蟲公主と金色の蝶

沖田弥子

文字の大きさ
上 下
21 / 45
第三章

塩湖へ

しおりを挟む
 目指す敬州は河北の山間にある。寺参りという名目で外泊許可を得た結蘭は愛馬の背を撫でた。

子翼しよくの出番がきたわ。お願いね」

 子翼は応えるように高く嘶き、前脚を蹴る。
 結蘭は田舎育ちなので馬に乗れる。ただし、子翼にしか乗れない。子翼も結蘭以外の人が乗ろうとすると振り落としてしまうので、相思相愛ということかもしれない。
 子どもの頃から大切に世話をしてきたので、気心は知れている。

「準備はいいか、結蘭」

 鞍に荷物を載せた黒狼は馬に跨る。

「うん! 行こう」

 奏州と王都の周辺しか知らない結蘭の胸は未知の世界への期待に弾んだ。
 もしかしたら叶うかもしれない。
 子どもの頃から夢見ていた、金色蝶に出会うことが。
 けれど、今回は闇塩を調査するために敬州へ赴くのだ。私事を優先させてはいけないと、自分を戒める。
 城門を潜り、目抜き通りを抜ける。眼前には盛況な市が開けた。
 整然とした城とは対照的に、雑多で活気に満ち溢れている。
 街道に出ると、一面に緑の毛氈を敷いたような田園風景が広がっていた。燦々とした陽射しを受けて、子翼の鬣が眩く銀色に光っている。
 轡を並べて馬の歩を進める黒狼は、何気なく話しかけてきた。

「初めてだな。俺とふたりで遠出するのは」
「そうね。すごく楽しみ」

 笑顔で答えると、黒狼はいつもの無表情に加えて瞬きをひとつした。

「楽しみなのか」
「うん、だって……」

 子翼が突然、不満げに鼻を鳴らす。結蘭の尻が飛び上がるほど背を揺らした。

「あっ、子翼もいるから、ふたりじゃないわよね。三人ね」

 そうそう、と言いたげに、子翼は嬉しそうに闊歩している。子翼の言葉は聞けないけれど、彼は人の言葉を理解しているのだ。

「……馬は数に入れなくていいだろう」

 ぼそりと呟いた黒狼に、今度は歯を剥き出しにして威嚇している。

「仲良くしようよー」

 結蘭は苦笑を零しながら、河辺から吹く涼やかな風に身を浸した。



 日が暮れると宿や寺へ泊まることを繰り返し、ようやく敬州の領内へと足を踏み入れた。
 王都からの距離は奏州よりも近いのだが、険しい山々が連なるため遠く感じる。行き交うのは大変なのに、重装備をした旅人や商人と数多くすれ違う。敬州は塩の産地なので、交易が盛んなのだ。
 夕陽は山の稜線へと沈み、山道を登る子翼にも疲れが見える。鬱蒼とした山道に一軒だけ佇む宿の主人が、結蘭たちに声を掛けてきた。

「お客人。どうぞ、うちの宿に泊まってください。この先は山を降りるまで寺もありませんから」

 必然的に宿をとることになり鞍から下りる。子翼を厩に入れて桶に汲んだ水を飲ませていると、重厚な箱を鞍に乗せた馬が隣に付けた。侠客風の男が箱を担ぐと、がちゃりと金属音が鳴る。塩ではないようだ。
 結蘭に気づいた男は、じろじろと上から下まで睨めつけてきた。

「いくらだ?」
「はい?」

 いくらって、何がだろう。
 首を捻っていると、素早く近づいてきた黒狼が男との間に割って入る。

「俺の妹だ。娼婦じゃない」

 厳しい顔をした黒狼に、男は舌打ちをひとつすると宿に入っていった。

「えっ? 私、娼婦に見られてたの?」
「男と目を合わせるな。ここでは兄妹ということにする。俺の傍から離れるなよ」

 言い含めた黒狼は包袱皮を取り出し、結蘭の長い黒髪を包み隠した。
 王都から離れると危険も増す。善良な旅人だけとは限らないので、気をつけなければ。
 宿は素朴な造りだが充分な広さがあり、一階は飯屋で二階が宿になっている。立地上、旅人はこの宿に泊まらざるを得ないようで、飯屋は既に賑わっていた。
 席に着くとやってきた女中に蒸した豚肉や点心を注文する。

「ああ、おなかへった」

 ややあって、料理が運ばれてきた。頼んでいないのに、酒と酒器も卓に置かれる。黒狼は酒を注いだ猪口に鼻を近づけ、すんと匂いを嗅いだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

