淫神の孕み贄

沖田弥子

文字の大きさ
上 下
42 / 153

救援

しおりを挟む
鞘から引き抜いたダガーを高く掲げたマルドゥクが、空いた方の手でセナの顎を捉える。無理やりに上向かせられると体が吊られてしまい、淫紋のすべてが人々の目に晒された。
短剣の切っ先が真紅の淫紋に、ぴたりと宛がわれる。
死を覚悟したセナは震える声音を絞り出した。

「僕が死んでも、イルハーム神は貴方の行いを見ています。平和を乱す貴方を、イルハームさまは決してお許しにならないでしょう」
「……命乞いでもするかと思えば生意気な。腹の子共々死ね!」

叫んだマルドゥクは腕に力を込めた。
淫紋が白刃に散らされるのを、誰もが眸を見開いて見入る。
衝撃に襲われる刹那、一閃が走った。
跳ね飛ばされたダガーが宙高く舞う。
手首を押さえたマルドゥクの目が血走る。

「何をする、貴様!」

セナの体は、押さえつけていたはずの兵士により庇われていた。
彼の右腕には剣が掲げられている。この兵士が助けてくれたのだ。

「悪人を成敗して、俺の嫁と子を取り返しにきたのさ」

その声は、まさか。
聞き覚えのある声音だと思ったが、不遜な物言いに確信した。
兵士は顔を覆い隠していた兜を取り去る。
赤銅色の髪に、垂れた薄茶の眸。精悍なハリルの面差しは不敵な笑みを湛えていた。

「ハリルさま!」
「迎えに来たぞ、セナ」

助けに来てくれた。嬉しさに、眦から涙が零れ落ちる。
トルキア国の騎士団長が現れたことに、広間には動揺が伝わる。マルドゥクは歯噛みしながら腰に佩いた長剣を抜いた。兵士の扮装をして紛れ込んでいたハリルを剣先で指す。

「こやつも淫紋の一族だ。我らから国を奪った簒奪者だ。殺せ!」

号令により、男たちが一斉に剣を抜く。
ハリルはセナを背に隠すと身構えた。
そのとき、城塞の外から怒号が鳴り響く。
激しく地を踏み荒らす靴音。交わる剣戟。驚嘆の声と共に広間の一角が崩れる。鎧を纏ったトルキア国の騎士団が、剣を掲げてなだれ込んできた。

「神の贄を殺めんとする裏切り者を捕らえよ。トルキアに仇なす者どもを一人残らず逃がすな!」

先陣を切って現れた王の命を受けて、騎士団は次々に逃げ惑う男たちを捕らえていく。

「ラシードさま!」

王自ら、セナを救うために騎士団を率いて駆けつけてくれた。ラシードは果敢に剣を振りかざして、襲い来る男たちの剣戟を薙ぎ払っていく。
ラシードの後から現れた副団長は、槍を振り回して男たちを薙ぎ倒しながらこちらに笑みをむけた。

「お待たせしました、贄さま。雑魚どもはお任せください!」

多勢の騎士団に押されて、抵抗を試みていた者たちは投降していった。戦いの経験のない男たちが、訓練を受けた騎士団に適うはずもない。
やがて反乱を企てていたマルドゥクの一族は、多くが広間から外へ引き出された。後に残るのは、首謀のマルドゥクひとりになる。
ラシードは広間の隅に逃げていたマルドゥクに対峙した。

「貴様の企みは以前より察知していた。罪を贖い、心を入れ替える気があるのなら、イルハーム神は側近の裏切りを許すだろう」
「おのれ……ラシード。よくも偉そうに。私こそ王であるべきなのだ。貴様のような若造に頭を下げる屈辱は永劫に受け入れられん!」

ぎらりと目を光らせたマルドゥクは剣を構える。地を蹴ると方向を変えて、セナに猛進してきた。
鋭い刃がセナの裸身に襲いかかる。
咄嗟にラシードとハリルが身構えたが、間に合わない。
白刃が薄い肌を切り裂く寸前、傍らに鎮座していた神像が音もなく崩れ落ちる。
あっと息を呑んだマルドゥクの体は、イルハーム神の石像に押し潰された。
自らが叩きつけた傷が入っていたのかもしれない。
もしくは、神の怒りに触れたのかもしれない。
重い石の下敷きになったマルドゥクの手から、握っていた剣が落ちる。それきり彼は動かなくなった。
手首の脈を確認したハリルは、首を左右に振った。立ち上がった彼は剣を鞘に収め、マルドゥクの遺骸を見下ろす。

「己の血をイルハーム神に捧げたか。裏切り者らしい末路だな」

ラシードも剣を収めて、神妙に頷いた。

「自らが行った冒涜を、その身に受けたのだ」

セナはマルドゥクの死を痛ましい思いで見守ると、破壊されたイルハームの神像を見上げた。神の像は腰から上が無くなっている。

「イルハームさま……。僕を助けてくださったんですね」

手を合わせ、深く感謝を捧げた。そしてマルドゥクが冥府で改心してくれることを願う。祈るセナの体は、ラシードの熱い腕に包み込まれた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集

あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。 こちらの短編集は 絶対支配な攻めが、 快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす 1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。 不定期更新ですが、 1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 書きかけの長編が止まってますが、 短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。 よろしくお願いします!

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

処理中です...