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12.アズ・ポーン2
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灯りを消された部屋で、二人で横になっていた。
「さわのさん。ねちゃったの……?」
返事はなかった。
顔は、こっちを向いていた。息は静かで、たぶん、寝息なんだろうと思った。
今日は、一回もキスをしなかった。わざと?
手をのばして、胸にふれた。
唇に、キスをした。そっと、ふれるだけの。
「おやすみなさい……」
あたしの声は、ひどく甘く、あたしの耳に届いた。
ひとりでベランダに出て、外の景色を見た。
十四階か……。やっぱり、高いなと思った。
空が暗いからか、そこまでこわいとは思わなかった。沢野さんの部屋の方が、ここよりも高い。
「あたしは、あそこには住めないな……」
あたしのつぶやきは、まっくらな空に吸いこまれていった。
* * *
朝になった。
七月三十日。土曜日。
ホテルのラウンジで、朝ごはんを食べてから、チェックアウトした。
沢野さんの車に乗ったら、あたしのマンションまで、そのまま送ってくれた。
三十分もかからなかった。
運転席にいる沢野さんの顔をうかがった。これで別れてしまうのは、さびしい気がした。
「あたしの部屋で、少し休んでいきませんか?」
「うん。そうしようかな」
リビングのテーブルに、冷たいお茶が入ってるピッチャーと、コップを出した。
「どうぞ」
「ありがとー」
あたしも、椅子に座った。
「昨日は、ありがとうございました。楽しかったです」
「よかった。これからも、いろんなところに行こうね」
「はい」
あたしがにやついていたら、沢野さんがため息をついた。
「どうしたんですか」
「ううん。なんでもない」
「お菓子、食べます?」
「うん」
二人で、ポテトチップスをつまんでいた。
ビールは冷蔵庫の中にあるけど、帰りも車を運転する沢野さんには出せないから、コーラにした。
「沢野さんにとって、お金って、どういうものですか?」
「それ、大学の課題?」
「ちがいます。純粋に、知りたいだけ」
「お金ね……」
考えるような間があった。
あたしが好きな、賢い沢野さんが現れる。明るい沢野さんも好きだけど。
まじめな顔で考えている沢野さんには、独特の、すてきなふんいきがあった。
「どうですか」
「あったら嬉しいけど、ありすぎても困りそうだね」
「ありすぎるの?」
「そこまでじゃないよ」
「あたしのうちは、貧乏でした。
ちょっと前に、『親ガチャ』っていう言葉が、はやったじゃないですか。
あたしも、はずれだったのかなって。
あたしから見た母親と、母親から見たあたしと。どっちも」
「歌穂ちゃんは、はずれじゃないよ。
『親ガチャ』か。運がいい悪いは、確かにあるだろうね。
生まれる環境は選べないからね」
「性別も、容姿もですよ」
「人種もね」
「……そう思うと、自分の自由になることなんて、ほんの少ししかないんですよね」
「そうだね」
白い手がポテトチップスをつまんで、口に運ぶ。
なんだか、眠そうに見えた。
「眠いですか?」
「よくわかったね。ちょっと、ねむたい」
「うちで、寝ていきますか?」
「うーん。悪いよ」
「気にしないでください。昨日は、仕事の後で、そのまま来てくれたじゃないですか。疲れて、あたりまえですよ」
「……ありがとー」
「こっちに、来てください。あたしのベッドで寝ていいですよ」
「いいの? ごめんね」
沢野さんのために買っておいた、ユニクロのルームウェアを出してあげた。そんなに?と思うくらいに、ありがたがってくれた。
部屋を暗くして、ベッドのそばに座りこんだ。
寝そべった沢野さんが、タオルケットを胸まで引きあげる。あたしを見ていた。
「大丈夫ですよ。ゆっくり、寝ててください。
この部屋で、パソコンをいじったりしてもいい? まぶしいかも」
「いいよ。そばにいて」
「じゃあ、ここにいます」
閉めきったカーテンの下から、光がもれている。
あたしには、かなり明るく感じられたけれど、沢野さんは眠れたみたいだった。
きれいな寝顔だった。
机の前の椅子に座って、パソコンを立ちあげる。
見たいものがあった。
今日の日経平均株価と、あたしが保有しているものの評価額。
大学に入学してから、株と投資信託を始めていた。
初めのうちは、ぜんぜん儲からなかった。
今は、少しずつ利益を出せるようになってきていた。
元本割れするのがこわくて、運用資金は百万までと決めていた。
FXは、こわい情報ばかりだったから、手を出していない。
どの株を、どれくらい買うか。あるいは、売るか。
決めているのは、あたしじゃない。
あたしの、タロットカードたちだ。
祐奈いわく、こわいほど当たる占いを、あたしのために使って、なにが悪いの?と思って、軽い気持ちで始めてみたら、あんがい、儲かってしまった。
この時に使ってるカードは、占いでは使ってないカード。
このカードだけは、いつも、机の引き出しにしまってある。
あたしにとって、これは、特別なカードだった。
まだ施設にいた頃に、新宿のガード下に近い、あやしい露店で買った。たぶん、正規品じゃない。箱には、メーカー名が書いていない。
絵は、きれいだった。人物の姿が、妙にリアルな感じがした。まるで生きてるみたいだった。
人の占いに使うのはやめよう。そう、自然に思った。
あたしが高校生だった頃、大学に行くかどうかは、このカードが決めた。
デリヘルの仕事をするかどうかも。
沢野さんと出会ってから、大学に行くかどうかを聞いた時は、「行け」と出た。
だから、勉強して、受験して、受かった。合格するかどうかは、聞かなかったけど。
「行け」と出た時点で、大学に行くためにする努力は、無駄じゃないんだろうって思えた。
「さわのさん。ねちゃったの……?」
返事はなかった。
顔は、こっちを向いていた。息は静かで、たぶん、寝息なんだろうと思った。
今日は、一回もキスをしなかった。わざと?
