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第二章 マリアの涙を盗め
刑事たちの訪問 4
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ゆっくりと手を下ろせば、目の前には純白の包帯。その向こうに、深い緑色の双眸がどこか哀しい色を湛えて見据えていた。
どくり、と心臓が苦しげに跳ねる。
薔薇園にはふたりしかいないのに、秘め事を呟くように、耳朶に囁きかけられる。
「銀の、同じ色の眸をしていた。……おまえなのか、ノエル」
鼓動よ、とまれ。
アランに、聞こえてしまう。
意識しながら瞬きをひとつして、ノエルは浅く息を継いだ。
返す言葉は決まっていた。
「乙女怪盗がしていた包帯は、右手でしたか? それとも左手?」
「……何?」
アランは記憶を辿りながら掌を掲げた。
「俺は右手に持った手錠を突き出して腕を取られので、左手を伸ばして仮面に手を掛けようとした。その左手を止められたから、包帯が巻かれていたのは、乙女怪盗の……右の指だ」
しばしの沈黙が流れた。
ノエルの包帯は始めから左手に巻かれている。右手で針を使い、左手に刺したのだから。そのことはアランもカフェで確認していた。
「すまない。俺の早合点だったようだ」
「いえ、謝らないで下さい。だとすると、乙女怪盗は左利きなんですね」
誤解は解けたようだ。
ノエルは微笑みながら新たな提案をしたが、即座に首を振られる。
「違うな。レイピアは腰の左側に佩いていた。右利きだ」
その通り。さすが、よく見てますね。
かといって、右利きで銀灰色の眸をした乙女を国中捜そうとも、乙女怪盗は洗い出せないのだ。
アランは諦めたような深い溜息を吐いた。
「針仕事で刺したとは限らないしな。単に鋭利なもので傷つけたのかもしれない」
「そうですね。薔薇の棘とか」
「いずれにせよ、利き手がわかった程度で見つけられるとも思わない。今回は完全に警察の負けだ」
「次は上手くいきますよ」
ノエルはそっと、右手の人差し指をガウンの長い袖口に隠した。先日、うっかり薔薇の棘に触れてしまったときに付いた傷が、そこにあったからだ。
屋根の上で組み合いになったとき、包帯は乙女怪盗の右手と左手、両方の指に巻かれていた。アランの腕を掴んだ左手は、人差し指を触れさせていなかったのだが、彼はそこまで気がつかなかったようだ。先ほどアランとバルスバストルが訪れた際に、右手の包帯だけを外したのだった。
右か、左か、と聞かれれば、どちらかを答えてしまう。そうすると、もう片方には何もないと思い込んでしまう心理を利用させてもらったのである。
屋敷からフランソワの呼ぶ声が薔薇園を縫うように聞こえてきた。ショコラ談義は終わったらしい。
「そろそろ戻るか」
「そうですね」
アランが手を差し伸べようとして、ふと気づき、手を下ろして踵を返した。
漆黒の制服の背中を見ながら、ノエルはこっそりと安堵の息を吐いて後に続く。
危ないところだった。
見つめられて、おまえなのかと訊ねられたときには、心臓が止まるかと思った。
包帯の件では誤魔化せたが、アランの心の中に『乙女怪盗とノエルは同じ色の眸』と植え付けられたのは、もはや消せないだろう。眸の色は変えられないのでどうしようもない。彼の印象が薄らいでくれるのを待つしかない。
ふいにアランが振り向いた。
ノエルは、ぎくりと体を強張らせる。
「俺は、いつか乙女怪盗の正体を暴く。それを覚えておいてくれ」
それは何気ない呟きで、特別な決意は感じられなかった。アランの双眸は平静な色を湛えている。
「……期待しています」
ざあ、と風が吹いた。薔薇の花びらが舞い踊る。長い髪を束ねていた紐が解けて、ノエルの銀髪が風に煽られて広がる。
白皙の面を彩る薔薇色の唇。玲瓏な銀灰色の眸と、煌めく銀の髪。
