煌めく氷のロマンシア

沖田弥子

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大公の反逆 2

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「えっ? 今夜ですか?」

 急な申し出に困惑する。キラ・ハルアとしては謹慎中なのだ。騎士団と所属の件を協議するか命令が下るまで待ち、落着させなければ失踪という扱いになってしまうのではないだろうか。
 けれどそれを大公に申し立てるわけにもいかない。
 喜色満面だったカザロフ大公は、やや冷めた眼差しをむけてきた。

「一刻も早いほうがよろしいでしょう。いつまで紅宮殿に居座るおつもりで? この宮殿の維持費はロマンシア帝国臣民の血税で賄っておりますゆえ」
「大変失礼いたしました。今夜で結構です」

 慌てて立ち上がり頭を下げる。もはや婚約者ではない紗綾姫は、ロマンシアにいる理由がない。国民もすぐにでも出て行ってほしいと願っているだろう。自分の都合を優先させるわけにはいかないことに気づかされる。

「では今夜。アレクサンドルには私から断っておきますゆえ、貴女からは何も申す必要はありませんよ。もっとも元婚約者とは話したくもないでしょうが」

 笑顔で髭を弄りながら過度な装飾を施したジュストコールを翻した大公は紅宮殿を後にした。臣民の血税というわりには、無駄に宝石が沢山付いた上着を召していたが。
 志音は珍しく不満そうに唇を尖らせて、大公が足音高く出ていった廊下を振り返る。

「いいんですか、煌さま。わたくしはあの方、好きになれません。気品の一欠片もないですよ」
「そんなことを言うものではないよ。大公は気遣ってくれてるんだ。彼の言うとおり、一刻も早く帰国するべきだろう」
「分かりました。夜までに荷造りを済ませますね」

 これ以上ロマンシアの負担にならないためにも、早々に紅宮殿を退去しよう。大急ぎで荷造りに取りかかる志音と共に、煌も身の回りの品を整理する。
 籠の毛糸を纏めていたら、刻印の入った鉤針が目に留まる。
 アレクから贈られた鉤針だ。手に取り、指先で金の刻印をそっとなぞる。
 僕のために、プレゼントしてくれた……。
 一生大切にしよう。初めて好きになった人からいただいた、はじめての贈り物だ。
 きっと氷の花を贈られたアレクも、今の煌と同じ想いで宝物を握りしめていたのだろうと思うと、切なく胸が引き絞られる。
 つらくて、でもまだ、こんなにも好きで。
 恋心は忘れるものではないのだ。こんなにも強く鮮烈で、胸が痛むのに、いつか忘れることなんてできない。その痛みの狭間を、甘い想いが湧いてくる。
 アレクの微笑み、触れた指先、交わした数々の言葉。
 思い出すほどに甘くて、切なくて。
 最後に、一目だけでも会いたい。
 たとえ罵られるとしても、アレクの顔が見たい。
 キラ・ハルアとして挨拶してはいけないだろうか。婚約者と不貞を働いた侍従なんて、会いたくないだろうか。
 逡巡したが、ついに答えが出ないまま夜を迎えてしまった。



 夜も更けた頃、紅宮殿を訪問したカザロフ大公の侍従は慇懃に挨拶をした。彼の誘導に従うと、裏口に馬車が用意されていた。荷物を積み、志音と共に乗り込む。
 紅宮殿に予め用意されていたドレスや備品はすべて置いてきたので、瑠璃国から来たときと同じ衣装に身を包み、顔を被衣で覆う。一台の馬車で充分な量の荷物は、それでも積み上げれば車内はいっぱいになった。揺れる車体に身を任せながら、煌は沈痛な面持ちで俯く。
 まるで夜逃げするようだ。婚約破棄された身分では、このような退去の仕方が似合いだろうが、惨めな気持ちになってしまう。
 もしかしたら、アレクとユーリイが見送りに来てくれるかもしれないなんて淡い期待を抱いていたが、図々しい願いだった。罪を不問にしてもらっただけでも有難く思うべきなのに、会いたいだなんて、おこがましいのに。
 大公に事情を聞いても、アレクは頓着しなかったのだろう。彼が姿を現わさないことが答えだ。
 でも、会いたかった。
 生涯忘れないよう、瞼の裏にアレクの姿を思い起こして焼きつける。
 込み上げるものがあり、掌で目頭を押さえた。

「煌さま……。わたくしはいつまでも煌さまのお側にいますから」
「うん、ありがとう、志音」

 掠れた声で答える。煌の心に薄らと気づいているのかも知れない。志音の心遣いが身に染みて、被衣の下で唇を噛み締める。
 馬車は夜闇の中を駆けていく。車輪の音に混じり、くぐもった笑い声が聞こえた気がした。空耳だろうか。ふと顔を上げると、志音も周りを見回している。

「志音。なにか聞こえたか?」
「はい。わたくしの空耳ではありませんよね?」

 ふたりは後方に積んだ荷物の山を覗き込む。ごとりと音を立てて、行李の蓋が落下した。
 中から突如現れた金の巻き毛に、仰天して後退る。
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