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10.アズ・ポーン1
3-2
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遅めの時間に、沢野さんから電話がかかってきた。
「こんばんは」
「こんばんは。あのね。今日、これから会いに行ってもいい?」
「いいですよ。夕ごはん、食べました?」
「うん。歌穂ちゃんは?」
「あたしも、食べました」
「そっか。車で行くよ」
「はい」
沢野さんが来る前に、あわてて掃除をした。
「やばい」
ものすごく汚いってわけじゃあ、ないけど。
あたしには、マンションのポストに入っていた宅配ピザのチラシとかを、さっと捨てられないっていう悪いくせがある。捨てられないでいるうちに、また次のチラシがきて、同じチラシが何枚もあったり……。
資源ごみで出そうと思って、紙袋に、いらないチラシをまとめた。
あたしが住んでる部屋は、マンションタイプだけど、オートロックはない。
チャイムの音が聞こえた。沢野さんだなと思った。
「どうぞ」
「お邪魔します」
少し疲れてるみたいだった。服装が、いつもよりもラフに見えた。
リビングとして使っている部屋に入ってもらった。
ラグマットの上に、二人で座った。
「明日から、またお休みですか?」
「うん。三連休」
「疲れてるみたい。忙しかった?」
「よくわかるね。今日は、休みにしてもよかったんだけど。
連休明けに、どっと仕事がやってくるよりは、出勤した方がいいかなと思って」
「ふうん……。お茶、入れましょうか?」
「いいよ。それより、おいで」
沢野さんが両手を広げた。なんだか、こわいような気持ちで、そろそろと近づいていった。
すぐそばまで行って、大きくひらかれた足の間に、自分の体を入れた。
沢野さんの手が動いた。座りこんだ格好のまま、腕の中に閉じこめられてしまった。
「……泊まってくの?」
「ううん。帰るよ」
「どうして?」
さびしかった。ううん。さびしくなった、が正しい。
今日は、友也とひとみちゃんと会って、元気になったはずだった。それとも、やっぱり、さびしかったんだろうか……。
祐奈と西東さんみたいに、あたしと沢野さんが旅行に行ったりすることは、あるんだろうか?
とりとめのない思考に、頭がやられる。
沢野さんは、あたしの質問には答えなかった。
「ねえ。どうして?」
「かわいい」
返事がおかしかった。
「……いみわかんない」
じっと見られてるのが、はずかしかった。目をそらした。沢野さんの手が、あたしの頬に、そっとふれた。
キスされる。わかってたけど、よけなかった。
「ん、……」
すぐに、深いキスになった。
あたしの体を、沢野さんの手がなでている。肩からひじまで、なでおろして、手にもふれてくる。
首すじに、両手でふれられた。ぞくっとした。
「さわのさん」
あたしの好きな猫みたいな、きれいな目をしていた。色がうすい……。
胸に、片手がふれた。せつない息を吐いてしまった。
胸の外側を、沢野さんの手がなぞる。
「あ、ん」
へんな声がでてしまった。それに、泣きそうだった。
するの? 今が、その時なの?
