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第三章

妖狐の小太郎 3

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「眠くなっちゃったね。おんぶしようか」
「うにゅ……」

 妖狐とはいえ、人間の子どもと同じなんだな。
 目を擦っている小太郎の小さな体を背負う。
 カフェに招待する前に、ホテルのベッドへ連れていかなければならないようだ。
 闇に沈んでいる酒田の街を、僕たちはゆっくりと歩いた。
 見上げれば、夜空には大粒の星が瞬いている。
 真実は、自分の目と心で見極めなければならない……
 僕は今夜の一件で、それを学んだ。



 翌日、飛島行きの定期船に乗り込んだ僕たちは帰途に着いた。
 一泊だけの小旅行だったけれど、様々なできごとがあった。
 飛島の地を踏んだときは、「帰ってきた」と胸に安堵が広がった。帰りも一緒だったおばあさんと挨拶を交わして、それぞれの家に戻る。
 ぴょんぴょんと無邪気に飛び跳ねてカフェへの道を行く小太郎を眺めつつ、僕は大欠伸を零す。
 昨夜は僕のベッドで小太郎と添い寝した。夜明けまで小太郎のふさふさの耳や尻尾に顔を撫でられ、完全に寝不足である。
 たのし荘の前を通ると、すぐ先にカフェの屋根が見えた。戸が開け放たれているたのし荘の玄関先では、悠真のばあちゃんが上り框に腰かけて往来を眺めていた。

「おかえりなさい、清光様」
「うむ。婆様よ、今帰った」

 僕が子どもの頃、たのし荘の台所を仕切っていたばあちゃんは、すでに引退している。今は、こうして観光客や近所の人と挨拶を交わすのが楽しみのようだ。ばあちゃんにも清光の姿は見えているので、もちろん顔見知りである。
 僕の足元にさりげなく隠れた小太郎は、金色の瞳でばあちゃんを物珍しげに見た。彼の尖った耳は、ぴこんと立っている。
 相好を崩したばあちゃんが、小太郎に手を振る。
 小太郎も小さく手を振り返した。
 おばあちゃんには、小太郎も見えているのだ。さすが、あやかしに慣れているのか、耳と尻尾がついた子どもを見ても驚かないところがすごい。
 爽やかな潮風を受けた清光は、道の先を指差した。

「小太郎よ。そこが、我がカフエーだ」
「ここか。早くアイスが食べたいぞ!」

 期待しないほうがいいと思う……
 建物の隙間から見える飛島の海は、今日も輝いている。
 兜丸はウミネコたちに誘われて空の散歩に行っているので、戻ってくるのはもう少しあとだろう。
 軒先に木彫りのコーヒーカップが置かれているカフェに到着した。
 なぜか、いつでもこの扉を開けるのは胸が弾んでしまう。
 まあ、店内は寂れているんだけれど。しかも店主は守護霊。

「ただいま。あー、楽しかったね」

 とりあえずリュックを下ろし、スツールに腰を落ち着ける。
 やっぱり我が家が一番だな。……って、我が家じゃないけど。
 小太郎がスツールによじのぼろうとしたので、両腋を持ち上げて乗せてあげた。
 いそいそとカウンターに入った清光は、早速ギャルソンエプロンを腰に巻いている。
 クリスタルの器に冷凍庫から取り出したアイスクリームをよそい、その上に鬼の角に見せかけたふたつのグンミを乗せる。
 清光は満面の笑みを浮かべて、小太郎の前に器とスプーンを置いた。

「これが我が店でもっとも人気の、グンミアイスだ! さあ、食べてみてくれ」

 多大な誇張表現に、僕は沈黙を保った。
 酒田で食べたフルーツパフェは全く活かされておらず、僕が食べたグンミアイスと寸分違わぬ品である。帰宅したばかりなので準備ができていないから仕方ないかもしれないが。
 横目で小太郎の様子を窺うと、金色の目を見開き、口を大きく開けていた。小太郎は感動したようにグンミアイスに見入っている。

「すごい! これ、食べていいのか……?」

 おそるおそる僕の顔を窺う小太郎の手に、スプーンを握らせてあげた。穏やかな笑みを浮かべながら。

「食べていいんだよ。正直な感想を清光に聞かせてあげるといいと思うよ」

 小太郎はカフェという場所を初めて訪れたのだろう。もしかしたらアイスを食べるのも、初体験なのかもしれない。
 清光は自信満々で胸を張っている。
 美味しいと賞賛されることを、一片も疑っていないようだ。
 その自信はまもなく打ち砕かれるかもしれない。何しろ小太郎は兜丸に、『ヘンな鳥』と正直すぎる感想を告げる神経の持主だ。
 グンミの貝殻ごとアイスを掬い上げた小太郎は、あむっと口に入れた。

「えっ……ちょっと待って、貝殻は取るんだよ」

 なんと貝殻ごと口に入れてしまった。
 当たり前だが、他の貝類と同じように貝殻は食べられない。むき身のみを取り出して口に入れるものだ。
 バリバリと盛大に噛み砕く音が店内に響き渡る。
 僕は制止しようとした手を止めた。

「うまいぞ!」

 もうひとつのグンミも貝殻ごと口の中に放り込む。
 ガリッ、バリッと凄まじい破壊音が小太郎の口から紡ぎ出された。
 僕はその旋律を戦慄と共に耳にした。彼の口元からは鋭い牙が覗いている。
 どうやら妖狐は牙が発達しているようなので、貝殻を噛み砕くのは容易らしい。
 可愛い顔をしているけれど、さすがはあやかし。兜丸のゲロゲロと良い勝負だ……
 ぺろりとグンミアイスを平らげた小太郎は、口端に貝殻の破片を張り付かせつつ満面の笑みを見せた。

「おいら、こんなにうまいもの初めて食べた! 清光は料理がすごく上手なんだな」
「いやはや、それほどでも。そんなにも喜んでもらえるとは、料理人冥利に尽きる」

 小太郎から褒められて、清光は嬉しそうに照れている。
 どうやら、清光の類い希なるセンスは、小太郎の味覚に合っていたようだ。酷評どころか大絶賛である。
 浮かれた清光は己を料理人などと称したが、彼がそうと名乗るのは大変おこがましいので、全国のプロの料理人の皆さんに僕は心の中で謝った。申し訳ありません。この守護霊は、あくまでカフェの店主なので。

「飛島には美味しいものがあるんだな。おいら、もう一杯食べたいぞ」
「うむ。たくさんあるから遠慮せず食べよ。ところでな、小太郎……」

 小太郎から空になった器を受け取った清光は、何気なく語りかける。

「このグンミアイスの値段は、金百両だ」

 ……やっぱり。
 僕は額に手をやった。
 ぱちぱちと、小太郎は金の瞳を瞬かせる。

「おいら、金なんか持ってないぞ?」
「そうか。それでは、働いて返してもらおうか。小太郎は今日から我がカフエーのスターフとなるのだ」
「スターフ……? わかった。おいらはなんでもやるぞ。だからアイスくれ」
「心得た。よろしくな、小太郎」

 小太郎の眼前に、再びグンミアイスが置かれる。
 バリバリと景気よく噛み砕く音が、心地好いBGMとして店内に流れた。
 これからのカフェは、さらに心を弾ませるものになるだろう。
 明日からの飛島の生活に思いを馳せた僕は微苦笑を浮かべた。
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