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1.バージン・クイーン1

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 六回目のデートは、祐奈をホームセンターにつれて行った。
 ここで、祐奈と同居するための話をしようと思っていた。ついでに、買い物もするつもりだった。
 屋外にあるテラスで、フードコードで買った鯛焼きを食べた。
 祐奈は、俺が買った缶ジュースをちびちびと飲んでいる。
 缶コーヒーを空にしてから、祐奈に話しかけた。

「引っ越しの準備をしよう」
「もう、ですか」
「君の部屋を今すぐ解約しても、一ヶ月分の家賃が発生するはずだ。早い方がいい」
「それは、わかりますけど……」
「家具は多い?」
「そうでもないです。資源ごみで、出せます」
「家電は?」
「もし、西東さんがいやでなかったら、冷蔵庫を持ってきたいです」
「いいよ。持ってきて。
 あとは、住民票の変更か。これは引っ越しが済んでから、自分でしてもらおう。
 運転免許は?」
「持ってません」
「じゃあ、警察署には行かなくて済むな。引っ越しは、どの日にする?」
「荷物は、そんなに多くないです。だから、平日に、一人で……」
「手伝わなくても平気?」
「……うん。はい」
 気のない返事だった。
「したくない? この話」
「ううん。……せっかく、デートしてるのに。
 西東さんが、仕事モードだから。さびしくなってるだけです」
「そう? そうかな」
「ハウスメーカーの営業さんですよね」
「うん。でも、引っ越しは業務内容に入ってないよ」
「そうですか」
 不機嫌そうな顔も、かわいかった。
「今の部屋は、どういう感じ?」
「アパートです。キッチンと、和室が二つあります」
「ベッドは?」
「ないです」
「そうか」
「これから、どうするんですか……?」
「買い物をしよう。君が選んで」
「はい?」
「君が必要だと思うもの、君が使いたいもの、君が欲しいものを買おう。何を選んでも、文句は言わない」
「……いいんですか。そんなこと、言っちゃって。
 こたつとか、ふつうに買っちゃいますよ……。ずっと、ほしかったんです」
「いいよ。行こうか」

 二人でホームセンターの中を歩いた。
 ここで買ったものは、祐奈が引っ越してくるまで、祐奈が使う予定の部屋に置いておこうと思っていた。
 大きすぎるカートに、あれもこれもと入れていって、ほぼ一周したあたりから、急に祐奈の様子がおかしくなった。
「どうしたの?」
「ごめんなさい! 買いすぎです。戻しましょう」
「いいよ。面倒くさいから」
「だって……」
「いいから」
「わたし、たかってるみたいになってないですか。大丈夫ですか」
「ない、ない。大丈夫だよ」
「さっき、ごめんなさい」
「……なに? どのへんの『さっき』?」
「仕事モードが、どうとか。すごく、失礼なことを」
「ああ……。気にしてないよ」
「気にしてください。ごめんね。ごめんなさい……」
「かわいいなあ」
 真っ赤になってしまった。
「なんで、そういうこと言うんですかっ」
「いや。かわいいから……」
「かわいくないです。ぶすっとしてました。してたでしょ……」
「してたけど。ぶすっとしてる顔も、かわいかった」
「かっ、かわいくないです!」
「ごめん。言わない方がよかった?」
「それは、言ってほしいですけど。でも、だめです。
 わたしなんか、無職で、なんにもしてなくて……。
 やっぱり、ドッキリですか。これ」
「これがドッキリだとしたら、かなり壮大なやつだろうな」
「ですよね……」
「気にしなくていいから。さっさと買おう」
「……こたつは、返した方がいいんじゃないですか」
「いいよ。俺も使うし。実家にはあった」
「西東さん……」
「なに?」
「わたし、あなたに、当たりたかったわけじゃないです」
「うん」
「この一週間、ずっと、会いたかったの。さっ、さびしかった……。
 あ、あんなことして、してっていうか、してもらって。わたしだけ……」
「うん」
「すっごい、はずかしかったのに。今も、はずかしいのに。
 西東さんは、『なにもなかったです』みたいな、すずしい顔をしてて……。
 くやしかったの……」
「分かった。レジに行こうか」
「あしらわれてる……!」
 絶望したような顔をしていた。


