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第二章 野望
第二章 野望
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(一)
寛永十五(一六三八)年三月初旬。
ようやく島原の乱を鎮圧した幕府軍は、死臭を含んだ生暖かい風に送られて、敵の牙城であった原城を後にした。
幕府軍総大将松平信綱は馬上からもう一度原城を振り返った。困難なことを成し遂げたという充実感が自然に込み上げてくる。
“切支丹はこれで謀反を起こす力はなくなった”
討伐軍に殺戮された二万を超える農民たちの遺骸はもう見えない。彼の脳裏には映らない。信綱は既に次なる敵に宣戦を布告していた。
人呼んで知恵伊豆こと幕府年寄職松平伊豆守信綱は、徳川幕府二百六十五年の基礎を築いた男だ。この時四十二歳。脂が乗り切った時期である。四角い顔の真ん中に座っている大きめの鼻と、への字に結んだ唇は意思の強さを表し、爛々たる眼光は不屈の闘争心を示していた。
身に着けている見事な甲冑は、将軍家光からの拝領品である。
“幾多の血を流した戦国の時代はようやく終わり、平穏な時を迎える事が出来た。この平穏を破る賊徒は、切支丹であろうが、豊臣の残党であろうが、決して許さない。賊徒は芽の内に摘み取る”
これが知恵伊豆の方策を為す基底である。
表面では「知恵伊豆殿」などとおべっかを使っている連中が、裏に回れば、「戦場を知らぬ成り上がり者」と陰口を叩いているのは十分承知している。いや、面と向かって言う者もいた。御三家の一人紀州大納言徳川頼宣などは、何かと言うとそれを持ち出す。
“もう言わせぬ”
島原天草の乱は物事の先を見ることに長けている知恵伊豆を以ってしても予想外、青天の霹靂であった。騒動が起きたのは寛永十四(一六三七)年十月の末。肥後の天草では、今年は追放された宣教師ママカスの予言の年であるという噂が流れていた。
その予言とは、『この後二十五年後に十六歳の神童が出現し、白旗が靡き、ゼウスの教えが広がり、人々はクルスを捧げ、天帝が万民を救う』と言うものである。
そして庄屋の息子天草四郎時貞という少年が、それまで一歩も歩けなかった老婆を歩けるようにした。飛んでいる鳩を呼び寄せ、生んだ卵から十字架を取り出したなどと言った話が次々と伝わり、いつしかそれは島原にも広がって行った。
“何かが起きる。ゼウスが我らを救う”
虐げられた人々の間に漠然とした期待が生まれ、それが日を追うごとに醸成されて行く。
十月二十三日。有馬で切支丹農民二人が捕縛されると、情報は瞬く間に信徒の間に伝わったが、捕縛はいつしか殺害されたとなり、二日後には昇天の儀式を行うまでになってしまった。その儀式の最中に代官がやってきて高圧的な態度で中止を命じたため、悲しみは怒りに変わり、農民たちは寄ってたかって代官を逆に殺害してしまったのである。これが起爆剤となり、各地の代官所や寺院が襲われ、少年天草四郎を頭に戴く一揆軍は、島原城をあっという間に包囲してしまった。
島原城の先代城主松倉重政は領民に過酷な年貢を課し、納められない者の手足を縛り、蓑を着せて、火をつけて焼き殺したりした。積年の恨みが爆発したのだ。苛斂誅求がもたらした当然の帰結である。
松倉藩は近隣諸国に援助を求めたが、皮肉なことに諸大名を抑えるために、信綱らが策定した「武家諸法度」が一揆軍を利することとなった。即ち『江戸ならびに、何国において、何篇の事ありといえども、在国の輩は、その所を守り、下知を相待つべきこと』という一文が諸藩を縛り、幕府の命令が下りるまで出兵しなかったのである。
