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第四章
蓮の過去 2
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それは僕自身の意思で参加しているという扱いになっており、公的には休日を取っているとされている。やんわり断ると怒鳴られ、なんとしてでも来いと命令される。結局強制的な勤務だった。
無茶苦茶なブラック企業だ。
同期は次々に退職していった。精神を病んだ社員もいた。
「広告代理店だったんだけどさ……すごいブラック企業で、働き過ぎて頭がおかしくなりそうだったんだよね。ある日、電車を待ってて、このままホームに飛び込めば会社に行かなくて済むな……って考えたんだ」
東京に就職した先輩に相談したら、「会社員は皆、そんなものだ」と返された。
そんなものなのか。耐えられない僕は弱いのか。
自分から東京に行きたいと願ったのに、二年足らずで退職してしまうなんて、人生の脱落者という烙印を押されてしまうとも恐れた。
ホームに飛び込むか、辞職届を出すか。
ふたつにひとつだと、真剣に悩んだ。
そして快晴の朝、ふらふらとホームから踏み出し、僕は線路に落下した。
だが、電車は通過しなかった。
直前で緊急停止したのだ。僕はホームにいた人々に引き上げられた。
落下を見ていた人たちに貧血を起こしたと騒がれた。中には面白そうに僕を眺めている者もいた。救急車を呼ばれたが、僕は必死に断った。
違うんだ、僕はただ、心が弱いだけなんだ。
会社員すら勤められない、脱落者だ。
皆、見ていただろう。会社に行きたくないから、わざと落ちたって。
「線路に落ちると、顔が汚れて真っ黒に染まるんだよね……。僕は自分の身勝手でホームから飛び降りて自殺未遂を起こして、周りの人たちに迷惑をかけたんだ。彼らは出勤したいのに、僕が電車を止めて、それを邪魔した。僕はなんのために東京にいるのか、もうわからなくなったよ」
そのあと逃げるように退職して、アパートを引き払った。天童市の実家に荷物は届けたものの、両親には詳しい事情は話していない。ただ、会社を辞めたとだけ伝えた。
自殺未遂を起こしたという事実は隠したかった。
誰に言っても叱られるに決まっている。しかもその理由は、会社が嫌だからというだけなのだ。他人から見れば、そんなことで自殺だなんて馬鹿らしいと思われるだろう。
でも、清光には打ち明けたかった。
清光の穏やかな人柄は、忙しい東京では決して巡り会えないものだ。
僕は東京からまっすぐ飛島へやってきて、清光たちに出会い、カフェで働くことになった。傷ついた僕の心は、飛島の海と空と、そして清光に癒された。これからも、ここで暮らしていきたい。
そのために、清光にこれまでの事情を話しておきたかった。
「ふむ。状況が私と似ているな」
「ええ? だって清光は、電車に飛び込んで自殺未遂なんて起こしたことないよね」
「自害が頭を過ぎったことはある。壇ノ浦から舟で流されたときだ。もう随分と昔のことだが」
「あ……」
言われてみれば、清光は平家の若様であったにもかかわらず、平家一族の滅亡により、その居場所を失ったのだった。現在の山口県から山形県まで小舟で漂流するというのは、どれほど過酷な旅なのか想像もつかない。
「すでに兜丸が話したが、難破しかけた氷室を助け……様々なことがあってな。絶望した私は自害することも考えたのだ。そのときには私の体は病に蝕まれていたので、いずれ力尽きることは目に見えていたわけだが。追い詰められると人は命を絶ち、すべてを終わらせようと思うものらしい。だから、蓮の苦しみは私にもよくわかる」
漂流していたときに、清光はひどく苦悩したのだ。
穏やかで呑気な清光が、ホームから飛び降りたときの僕の心境と同じだったとは驚いたけれど、当時はそれほど切羽詰まった状況だったのだろう。
「清光も追い詰められてたんだね……。でも、君には神剣を守るという使命があるじゃないか。そのことを励みにできたんじゃないの?」
哀しいことに、飛島に到着してすぐに清光の命は絶えてしまったそうだけれど、源氏から奪われずに神剣を守り通すという一族の使命は遵守できたのだ。きっと自死を考えたときでも、使命を思い出して乗り切ったに違いない。
けれど清光は肯定しなかった。彼は寂しげな微笑を口元に乗せる。
僕には、それが何を意味するものなのか、わからなかった。
「……そうだな。いずれにせよ、もはや過ぎたことだ。過去を悔やむより、私は今後のことに目を向けたい」
「正論だね。僕は金百両の借金を返さないといけないわけだから、後悔するよりも今後に目を向けるとするよ。これからもカフェで働いていいかな?」
