煌めく氷のロマンシア

沖田弥子

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将校の疑念 1

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「いいえ。手加減なしですよ。ただ僕は本物のチェスを初めて見たので、ユーリイさまに教えてもらいながら対戦しました」
「ほう。初めてなのか。それでは私とも勝負してもらおうか。ユーリイとふたりがかりで良いぞ」

 フロックコートを脱いだアレクの胸元で微かに揺れる純白のクラヴァットが眩しい。

「のぞむところです! ボクの指示どおりにするんだぞ、キラ」

 椅子から跳ね下りたユーリイは、向かいに腰掛けた煌の膝に小さな尻を乗せて座る。コートを預かり椅子を引いたミハイルが退出すると、アレクと共に白と黒の駒を盤上に並べた。

「父上は強そうですね。戦法はユーリイさまにお任せいたします」

 金の巻き毛がふわりと喉元を撫でてくすぐったい。小さな体は煌の膝に丁度良く収まっている。

「任せよ! 父上にぜったい勝ちますからね」
「それは楽しみだ。では、いくぞ」

 笑みを浮かべたアレクの長い指が白のポーンを捉える。勝負は手加減のないアレクの圧勝となり、悔しがったユーリイは幾度も再戦を挑んだ。特別侍従を交えた父子のチェス対決は、お茶の時間を挟みながら和やかに続けられた。



 皇子の特別侍従に任命されて、早ひと月が経過した。
 特別侍従とはいえ所属は騎士団であるので、煌はユーリイのお世話係だけではなく新人団員としての仕事もこなしていた。
 官邸の掃除に武器の手入れ、将校の補佐など団員の仕事は多岐に渡る。今日はトナカイの厩舎を掃除する仕事だ。ロマンシアでは雪原を移動する際にトナカイにソリを引かせるので、馬と同じく重要な存在となる。
 三叉で干し草を掬い、一輪車に重ねる。これをトナカイの餌として一頭ずつ与えるのだ。
 煌は額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。
 トナカイの世話は重労働だが、やり甲斐がある。彼らは面倒を見る人をきちんと認識している。つぶらな眸は茫洋として、栗色と白の二色に彩られた毛並みは艶めいていた。

「ふう。後は水をやらなくちゃ」

 騎士団の厩舎は清潔でゆとりのある造りになっている。三叉を置いた煌が水場へ赴くと、戸口からイサークが顔を出した。

「キラ。ちょっといいか」
「はい」

 将校室への呼び出しらしい。新人が呼び出されるのは大抵が始末書を書かされる場合だ。
 初日にユーリイを負かしたキラ・ハルアは一躍注目を浴びることとなった。その後も鍛錬として他の団員と剣の勝負を行ったが、なぜか偶然が働いて勝ってしまう。剣は苦手なはずなのに不思議だ。
 果たしてユーリイとの勝負以外に始末書を書かなければならないような出来事があっただろうか。今のところ無遅刻無欠勤である。
 首を捻っていると、一緒に掃除を行っていた新人団員のひとりであるエフィムが笑いかけた。

「始末書か、キラ。同期の中じゃ一番の出世だからな。始末書の多いやつのほうが出世するんだってさ」
「僕は出世しなくていいんだけど。むしろ除隊したかったんだよ」
「そんなこと言っちゃって。無欲の勝利ってやつだな」

 エフィムは煌の代わりに水桶を運んでくれた。トナカイは美味そうに与えられた水を飲んだ。

「真面目すぎる始末書だって有り得るぞ。飲みにも娼館にも行かないじゃないか。付き合い悪いよな。たまには俺と飲み行こうぜ」

 確かに仕事上がりの付き合いには一切応じていない。酒や娼館など始めから興味がないので、用事がなければ紅宮殿に直行している。いつアレクが紗綾姫を訪ねてくるか分からないし、留守中に何か起こらなかったか志音に確認する必要があるからだ。これでも忙しい身なのである。

「お酒はちょっと遠慮するよ。ユーリイさまと一緒に過ごすことも多いからね」
「ああ、ワガママ皇子のお守りか。大変だな」

 かけもち生活は大変だが、ユーリイとも楽しく接することができている。必然的にアレクにも会えて、三人でチェス対戦を行っているときなどは安心して過ごせるためか、とても心が安らぐのだ。
 戸口でイサークはわざとらしい咳払いをする。
 途端に口を噤んだエフィムは自らの仕事に戻った。

「キラ、行ってこいよ。ここは俺たちでやっておくから」
「ありがとう。すぐに戻るね」

 エフィムをはじめとした騎士団の皆とも打ち解けることができて、充実した毎日を送れている。同年代の友人を持ったことがない煌にとって、何気ない会話でも楽しく交わすことができた。始めは困ったことになったと頭を抱えていたが、騎士団に勧誘してくれたイサークとルカには秘かに感謝している。
 イサークの後を付いて厩舎を出て、敷地内の官邸へ赴く。将校の使用する執務室へ入ると、暖炉に肘を凭れさせたルカが気怠げな目線を送ってきた。
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