十一月八日。事の仔細がようやく江戸に伝わり、三河深溝城城主板倉重昌を上使として鎮圧に向かわせた。
重昌は小倉で一揆軍侮りがたしと聞いて、九州諸藩に出兵を命じたが、大軍が来るとの情報に、一揆軍は無人となっていた原城に立て篭った。城は島原半島の南端近くにあり、東は海に面し、西は湿地帯で、南北は大小さまざまな火山岩がゴロゴロしている自然の要塞であった。
天草四郎は一揆軍の象徴的存在で、実際に指揮を取っているのは関ヶ原で滅亡した切支丹大名小西行長に仕えていた四十人の牢人と、三十五人の庄屋で、その下に老若男女合わせて二万五千の農民がいる。諸藩からの援軍が来たことで強気になった重昌は「百姓ごときに手間はいらぬ」とばかりに襲いかかったが、信仰の二文字で結ばれた一揆軍はしぶとく粘り、容易に原城を落とせないでいた。
討伐軍苦戦の知らせに業を煮やした幕府は、第二陣を派遣した。上使は松平信綱である。彼自身が「私が行く」と言ったのだ。他の老中たちも信綱の才覚を信じ、賛同したが、幕府内には戦を知らぬ知恵伊豆のお手並み拝見とばかりに、冷ややかな目で見送った者もいた。
知恵伊豆が来るとの知らせを聞いた重昌はあせった。面目丸潰れである。信綱到着前に一揆軍を殲滅しようと、正月元旦に総攻撃を敢行したが、却って反撃にあい、四千を超える死者を出す敗北を喫し、重昌自身も戦死した。
その三日後に到着した信綱は、原城を十余万の兵で十重二十重に取り囲み、兵糧攻めに転じ、戦線は膠着状態となった。
軍議の折、板倉重昌の補佐として参陣していた石谷貞清が進言した。
「一揆勢の多くは領主松倉の圧制に耐えかねて武器を取った者たちで、切支丹は半数以下でございます。降伏すれば罪は問わぬと呼びかければ、多数の者たちが応じると思われます。さすれば敵の戦意も落ち、これ以上の犠牲者を出さずに終息するのではないでしょうか」
しかし信綱は冷たく言った。
「これは異教徒との戦いなのじゃ。自ら願い出た者ならともかく、こちらから降伏を呼びかけるようなことは一切まかりならぬ。諸国にはまだ多くの信者が潜んでおる。ここで妥協したら、幕府与し易しと、各地で反乱が起きるかもしれぬ。さすれば体制が揺らぎ、切支丹ばかりか、豊臣の残党も蠢動する。この騒動は単に治めれば良いというものではない。折あればと機会を窺っている賊徒たちに、幕府の断固たる姿勢を知らしめるのだ。そのためには原城に立て篭る者、異教徒であろうがなかろうが、一人も許してはならぬ」
見せしめだ。知恵伊豆は敵に対して、情けと言う言葉を持ち合わせていなかった。
信綱は小戦闘があると、死亡した敵兵の腹を切り裂き、胃に残っている食物を調べさせ、中身が海藻や麦の穂だけになったのを確認すると総攻撃に転じ、二月二十八日、天草四郎以下二万を越える一揆軍は壮烈な死を遂げ、ゼウスの元へと旅立った。
原城は累々たる屍の山であった。カラスの鳴き声だけが不気味に響き、空には黒く重い雲が垂れ込めている。その雲が突然十の字の裂け目を作り、そこから陽光が発せられ、殉教者たちの身体を優しく包んだ。
一隅に小さな叢が残っている。一揆軍は食べられる物は殆ど食べ尽くし、最後は雑草まで口にしていたが、何故かそこだけが辛うじて残されていた。その叢が突然動き
、身体の下に隠していた剣を杖代わりにして立ち上がった。忍者のように草を背負い、地面に伏せていたのである。