お父様が、女性と女の子を連れて帰って来た。

❄️冬は つとめて
恋愛
お父様が、女性と女の子を連れて帰って来た。 (⁠ ̄⁠ヘ⁠ ̄⁠;⁠)求む、軽い気持ちで読んでくれる方。

【魅了の令嬢】婚約者を簒奪された私。父も兄も激怒し徹底抗戦。我が家は連戦連敗。でも大逆転。王太子殿下は土下座いたしました。そして私は……。

川嶋マサヒロ
恋愛
「僕たちの婚約を破棄しよう」 愛しき婚約者は無情にも、予測していた言葉を口にした。 伯爵令嬢のバシュラール・ディアーヌは婚約破棄を宣告されてしまう。 「あの女のせいです」 兄は怒り――。 「それほどの話であったのか……」 ――父は呆れた。 そして始まる貴族同士の駆け引き。 「ディアーヌの執務室だけど、引き払うように通達を出してくれ。彼女も今は、身の置き所がないだろうしね」 「我が家との取引を中止する? いつでも再開できるように、受け入れ体勢は維持するように」 「決闘か……、子供のころ以来だよ。ワクワクするなあ」 令嬢ディアーヌは、残酷な現実を覆せるのか?

夫の告白に衝撃「家を出て行け!」幼馴染と再婚するから子供も置いて出ていけと言われた。

window
恋愛
伯爵家の長男レオナルド・フォックスと公爵令嬢の長女イリス・ミシュランは結婚した。 三人の子供に恵まれて平穏な生活を送っていた。 だがその日、夫のレオナルドの言葉で幸せな家庭は崩れてしまった。 レオナルドは幼馴染のエレナと再婚すると言い妻のイリスに家を出て行くように言う。 イリスは驚くべき告白に動揺したような表情になる。 子供の親権も放棄しろと言われてイリスは戸惑うことばかりでどうすればいいのか分からなくて混乱した。

旦那様に離婚を突きつけられて身を引きましたが妊娠していました。

ゆらゆらぎ
恋愛
ある日、平民出身である侯爵夫人カトリーナは辺境へ行って二ヶ月間会っていない夫、ランドロフから執事を通して離縁届を突きつけられる。元の身分の差を考え気持ちを残しながらも大人しく身を引いたカトリーナ。 実家に戻り、兄の隣国行きについていくことになったが隣国アスファルタ王国に向かう旅の途中、急激に体調を崩したカトリーナは医師の診察を受けることに。

兄を溺愛する母に捨てられたので私は家族を捨てる事にします!

ユウ
恋愛
幼い頃から兄を溺愛する母。 自由奔放で独身貴族を貫いていた兄がようやく結婚を決めた。 しかし、兄の結婚で全てが崩壊する事になった。 「今すぐこの邸から出て行ってくれる?遺産相続も放棄して」 「は?」 母の我儘に振り回され同居し世話をして来たのに理不尽な理由で邸から追い出されることになったマリーは自分勝手な母に愛想が尽きた。 「もう縁を切ろう」 「マリー」 家族は夫だけだと思い領地を離れることにしたそんな中。 義母から同居を願い出られることになり、マリー達は義母の元に身を寄せることになった。 対するマリーの母は念願の新生活と思いきや、思ったように進まず新たな嫁はびっくり箱のような人物で生活にも支障が起きた事でマリーを呼び戻そうとするも。 「無理ですわ。王都から領地まで遠すぎます」 都合の良い時だけ利用する母に愛情はない。 「お兄様にお任せします」 実母よりも大事にしてくれる義母と夫を優先しすることにしたのだった。

殿下には既に奥様がいらっしゃる様なので私は消える事にします

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のアナスタシアは、毒を盛られて3年間眠り続けていた。そして3年後目を覚ますと、婚約者で王太子のルイスは親友のマルモットと結婚していた。さらに自分を毒殺した犯人は、家族以上に信頼していた、専属メイドのリーナだと聞かされる。 真実を知ったアナスタシアは、深いショックを受ける。追い打ちをかける様に、家族からは役立たずと罵られ、ルイスからは側室として迎える準備をしていると告げられた。 そして輿入れ前日、マルモットから恐ろしい真実を聞かされたアナスタシアは、生きる希望を失い、着の身着のまま屋敷から逃げ出したのだが… 7万文字くらいのお話です。 よろしくお願いいたしますm(__)m

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

【完結】旦那様、お飾りですか?

紫崎 藍華
恋愛
結婚し新たな生活に期待を抱いていた妻のコリーナに夫のレックスは告げた。 社交の場では立派な妻であるように、と。 そして家庭では大切にするつもりはないことも。 幸せな家庭を夢見ていたコリーナの希望は打ち砕かれた。 そしてお飾りの妻として立派に振る舞う生活が始まった。

処理中です...