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劇場 2
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支配人は主人には返答せず、澪の頤に手をかけて眸を覗き込む。
「名前と年齢は?」
「澪です。年は二十です」
もうひとりの男性が、手にした帳面に書き留めた。硬質なペンの音が殺風景な室内に響く。
「性格は従順。正直だが、やや臆病。セックスの経験はあるか?」
「え……あ、あの……」
突然のあからさまな質問に、咄嗟に答えられない。晃久との濃厚な一夜が脳裏を過ぎり、頬が染まる。
何も答えないうちに、支配人は語り続けた。
「暴行されてないな。いいね。まだ初々しい。これは高値が付きそうだ」
なぜ見ただけで澪の性格や経験まで分かるのだろう。高値とは、どういうことだろう。劇場で澪を買ってくれるのではないのだろうか。
支配人は澪の頤から手を離すと、主人にわずかに顔をむけた。
「そちらの取り分は一割だ。手数料はこちらが持つ」
「ありがとうございます。ぜひとも、よろしくお願いいたします」
礼を述べた主人に、帳面が差し出される。契約書らしきものに主人はサインをした。澪は、ぽつりと質問をする。
「あの……あなたが僕の新しいご主人なのですか?」
主人は余計なことを聞くなというように睨んだが、支配人は平静に返した。
「いいや。君の新しいご主人は、これからオークションで決まるんだ」
「オークション……?」
「貴重な美術品を入札して売買する競売のことだ。うちは絵画や骨董、そして愛人を商品として扱っている。ここに来るまでに立派な邸宅が並んでいただろう。あそこの別荘で過ごす華族や豪商がお客様だ。お金持ちの紳士が多いから、落札されれば良い暮らしができるよ」
「愛人……。僕は、愛人として売られるんですね……」
お客は取らなくても良いのだと思ったが、愛人として売られるなら同じことだ。澪を競売で落札した新しい主人と枕を共にしなければならない。
高値というが、一体いくらくらいなのだろう。澪には想像もつかないが、いっそ安値で買ってもらい、掃除係として使ってもらえないだろうか。
でも、それは澪が決めることではなかった。周りの男たちの言うことを聞かなければならない。
絶望する澪は支配人に促されて、施設の奥に足を踏み入れた。そこで主人とは別れる。
「こちらでお待ちください。御用があればアシスタントの私が伺います」
とある部屋の扉を開けたアシスタントと名乗る細面の男性に、中へ入るよう示唆される。
部屋に一歩踏み入れた澪は、思わず足を止めた。
豪奢な部屋は真紅のビロードの壁に覆われて、同じ素材のソファがぐるりと張り巡らされていた。足下も毛足の長い緋色の絨毯が敷かれている。照明は煌めくシャンデリアが吊されており、とても眩しい。非日常の淫靡な空間に、澪と同年代と思われる男子が四人、ソファに座っていた。似たようなガウンを着用している彼らに怯えた目つきをむけられて、これから自分が商品として売られるという現実を自覚する。
澪は俯きながらソファの端に腰を下ろした。
誰もひとことも発しない。これからの自分の運命に、皆が戦慄いていた。
ややあって扉が開き、びくりと肩を跳ねさせる。
先ほどのアシスタントの男性が銀盆を携えて入室してきた。盆には鮮やかなオレンジ色の液体が入ったグラスが五つ乗せられている。それを男子の前にある小さなテーブルに、ひとつずつ置いていった。
「これなに? 変な薬、入ってないよね?」
澪の隣に座っている男子が涙声で聞いた。
薬、という単語に澪はぎくりとする。
「ただのオレンジジュースです。出番が来たらお呼びしますので、それまでリラックスしてお待ちください」
アシスタントの男性は淡々と告げる。この待遇は商品である澪たちを安心させるためのものらしい。隣の男子は信用できないのか、訝しげにグラスを見ていた。
突然、硝子が割れる音が部屋に響き渡る。びくりと体が跳ねた。零れたオレンジジュースの染みが、みるみる緋の絨毯に広がっていく。
グラスを投げつけた男子は激昂して立ち上がった。
「イヤだ! 俺は帰る、家に帰るんだ!」
感情を爆発させて喚き散らす男子など珍しくもないように、アシスタントの男性は黙々と壊れたグラスを片付ける。
ふいに、大須賀家を出る日に、藤子から紅茶のカップを投げつけられたことを思い出した。
こんな風に感情を露わにできることが羨ましくもあった。
きっと自分の考えは正当なもので、揺るがない地に立っているという自信があればこそ主張できるのだろう。幼い頃から日陰の身である母を見て育ち、今は帰る家もない澪には到底できない所行だ。
唇を噛んで俯く澪の脇で喚いた男子は走り出し、扉から部屋の外へ出ようとした。