男の顔は何十日も満足に食べていないので、目ばかりがギョロギョロと光っている。背が高いところを見ると、戦の前は立派な体格をしていたのかもしれない。歳は三十代半ばくらいであろうか。
惨憺たる光景を男はしばしの間、呆然と眺めていたが、やおら跪くと懐からクルスを取り出し、ゼウスに祈りを捧げた。倒れた同志たちへの鎮魂の祈りである。
長い時が過ぎ、ようやく祈りを終えた男は再び立ち上がると天に向かって誓った。
“命に代えてもゼウスの国を作ります。それが唯一人生き残った私の使命です”
そして討伐軍の去った彼方を睨み、呻くように言った。
「松平伊豆守、主に代わり、いつの日か汝を……」
片手に握り締めたクルスを見えぬ敵、知恵伊豆に向かって突きつけた。
(二)
言うまでもなく、江戸の中心は江戸城である。大手門の近傍は普代。桜田門付近には外様。赤坂門から時計回りに、中山道までは旗本の屋敷があり、そこを境にして、町人街へと渦巻状に広がって行く。ところが秋田の佐竹家だけは、何故かその公式から外れて旗本屋敷の端にあった。少し歩けば神田である。
夕刻、その佐竹家から警備の侍に囲まれた一丁の駕籠が出て来た。乘っているのは老中松平伊豆守信綱。佐竹の当主に招かれての茶会の帰りである。
老中の邸宅は、何時たりとも登城出来るよう西の丸下にあり、日常は目と鼻の先にある江戸城との間を往復するだけであった。そのため信綱は、佐竹家を訪れた時は供回りを減らし、遠くから変装した警備陣に見守らせながら、町人街を一回りして帰るようにしている。民情視察である。
既に夕刻。物売りの声が行き交い、職人たちが道具箱を肩に家路を急ぐ、稽古帰りの娘たちはおしゃべりに夢中だ。そんな姿を見ると、信綱は安らぎを覚え、庶民の安寧は老中たる自分が守る。知恵伊豆が守ると、非公式の時に使うお忍び駕籠の引き戸をわずかに開けて、無言の内に語りかけていた。
安寧とは、戦乱のない日々であり、そのための保証は徳川の世が未来永劫続くことだと信綱は確信していた。幕府の存在を少しでも脅かす者がいれば、叩き潰さねばならない。情けは無用である。たとえ無慈悲と言われようが、鬼と言われようが、せねばならぬ。少しの血が流れることを躊躇していたのでは、却って大量の血を流すことになると思っている。信綱の概念にある庶民とは、幕府に逆らうことのない従順な人々であり、爪の先程でも不満を持っている者は範疇から外れていた。
信綱は引き戸を戻して目を閉じた。彼も既に五十の坂を越え、髪の毛は白い物が増えている。
信綱は徳川発祥の地三河の代官大河内久綱の長男として生まれたが、幼い頃、家康の側近で叔父に当たる松平正綱の養子となった。現将軍である家光が生まれると、僅か九歳で城中に召し出され、小姓となり、三人扶持を与えられ、後年、家光が将軍となってからは、とんとん拍子に出世街道を歩み、今や六万石の大名であるばかりか、安倍忠秋、堀田正盛と並んで、老中職に任じられ、幕府の中枢を担っている。
信綱は安倍、堀田の二人と今朝協議したことを反芻した。御三家の一人紀州藩徳川頼宣に関してだ。頼宣は神として崇められている家康の十男であり、先の将軍秀忠の弟で、武断派の代表であったが、豊臣家滅びて既に三十年。政(まつりごと)の中心は信綱ら文治派が握り、頼宣は蚊帳の外に置かれ、家光に何か進言しても、それは老中に図ってからとの一言が返ってくるだけで相手にしてもらえない。大阪冬の陣、夏の陣では若干十四歳で、歴戦の勇士に伍して奮戦し、家康を喜ばせた。それ故に命を的にして戦った者が、何故冷遇されねばならないのかと、不満を募らせており、老中との関係もギクシャクしたものになっていた。
