蟲公主と金色の蝶

沖田弥子

文字の大きさ
上 下
40 / 45
第五章

後宮の炎

しおりを挟む
「ほほう。私を闇塩事件の証人として金城に招き、弁明を求めると……。慈聖皇后直筆の召喚状か。これはまた、すごいものを持参してきましたな」

 召喚状の存在を初めて知った結蘭は唖然とした。皇帝ではなく、何故皇后の命令なのだろうか。皇后は病気で臥せっているので、黒狼も本人に会ったことがないはずだ。
 事情はともかく、皇后の召喚令を無下に扱うことはできない。夏太守は、ぽんと手を打った。

「なるほど。仕方ない。王都へ行こう」
「太守……! いけません」

 狼狽する劉青に、剣を収めるよう掌を水平に翳す。

「丁度良い。皇帝に塩の課税を下げてもらうよう直訴しようじゃないか」
「では、私も参ります」
「いけない。おまえは敬州に残りなさい。私のいない間、留守を頼んだぞ」

 納得できず更に言い募ろうとする劉青を諭すように、夏太守は人差し指を立てた。

「珠鐶を盗んだ件があるだろう。あれで斬首されては、かなわないからね」
「あれは……盗んだのではありません! 拾ったのです。そんなつもりでは……」

 結蘭たちを横目にして、劉青は気まずく口を噤んだ。事態を見守っていた村の者たちに、夏太守は向き直る。

「皆が仕事や居場所を失うことは決してない。すべて、私に任せてほしい。敬州は、必ず守る」

 村民は信頼を込めて頷く。統治者としての矜持に、結蘭は尊敬の念すら覚えた。項垂れる劉青に旅の支度を申し付けた夏太守は、呑気に結蘭に声をかけた。

「まずは朝餉でもどうかね?」



 三頭の馬が王都へ向かって街道を進む。夏太守は桜の蕾の品評を語りながら、まるで観光気分である。
 敬州の太守が金城に召喚されるという伝令は、王都から派遣された使者によって届けられた。政府を敵視していた夏太守が、ついに闇塩の首謀者であると認めたという尾ひれをつけて。
 敬州の領地から一歩出た途端に、結蘭たちは物々しい軍兵に囲まれる。

「何事ですか」
「結蘭公主さまと夏太守をお迎えにあがりました。太守はどうぞ、馬車へお乗りください」

 用意された馬車を指し示す軍吏に、夏太守はご苦労と声をかけて悠然と馬を進めた。

「馬車に乗ったら景色が見えなくなるじゃないか」

 あくまでも賓客という扱いだが、闇塩事件は既に周知のことのようだ。大勢の軍兵を従えて王城を目指すことになった結蘭は、こっそりと耳打ちする。

「黒狼が呼んだの?」
「いいや。おそらく、あいつの差し金だ」
「あいつって?」
「着けばわかる」

 見慣れた街並みを越え、城郭を視界に捉えた。もう少しで金城へ到着する。
街角に群れている人々が、何事か騒いでいる。

「もし。何かありましたか?」

 皆は王城の一点を指差し、叫んだ。

「火事だ! 天子さまの御住いが火事だぞ!」

 見上げれば王城の一角から黒煙が立ち昇り、天を覆い尽くそうとしている。
 結蘭は咄嗟に馬腹を蹴る。駆け出した子翼と共に朱雀門を潜り、黒煙が示す方角を一心不乱に目指す。
 宮廷は混乱の極みにあった。奥へ進むほど、消火に走る衛士や逃げ惑う女官たちで路は溢れる。子翼が踏鞴を踏み始めたので、結蘭は降りて走り出した。

「結蘭! 火の元は永寧宮だ」

 とうに下馬して走ってきた黒狼に続き、子翼も後を追ってくる。
 永寧宮といえば李昭儀の宮だ。使者が走ったので、結蘭が想定するより早く闇塩事件は明るみになっている。嫌な予感が過ぎる。
 宮の手前の路は、大量の宝物や家具で塞がれていた。その間を縫うように移動する人々が衝突する。

「通して、通してください!」

 各宮の者が延焼を恐れて運び出しているのだ。池から汲み出された水が桶から零れ、路は水浸しになっている。
 ようやく辿り着いた門前は、泣き叫ぶ女官や役人たちでひしめいていた。衛士が怒号を上げながら桶を手にして駆け込む。
 煙の嫌な臭気が辺り一帯に立ち込める。庭の向こうにある奥の庫房は業火に包まれていた。
 飛び散る火の粉に双眸を眇める。

「仏像のあった庫房が燃えてしまうわ……」
「李昭儀が証拠を隠滅したな」

 圧倒的な火の勢いの前に成すすべもない。火の手は隣接する本殿に移り、燃え広がっている。延焼を食い止めるため衛士たちは槌で建物を壊し始めた。由緒正しい宮の破壊される姿に、号泣して地に伏せる女官たち。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

冷徹義兄の密やかな熱愛

橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。 普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。 ※王道ヒーローではありません

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

処理中です...