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第三章
塩湖へ
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目指す敬州は河北の山間にある。寺参りという名目で外泊許可を得た結蘭は愛馬の背を撫でた。
「子翼の出番がきたわ。お願いね」
子翼は応えるように高く嘶き、前脚を蹴る。
結蘭は田舎育ちなので馬に乗れる。ただし、子翼にしか乗れない。子翼も結蘭以外の人が乗ろうとすると振り落としてしまうので、相思相愛ということかもしれない。
子どもの頃から大切に世話をしてきたので、気心は知れている。
「準備はいいか、結蘭」
鞍に荷物を載せた黒狼は馬に跨る。
「うん! 行こう」
奏州と王都の周辺しか知らない結蘭の胸は未知の世界への期待に弾んだ。
もしかしたら叶うかもしれない。
子どもの頃から夢見ていた、金色蝶に出会うことが。
けれど、今回は闇塩を調査するために敬州へ赴くのだ。私事を優先させてはいけないと、自分を戒める。
城門を潜り、目抜き通りを抜ける。眼前には盛況な市が開けた。
整然とした城とは対照的に、雑多で活気に満ち溢れている。
街道に出ると、一面に緑の毛氈を敷いたような田園風景が広がっていた。燦々とした陽射しを受けて、子翼の鬣が眩く銀色に光っている。
轡を並べて馬の歩を進める黒狼は、何気なく話しかけてきた。
「初めてだな。俺とふたりで遠出するのは」
「そうね。すごく楽しみ」
笑顔で答えると、黒狼はいつもの無表情に加えて瞬きをひとつした。
「楽しみなのか」
「うん、だって……」
子翼が突然、不満げに鼻を鳴らす。結蘭の尻が飛び上がるほど背を揺らした。
「あっ、子翼もいるから、ふたりじゃないわよね。三人ね」
そうそう、と言いたげに、子翼は嬉しそうに闊歩している。子翼の言葉は聞けないけれど、彼は人の言葉を理解しているのだ。
「……馬は数に入れなくていいだろう」
ぼそりと呟いた黒狼に、今度は歯を剥き出しにして威嚇している。
「仲良くしようよー」
結蘭は苦笑を零しながら、河辺から吹く涼やかな風に身を浸した。
日が暮れると宿や寺へ泊まることを繰り返し、ようやく敬州の領内へと足を踏み入れた。
王都からの距離は奏州よりも近いのだが、険しい山々が連なるため遠く感じる。行き交うのは大変なのに、重装備をした旅人や商人と数多くすれ違う。敬州は塩の産地なので、交易が盛んなのだ。
夕陽は山の稜線へと沈み、山道を登る子翼にも疲れが見える。鬱蒼とした山道に一軒だけ佇む宿の主人が、結蘭たちに声を掛けてきた。
「お客人。どうぞ、うちの宿に泊まってください。この先は山を降りるまで寺もありませんから」
必然的に宿をとることになり鞍から下りる。子翼を厩に入れて桶に汲んだ水を飲ませていると、重厚な箱を鞍に乗せた馬が隣に付けた。侠客風の男が箱を担ぐと、がちゃりと金属音が鳴る。塩ではないようだ。
結蘭に気づいた男は、じろじろと上から下まで睨めつけてきた。
「いくらだ?」
「はい?」
いくらって、何がだろう。
首を捻っていると、素早く近づいてきた黒狼が男との間に割って入る。
「俺の妹だ。娼婦じゃない」
厳しい顔をした黒狼に、男は舌打ちをひとつすると宿に入っていった。
「えっ? 私、娼婦に見られてたの?」
「男と目を合わせるな。ここでは兄妹ということにする。俺の傍から離れるなよ」
言い含めた黒狼は包袱皮を取り出し、結蘭の長い黒髪を包み隠した。
王都から離れると危険も増す。善良な旅人だけとは限らないので、気をつけなければ。
宿は素朴な造りだが充分な広さがあり、一階は飯屋で二階が宿になっている。立地上、旅人はこの宿に泊まらざるを得ないようで、飯屋は既に賑わっていた。
席に着くとやってきた女中に蒸した豚肉や点心を注文する。
「ああ、おなかへった」
