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兎屋との攻防 5
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「良い匂いだね。これ、お土産のおつまみだよ。色々見繕ってきたんだ」
「わあ、すごいですね。初めて見る食材ばかりだ」
「私の祖父がイタリア人でね。五才までイタリアに住んでたから、むこうの食生活に馴染んでいるんだ。日本でも安価に手に入るものばかりだよ」
兎屋が手にした紙袋から、オリーブやプロシュート、キャビアやシュールストレミングの缶詰などが取り出される。イタリアや安価という面から著しくかけ離れているものもあるが、瑛一郎は気まずく黙っていた。
自宅のキッチンに大柄な男ふたりが居座り、楽しげに会話しているという未知の状況にどうしたらいいのか分からないのである。居心地悪く入口に佇んで、様子を見守ることしかできない。
子どもの頃には友人を家に呼んで宿題するといったこともあったが、あれは母の手前、良い子のポーズを取っていたに過ぎない。瑛一郎としては心地良くなどなかった。あのときから数えればもう十年以上、自分の領域に他人が侵入するという暴挙はお目にかかっていないのだ。全く以て目眩を禁じ得ない。
放っておいてほしいのだが、兎屋は手招いてきた。
「野熊くん。こちらにおいで。取り皿はどの模様にしたらいいかな」
どれでもいいですよ。うちの皿じゃないですか。
吐き捨てたいところだが、一応上司なので脊髄反射により、すぐさま案件に関わってしまう哀しい性。
「そうですね。こちらの蔓模様のほうがどの天ぷらにも合うのではないかと思われます」
「さすが、野熊くん。じゃあこれにしよう」
「瑛一郎さん、味見してくれる?」
マークに呼ばれて油の跳ねている鍋を覗き込む。じゅわりと衣を纏う天ぷらは、今は南瓜を揚げている最中だった。熱々の南瓜をマークは菜箸で摘まみ、ふうふうと息を吹きかける。
「はい、あーん」
満面の笑みで口を開けることを要求される。新婚さんじゃあるまいし、恥ずかしいことをさせないでほしい。
先ほどの海老でキスされそうになったことが頭を過ぎり、瑛一郎は少々警戒したが、鼻先にふわりと漂う香ばしい油の誘惑には打ち勝てず、結局あーんと口を開いた。
「うん……美味しい。揚げたてはやっぱり最高だな」
「どれどれ」
咀嚼して口の中いっぱいに南瓜を堪能していると、いつの間にかぴたりと隣に付けた兎屋に肩を抱かれる。
ぐい、と強引に引き寄せられて、バランスを崩した瑛一郎は思わず兎屋の胸に飛び込む形になった。
「えっ、ちょ、課長……!」
頤を掬い上げられ、艶めいた眸を近づけられる。
どれ、ってまさか、齧っている南瓜を味見しようというのか。さっきのマークの再現か。王様ゲームというやつか。勘弁してくれ。
もがくほどに兎屋にきつく抱きしめられてしまい、抗議の声は咀嚼している南瓜に塞がれる。
兎屋の男ぶりの良い顔が、視界に広がる。ぞわりと立った鳥肌がもう限界だ。
「野熊くん……むぐ」
瑛一郎の銜える南瓜が捕らえられようというとき、形の良い唇に熱々の天ぷらが押し込まれた。
「はい、課長さんも、あーん。美味しいですか?」
あーん、も何も無理やりねじ込まれちゃってますけど。
微苦笑を浮かべた兎屋は苦もなく南瓜を咀嚼した。その隙に瑛一郎は身を捩り、男の腕を抜け出す。
「とても美味しいよ。マークくんは腕が良いね。憎らしいくらいに」
「ありがとうございます。課長さんにそう言っていただけると嬉しいです」
おそらく口内は火傷しているであろう兎屋と、無垢な笑顔で揚げ物を操るマークの双方に、見えない火花が散っているのは気のせいか。
応酬を交わすふたりを尻目に、瑛一郎はそそくさと準備を進めた。
男だらけの天ぷらパーティーは微妙すぎる空気の中、表面上は楽しげに開催された。
キッチンの前にあるダイニングテーブルには、天ぷらの乗せられた大皿がいくつも並べられている。更に兎屋の持参したつまみとワインが開けられて、食卓はとても華やかなものになった。
「スプマンテの味わいは極上だよ。シャンパンより格下という意見には到底迎合できないね。シャンパーニュ地方は確かに世界でも屈指の醸造所が沢山あるけれど、ワインというものは知名度がすべてじゃない。舌で転がす味わい。この至上の悦びに勝るものは何者も超えることなど……」
持参のフルートグラスを傾けながら、兎屋が語るワイン談義は懇親会で百回は聴いたので右から左に流しておく。瑛一郎はダイニングテーブルを購入しておいて助かった、と妙なことに安堵を覚えていた。マンションを購入する際に何となく購入したテーブルと椅子だったが、普段はテレビを見ながらソファで食事するため、すっかり荷物置き場になっていたのだ。それがこんなところで役に立つとは。このダイニングテーブルがなければ、兎屋にマークと瑛一郎だけが座るソファを占領されていたかもしれない。それだけは許しがたい。気分は刑事に証拠を発見されずに済んだ犯人である。