ふいに、こわくてたまらなくなった。
「だ、だめっ」
「ごめんね」
胸から、手が離れた。ああ……と思った。
あたし、自分から、チャンスを逃してしまった。あたしがいいと言えば、きっと、してくれた……。
「こわい?」
「ううん。ちがう。……わかんない」
「気にしなくていいよ。大丈夫だから」
笑ってくれた。あたしの目から、ぼろっと、涙が落ちていった。
「歌穂ちゃん……」
「ごめんなさい。したくない、わけじゃないの」
「うん」
「ぎゅうって、して」
沢野さんがうなずいて、抱きしめてくれた。
「……祐奈が、旅行に行ってます」
「そうだね。伊豆だっけ」
「うん。あたしたちも、行きませんか」
「ごめん。それは、まだ難しいと思う」
「どうして……?」
「僕が、我慢できなくなりそうだから」
「わかりました。じゃあ、旅行はいいです。
今日は、一緒にいて。泊まってほしい……」
「いいよ。そうしようか」
ほっぺたの涙のあとを、自分の手でぬぐった。沢野さんの顔が見られない。
顔を伏せて、沢野さんの白い手を見ていた。
あたしを見て、笑ってるような気がした。
「なんですか」
「かわいいなーと思って」
「かわいくないです」
「かわいいよ。着がえがないから、明日は、朝に帰るけど。それでいい?」
「いいです。あたしを、つれていって」
「わかった。明日から、うちで過ごす?」
「うん……。でも、だいじょうぶですか?」
「大丈夫かって、聞かれたら、ずっと大丈夫じゃないよ。
ねえ。歌穂ちゃん」
「はい」
「僕も、こわい。これまでにしてきた恋愛とは、違う気がするから。
こんなに本気になったことは、なかった」
「……ほんとに?」
「本当だよ」
「そ、そうなんだ……。どうしよう」
おろおろしてしまった。
「歌穂ちゃんが悪いと言ってるわけじゃないよ。僕自身が、これまでとは、変わってきたっていうだけ」
「それって、いいことなんですか?」
「どうだろうね。心は、狭くなったね。確実に」
「どういう意味……?」
「歌穂ちゃんが、大学でどう過ごしてるのか。誰と知り合ったのか。そういうことが気になるようになった。楽しく過ごせてるみたいで、安心もしてるけど」
「あたし、あたしは……。沢野さんのおかげで、大学生になれました。
ありがとうございました」
「どういたしまして」
「友達を、作ろうとしてます。いつか、紹介できたら……」
「うん。会わせてください」
思いきって、顔を上げた。
沢野さんは、笑っていた。かわいかった。心臓が痛くなった。
あたし、この人が好き。大好きになってしまった。
だから、こわいんだ……。
なくして困るものなんて、祐奈とタロットカードだけだったのに。
沢野さんみたいな、かわいい人を好きになって、失いたくないと思うようになってしまった……。
「歌穂ちゃん?」
「ううん。なんでもない……」
「こんばんは」
「こんばんは。あのね。今日、これから会いに行ってもいい?」
「いいですよ。夕ごはん、食べました?」
「うん。歌穂ちゃんは?」
「あたしも、食べました」
「そっか。車で行くよ」
「はい」
沢野さんが来る前に、あわてて掃除をした。
「やばい」
ものすごく汚いってわけじゃあ、ないけど。
あたしには、マンションのポストに入っていた宅配ピザのチラシとかを、さっと捨てられないっていう悪いくせがある。捨てられないでいるうちに、また次のチラシがきて、同じチラシが何枚もあったり……。
資源ごみで出そうと思って、紙袋に、いらないチラシをまとめた。
あたしが住んでる部屋は、マンションタイプだけど、オートロックはない。
チャイムの音が聞こえた。沢野さんだなと思った。
「どうぞ」
「お邪魔します」
少し疲れてるみたいだった。服装が、いつもよりもラフに見えた。
リビングとして使っている部屋に入ってもらった。
ラグマットの上に、二人で座った。
「明日から、またお休みですか?」
「うん。三連休」
「疲れてるみたい。忙しかった?」
「よくわかるね。今日は、休みにしてもよかったんだけど。
連休明けに、どっと仕事がやってくるよりは、出勤した方がいいかなと思って」
「ふうん……。お茶、入れましょうか?」
「いいよ。それより、おいで」
沢野さんが両手を広げた。なんだか、こわいような気持ちで、そろそろと近づいていった。
すぐそばまで行って、大きくひらかれた足の間に、自分の体を入れた。
沢野さんの手が動いた。座りこんだ格好のまま、腕の中に閉じこめられてしまった。
「……泊まってくの?」
「ううん。帰るよ」
「どうして?」
さびしかった。ううん。さびしくなった、が正しい。
今日は、友也とひとみちゃんと会って、元気になったはずだった。それとも、やっぱり、さびしかったんだろうか……。
祐奈と西東さんみたいに、あたしと沢野さんが旅行に行ったりすることは、あるんだろうか?