 買ったものと祐奈を車に乗せて、俺の部屋に移動した。

「うちの部屋のこと。まだ、説明してなかったよな」
「なんとなくは、わかります。リビングの他に、寝室と……。わたしが使っていいって、言ってくださった部屋と、あと……」
「俺の趣味の部屋」
「見たいです。見ても、大丈夫?」
「参考までに聞くけど。どういう部屋を想像してる?」
「そっ、それは……。あの、アダルトビデオ……とか?」
「ないわけじゃないけど。それしかないわけじゃない」
「えー。見たい。見せて……」
「いいよ。おいで」

 四畳半の和室に、祐奈を案内した。
 畳の上には、座卓とノートパソコン。それ以外は、奥の壁の前に飾り棚が二つあるだけだ。左側に押し入れが一間分。右側には何もない。
 飾り棚の中を見て、祐奈が「あー」と声を上げた。
「こういう感じですね。わかりました」
「うん」
 棚の中は、恐竜の模型だらけだ。それから、恐竜関連の本と雑誌。祐奈と行った恐竜展のカタログも飾ってある。
「どうして、恐竜なんですか」
「『滅びてしまった王者』だから。存在自体に、果てしないロマンを感じる」
「ごめんなさい。わからないです」
「だと思った」
「でも、いいですね。西東さんが、どんな思いで、これを集めたのかなって考えるだけで、半日つぶせそう」
「半日しか保たないのか」
「うーん。うん。はい」
「君は? ないの。こういう趣味は」
「パズルくらいですかね……。パズルは、時間がつぶせるから、いいんですよ。
 何回でも遊べるし。それこそ、毎日でも」
「飽きそうだな。俺には無理だ」
「球体のパズルとか、面白いですよ。地球儀になってたり」
「なにそれ。そんなのあるの」
「あります。一緒に遊んでほしいです」
「いいけど……」
「この部屋に、秋冬だけ、こたつを置かせてもらえませんか?」
「いいよ。べつに、秋冬だけじゃなくても。布団を取ればいいだけだろう」
「あっ。そうですね」

 座卓に置いたノートパソコンを立ち上げた。
 通販サイトの画面を開いて、キーワードと値段の上限を入力した。
「見てもらっていい?」
「え、はい」
「ベッド」
「えっ……」
「予算は三万まで。木製がいいかな。金属製は、処分する時に大変だから。
 自分で、好きなものを選んで」
「いいんですか?」
「うん」
「うれしい……。ありがとうございます。
 わあー。こんなに、あるの。迷っちゃいます」
「ベッドが来るまでは……そうだな。床に布団を敷いて、寝てもらっていい?」
「はい」
「それとも、俺と一緒に寝る?」
「は……」
 絶句する。それから、たっぷり三十秒くらいは固まっていた。その間に、俺は多少冷静になった。いい大人が、浮かれすぎだ。
「いや。いい。何でもない」
「え? あっ、……え?」
「狭いしな」
「でも、わりと大きい……ですよね。ダブルベッド……」
「ダブルじゃない。セミダブル」
「あぁ……」
 あいまいに答えた祐奈が、ノートパソコンの画面に目を落とす。動揺している様子だった。
 ベッドの商品ページをいくつか開いて、画像を見始めた。
 二人とも無言だった。

「さっきの話、本気ですか?」
「え? 何の話?」
「あの、一緒に……寝るって」
「あー……。冗談だよ」
「そ、そうですよね……。そうですよね!」
 後半は、どう見ても怒っていた。
「ごめん。冗談じゃなかった」
「……えっ」
 白い頬が、驚くほど赤くなった。かわいいなと思った。

 新しい生活に備えて、二人で話し合った。あまり干渉しすぎずに、自然に暮らしていこうということで話がまとまった。

 夕方になる前に、祐奈を送っていこうと思っていた。
「そろそろ出た方がいいな。行こうか」
「あ、はい……」
 何か言いたそうな顔をしていた。
「白井さん?」
「あの、……」
 祐奈が俺にしがみつく。膝をついて、伸び上がった。
 頬に、やさしいキスをされた。
 驚きすぎて、何のリアクションもできなかった。
「……ごめんなさい。こういうのも、だめですか」
「ううん。していいの?」
「う、ん」
 祐奈の体に手を回して、腰を屈めた。バニラの甘い匂いがした。
 触れるだけのキスをした。離れようとすると、「もっと」とねだられた。甘い声だった。
 舌で、祐奈の舌を愛撫する。心地よかった。
 祐奈の舌は、俺には応えなかった。されるがままだった。俺の腕の中で、小柄な体がかすかに震えるのを感じた。
 危ないなと思った。
 快楽に呑まれそうになる。それは、俺の本意ではなかった。
 祐奈から自分の体を引きはがすようにして、離れた。