頼宣は武張ったことが大好きで、なかでも狩りを殊の外好み、自らが先頭に立って、紀州の山野を駆け巡っていた。そんな頼宣を人々は南紀の竜、南竜公と仇名していた。
当人はただの狩りのつもりでも、幕府を預かる者の目には戦の訓練、あるいは準備としか映らない。これが他の大名なら、改易をちらつかせれば立ちどころに恐れ入り、恭順するのだが、如何にせん神君家康公の直系である。遠慮が先に立ち、遠回しに「お慎みください」と言うのが精々である。しかし南竜公の方では柳に風、暖簾に腕押し、忠告を聞くどころか、以前にも増して物々しい布陣を構え大掛かりな狩りを平然と行なっていた。
その南竜公が、藩の財力を遥かに超える大勢の牢人を雇い入れているという風聞が聞こえてきた。福島正則の遺臣である村上彦右衛門に、いきなり千石の知行を与えたばかりか、武者奉行に取り立てたという。牢人の大量採用は軍事力の増強である。江戸家老を呼び出し問い質すと、事実であると答えた。たとえ御三家とは言え、放置することは出来ない。真意の程を聞かねばならぬ。帰国していた頼宣に参勤交代を早め、急ぎ江戸表へ出立するよう将軍家光の名で命じた。
今後牢人の雇い入れは慎み、狩りの規模も縮小するとの一札を入れさせることで、老中三人の意見は一致した。
「あのお方、書かぬだろうな」
信綱は独り言を言って、鼻の下に八の字髭をピンと伸ばした食えぬ男の顔を思い浮かべた。
今回は灸をすえる程度で良いと信綱は思っている。余り重い咎を与えると、徳川家のために、財政が苦しくなるのも厭わず武力を整えたのに、罰するとは何事かと、武断派が騒ぎ出す可能性があるからだ。
信綱は上様に敵対する者は誰であろうと許さぬ。いつの日か、動かぬ証拠を突きつけ、空を飛べぬようにしてやると自身に言い聞かせていた。
信綱は家光が竹千代と呼ばれていた子供の時から一緒に歩んで来た。小姓になった時、自分の生涯は影で良い。竹千代君を歴史に残る名君にしようと思っていた。ところが竹千代は余り利発な子ではなかった。それに比べて弟の国松は何事にも才たけている活発な子で、母のお江は国松ばかりに愛情を注ぎ、竹千代を軽んじていた。妻の影響もあったのか、秀忠も国松を次期将軍にと思うようになり、旗色を見るに敏な家臣たちもまた国松につき、竹千代は家臣からも軽んじられ、信綱や遅れて小姓となった阿部忠明ら側近だけが、数少ない庇護者であった。
だが乳母春日局が駿府まで出向き、家康に直訴したことにより、鶴の一声で三代目は竹千代と決定し、長じて竹千代改め家光は元和九年、僅か二十歳で将軍となった。
家光が本領を発揮するのはそれからである。彼は将軍となった直後、外様大名を集めてハッタリをかました。
「このたび、余が将軍となったが、それについて、あらかじめその方どもに申し渡すことがある。前代までの将軍は、その方どもと同列の大名だった時期もあり、その方どもに対する待遇にもそれなりの含みがあったが、余は生まれながらの天下人である。これまでとは格式をかえ、譜代大名同様家来として遇するからさよう心得よ。もし不承知の者あれば、謀反いたすがよい。今日より三月の猶予を使わす故、国許へ立ち返り、その支度をいたせ」
胸に一物の外様大名は皆畏れ入り忠誠を誓ったが、この台詞は信綱があらかじめ原稿をしたため、丸暗記させたものであった。
将軍となった家光は自信がついたのであろう。それまでの引っ込み思案は影を潜め、何事にも積極的になっていったが、余りにも何事すぎた。つまらぬ落ち度で草履取りや弁当番に死罪を言い渡し、挙げ句の果てには夜な夜な城を抜け出し、辻斬りまでするようになった。