とりとめのない思考に、頭がやられる。
沢野さんは、あたしの質問には答えなかった。
「ねえ。どうして?」
「かわいい」
返事がおかしかった。
「……いみわかんない」
じっと見られてるのが、はずかしかった。目をそらした。沢野さんの手が、あたしの頬に、そっとふれた。
キスされる。わかってたけど、よけなかった。
「ん、……」
すぐに、深いキスになった。
あたしの体を、沢野さんの手がなでている。肩からひじまで、なでおろして、手にもふれてくる。
首すじに、両手でふれられた。ぞくっとした。
「さわのさん」
あたしの好きな猫みたいな、きれいな目をしていた。色がうすい……。
胸に、片手がふれた。せつない息を吐いてしまった。
胸の外側を、沢野さんの手がなぞる。
「あ、ん」
へんな声がでてしまった。それに、泣きそうだった。
するの? 今が、その時なの?
ふいに、こわくてたまらなくなった。
「だ、だめっ」
「ごめんね」
胸から、手が離れた。ああ……と思った。
あたし、自分から、チャンスを逃してしまった。あたしがいいと言えば、きっと、してくれた……。
「こわい?」
「ううん。ちがう。……わかんない」
「気にしなくていいよ。大丈夫だから」
笑ってくれた。あたしの目から、ぼろっと、涙が落ちていった。
「歌穂ちゃん……」
「ごめんなさい。したくない、わけじゃないの」
「うん」
「ぎゅうって、して」
沢野さんがうなずいて、抱きしめてくれた。
「……祐奈が、旅行に行ってます」
「そうだね。伊豆だっけ」
「うん。あたしたちも、行きませんか」
「ごめん。それは、まだ難しいと思う」
「どうして……?」
「僕が、我慢できなくなりそうだから」
「わかりました。じゃあ、旅行はいいです。
今日は、一緒にいて。泊まってほしい……」
「いいよ。そうしようか」
ほっぺたの涙のあとを、自分の手でぬぐった。沢野さんの顔が見られない。
顔を伏せて、沢野さんの白い手を見ていた。
あたしを見て、笑ってるような気がした。
「なんですか」
「かわいいなーと思って」
「かわいくないです」
「かわいいよ。着がえがないから、明日は、朝に帰るけど。それでいい?」
「いいです。あたしを、つれていって」
「わかった。明日から、うちで過ごす?」
「うん……。でも、だいじょうぶですか?」
「大丈夫かって、聞かれたら、ずっと大丈夫じゃないよ。
ねえ。歌穂ちゃん」
「はい」
「僕も、こわい。これまでにしてきた恋愛とは、違う気がするから。
こんなに本気になったことは、なかった」
「……ほんとに?」
「本当だよ」
「そ、そうなんだ……。どうしよう」
おろおろしてしまった。
「歌穂ちゃんが悪いと言ってるわけじゃないよ。僕自身が、これまでとは、変わってきたっていうだけ」
「それって、いいことなんですか?」
「どうだろうね。心は、狭くなったね。確実に」
「どういう意味……?」
「歌穂ちゃんが、大学でどう過ごしてるのか。誰と知り合ったのか。そういうことが気になるようになった。楽しく過ごせてるみたいで、安心もしてるけど」
「あたし、あたしは……。沢野さんのおかげで、大学生になれました。
ありがとうございました」
「どういたしまして」
「友達を、作ろうとしてます。いつか、紹介できたら……」
「うん。会わせてください」
思いきって、顔を上げた。
沢野さんは、笑っていた。かわいかった。心臓が痛くなった。
あたし、この人が好き。大好きになってしまった。
だから、こわいんだ……。
なくして困るものなんて、祐奈とタロットカードだけだったのに。
沢野さんみたいな、かわいい人を好きになって、失いたくないと思うようになってしまった……。
「歌穂ちゃん?」
「ううん。なんでもない……」
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