101 / 112
鴇の正体 2
しおりを挟む
「鳴海神父さまですね。よく慈善活動をされているんですよ。公演のあるときに寄付を呼びかけていらっしゃるので、こちらにも顔を出されます」
「その鳴海神父さまの教会はどちらにあるんですか?」
教えてもらった教会の場所は、劇場からそう遠くない区画だった。孤児院と併設しているのですぐに分かるという。
早速車に乗り込み、教会に向けて街路を走行する。見覚えのある車窓の景色に、安珠は身を乗り出した。
「ここは……この商店街は、むかし来たことがある」
古い記憶が蘇る。老舗の呉服屋を目にしたとき、当時の光景が脳裏を駆け巡った。
あの店に子どもの頃、母と姉らと訪れた。そして路地裏でヒロトと出会い、子犬と懐中時計を交換したのだ。
路地裏のあった方向に首を巡らせたが、当時の建物は撤去されて、新設の店舗が建ち並んでいた。もう、あの路地裏はなくなっている。
ほどなくして目的の教会に辿り着く。十字架が掲げられた教会の敷地内には、老朽化した平屋建ての施設が併設されていた。これが孤児院らしい。
狭い庭を質素な身なりをした子どもたちが笑顔で駆け回っている。門前で窺う安珠に気づいた子どもたちは、満面の笑みではしゃぎだした。
「おうじさまだ! 月のおうじさまがきた!」
「こんにちは。鳴海神父さまに会いに来たよ」
遠慮がちに門をくぐった安珠は、子どもたちに王子と囃し立てられながら教会へ赴く。こぢんまりした聖堂には、リサイタルの夜に会った鳴海神父が祈りを捧げていた。子どもたちに囲まれて現れた安珠を見て、微笑みをむける。
「しんぷさま、月のおうじさまがきたんだよ!」
「そうですね。私は月の王子とお話がありますから、みんなは良い子にしていましょう」
はあい、と一斉に返事をした子どもたちは嵐のように去って行った。聖堂には鳴海神父と安珠のふたりきりになる。
「初めまして、椿小路安珠と申します。リサイタルの夜にお会いしたのですが、覚えていらっしゃいますか」
「ええ、もちろんです。私は鳴海と申します。この教会の神父と、孤児院の園長も兼ねております」
事務室へ案内されて、簡素な椅子に腰を下ろす。茶を淹れながら、鳴海神父は朗らかに話をしてくれた。
「月の王子というのは、名も知らぬ寄付者のことなのです。毎月、孤児院にお金を振り込んでくださる方がいらっしゃるのですが、素性が不明なので遠い世界の御仁という意味で私が名付けました」
「そうなのですか。僕は、その月の王子ではないんです」
身なりが良いので、子どもたちが月の王子と勘違いしてしまったようだ。名付けるくらいだから、月の王子という寄付者は結構な額を寄付しているのだろう。
茶を卓に差し出した鳴海神父は人の良さそうな笑みを浮かべる。
「ええ。月の王子の正体は秘密なのです。寄付は善意ですから。椿小路さんがここを訪れたのは……廣人くんのことではありませんか?」
鳴海神父の優しげな面差しに影が過ぎる。安珠は勢い込んで話し出した。
「そうなのです。ヒロトという少年に僕は一五年前、会いました。神父さまの仰る廣人はいかなる人物なのでしょうか。鴇とよく似ていると仰いましたよね。それに劇場で会ったとき、鴇の名を聞いて驚いたのはなぜですか」
鳴海神父はひとつ頷くと席を立ち、壁に設置された書棚から書物を取り出した。それは古いアルバムで、子どもたちの集合写真を収めたものだった。
アルバムを捲れば、園庭で撮影されたと思しき色褪せた写真が丁寧に貼られている。毎年記念写真を撮って記録に残しているらしい。
「孤児院には様々な事情を抱えた子がおります。生まれたときから親の顔を知らない子もいます。大きくなれば自立して孤児院を出て行きますが、突然いなくなり行方が知れなくなる子も後を絶ちません。廣人くんも、そのうちのひとりです。……この子が廣人くんです」
指し示された写真の中の廣人は、昏い漆黒の双眸でこちらを睨み据えていた。眦が切れ上がり、唇を引き結んでいる。年齢は十歳くらいだろうか。
間違いない。彼が、安珠と会ったヒロトだ。この孤児院で暮らしていた少年だったのだ。
「この写真は一五年前になります。彼は、今はもう二五歳くらいですね」
鴇の年齢と合致する。鳴海神父が声をかけたのも頷けた。廣人と鴇は、目鼻立ちが瓜二つなのだ。
安珠の視線が、廣人の斜め前に座る子どもを捉えた。見知らぬ少年が手にしているものに息を呑む。
「これは……!」
金無垢の懐中時計だ。写真なので鮮明ではないが、蓋に彫られた椿の家紋が見える。なぜ廣人ではなく、彼が安珠の懐中時計を持っているのだろうか。少年はまるで宝物だと主張するように、懐中時計が目立つよう掲げていた。
「彼の名は、鴇くんです。この懐中時計は父親からの贈り物だそうです」
「……えっ!?」
驚愕した安珠はもう一度写真を凝視した。
「その鳴海神父さまの教会はどちらにあるんですか?」
教えてもらった教会の場所は、劇場からそう遠くない区画だった。孤児院と併設しているのですぐに分かるという。
早速車に乗り込み、教会に向けて街路を走行する。見覚えのある車窓の景色に、安珠は身を乗り出した。
「ここは……この商店街は、むかし来たことがある」
古い記憶が蘇る。老舗の呉服屋を目にしたとき、当時の光景が脳裏を駆け巡った。
