにも公開しています
目が覚めたら、妹の彼氏とつきあうことになっていた件
水野七緒
BL
一見チャラそうだけど、根はマジメな男子高校生・星井夏樹。
そんな彼が、ある日、現代とよく似た「別の世界(パラレルワールド)」の夏樹と入れ替わることに。
この世界の夏樹は、浮気性な上に「妹の彼氏」とお付き合いしているようで…?
※終わり方が2種類あります。9話目から分岐します。※続編「目が覚めたら、カノジョの兄に迫られていた件」連載中です(2022.8.14)
くんか、くんか Sweet ~甘くて堪らない、君のフェロモン~
天埜鳩愛
BL
爽やかスポーツマンα × 妄想巣作りのキュートΩ☆ お互いのフェロモンをくんかくんかして「甘い❤」ってとろんっとする、可愛い二人のもだきゅんラブコメ王道オメガバースです。
オメガ性を持つ大学生の青葉はアルバイト先のアイスクリームショップの向かいにあるコーヒーショップの店員、小野寺のことが気になっていた。
彼に週末のデートを誘われ浮かれていたが、発情期の予兆で休憩室で眠ってしまう。
目を覚ますと自分にかけられていた小野寺のパーカーから香る彼のフェロモンに我慢できなくなり、発情を促進させてしまった!
他の男に捕まりそうになった時小野寺が駆けつけ、彼の家の保護される。青葉はランドリーバスケットから誘われるように彼の衣服を拾い集めるが……。
ハッピーな気持ちになれる短編Ωバースです
ハイスペックストーカーに追われています
たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!!
と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。
完結しました。
無自覚両片想いの鈍感アイドルが、ラブラブになるまでの話
タタミ
BL
アイドルグループ・ORCAに属する一原優成はある日、リーダーの藤守高嶺から衝撃的な指摘を受ける。
「優成、お前明樹のこと好きだろ」
高嶺曰く、優成は同じグループの中城明樹に恋をしているらしい。
メンバー全員に指摘されても到底受け入れられない優成だったが、ひょんなことから明樹とキスしたことでドキドキが止まらなくなり──!?
目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
俺の義兄弟が凄いんだが
kogyoku
BL
母親の再婚で俺に兄弟ができたんだがそれがどいつもこいつもハイスペックで、その上転校することになって俺の平凡な日常はいったいどこへ・・・
初投稿です。感想などお待ちしています。
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる