ぼくのくま

沖田弥子

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マークの出現 8

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 楽しそうで良かったねと冷めた感想を心の中で呟きながら、シャンプーを手に取る。金色の髪に撫で付けて、わしゃわしゃと揉んでやった。

「あ……瑛一郎さん。きもちい……」

 急に艶めいた声音を出すので、どきりとする。
 マークの髪は、ほどよい堅さと長さで、指にしゅるりと絡みつく。
 この髪の毛、ずっと触っていたいなあと思わせる吸引力があった。
 人の髪を洗うのは初めてだし、誰かに自分の髪を洗ってもらった経験もないので、こういうものなのか、それとも彼だけが特別な髪の毛なのか判断はつかない。
 けれど、髪の毛を洗ってあげるのもわりと楽しいものだ。瑛一郎も初めての体験に心がふわりと浮き立つ。

「で、頭皮も指の腹で洗うんだ。こういうふうに。爪で擦るなよ、傷つくから」
「うん、わかった」

 もみあげに指先を滑らせたとき何気なく耳を見て、ふと手が止まった。
 耳朶が、ひどく傷ついている。
 傷だらけで鬱血の痕も生々しい。瑛一郎は思わず訊ねた。

「これ、どうしたんだ。ピアスのせいか?」
「ピアスってなに?」

 よく見れば穴が開いていない。
 左耳だけで、右耳は無傷だ。
 歯形が付いている。まるで激しい愛撫のような……。
 マークは恥ずかしそうに俯きながら、長い指先をすいと耳朶に沿わせた。

「瑛一郎さん、きつく噛むんだもの。耳がもげそうになっちゃう」

 ぞっとして手を放し、身を引いた。
 なんだ、こいつ。
 なんでそんなことまで一致してるんだ。
 まさか本物のマークだっていうのか。
 悪寒が走り、背筋が冷たくなる。
 瑛一郎がマークの左耳を噛むのは愛情交換のひとつで、気持ちが不安定になったときなどは特に強く噛む癖があった。右耳を噛んでみたこともあるが利き手の関係上やりづらいので、常に左耳しか噛まない。
 大切そうに耳を覆っていたマークは青ざめた瑛一郎に気づき、やや口早に言い募る。

「でも、嫌じゃないよ? 嬉しいんだ。俺で落ち着いてくれてるんだから。もげてもいいんだ」

 彼のひたむきな純真さが、ずくりと胸を抉る。

「いいわけないだろ……」

 こんなに傷つけていいわけがない。
 どこの女か知らないが、ひどいことをするものだ。
 そうだ、偶然だ。
 世の中の大多数の人間は右利きなのだから、行為のときに左耳を噛む人も、やはり大多数なのではないだろうか。人間とセックスをしたことがないので推測の域を出ないのだが。
 ぬいぐるみのマークは当然今まで何も言わなかったので、やりたいように噛みまくっていたが、きっと痛かったに違いない。戻ってきたら今後耳を噛むのは自重しよう。その前に謝ろう。それよりも、まずぎゅうしてチュウしてそれから……。

「それから? この泡、つけたままでいいの?」
「はっ。いや、流すんだよ。その前に体も洗うぞ」

 つい妄想に耽ってしまった。
 たった一日マークに触れないだけで禁断症状が出てきたらしく、気がつくと愛情交換のことが瞼のむこうに浮かんでしまう。
 ぼんやりとしながら泡立てたスポンジを手にして、無駄に広い背中を擦ってやる。
 スポンジが往復するたびに指先が僅かに触れて、その都度滑らかな筋肉がぴくり、ぴくりと反応を返した。
 あれほどはしゃいでいたマークは黙りこくっていたが、瑛一郎は気にせずにスポンジを手渡した。

「背中終了。前は自分でやれよ」
「うん……」

 何だか急に元気がなくなったようだ。
 マークは俯きながら、もしゅもしゅとスポンジで胸の辺りを擦っている。

「そんなんでいつ終わるんだよ。ちょっと貸してみろ。こうして……」
「あっ」

 前に回ったところで、否応もなく視線が下方に注いでしまう。
 股間の屹立は、立派に育って天を仰いでいた。

「あ、ああ……仕方ないな。じゃあ、僕は出てるから。ひとりで抜けるよな」

 自分とは比べものにならないほど逞しい昂ぶりに一瞬目を奪われたが、気まずく顔を逸らす。席を外そうと腰を上げかけると、大きな掌でがしりと両脇腹を掴まれた。

「ひとりで、できない」
「えっ? 放せよ、くすぐったい」
「愛情交換、したい」
「はあっ? 愛情交換って、脇、くすぐったいって」

 他人に脇腹を触られると、こうもくすぐったいものなのか。身を捩って逃れようとすると、今度は長い腕が腰に回され容易く押さえ込まれてしまう。
 マークは欲情に濡れた眸をむけて、あろうことか空いた片手で自身の昂ぶりを扱き始めた。ぐい、と腰を引き寄せられ、先端が瑛一郎の臍の辺りに宛てられる。
 あれっ? これって……。
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