手をのばして、胸にふれた。
唇に、キスをした。そっと、ふれるだけの。
「おやすみなさい……」
あたしの声は、ひどく甘く、あたしの耳に届いた。
ひとりでベランダに出て、外の景色を見た。
十四階か……。やっぱり、高いなと思った。
空が暗いからか、そこまでこわいとは思わなかった。沢野さんの部屋の方が、ここよりも高い。
「あたしは、あそこには住めないな……」
あたしのつぶやきは、まっくらな空に吸いこまれていった。
* * *
朝になった。
七月三十日。土曜日。
ホテルのラウンジで、朝ごはんを食べてから、チェックアウトした。
沢野さんの車に乗ったら、あたしのマンションまで、そのまま送ってくれた。
三十分もかからなかった。
運転席にいる沢野さんの顔をうかがった。これで別れてしまうのは、さびしい気がした。
「あたしの部屋で、少し休んでいきませんか?」
「うん。そうしようかな」
リビングのテーブルに、冷たいお茶が入ってるピッチャーと、コップを出した。
「どうぞ」
「ありがとー」
あたしも、椅子に座った。
「昨日は、ありがとうございました。楽しかったです」
「よかった。これからも、いろんなところに行こうね」
「はい」
あたしがにやついていたら、沢野さんがため息をついた。
「どうしたんですか」
「ううん。なんでもない」
「お菓子、食べます?」
「うん」
二人で、ポテトチップスをつまんでいた。
ビールは冷蔵庫の中にあるけど、帰りも車を運転する沢野さんには出せないから、コーラにした。
「沢野さんにとって、お金って、どういうものですか?」
「それ、大学の課題?」
「ちがいます。純粋に、知りたいだけ」
「お金ね……」
考えるような間があった。
あたしが好きな、賢い沢野さんが現れる。明るい沢野さんも好きだけど。
まじめな顔で考えている沢野さんには、独特の、すてきなふんいきがあった。
「どうですか」
「あったら嬉しいけど、ありすぎても困りそうだね」
「ありすぎるの?」
「そこまでじゃないよ」
「あたしのうちは、貧乏でした。
ちょっと前に、『親ガチャ』っていう言葉が、はやったじゃないですか。
あたしも、はずれだったのかなって。
あたしから見た母親と、母親から見たあたしと。どっちも」
「歌穂ちゃんは、はずれじゃないよ。
『親ガチャ』か。運がいい悪いは、確かにあるだろうね。
生まれる環境は選べないからね」
「性別も、容姿もですよ」
「人種もね」
「……そう思うと、自分の自由になることなんて、ほんの少ししかないんですよね」
「そうだね」
白い手がポテトチップスをつまんで、口に運ぶ。
なんだか、眠そうに見えた。
「眠いですか?」
「よくわかったね。ちょっと、ねむたい」
「うちで、寝ていきますか?」
「うーん。悪いよ」
「気にしないでください。昨日は、仕事の後で、そのまま来てくれたじゃないですか。疲れて、あたりまえですよ」
「……ありがとー」
「こっちに、来てください。あたしのベッドで寝ていいですよ」
「いいの? ごめんね」
沢野さんのために買っておいた、ユニクロのルームウェアを出してあげた。そんなに?と思うくらいに、ありがたがってくれた。
部屋を暗くして、ベッドのそばに座りこんだ。
寝そべった沢野さんが、タオルケットを胸まで引きあげる。あたしを見ていた。
「大丈夫ですよ。ゆっくり、寝ててください。
この部屋で、パソコンをいじったりしてもいい? まぶしいかも」
「いいよ。そばにいて」
「じゃあ、ここにいます」
閉めきったカーテンの下から、光がもれている。
あたしには、かなり明るく感じられたけれど、沢野さんは眠れたみたいだった。
きれいな寝顔だった。
机の前の椅子に座って、パソコンを立ちあげる。
見たいものがあった。
今日の日経平均株価と、あたしが保有しているものの評価額。
大学に入学してから、株と投資信託を始めていた。
初めのうちは、ぜんぜん儲からなかった。
今は、少しずつ利益を出せるようになってきていた。
元本割れするのがこわくて、運用資金は百万までと決めていた。
FXは、こわい情報ばかりだったから、手を出していない。
どの株を、どれくらい買うか。あるいは、売るか。
決めているのは、あたしじゃない。
あたしの、タロットカードたちだ。
祐奈いわく、こわいほど当たる占いを、あたしのために使って、なにが悪いの?と思って、軽い気持ちで始めてみたら、あんがい、儲かってしまった。
この時に使ってるカードは、占いでは使ってないカード。
このカードだけは、いつも、机の引き出しにしまってある。
あたしにとって、これは、特別なカードだった。
まだ施設にいた頃に、新宿のガード下に近い、あやしい露店で買った。たぶん、正規品じゃない。箱には、メーカー名が書いていない。
絵は、きれいだった。人物の姿が、妙にリアルな感じがした。まるで生きてるみたいだった。
人の占いに使うのはやめよう。そう、自然に思った。
あたしが高校生だった頃、大学に行くかどうかは、このカードが決めた。
デリヘルの仕事をするかどうかも。
沢野さんと出会ってから、大学に行くかどうかを聞いた時は、「行け」と出た。
だから、勉強して、受験して、受かった。合格するかどうかは、聞かなかったけど。
「行け」と出た時点で、大学に行くためにする努力は、無駄じゃないんだろうって思えた。
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