問題なのは、席順だ。
「わあ、すごいですね。初めて見る食材ばかりだ」
「私の祖父がイタリア人でね。五才までイタリアに住んでたから、むこうの食生活に馴染んでいるんだ。日本でも安価に手に入るものばかりだよ」
兎屋が手にした紙袋から、オリーブやプロシュート、キャビアやシュールストレミングの缶詰などが取り出される。イタリアや安価という面から著しくかけ離れているものもあるが、瑛一郎は気まずく黙っていた。
自宅のキッチンに大柄な男ふたりが居座り、楽しげに会話しているという未知の状況にどうしたらいいのか分からないのである。居心地悪く入口に佇んで、様子を見守ることしかできない。
子どもの頃には友人を家に呼んで宿題するといったこともあったが、あれは母の手前、良い子のポーズを取っていたに過ぎない。瑛一郎としては心地良くなどなかった。あのときから数えればもう十年以上、自分の領域に他人が侵入するという暴挙はお目にかかっていないのだ。全く以て目眩を禁じ得ない。
放っておいてほしいのだが、兎屋は手招いてきた。
「野熊くん。こちらにおいで。取り皿はどの模様にしたらいいかな」
どれでもいいですよ。うちの皿じゃないですか。
吐き捨てたいところだが、一応上司なので脊髄反射により、すぐさま案件に関わってしまう哀しい性。
「そうですね。こちらの蔓模様のほうがどの天ぷらにも合うのではないかと思われます」
「さすが、野熊くん。じゃあこれにしよう」
「瑛一郎さん、味見してくれる?」
マークに呼ばれて油の跳ねている鍋を覗き込む。じゅわりと衣を纏う天ぷらは、今は南瓜を揚げている最中だった。熱々の南瓜をマークは菜箸で摘まみ、ふうふうと息を吹きかける。
「はい、あーん」
満面の笑みで口を開けることを要求される。新婚さんじゃあるまいし、恥ずかしいことをさせないでほしい。
先ほどの海老でキスされそうになったことが頭を過ぎり、瑛一郎は少々警戒したが、鼻先にふわりと漂う香ばしい油の誘惑には打ち勝てず、結局あーんと口を開いた。
「うん……美味しい。揚げたてはやっぱり最高だな」
「どれどれ」
咀嚼して口の中いっぱいに南瓜を堪能していると、いつの間にかぴたりと隣に付けた兎屋に肩を抱かれる。
ぐい、と強引に引き寄せられて、バランスを崩した瑛一郎は思わず兎屋の胸に飛び込む形になった。
「えっ、ちょ、課長……!」
頤を掬い上げられ、艶めいた眸を近づけられる。
どれ、ってまさか、齧っている南瓜を味見しようというのか。さっきのマークの再現か。王様ゲームというやつか。勘弁してくれ。
もがくほどに兎屋にきつく抱きしめられてしまい、抗議の声は咀嚼している南瓜に塞がれる。
兎屋の男ぶりの良い顔が、視界に広がる。ぞわりと立った鳥肌がもう限界だ。
「野熊くん……むぐ」
瑛一郎の銜える南瓜が捕らえられようというとき、形の良い唇に熱々の天ぷらが押し込まれた。
「はい、課長さんも、あーん。美味しいですか?」
あーん、も何も無理やりねじ込まれちゃってますけど。
微苦笑を浮かべた兎屋は苦もなく南瓜を咀嚼した。その隙に瑛一郎は身を捩り、男の腕を抜け出す。
「とても美味しいよ。マークくんは腕が良いね。憎らしいくらいに」
「ありがとうございます。課長さんにそう言っていただけると嬉しいです」
おそらく口内は火傷しているであろう兎屋と、無垢な笑顔で揚げ物を操るマークの双方に、見えない火花が散っているのは気のせいか。
応酬を交わすふたりを尻目に、瑛一郎はそそくさと準備を進めた。
男だらけの天ぷらパーティーは微妙すぎる空気の中、表面上は楽しげに開催された。
キッチンの前にあるダイニングテーブルには、天ぷらの乗せられた大皿がいくつも並べられている。更に兎屋の持参したつまみとワインが開けられて、食卓はとても華やかなものになった。
「スプマンテの味わいは極上だよ。シャンパンより格下という意見には到底迎合できないね。シャンパーニュ地方は確かに世界でも屈指の醸造所が沢山あるけれど、ワインというものは知名度がすべてじゃない。舌で転がす味わい。この至上の悦びに勝るものは何者も超えることなど……」
持参のフルートグラスを傾けながら、兎屋が語るワイン談義は懇親会で百回は聴いたので右から左に流しておく。瑛一郎はダイニングテーブルを購入しておいて助かった、と妙なことに安堵を覚えていた。マンションを購入する際に何となく購入したテーブルと椅子だったが、普段はテレビを見ながらソファで食事するため、すっかり荷物置き場になっていたのだ。それがこんなところで役に立つとは。このダイニングテーブルがなければ、兎屋にマークと瑛一郎だけが座るソファを占領されていたかもしれない。それだけは許しがたい。気分は刑事に証拠を発見されずに済んだ犯人である。
問題なのは、席順だ。
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