たとえ暗愚であろうが主君は主君。忠勤を尽くすのが臣下の勤めである。信綱は家光の愚行の処理をしながら、他の老中たちとも計り、着々と幕府の体勢を固めて行った。その一つに機構の整備がある。それまでの軍事組織を順次平和時の官僚組織に改めた。時代により多少の変化はあったが、信綱が作った機構は幕末まで維持された。鎖国を完成させたのも信綱を中心とする幕閣である。これも黒船の来航まで続く。鎖国により日本を殖民地化せんとする列強諸国の野望を断ち切ったのである。だが鎖国と不即不離の関係にある過酷な切支丹弾圧は、島原一揆となって爆発し、幕府を震撼せしめた。
又、諸大名の取り潰しは峻烈を極め、江戸開府以来の改易数は百九十八家、千六百九十三万石に上り、外様はおろか、普代であろうとも、枕を高くして寝てはいられなかった。改易とは取り潰しの一種で、所領や家禄・屋敷を没収し,士籍から除くことである。
最も顕著な例は、家光の弟である国松改め徳川忠長であろう。数々の奇行を理由に改易させられた。これは将軍職に就けなかった忠長が、諸藩と語らって謀反を起こすことを畏れたからである。
しかし相次ぐ改易取り潰しは、牢人の増加という新たな社会問題を生んだ。その数五十万と言われているが、正確な数は分からない。
改革の功罪は置くとして、これらの施策により、徳川体制は揺ぎないものとなって行ったのである。
信綱は尚も紀州大納言頼宣のことを考えていた。
“外様の整理は概ね終わった。切支丹も闇の中に消えた。家光公を逆恨みしておられた忠長公は自ら命を断った。残るは時の移りが読めぬ方お一人。南竜公が紀州の海で眠ったままでいればそれで良い。しかし天に昇ろうとして動き出す可能性は十分にある。竜が一度起きると天地に竜巻を起こす。それを何としても食い止めねばならぬ”
その時、「面白い、相手になってやろうじゃねえか!」という罵声が聞こえ、駕籠が止まった。引き戸を少しだけ開け、前方を見ると、数人の武士と町人が睨みあっている。双方の姿が突飛だ。武士の方は髑髏や虎の模様が描かれた着物姿で、裾を脛まで捲り上げており、一人は何故か鎖帷子をつけている。そして反りがない長刀の柄には、白く晒した棕櫚の皮が巻かれている。一方の町人たちは三つ引きの大紋をつけた茶色の長羽織を着込み、侍たち同様裾を腰に巻きつけ、反りのない長刀を差していた。
「ヤッコか!」
信綱は吐き出すように言った。武士たちはれっきとした旗本で、白柄組と称している侍奴。頭領の名は水野十郎佐衛門成之。親子二代に渡る奴である。町人の方は人入れ斡旋業、幡髄院長兵衛配下の町奴であった。どちらも男伊達を売り物にしているが、社会の枠から外れたスネ者の集団である。
旗本の方は、直参とは名ばかりで、彼らの祖父や父が、関ヶ原や大阪冬・夏の陣で先頭になって奮戦したにも関わらず、大名たちのような加増にも預かることjなく、汲々とした生活を送っている者が多い。おまけに昨今は剣の腕前より算盤勘定のうまい者が微かに残された出世の道を歩むことが出来る。持って行き場のない鬱憤を喧嘩沙汰で紛らわしているのだ。
一方の町奴も、人入れの斡旋業とは表向きだけで、博打と喧嘩に明け暮れる無頼の徒であった。従ってこの両者が出会うと、肩が触れたの、鞘がぶつかったのと、つまらぬことで騒ぎになり、時には血の雨が降る。
大名しか使わないお忍び駕籠である。中の人物が誰かは分からなくとも、身分ある者が乗っていることくらいは判断がつくはずだが、どちらもまったく意に介していない。双方が刃を抜いたので、野次馬が「ワッ」とばかりに取り巻いていた円の半径を広げた。ところが一人だけ動かぬ者がいた。月代の伸びた牢人で、奴たちの派手な衣装とは対照的にくたびれた着流し姿で、柳の木に寄りかかり、無表情に争いを眺めている。
「いかが致しましょうか?」
供廻りの一人が信綱に尋ねた。戸惑っている。駕籠の周辺は既に遠くから見守っていた警備方が何喰わぬ顔で守護しているので、自身の身は心配ない。だが強行突破すれば争そいに巻き込まれるであろうし、傍観しているのも妙だ。
「道を変えよ」
駕籠は元来た道を戻って行った。
“奴たちもいつか整理せねばならぬ。しかしあやつらはたいした存在ではない。幕府の手の中で蠢いているだけ。いつでも片づけられる。それよりも……”
信綱は平然と見物していた浪人の顔を思い浮かべた。
“あの牢人者に、あすこにいた奴たちが束になってかかっても敵わぬだろう。名もない者であろうが、何十万という牢人の中には、あのように肝の座った者が大勢いるに違いない”
もし、彼らが謀反を起こしたらと思うと、背筋が寒くなる。牢人たちが何も出来ないでいるのは、彼らを束ねる者がいないからだ。牢人は切支丹と違って、それぞれがバラバラに生きている根無し草だ。だから大きな力にはならない。だが牢人をまとめようとする者が出てきたら、そして切支丹や外様大名と結びついたら、幕府に弓を引 再び戦乱の世となるかもしれぬ。そうなる前に賊徒は始末せねばならぬ。
そこまで考えた時、知恵伊豆の脳裏に何かが閃いた。
“そうだ。南海の竜と、餌を求めてさ迷っている野良犬を一緒にしてやれば良いのだ。さすれば一度に始末出来る”
(三)
屋敷に戻っても信綱の頭の中はそのことでいっぱいだったので、妻が孫たちのことを話しても耳に入る余地がなかった。知恵伊豆の頭脳はクルクルと回転し、一編の狂言を組み立てた。
だがこの狂言に、他の老中や年寄りを加えることは出来ぬ。もし幕閣うち揃っての陰謀などと知れたら、家光公jにまで累が及び、それこそ南海の竜に取って代わられる。誰にも相談せず、すべてを自分一人でやらねばならぬ。露見した時は己が腹を切れば良い。島原の失敗を繰り返さぬためにも毒草は早めに刈り取らねばならぬ。
狂言作者は瞑目して、これから展開させる一幕一幕を思い描いていたが、閉じていた目を開けると、私的探索方である柴田孝之助を呼んだ。
柴田は信綱の家臣である。幕府の隠密ではない。信綱は何人かの家臣を隠密として使っていた。彼らは幕閣の稟議にかけずとも、自分だけの考えで使えるので便利な存在であった。その中で最も優れているのが柴田である。
「たいしたことではない。江戸中の軍学道場を調べてもらいたい」
「かしこまりました」
これだけで事足りる。
軍学道場なるものが当時いくつあったか正確な数は分からないが、かなりの数だったようだ。いずれも牢人が経営しており、過去の戦や三国志を題材にしたり、天文による吉凶占いなどもしていた。講釈師という名が書物に出て来るのは宝永年間、五代将軍綱吉の時代である。講談の源流かもしれぬ。
軍学道場には牢人が集まっているとの事なので、そこから調べてみようと思ったのだ。
数日後、柴田が調査の結果を持って来た。道場主の名はもちろんのこと、元はどこの家中だったか、家族構成や門弟の数など、細かく記されていた。名乗っている流儀が様々で、武田信玄流もあれば、源義経流もある。
信綱は先ず弟子の数に着目した。最も多いのは近藤宗雲斎なる者が開いている近藤軍学教練所で門弟の数は約百五十人。次が鳴海張欣道場で約百三十人。三番目が由比民部正雪の張孔堂で約百人。それ以外はどこも百以下で、最も少ない道場は五人しかいなかった。約がついているのは、門弟の数は固定されたものではなく、増えたり減ったりしているからだ。