「……これだけ?」
「これだけ、って」
「あの、ううん。なんでもない……」
「言って。なに?」
「いや。はずかしい……。帰ります」
「待って。ちょっと待って」
「なんですか……」
「車で送るから」
「やさしいんですね」
「そうでもない。
 それより、早く引っ越しておいで。待ってるから」
「……う、うわーん!」
「どうしたの。急に」
「なんか、やですー。そんなふうに、やさしくしないで……」
「そう言われても」
「だっこして……。ぎゅって、して」
「分かった。これでいい?」
「うん……」

* * *

 十月の四週目の木曜日に、祐奈が引っ越してきた。
 この日になったのは、引っ越し業者の都合らしい。
 合い鍵は、先週の土曜日にホームセンターで作ったものを渡してある。

 俺が仕事から帰ると、くたびれたような顔で出迎えてくれた。
「おつかれさま。終わった?」
「はい。段ボールが、意外と多くて。あの……パズルが」
「荷物は多くないって、言ってなかった?」
「ごめんなさい。押し入れって、奥行きがあるから、いっぱい入るんですね。わたし、わかってなかったの」
「責めてるわけじゃないよ。がんばったな」
「……うん。夕ごはんが、まだ、作れてないです」
「俺が作るよ」
「うん……」
 涙目になっていた。
「どうしたの?」
「西東さんって、なんなんですか」
「……は?」
「なんで、さらっと、そういうことが言えちゃうんですか。すごいです」
「べつに、すごくないよ」
「わたし、誤解してました」
「うん? ごめん。何を?」
「男の人って……。お料理とか、苦手なんだろうなって、勝手に思ってました」
「いや。苦手な人もいると思うけど」
「いるでしょうけど。……西東さんは、なんでもできちゃうんですね」
「なんでもは、言いすぎだな。洗濯はそれほど好きじゃない。掃除も」
「でも、きれいにしてるじゃないですか……」
「それは、まあ。それなりにやらないと、いやな思いをするのは俺だし」
「はっきり言います。わたし、けっこう、だらしないです。ずぼらなの。
 『なんでこいつと同居しようと思ったんだろう』って、思うと思います。すぐに」
「思わないよ。……たぶん」
「だといいけど」
 すねたような声だった。

* * *

 次の日は、祐奈が夕食を作って待ってくれていた。
「いい匂いがする」
「肉じゃがです」
「すごいな」
「……すごくはないです」

 脱いだスーツを寝室のハンガー掛けに吊す。パジャマと兼用のルームウェアに着がえて、リビングに戻った。

「どうぞ。召しあがってください」
「いただきます」
 肉じゃが。白いご飯。味噌汁とサラダ。
 豚肉を買った覚えはなかった。昼間に買いに行ってくれたらしい。
 祐奈には、食費として五万円を渡してあった。金が入った封筒は、マグネットクリップで冷蔵後の扉に貼ってある。
「おかず、少なくないですか。ほんとは、もう一品、作りたかったんですけど」
「気にしなくていいよ。新婚みたいだな」
「……えっ」
「あ。ごめん」
「い、いえ」
 祐奈は、俺の左に立っていた。
「君の分は? もう食べたの?」
「ううん。西東さんの感想を聞いてからにします」
「責任重大だな」
 肉じゃがに箸をつけて、口に運んだ。
 うまかった。よくできていた。
「味、へんじゃないですか?」
「変じゃないよ。うまい」
「よかった……」
「君も食べて」
「はい。いただきます」
 にこにこしている。かわいかった。

 自分の食事を用意した祐奈が、正面の椅子に座る。白い手が、味噌汁の椀を持ち上げるのが見えた。
「おいしい?」
「おいしいです。お味噌汁を作るの、あんまり得意じゃないけど……」
「よくできてるよ。大根が入ってるな」
「うん。はい」
「時間がかかった?」
「わりと……。あの。まだ、何がどこにあるのか、よくわかってなくて」
「使いやすいように変えていいよ。
 食事のことだけど……」
「はい」
「毎日作らなくても大丈夫だから。俺一人の時は、冷凍のものとか、スーパーで買ってきた惣菜で済ませたり、外に食べに行ったりしてた。
 俺が作ってもいいし。たまには、外で食べたり……どうしたの?」
 大きな目が、うるうるしていた。
「うれしいです。ありがとうございます」
「いや。うん」