ややあって、料理が運ばれてきた。頼んでいないのに、酒と酒器も卓に置かれる。黒狼は酒を注いだ猪口に鼻を近づけ、すんと匂いを嗅いだ。
「子翼の出番がきたわ。お願いね」
子翼は応えるように高く嘶き、前脚を蹴る。
結蘭は田舎育ちなので馬に乗れる。ただし、子翼にしか乗れない。子翼も結蘭以外の人が乗ろうとすると振り落としてしまうので、相思相愛ということかもしれない。
子どもの頃から大切に世話をしてきたので、気心は知れている。
「準備はいいか、結蘭」
鞍に荷物を載せた黒狼は馬に跨る。
「うん! 行こう」
奏州と王都の周辺しか知らない結蘭の胸は未知の世界への期待に弾んだ。
もしかしたら叶うかもしれない。
子どもの頃から夢見ていた、金色蝶に出会うことが。
けれど、今回は闇塩を調査するために敬州へ赴くのだ。私事を優先させてはいけないと、自分を戒める。
城門を潜り、目抜き通りを抜ける。眼前には盛況な市が開けた。
整然とした城とは対照的に、雑多で活気に満ち溢れている。
街道に出ると、一面に緑の毛氈を敷いたような田園風景が広がっていた。燦々とした陽射しを受けて、子翼の鬣が眩く銀色に光っている。
轡を並べて馬の歩を進める黒狼は、何気なく話しかけてきた。
「初めてだな。俺とふたりで遠出するのは」
「そうね。すごく楽しみ」
笑顔で答えると、黒狼はいつもの無表情に加えて瞬きをひとつした。
「楽しみなのか」
「うん、だって……」
子翼が突然、不満げに鼻を鳴らす。結蘭の尻が飛び上がるほど背を揺らした。
「あっ、子翼もいるから、ふたりじゃないわよね。三人ね」
そうそう、と言いたげに、子翼は嬉しそうに闊歩している。子翼の言葉は聞けないけれど、彼は人の言葉を理解しているのだ。
「……馬は数に入れなくていいだろう」
ぼそりと呟いた黒狼に、今度は歯を剥き出しにして威嚇している。
「仲良くしようよー」
結蘭は苦笑を零しながら、河辺から吹く涼やかな風に身を浸した。
日が暮れると宿や寺へ泊まることを繰り返し、ようやく敬州の領内へと足を踏み入れた。
王都からの距離は奏州よりも近いのだが、険しい山々が連なるため遠く感じる。行き交うのは大変なのに、重装備をした旅人や商人と数多くすれ違う。敬州は塩の産地なので、交易が盛んなのだ。
夕陽は山の稜線へと沈み、山道を登る子翼にも疲れが見える。鬱蒼とした山道に一軒だけ佇む宿の主人が、結蘭たちに声を掛けてきた。
「お客人。どうぞ、うちの宿に泊まってください。この先は山を降りるまで寺もありませんから」
必然的に宿をとることになり鞍から下りる。子翼を厩に入れて桶に汲んだ水を飲ませていると、重厚な箱を鞍に乗せた馬が隣に付けた。侠客風の男が箱を担ぐと、がちゃりと金属音が鳴る。塩ではないようだ。
結蘭に気づいた男は、じろじろと上から下まで睨めつけてきた。
「いくらだ?」
「はい?」
いくらって、何がだろう。
首を捻っていると、素早く近づいてきた黒狼が男との間に割って入る。
「俺の妹だ。娼婦じゃない」
厳しい顔をした黒狼に、男は舌打ちをひとつすると宿に入っていった。
「えっ? 私、娼婦に見られてたの?」
「男と目を合わせるな。ここでは兄妹ということにする。俺の傍から離れるなよ」
言い含めた黒狼は包袱皮を取り出し、結蘭の長い黒髪を包み隠した。
王都から離れると危険も増す。善良な旅人だけとは限らないので、気をつけなければ。
宿は素朴な造りだが充分な広さがあり、一階は飯屋で二階が宿になっている。立地上、旅人はこの宿に泊まらざるを得ないようで、飯屋は既に賑わっていた。
席に着くとやってきた女中に蒸した豚肉や点心を注文する。
「ああ、おなかへった」
ややあって、料理が運ばれてきた。頼んでいないのに、酒と酒器も卓に置かれる。黒狼は酒を注いだ猪口に鼻を近づけ、すんと匂いを嗅いだ。
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