ところが、扉の外には屈強な男たちが待ち構えていた。逃げようとした男子はすぐに捕まってしまう。
「はなせ! はなせぇ!」
「名前と年齢は?」
「澪です。年は二十です」
もうひとりの男性が、手にした帳面に書き留めた。硬質なペンの音が殺風景な室内に響く。
「性格は従順。正直だが、やや臆病。セックスの経験はあるか?」
「え……あ、あの……」
突然のあからさまな質問に、咄嗟に答えられない。晃久との濃厚な一夜が脳裏を過ぎり、頬が染まる。
何も答えないうちに、支配人は語り続けた。
「暴行されてないな。いいね。まだ初々しい。これは高値が付きそうだ」
なぜ見ただけで澪の性格や経験まで分かるのだろう。高値とは、どういうことだろう。劇場で澪を買ってくれるのではないのだろうか。
支配人は澪の頤から手を離すと、主人にわずかに顔をむけた。
「そちらの取り分は一割だ。手数料はこちらが持つ」
「ありがとうございます。ぜひとも、よろしくお願いいたします」
礼を述べた主人に、帳面が差し出される。契約書らしきものに主人はサインをした。澪は、ぽつりと質問をする。
「あの……あなたが僕の新しいご主人なのですか?」
主人は余計なことを聞くなというように睨んだが、支配人は平静に返した。
「いいや。君の新しいご主人は、これからオークションで決まるんだ」
「オークション……?」
「貴重な美術品を入札して売買する競売のことだ。うちは絵画や骨董、そして愛人を商品として扱っている。ここに来るまでに立派な邸宅が並んでいただろう。あそこの別荘で過ごす華族や豪商がお客様だ。お金持ちの紳士が多いから、落札されれば良い暮らしができるよ」
「愛人……。僕は、愛人として売られるんですね……」
お客は取らなくても良いのだと思ったが、愛人として売られるなら同じことだ。澪を競売で落札した新しい主人と枕を共にしなければならない。
高値というが、一体いくらくらいなのだろう。澪には想像もつかないが、いっそ安値で買ってもらい、掃除係として使ってもらえないだろうか。
でも、それは澪が決めることではなかった。周りの男たちの言うことを聞かなければならない。
絶望する澪は支配人に促されて、施設の奥に足を踏み入れた。そこで主人とは別れる。
「こちらでお待ちください。御用があればアシスタントの私が伺います」
とある部屋の扉を開けたアシスタントと名乗る細面の男性に、中へ入るよう示唆される。
部屋に一歩踏み入れた澪は、思わず足を止めた。
豪奢な部屋は真紅のビロードの壁に覆われて、同じ素材のソファがぐるりと張り巡らされていた。足下も毛足の長い緋色の絨毯が敷かれている。照明は煌めくシャンデリアが吊されており、とても眩しい。非日常の淫靡な空間に、澪と同年代と思われる男子が四人、ソファに座っていた。似たようなガウンを着用している彼らに怯えた目つきをむけられて、これから自分が商品として売られるという現実を自覚する。
澪は俯きながらソファの端に腰を下ろした。
誰もひとことも発しない。これからの自分の運命に、皆が戦慄いていた。
ややあって扉が開き、びくりと肩を跳ねさせる。
先ほどのアシスタントの男性が銀盆を携えて入室してきた。盆には鮮やかなオレンジ色の液体が入ったグラスが五つ乗せられている。それを男子の前にある小さなテーブルに、ひとつずつ置いていった。
「これなに? 変な薬、入ってないよね?」
澪の隣に座っている男子が涙声で聞いた。
薬、という単語に澪はぎくりとする。
「ただのオレンジジュースです。出番が来たらお呼びしますので、それまでリラックスしてお待ちください」
アシスタントの男性は淡々と告げる。この待遇は商品である澪たちを安心させるためのものらしい。隣の男子は信用できないのか、訝しげにグラスを見ていた。
突然、硝子が割れる音が部屋に響き渡る。びくりと体が跳ねた。零れたオレンジジュースの染みが、みるみる緋の絨毯に広がっていく。
グラスを投げつけた男子は激昂して立ち上がった。
「イヤだ! 俺は帰る、家に帰るんだ!」
感情を爆発させて喚き散らす男子など珍しくもないように、アシスタントの男性は黙々と壊れたグラスを片付ける。
ふいに、大須賀家を出る日に、藤子から紅茶のカップを投げつけられたことを思い出した。
こんな風に感情を露わにできることが羨ましくもあった。
きっと自分の考えは正当なもので、揺るがない地に立っているという自信があればこそ主張できるのだろう。幼い頃から日陰の身である母を見て育ち、今は帰る家もない澪には到底できない所行だ。
唇を噛んで俯く澪の脇で喚いた男子は走り出し、扉から部屋の外へ出ようとした。
ところが、扉の外には屈強な男たちが待ち構えていた。逃げようとした男子はすぐに捕まってしまう。
「はなせ! はなせぇ!」
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