* * *

 祐奈は、ずぼらだと自らを称していたが、そんなことはなかった。ただの謙遜だったのかもしれない。
 ある日の朝、白のYシャツの襟に、糊がついているのに気づいた。アイロンをかけてくれているらしい。
 帰ってから礼を言うと、ひどく照れていた。かわいかった。

* * *

 同居が始まってから、二週間が経った。

 夕食後に、祐奈が俺を追いかけてきた。趣味の部屋までついてきたので、中に入れた。
「なに?」
「ご報告があります」
「うん」
「バイト先、見つけてきました」
「すごいな。おめでとう」
「あの。ここにいても、大丈夫ですか?」
「いいよ。パズル?」
「はい。西東さんが、リビングの方がいいなら、リビングに行きます」
「ここでいいよ。持っておいで」
「はいっ」

 こたつの上のノートパソコンを奥に寄せて、その前に座り直した。
 祐奈がパズルの箱を一つ、大事そうに両手で抱えて持ってきた。

 ノートパソコンでネットニュースを拾い読みする。
 祐奈は、何も描かれていない、白いパズルを組んでいた。
「よく組めるな。それ」
「そんなに難しくないんですよ。出っぱってるところの形で、だいたいわかります」
「ふーん……」
「あの、あのね」
「うん?」
「わたし、こういうのを、受けいれてもらえるって、あんまり思ってなかったの。だから、あの……人に話したり、しなかった。ひかれたり、ばかにされたり、したくなかったから」
「うん」
「自分のことを話すのが、こわかったの。パズルのことだけじゃなくて。
 親がいないとか、施設にいたとか、そういうことを、人に言いたくなかった……」
「そうか」
「西東さんには、話せます。聞いてほしいって、思うの。……迷惑ですか」
「いや。全然」
「もし、わたしに……わたしにっていうか、誰かに言いたいことがあったら、言ってください。仕事のこととか、でも」
「うん。ありがとう」

* * *

 祐奈との生活は、楽しかった。
 笑うことが増えた。
 リビングのラグマットで、つぶれるように寝ていたことがあった。かわいい顔の左頬が、マットにくっついていて、変顔みたいにつぶれていた。
 あまりにもかわいかったので、スマートフォンで写真を撮った。

 驚くほど、こまめに家事をしてくれている。祐奈が来てから、洗濯をした記憶がほとんどない。
 家賃はもらっていない。欲しいとも思わなかった。

* * *

 浴室の隅にあったカビが、いつの間にか消えていた。
「風呂、洗ってくれた?」
「あっ、はい」
「ごめん。そのうちやろうと思って、ほったらかしにしてた」
「いいんです。洗剤があったから、ちょっと、やってみようと思って」
「ありがとう」

 コーヒーを入れようとして、あれっと思った。何かが変わっている。
 少し考えて、「あっ」と声が出た。
 ごちゃついていた食器棚の中が、きれいに整理されていた。
「すごくきれいになってる。取りやすくなった」
「ふふー」
 聞きようによっては、「ぐふー」とも聞こえる声だった。かわいい生き物が、ここにいる。
「こんなに、してくれなくても」
「ううん……。時間が、たっぷりあるから」
「バイトは? 行ってて、疲れない?」
「そうでも……。大丈夫です」
「本当は、フルタイムで働きたい?」
「それは……うん。そうかも」
「就活する?」
「ううん。西東さんが迷惑でなければ、このままでいたい、です」
「いいよ。俺は助かる。今まで家事をしていた時間で、仕事もできるし。趣味に使える時間が増えた。ありがとう」
「それなら、よかったです」


 夜は、二人で晩酌をすることが多い。祐奈は酒が飲めないので、ジュースかお茶を飲んでいる。
「おかわり、いりますか?」
「ビール。まだある?」
「あります。小さい方でいい?」
「うん」
 新しい缶を冷蔵庫から出してくれた。
「ありがとう」
「いーえ」
「君の分は?」
「お茶にします。ジュース、もうないの」
「ごめん。買いに行こうか」
「明日、昼間に行ってきます。なにか、ほしいものとかあったら、言ってください」
「今は、とくにないかな」
「そうですか」
 眠そうな顔をしていた。
「寝たら? 眠そうだ」
「うん………。ねます。おやすみなさい」
「おやすみ」

