ぼくのくま

沖田弥子

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兎屋との攻防 6

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 瑛一郎を挟んで両隣にマークと兎屋が座り、顔を突き出してふたりは話している。

「すごいですね、課長さんは物知りなんですね」
「そんなことはないよ。ワインには詳しいんだけどね、好きな人の心には詳しくないんだな。ああ、残念だ。これが恋の苦しみというやつだね」
「ワインって、苦いですもんね」

 妙に会話が噛み合っているところが笑えない。
 でかい男に挟まれながら、ひたすら箸を往復させて天ぷらを堪能する。
 一体、なんのサンドイッチだ。僕は別に話すことなどないのだから、ふたりが隣り合って会話すればいいじゃないか。
 憮然としていると、ふと兎屋は色めいた視線をむけてきた。
 きた。書類か。もしくは某所に電話してくれという用事か。

「ところで、野熊くんとマークくんは付き合ってるの? 恋人という意味で聞いているんだけどね」

 条件反射で仕事のことと思い込んでいた瑛一郎は、ここは自宅でプライベートな空間であることを再認識し、箸を取り落とした。

「そんなわけありませんよ。ご存じのとおり、マークは求職中の親戚ですから。居候して家事を引き受けてもらってるだけですから」

 平然とした顔をして落とした箸を拾い、誤解のないよう明確に申し上げる。マークはふと首を捻り、でも、と声を上げた。

「愛情交換はしてたわけだから、俺は恋人じゃなくて恋くま……」
「マークは料理上手だからきっと記憶が無くなる前も料理人など厨房を預かってた仕事だったんじゃないか!? なあ、マーク!?」

 不適切な発言を慌てて遮り、黙っていろと目線で促す。兎屋は面白そうに薄い笑みを刻みながら眸を瞬かせた。

「あれ? 記憶喪失なの?」
「俺はずっとぬいぐるみだった記憶はあるんですけど、瑛一郎さんがそういうことにしたいみたいで……」
「いえいえ、記憶がないので自分はぬいぐるみだと思い込んでいるんですよね。精神障害というやつです。お察しください」

 またもや余計なことを口走るので必死で止める。頼むから兎屋に事情を明かすのはやめてくれ。絶対にやめたほうがいいから。こいつに知られたら何を要求されるか分かったもんじゃない。
 焦る瑛一郎の腰に、するりと大きな掌が這わされる。ぞっとして払い除けようとすると、兎屋は空いたほうの腕で肘を押さえてきた。

「野熊くんてさ、私にも誰にも興味を示さないよね。もしかして、特殊な性癖なのかな?」

 耳元に囁きかけられて背筋が凍りつく。
 ぬいぐるみ愛は確かに特殊かもしれないが、兎屋は男なので瑛一郎が性的興味を示した時点で特殊に当たると思うのだが。
 自分は万人に好かれて至極当然と思い込んでいる兎屋の自信が正統であるならば、ぬいぐるみ愛だって正統な愛だろう。
 瑛一郎は自信を持って告げようと口を開いた。
 そのとき、兎屋に囚われていた体が、ぐいと力強い腕に引き戻される。

「瑛一郎さんは、ぬいぐるみの俺を愛しているんです! とても深い立派な愛情です!」

 明瞭な宣言が、室内に響き渡る。
 時が止まった。
 スプマンテが発する気泡がフルートグラスに音もなく立ち上る。
 瑛一郎は嘆息と共に、頭を抱えた。



 マークのカミングアウトを聞いても兎屋は特に驚いた様子はなく、意味ありげな微笑を浮かべていたところがまた不安を誘った。いつも以上に不必要なボディタッチも多かったが、彼は意外にも二時間ほどで腰を上げ、スマートに帰っていった。何やら、狩りは気長にやるものだとか理解不能な台詞を残していったが、ひとまず天ぷらパーティーは終了した。
 マークは記憶喪失で精神障害ということにしたので、自分はぬいぐるみだという告白は、兎屋は頓着しなかったのだろう。むしろ、それが事実なのだ。本当に、ぬいぐるみのマークが人間に変身したわけはない。
 
 あの男が、ぬいぐるみを隠して、自分はマークだと主張しているだけなのだ。
 ぬいぐるみさえ出てくれば、それが嘘だと証明できるのだが、あの男は明らかにされたくないばかりにぬいぐるみを隠し続けている。
 一体、本物のマークはどこなのだ。
 この家の中で他に隠せそうなところは見当たらない。キッチンで後片付けをしている偽のマークの背中を見遣り、瑛一郎は視線を巡らせる。
 
 まさか……捨てたんじゃないよな?
 ゴミ箱を覗いて、捨てられた可能性を考え青ざめる。
 もしそんな結末だったら、瑛一郎は生きていられない。
 顔色をなくしていると、マークは洗った皿を拭きながらふと呟いた。

「課長さんって、瑛一郎さんのこと好きなんだね」
「うっ」

 胸の裡の不安と投げられた衝撃が攪拌されて、一気に吐き気を催す。

「何てこと言うんだよ」

 どうにか呼吸を整えて溜息を吐き出した。
 兎屋という過ぎ去った嵐のことなど蒸し返さないでほしいが、マークなりに色々と思うところがあったようだ。
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