清光は破顔した。その爽やかな笑顔は、希望に満ちた若武者のようだった。
「無論だ。蓮は大切なカフエーのスターフなのだからな。これからもよろしく頼む」
「……ありがとう。清光」
僕に、居場所を与えてくれて、ありがとう。
感謝を込めて、僕は『ありがとう』の言葉を紡いだ。
無茶苦茶なブラック企業だ。
同期は次々に退職していった。精神を病んだ社員もいた。
「広告代理店だったんだけどさ……すごいブラック企業で、働き過ぎて頭がおかしくなりそうだったんだよね。ある日、電車を待ってて、このままホームに飛び込めば会社に行かなくて済むな……って考えたんだ」
東京に就職した先輩に相談したら、「会社員は皆、そんなものだ」と返された。
そんなものなのか。耐えられない僕は弱いのか。
自分から東京に行きたいと願ったのに、二年足らずで退職してしまうなんて、人生の脱落者という烙印を押されてしまうとも恐れた。
ホームに飛び込むか、辞職届を出すか。
ふたつにひとつだと、真剣に悩んだ。
そして快晴の朝、ふらふらとホームから踏み出し、僕は線路に落下した。
だが、電車は通過しなかった。
直前で緊急停止したのだ。僕はホームにいた人々に引き上げられた。
落下を見ていた人たちに貧血を起こしたと騒がれた。中には面白そうに僕を眺めている者もいた。救急車を呼ばれたが、僕は必死に断った。
違うんだ、僕はただ、心が弱いだけなんだ。
会社員すら勤められない、脱落者だ。
皆、見ていただろう。会社に行きたくないから、わざと落ちたって。
「線路に落ちると、顔が汚れて真っ黒に染まるんだよね……。僕は自分の身勝手でホームから飛び降りて自殺未遂を起こして、周りの人たちに迷惑をかけたんだ。彼らは出勤したいのに、僕が電車を止めて、それを邪魔した。僕はなんのために東京にいるのか、もうわからなくなったよ」
そのあと逃げるように退職して、アパートを引き払った。天童市の実家に荷物は届けたものの、両親には詳しい事情は話していない。ただ、会社を辞めたとだけ伝えた。
自殺未遂を起こしたという事実は隠したかった。
誰に言っても叱られるに決まっている。しかもその理由は、会社が嫌だからというだけなのだ。他人から見れば、そんなことで自殺だなんて馬鹿らしいと思われるだろう。
でも、清光には打ち明けたかった。
清光の穏やかな人柄は、忙しい東京では決して巡り会えないものだ。
僕は東京からまっすぐ飛島へやってきて、清光たちに出会い、カフェで働くことになった。傷ついた僕の心は、飛島の海と空と、そして清光に癒された。これからも、ここで暮らしていきたい。
そのために、清光にこれまでの事情を話しておきたかった。
「ふむ。状況が私と似ているな」
「ええ? だって清光は、電車に飛び込んで自殺未遂なんて起こしたことないよね」
「自害が頭を過ぎったことはある。壇ノ浦から舟で流されたときだ。もう随分と昔のことだが」
「あ……」
言われてみれば、清光は平家の若様であったにもかかわらず、平家一族の滅亡により、その居場所を失ったのだった。現在の山口県から山形県まで小舟で漂流するというのは、どれほど過酷な旅なのか想像もつかない。
「すでに兜丸が話したが、難破しかけた氷室を助け……様々なことがあってな。絶望した私は自害することも考えたのだ。そのときには私の体は病に蝕まれていたので、いずれ力尽きることは目に見えていたわけだが。追い詰められると人は命を絶ち、すべてを終わらせようと思うものらしい。だから、蓮の苦しみは私にもよくわかる」
漂流していたときに、清光はひどく苦悩したのだ。
穏やかで呑気な清光が、ホームから飛び降りたときの僕の心境と同じだったとは驚いたけれど、当時はそれほど切羽詰まった状況だったのだろう。
「清光も追い詰められてたんだね……。でも、君には神剣を守るという使命があるじゃないか。そのことを励みにできたんじゃないの?」
哀しいことに、飛島に到着してすぐに清光の命は絶えてしまったそうだけれど、源氏から奪われずに神剣を守り通すという一族の使命は遵守できたのだ。きっと自死を考えたときでも、使命を思い出して乗り切ったに違いない。
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清光は破顔した。その爽やかな笑顔は、希望に満ちた若武者のようだった。
「無論だ。蓮は大切なカフエーのスターフなのだからな。これからもよろしく頼む」
「……ありがとう。清光」
僕に、居場所を与えてくれて、ありがとう。
感謝を込めて、僕は『ありがとう』の言葉を紡いだ。
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