リモート・ラブ

福守りん

文字の大きさ
上 下
1 / 2

しおりを挟む
 冷静でいることは、とても難しい。
 とくに、恋をしている時には。


 令和四年。二月。
 わたしの住む街は、マスクをつけた怪人であふれている。道ばたで会う人の口もとが、笑っているのか、引きむすばれているのかさえ、わからない。
 マンションの外にあるごみ置き場に、ごみを捨てにいく時ですら、マスクをつけるようになった。
 こんなふうになるなんて、誰も思っていなかったと思う。
 しかたがない。なにもかも。

 会社に行くと、そこでも、怪人たちが働いている。
 お化粧をする女性が、明らかに少なくなった。気持ちは、わからなくもなかった。
 どうせ、顔の下半分は隠れてしまって、見えもしないのだから。ファンデーションがマスクにつくのがいやという声も、よく耳にしていた。
 少し前まで、大半の人がリモートワークになっていた。今は、あの頃よりも、ずっと状況が悪いはずなのに、そうなっていない。不思議だった。

 お昼休みはいつも、食堂で、自作のお弁当を食べることにしていた。
丹野たんのさん」
 後ろから、声をかけられた。どきっとした。
 山縣やまがたさんだ。
「はい」
 三つ年上の、男の人。部署は別で、ふだんは、ほとんど顔を合わせることはない。
 わたしの上司の甲斐さんと仲がいいのは、知っていた。
 懇親会とかで、たまに、二人で会話をすることがあった。知的な人という印象だった。物腰が柔らかくて、中性的な感じがした。
 ひかれていた。どんな人なのか、ほとんど知りもしないのに。
 わたしの、一方的な片想い。
 一週間前に、わたしが休憩室で缶ジュースを飲んでいた時に、山縣さんがふらっと現れた。その時に、向こうから連絡先を聞かれた。それっきりで、とくに連絡がくることもなかったから、深い意味はなかったんだと、自分に言い聞かせているところだった。
 わたしのそばに立って、見下ろしてくる。
「今日は忙しい? 終わってから、食事でも」
「……え、はい。わかりました」
 返事をしてから、もっとかわいい言葉が、どうして出てこなかったんだろうって、自分にがっかりした。
「行きます」
「うん。じゃあ、終業後に」
 それだけ言って、いなくなってしまった。
 デートだ。こんなふうに約束を交わして、デートするのは、大学生だった頃が最後だった。三年ぶり? もっとかもしれない。


 何回か、デートをした。
 山縣さんは、わたしが思っていたとおりの人だった。
 気が合う。話も合う。こわいくらいだった。
 二回目のデートで、告白してくれた。もちろん、受けいれた。

 五回目のデートで、はじめて、山縣さんの部屋に行った。
 三月の、三週目の土曜日。
 どきどきしていた。山縣さんも、緊張してるみたいだった。
 お昼ごはんは、わたしが作った。喜んでもらえて、うれしかった。
 後かたづけはしなくていいと言われた。「自分でするから」って。

 リビングでくつろぎながら、話をしている時だった。山縣さんから、「大事な話がある」と言われた。
「なんですか?」
「四月から、異動になるんだ」
「えっ?」
「岡山だって。それで……。何もせずに後悔するよりも、当たって砕けてみようと思って」
「はあ……。砕けたんですか」
「どうかな。どう思う?」
「もし、わたしのことなら……。今は、がっかりしてます……」
「そう?」
「はい。会えなくなっちゃう……。
 それとも、会える?
 会いにきてくれますか? 会いにいってもいいの?」
「うん。会ってくれる?」
「いいですよ。岡山……」
「ショックだった?」
「はい。遠いです。国内でよかったって、思うべきですか?」
「うーん。僕も、ショックだった。栄転じゃないと思った。左遷でもないけど。
 新事業の立ち上げメンバーに選ばれた。そのこと自体は、嬉しかったけど」
「さびしいです。さびしくなります」
「だろうね。僕も、そうだと思う」
「もうすぐ、いなくなっちゃうんですね……」
 ただ、さびしいという思いしかなかった。
 目が合った。山縣さんの目の奥に、炎を見た。
 情欲の炎が、ゆらめているのを見た。
「……山縣さん」
「いいの?」
「いいです。独身の男の人の部屋に上がるって、そういうことです……」
「そうとは、限らないと思うけどね」
 山縣さんがマスクを外した。わたしのマスクも外されて、キスをされた。
 この時まで、食事の時以外は、部屋の中でもマスクをしていた。
 長いキスだった。きもちよかった。
 山縣さんは、キスが上手だった。
「うまく、できないかも……」
「はじめて?」
 驚いたような顔をされてしまった。
「ううん。でも、三年以上、してない……」
「そうなんだ。丹野さんは、それなりに経験がある人だと思ってた」
「したことがないわけじゃ、ないです」
「わかってるよ」
 なぐさめてくれてるみたいな言い方だった。


 山縣さんとのセックスは、よかった。
 三年のブランクがあっても、大丈夫だったみたい。
 最後までできた。そこまで痛くもなかったし、ちゃんと感じた。
「よかったですか?」
「うん。丹野さんは?」
「……よかった、です」
「顔が、すごく赤いよ」
「はずかしくて……。わたしたち、下の名前で呼ばないような関係なのに、しちゃったんですね」
「ああ……。うん。
 ゆかりさん。ゆかりちゃん?」
「呼び捨てで、いいです」
「いきなりそれは、ハードルが高いね。僕のことは?」
「山縣さん」
「えー?」
「ハードルが高いです」
「じゃあ、同じ気持ちってことだ」
「ですね」

 服を着て、マスクをつけた。もう、いいんじゃないかなって、思いかけたけれど、山縣さんがちゃんとつけているのを見て、思い直した。

「月に、どのくらい会えると思いますか?」
「うーん……。一回は、必ず会いたい。丹野さんは?」
「月二回? もっと多くても、いいですけど。交通費が……」
「そこなんだよな」
「ビデオ通話とか、きらい?」
「そんなことないよ。リモートの時に慣れた。そうする?」
「週末とか、平日の夜とか……。ずっと話したいわけじゃないです。つけっぱなしにしてたら、お互いに、気配を感じられるかも」
「面白そうだね。やってみようか」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

君のとなり

なーさん
ライト文芸
アラフォーな自称ネットナンパ師と今時JKの恋愛を描く自分語り(今のところ)スタイルな小説。 ナンパ師「ハルさん」とJK「aki」とのバカバカしくも儚い今時の恋愛事情をお楽しみください。 尚、更新は不定期になってしまいます。

【9】やりなおしの歌【完結】

ホズミロザスケ
ライト文芸
雑貨店で店長として働く木村は、ある日道案内した男性から、お礼として「黄色いフリージア」というバンドのライブチケットをもらう。 そのステージで、かつて思いを寄せていた同級生・金田(通称・ダダ)の姿を見つける。 終演後の楽屋で再会を果たすも、その後連絡を取り合うこともなく、それで終わりだと思っていた。しかし、突然、金田が勤務先に現れ……。 「いずれ、キミに繋がる物語」シリーズ9作目。(登場する人物が共通しています)。単品でも問題なく読んでいただけます。 ※当作品は「カクヨム」「小説家になろう」にも同時掲載しております。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

聖女なので公爵子息と結婚しました。でも彼には好きな人がいるそうです。

MIRICO
恋愛
癒しの力を持つ聖女、エヴリーヌ。彼女は聖女の嫁ぎ制度により、公爵子息であるカリス・ヴォルテールに嫁ぐことになった。しかしカリスは、ブラシェーロ公爵子息に嫁ぐ聖女、アティを愛していたのだ。 カリスはエヴリーヌに二年後の離婚を願う。王の命令で結婚することになったが、愛する人がいるためエヴリーヌを幸せにできないからだ。  勝手に決められた結婚なのに、二年で離婚!?  アティを愛していても、他の公爵子息の妻となったアティと結婚するわけにもいかない。離婚した後は独身のまま、後継者も親戚の子に渡すことを辞さない。そんなカリスの切実な純情の前に、エヴリーヌは二年後の離婚を承諾した。 なんてやつ。そうは思ったけれど、カリスは心優しく、二年後の離婚が決まってもエヴリーヌを蔑ろにしない、誠実な男だった。 やめて、優しくしないで。私が好きになっちゃうから!! ブックマーク・いいね・ご感想等、ありがとうございます。誤字もお知らせくださりありがとうございます。修正します。ご感想お返事ネタバレになりそうなので控えさせていただきます。

婚活のサラリーマン

NAOTA
ライト文芸
気がつけば36才になっていた私は、婚活を始めた。 アラフォーサラリーマンが、なかなかうまくいかない婚活に奔走する、少しだけハードボイルドなストーリー。 (この小説はカクヨム様、ノベルデイズ様にも投稿させていただいています。)

社長の奴隷

星野しずく
恋愛
セクシー系の商品を販売するネットショップを経営する若手イケメン社長、茂手木寛成のもとで、大のイケメン好き藤巻美緒は仕事と称して、毎日エッチな人体実験をされていた。そんな二人だけの空間にある日、こちらもイケメン大学生である信楽誠之助がアルバイトとして入社する。ただでさえ異常な空間だった社内は、信楽が入ったことでさらに混乱を極めていくことに・・・。(途中、ごくごく軽いBL要素が入ります。念のため)

嘘つきは恋人の始まり

JUN
恋愛
 生まれる前からの許婚者がおり、近々正式に婚約すると聞かされ、家を飛び出す真秀。しかし相手の霙も、同じく家を飛び出していた。お互いに偽名で出会い、意気投合する2人。お互いの素性は知らないままに。

ワーストレンジャー

小鳥頼人
ライト文芸
※なろう、カクヨムでも掲載しております ※バトル物ではありません  橋本銀次は自らの夢に向かうべく退学を希望する素行不良の高校一年生。  ある日、クラスの黒板に『嫌いなクラスメイトランキング』なるランキングの紙が貼り出され、銀次は自分が1位であることを知る。  同じくランキング3位の村野鉄平の計らいにより、ワースト5の面々でお互いや周囲を救うべく協力同盟戦隊『ワーストレンジャー』が結成される。  面々にはそれぞれ長所と短所があり、それらを活用、補い合ってゆくことになった。  『ワーストレンジャー』はメンバー各々やその周囲の日常問題を解決してゆく過程で絆を深めることになる。

処理中です...