* * *

「あっ、だめ……」
 リビングに入った瞬間に、悲しげな声に迎えられた。
 ぎょっとした。下着姿だった。
「どうしたの?」
「ワンピースに、お茶をこぼしちゃって……。ごめんなさい。床も、汚れてるの」
「床はいいよ。こっちはやっておくから、シャワーを浴びてきたら」
「ごめんなさい……」
「いいから。行っておいで」

 ルームウェアに着がえた祐奈が、リビングに戻ってくる。
 しょんぼりした様子だった。
「ありがとうございました」
「白井さん。火傷しなかった?」
「大丈夫です。ルイボスティーを作って、テーブルの上で、冷ましてたの。
 ガラスのピッチャーを借りたんです。冷蔵庫にしまう前に、飲む分だけ、コップに移そうとしたら、手がすべって……。
 自分の方に、コップと一緒に倒しちゃったの」
「よかった。割れなくて。重い? これ」
「ううん。わたしが、不注意だったから……。ごめんなさい」
「気にしなくていいよ」
「……あの。今日、早かったですよね」
「うん。展示会を見に行って、そのまま帰ってきた。連絡すればよかったな」
「いいんです。わたしが、脱衣所まで行けばよかったんです。こんなところで、脱いじゃったから……」
 祐奈が俺を見上げてくる。
 目が合った。
 吸いよせられるように近づいていた。俺の腕に、祐奈の手がかかる。
 いつの間にか、キスをしていた。
「……ん、っ」
 小さな口を犯してから、我に返った。俺の手は、祐奈の背中から腰へと動いていて、祐奈を愛撫しそうになっていた。
 顔を離した。また、目が合った。問いかけるような目をしていた。
「……まだ、しないの?」
「うん。しない」
「わたしの、せいですか」
「違うよ。好きだから、大事にしたいと思ってるだけ」
「そう、ですか」
「我慢できない?」
「……そんな、そんなこと」
「ごめん。全部、俺の都合だよな」
「ううん。それは、だって……。わたしが決めることじゃ、ないですから」
「俺が決めることでも、ないはずなんだけどな」
「わたし、待てます。待てると、思います」
「うん。……ごめん」

* * *

 十一月になった。
 二週目の火曜日の夜に、紘一とホームセンターで会った。

「先月から、例の子と同居してる」
「えぇー? いきなりだね」
「結婚したみたいな感覚だよ」
「へーえ。どんな気分?」
「幸せ……な気がする」
「そうみたいだね。顔がやばい。くずれまくってるよ」
「くずれてる?」
「うん。もう、結婚しなよ……。その子を逃すと、大変なことになる気がする」
「そう? そうかもな」
「あれなの? セックスしまくってる?」
「してない」
「……はい?」
「してない」
「してないの? なんで?」
「なんでって……。びびってるのかな」
「びびる? 何に?」
「処女なんだよ」
「はあー?!」
 ものすごい大声だった。
「紘一。声がでかい」
「ごめんって。……ってかさあ、デリヘル嬢が、バージンって。ありえる?」
「ありえるかどうかは別として、事実そうだった。俺も驚いたよ」
「それって……。その子、かなり訳ありなんじゃないの」
「そう思う?」
「メンタル面とか、大丈夫?」
「そこまで言う?」
「だって。素人の、しかもバージンの女の子が、なんでデリヘル?
 まるで……」
「なに?」
「自殺願望、みたいな」
「……自殺?」
「そうだよ。どうして、そうしないといけないと思ったのかな。誰かにやらされてるとか?」
「分からない。この頃は、初めて会った時よりも、安定してる気がする」
「今は? まだ、その仕事をしてる?」
「してない。……たぶん」
「たぶん?」
「俺が働いてる時は、うちで家事をしてくれてる。本気で仕事をしようと思えば、できないことは……ない」
「それは心配だね」
「そうだけど。今はまだ、同居してるだけだから。俺が禁止するようなことでもないと思って」
「その子が、外で、他の男としてたら? 耐えられるの?」
「してないと思う。してたとしても、俺に怒る権利はない。それだけは確かだよ」
「はー……」
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