薔薇園を背景に佇む少年は、儚げな空気を纏い、麗しい。
今ここに夜と仮面があるならば、きっと乙女怪盗と見紛うばかりに。
どくり、と心臓が苦しげに跳ねる。
薔薇園にはふたりしかいないのに、秘め事を呟くように、耳朶に囁きかけられる。
「銀の、同じ色の眸をしていた。……おまえなのか、ノエル」
鼓動よ、とまれ。
アランに、聞こえてしまう。
意識しながら瞬きをひとつして、ノエルは浅く息を継いだ。
返す言葉は決まっていた。
「乙女怪盗がしていた包帯は、右手でしたか? それとも左手?」
「……何?」
アランは記憶を辿りながら掌を掲げた。
「俺は右手に持った手錠を突き出して腕を取られので、左手を伸ばして仮面に手を掛けようとした。その左手を止められたから、包帯が巻かれていたのは、乙女怪盗の……右の指だ」
しばしの沈黙が流れた。
ノエルの包帯は始めから左手に巻かれている。右手で針を使い、左手に刺したのだから。そのことはアランもカフェで確認していた。
「すまない。俺の早合点だったようだ」
「いえ、謝らないで下さい。だとすると、乙女怪盗は左利きなんですね」
誤解は解けたようだ。
ノエルは微笑みながら新たな提案をしたが、即座に首を振られる。
「違うな。レイピアは腰の左側に佩いていた。右利きだ」
その通り。さすが、よく見てますね。
かといって、右利きで銀灰色の眸をした乙女を国中捜そうとも、乙女怪盗は洗い出せないのだ。
アランは諦めたような深い溜息を吐いた。
「針仕事で刺したとは限らないしな。単に鋭利なもので傷つけたのかもしれない」
「そうですね。薔薇の棘とか」
「いずれにせよ、利き手がわかった程度で見つけられるとも思わない。今回は完全に警察の負けだ」
「次は上手くいきますよ」
ノエルはそっと、右手の人差し指をガウンの長い袖口に隠した。先日、うっかり薔薇の棘に触れてしまったときに付いた傷が、そこにあったからだ。
屋根の上で組み合いになったとき、包帯は乙女怪盗の右手と左手、両方の指に巻かれていた。アランの腕を掴んだ左手は、人差し指を触れさせていなかったのだが、彼はそこまで気がつかなかったようだ。先ほどアランとバルスバストルが訪れた際に、右手の包帯だけを外したのだった。
右か、左か、と聞かれれば、どちらかを答えてしまう。そうすると、もう片方には何もないと思い込んでしまう心理を利用させてもらったのである。
屋敷からフランソワの呼ぶ声が薔薇園を縫うように聞こえてきた。ショコラ談義は終わったらしい。
「そろそろ戻るか」
「そうですね」
アランが手を差し伸べようとして、ふと気づき、手を下ろして踵を返した。
漆黒の制服の背中を見ながら、ノエルはこっそりと安堵の息を吐いて後に続く。
危ないところだった。
見つめられて、おまえなのかと訊ねられたときには、心臓が止まるかと思った。
包帯の件では誤魔化せたが、アランの心の中に『乙女怪盗とノエルは同じ色の眸』と植え付けられたのは、もはや消せないだろう。眸の色は変えられないのでどうしようもない。彼の印象が薄らいでくれるのを待つしかない。
ふいにアランが振り向いた。
ノエルは、ぎくりと体を強張らせる。
「俺は、いつか乙女怪盗の正体を暴く。それを覚えておいてくれ」
それは何気ない呟きで、特別な決意は感じられなかった。アランの双眸は平静な色を湛えている。
「……期待しています」
ざあ、と風が吹いた。薔薇の花びらが舞い踊る。長い髪を束ねていた紐が解けて、ノエルの銀髪が風に煽られて広がる。
白皙の面を彩る薔薇色の唇。玲瓏な銀灰色の眸と、煌めく銀の髪。
薔薇園を背景に佇む少年は、儚げな空気を纏い、麗しい。
今ここに夜と仮面があるならば、きっと乙女怪盗と見紛うばかりに。
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