あの店に子どもの頃、母と姉らと訪れた。そして路地裏でヒロトと出会い、子犬と懐中時計を交換したのだ。
路地裏のあった方向に首を巡らせたが、当時の建物は撤去されて、新設の店舗が建ち並んでいた。もう、あの路地裏はなくなっている。
ほどなくして目的の教会に辿り着く。十字架が掲げられた教会の敷地内には、老朽化した平屋建ての施設が併設されていた。これが孤児院らしい。
狭い庭を質素な身なりをした子どもたちが笑顔で駆け回っている。門前で窺う安珠に気づいた子どもたちは、満面の笑みではしゃぎだした。
「おうじさまだ! 月のおうじさまがきた!」
「こんにちは。鳴海神父さまに会いに来たよ」
遠慮がちに門をくぐった安珠は、子どもたちに王子と囃し立てられながら教会へ赴く。こぢんまりした聖堂には、リサイタルの夜に会った鳴海神父が祈りを捧げていた。子どもたちに囲まれて現れた安珠を見て、微笑みをむける。
「しんぷさま、月のおうじさまがきたんだよ!」
「そうですね。私は月の王子とお話がありますから、みんなは良い子にしていましょう」
はあい、と一斉に返事をした子どもたちは嵐のように去って行った。聖堂には鳴海神父と安珠のふたりきりになる。
「初めまして、椿小路安珠と申します。リサイタルの夜にお会いしたのですが、覚えていらっしゃいますか」
「ええ、もちろんです。私は鳴海と申します。この教会の神父と、孤児院の園長も兼ねております」
事務室へ案内されて、簡素な椅子に腰を下ろす。茶を淹れながら、鳴海神父は朗らかに話をしてくれた。
「月の王子というのは、名も知らぬ寄付者のことなのです。毎月、孤児院にお金を振り込んでくださる方がいらっしゃるのですが、素性が不明なので遠い世界の御仁という意味で私が名付けました」
「そうなのですか。僕は、その月の王子ではないんです」
身なりが良いので、子どもたちが月の王子と勘違いしてしまったようだ。名付けるくらいだから、月の王子という寄付者は結構な額を寄付しているのだろう。
茶を卓に差し出した鳴海神父は人の良さそうな笑みを浮かべる。
「ええ。月の王子の正体は秘密なのです。寄付は善意ですから。椿小路さんがここを訪れたのは……廣人くんのことではありませんか?」
鳴海神父の優しげな面差しに影が過ぎる。安珠は勢い込んで話し出した。
「そうなのです。ヒロトという少年に僕は一五年前、会いました。神父さまの仰る廣人はいかなる人物なのでしょうか。鴇とよく似ていると仰いましたよね。それに劇場で会ったとき、鴇の名を聞いて驚いたのはなぜですか」
鳴海神父はひとつ頷くと席を立ち、壁に設置された書棚から書物を取り出した。それは古いアルバムで、子どもたちの集合写真を収めたものだった。
アルバムを捲れば、園庭で撮影されたと思しき色褪せた写真が丁寧に貼られている。毎年記念写真を撮って記録に残しているらしい。
「孤児院には様々な事情を抱えた子がおります。生まれたときから親の顔を知らない子もいます。大きくなれば自立して孤児院を出て行きますが、突然いなくなり行方が知れなくなる子も後を絶ちません。廣人くんも、そのうちのひとりです。……この子が廣人くんです」
指し示された写真の中の廣人は、昏い漆黒の双眸でこちらを睨み据えていた。眦が切れ上がり、唇を引き結んでいる。年齢は十歳くらいだろうか。
間違いない。彼が、安珠と会ったヒロトだ。この孤児院で暮らしていた少年だったのだ。
「この写真は一五年前になります。彼は、今はもう二五歳くらいですね」
鴇の年齢と合致する。鳴海神父が声をかけたのも頷けた。廣人と鴇は、目鼻立ちが瓜二つなのだ。
安珠の視線が、廣人の斜め前に座る子どもを捉えた。見知らぬ少年が手にしているものに息を呑む。
「これは……!」
金無垢の懐中時計だ。写真なので鮮明ではないが、蓋に彫られた椿の家紋が見える。なぜ廣人ではなく、彼が安珠の懐中時計を持っているのだろうか。少年はまるで宝物だと主張するように、懐中時計が目立つよう掲げていた。
「彼の名は、鴇くんです。この懐中時計は父親からの贈り物だそうです」
「……えっ!?」
驚愕した安珠はもう一度写真を凝視した。
0
お気に入りに追加
1,130
あなたにおすすめの小説
完結・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら、激甘ボイスのイケメン王に味見されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
見ぃつけた。
茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは…
他サイトにも公開しています
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
【完結】運命さんこんにちは、さようなら
ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。
とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。
==========
完結しました。ありがとうございました。
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる