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18.アズ・ポーン5
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九月二十三日。秋分の日。
来客があった。
インターホンの音を聞いた時点では、宅配業者かなと思っていた。
変だなとは思った。ロッカーに入らないような大きさのものは、頼んだ記憶がなかった。
モニターを見て、ぎょっとした。
いるはずのない人がいた。
姿勢がいい。
カメラ越しに僕を見る目に、力がある。視線が、まったくぶれなかった。勝負師の顔をしていた。
「祐奈ちゃん……」
「上がっても、いいですか?」
「いいけど。何しに来たの」
「あなたと話をするために来ました」
はっきり発音した。いつもの話し方とは、まるで違っていた。
玄関のドアを開けて、待っていた。
エレベーターホールの方向から、淡い色のスカートスーツを着た女性が歩いてくる。
若くて、きれいだった。
足どりには迷いがなかった。ゆっくり近づいてくる。
通路を歩いてくる姿には、本物の威厳があった。
まさに、クイーンといった風情だった。
歌穂ちゃんの母親が、来てしまった。そんな気分だった。
「……上がってください」
書斎から椅子を持ってきた。
僕が椅子に座って、祐奈ちゃんにはソファーに座ってもらった。
「話があるんだよね。聞かせて」
美しい人が、正面から僕を見る。
表情がなかった。
だから、わからなかった。どんな気持ちで、ここにいるのか。
怒っているようでもあったし、悲しんでいるようでもあった。
僕に対して怒っていても、何も不思議じゃなかった。
「怒ってる?」
「いいえ。人の気持ちは、変わっていくものだから……」
「どういう意味?」
「歌穂のこと、手放したくなったんですよね」
「ちがう、ちがう! 誤解だよ!」
「えっ……?」
きょとんとした顔になった。
一瞬、ものすごく幼くなったように見えた。だけど、ほんの数秒の間に、気を取り直したみたいだった。
また、表情がなくなった。
「歌穂は、そう思いこんでますよ。『もう、別れそう』って」
「あー。ちがいます。
去年の十二月二十六日に出会ってから、ずっと、オンリーワンだし、これからも、変わらないと思う」
「だったら、どうして……。避けられてるって、泣いてました」
「泣いてたの?」
「はい。歌穂は泣かないとでも、思ってましたか?」
「思ってない。……いや、わからない。
強い人だとは、思ってます」
「でも、泣くんですよ。わたし、つらいです。
あんまり、子供みたいに泣くから。『もう、あきらめたら?』って、言ってしまいそうでした」
「……そんなに?」
祐奈ちゃんがうなずいた。
「理由を聞かせてください。歌穂をあそこまで追いつめるくらいに、避けていた理由を」
「うん……」
自分の心を整理するのに、時間がかかった。
言わなきゃいけないってことは、わかっていた。
「先月の下旬にね。歌穂ちゃんが、ひどい風邪を引いてたんだ。
僕は、歌穂ちゃんの部屋にいた。泊まってた。
看病というほどのことは、できなかったけど。そばにいたくて。
息が荒くて、苦しそうだった。
夜中に、寝言が聞こえた。
『ゆうちゃん』って、言ったんだ。すごく大事な人を呼ぶみたいに。
だから、思った。大学で、彼氏とか、そういう……いい人に、会えたんだなって」
「はあ……」
あきれてるような顔をされた。
「本当に、わからないんですか?」
「どういうこと?」
「それ、わたしのことだと思います」
「……えっ」
「施設に来たばかりの頃、歌穂は、ずっと泣いてました。
『親に捨てられたんだ』って、さめた顔で話してくるのに、『ママ』『ママ』って、お母さんのことを呼んで、泣くんです。
精一杯、やさしくしました。かわいそうだったから。
それに、かわいかったんです。今も、かわいいけど。
歌穂は、わたしになついてくれました。
わたしのことを『ゆうちゃん』『ゆうちゃん』って、呼んで、いつまででも、くっついてきて……。みんなで入る、大きいお風呂にも。ベッドの中にも。
トイレの個室の中にも、入ってこようとしたことがあります」
「そっか。祐奈ちゃん……『ゆうちゃん』。
そんなふうに、呼ばれてたんだね」
「そうです。わからなかったんですね」
「うん。可能性は、考えなかったわけじゃないよ。
でも、僕がそのことを伝えた時の、歌穂ちゃんの反応が……。
僕に知られたくなかったことを知られた、みたいな感じだったんだ。
『ゆうちゃん』が祐奈ちゃんのことなら、僕に対して、後ろめたく思うことなんて、ないはずだと思った。
だから、祐奈ちゃんじゃなくて、他の誰かのことなんだって、思いこんでしまった……」
「ちゃんと、聞きましたか? 歌穂に」
「聞いてない。聞けなかった。こわくて」
「びっくりしてます。沢野さんみたいに、冷静そうに見える人でも、そんなふうになるんですね。
歌穂、落ちこんでましたよ。嫌われたかもしれないって」
「ごめんなさい」
「わたしじゃなくて、歌穂に謝ってください」
「謝ります。すぐ電話して、会いに行きます」
「そうしてください」
耳になじむ、やさしい声で言われた。
ほほえんでいた。思わず、見ほれてしまっていた。
来客があった。
インターホンの音を聞いた時点では、宅配業者かなと思っていた。
変だなとは思った。ロッカーに入らないような大きさのものは、頼んだ記憶がなかった。
モニターを見て、ぎょっとした。
いるはずのない人がいた。
姿勢がいい。
カメラ越しに僕を見る目に、力がある。視線が、まったくぶれなかった。勝負師の顔をしていた。
「祐奈ちゃん……」
「上がっても、いいですか?」
「いいけど。何しに来たの」
「あなたと話をするために来ました」
はっきり発音した。いつもの話し方とは、まるで違っていた。
玄関のドアを開けて、待っていた。
エレベーターホールの方向から、淡い色のスカートスーツを着た女性が歩いてくる。
若くて、きれいだった。
足どりには迷いがなかった。ゆっくり近づいてくる。
通路を歩いてくる姿には、本物の威厳があった。
まさに、クイーンといった風情だった。
歌穂ちゃんの母親が、来てしまった。そんな気分だった。
「……上がってください」
書斎から椅子を持ってきた。
僕が椅子に座って、祐奈ちゃんにはソファーに座ってもらった。
「話があるんだよね。聞かせて」
美しい人が、正面から僕を見る。
表情がなかった。
だから、わからなかった。どんな気持ちで、ここにいるのか。
怒っているようでもあったし、悲しんでいるようでもあった。
僕に対して怒っていても、何も不思議じゃなかった。
「怒ってる?」
「いいえ。人の気持ちは、変わっていくものだから……」
「どういう意味?」
「歌穂のこと、手放したくなったんですよね」
「ちがう、ちがう! 誤解だよ!」
「えっ……?」
きょとんとした顔になった。
一瞬、ものすごく幼くなったように見えた。だけど、ほんの数秒の間に、気を取り直したみたいだった。
また、表情がなくなった。
「歌穂は、そう思いこんでますよ。『もう、別れそう』って」
「あー。ちがいます。
去年の十二月二十六日に出会ってから、ずっと、オンリーワンだし、これからも、変わらないと思う」
「だったら、どうして……。避けられてるって、泣いてました」
「泣いてたの?」
「はい。歌穂は泣かないとでも、思ってましたか?」
「思ってない。……いや、わからない。
強い人だとは、思ってます」
「でも、泣くんですよ。わたし、つらいです。
あんまり、子供みたいに泣くから。『もう、あきらめたら?』って、言ってしまいそうでした」
「……そんなに?」
祐奈ちゃんがうなずいた。
「理由を聞かせてください。歌穂をあそこまで追いつめるくらいに、避けていた理由を」
「うん……」
自分の心を整理するのに、時間がかかった。
言わなきゃいけないってことは、わかっていた。
「先月の下旬にね。歌穂ちゃんが、ひどい風邪を引いてたんだ。
僕は、歌穂ちゃんの部屋にいた。泊まってた。
看病というほどのことは、できなかったけど。そばにいたくて。
息が荒くて、苦しそうだった。
夜中に、寝言が聞こえた。
『ゆうちゃん』って、言ったんだ。すごく大事な人を呼ぶみたいに。
だから、思った。大学で、彼氏とか、そういう……いい人に、会えたんだなって」
「はあ……」
あきれてるような顔をされた。
「本当に、わからないんですか?」
「どういうこと?」
「それ、わたしのことだと思います」
「……えっ」
「施設に来たばかりの頃、歌穂は、ずっと泣いてました。
『親に捨てられたんだ』って、さめた顔で話してくるのに、『ママ』『ママ』って、お母さんのことを呼んで、泣くんです。
精一杯、やさしくしました。かわいそうだったから。
それに、かわいかったんです。今も、かわいいけど。
歌穂は、わたしになついてくれました。
わたしのことを『ゆうちゃん』『ゆうちゃん』って、呼んで、いつまででも、くっついてきて……。みんなで入る、大きいお風呂にも。ベッドの中にも。
トイレの個室の中にも、入ってこようとしたことがあります」
「そっか。祐奈ちゃん……『ゆうちゃん』。
そんなふうに、呼ばれてたんだね」
「そうです。わからなかったんですね」
「うん。可能性は、考えなかったわけじゃないよ。
でも、僕がそのことを伝えた時の、歌穂ちゃんの反応が……。
僕に知られたくなかったことを知られた、みたいな感じだったんだ。
『ゆうちゃん』が祐奈ちゃんのことなら、僕に対して、後ろめたく思うことなんて、ないはずだと思った。
だから、祐奈ちゃんじゃなくて、他の誰かのことなんだって、思いこんでしまった……」
「ちゃんと、聞きましたか? 歌穂に」
「聞いてない。聞けなかった。こわくて」
「びっくりしてます。沢野さんみたいに、冷静そうに見える人でも、そんなふうになるんですね。
歌穂、落ちこんでましたよ。嫌われたかもしれないって」
「ごめんなさい」
「わたしじゃなくて、歌穂に謝ってください」
「謝ります。すぐ電話して、会いに行きます」
「そうしてください」
耳になじむ、やさしい声で言われた。
ほほえんでいた。思わず、見ほれてしまっていた。
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