次に信綱はどこの藩にいたかを見た。
武田流を名乗る近藤宗雲斎の祖父が滅亡した武田氏であったが、それ以外は大阪の陣以降に改易された大名の家臣であった。さすがに豊臣家所縁の者はいない。たとえいたとしても偽っているであろう。
真贋の程は分からぬが、一人を除いて、どこの藩中だったかは判明している。不明なのは張孔堂の由比正雪だが、代わりに師がはっきりしている。楠木正成の末裔楠木大膳なる者である。信綱は張孔堂とは隣国の軍師張良と孔明から名づけたものだと直ぐに分かった。当時はまだ菩提寺による『人別張』制度も確立していなかったので、真贋を計るためにはかなりの時間と人手を要する。知恵伊豆は的を絞ることにした。
翌日、信綱はいつもより早目に帰宅すると、着流し姿で、供も身辺警護も連れずに外出した。深編笠で顔は隠している。行き先は日本橋にある近藤軍学教練所だ。
近々国許へ帰るので、耳土産に近藤先生のご講義を拝聴したいと言うと、喜んで上げてくれた。聴講料は思ったより安い。道場は板張りで文机が三十前後置かれ、既に十人以上座っている。殆どが牢人で、主持ちらしいのは数人しかいない。中高年は僅かで、若い連中が多い。信綱は料金の安い理由が分かった。あまり高くしたのでは門弟が集まらないからだ。しかしいくら安いと言っても金を払うのである。傘張り牢人のように尾羽打ち枯らした者はいない。身なりもこざっぱりしている。それでも信綱は場違いである。遠慮のない視線を浴びせられ、品定めされていた。
机にはいたずら書きや刃物でつけた傷が無数にある。午前中は寺子屋をやっているようだ。寺で教えていた読み書きを、これなら自分も出来ると目をつけたのであろう。
開講時間が近づく頃には、机のほとんどが埋り、やがて師範の宗雲斎が登場した。威厳に満ちた顔である。「エヘン!」と一つ咳払いをすると、やおら源平の一の谷合戦を語り始めたが、それは信綱の度胆を抜くのに十分なものであった。一言で言えば面白いのだ。張り扇で机を叩くのは朝飯前で、身振り手振りどころか、立ち上がって足振りまで使う。一人芝居である。弟子たちはそれを見て笑い転げていた。
この道場が人気のある理由を信綱は理解した。学問のために来ているのではなく、息抜き、或いは暇つぶしに通っているのだ。弟子たちが求めている『笑い』に近藤センセは十分に応えている。
翌日は深川の鳴海張欣道場へ行った。こちらは三国志である。昨日の近藤センセのような派手さはないが、鳴海センセも語り上手である。聞く者を飽きさせない。だが内容に誤りが多すぎる。彼らは役者だが、学者でもなければ軍師でもない。人を束ねること等とても無理だ。軍学者に狙いをつけたのは誤りだったか、明日はもう止めようかと思ったが、由比正雪の旧主が不明なのが気になり、無駄足覚悟で出かけることにした。
張孔堂は神田連雀町の裏通りにあり、通りに面した二十畳程の部屋を道場にしており、入口には『楠木流軍学 張孔堂』の看板が掲げられている。正雪がここに道場を開いたのは十余年前。それ以前は同じ連雀町の長屋に住んでいた。弟子が増え、手狭になったため引っ越したのである。横に三脚、縦に七脚、合計二十一の文机が置かれ、講師の席として中央最前列の机と一間の間隔を置いて、畳一畳ほどの台に小さな文机が置かれている。台の高さは一尺五寸くらいだ。文机に傷はない。寺子屋はやっていないようだ。
信綱はこれまでと同じく最後部に座った。壁に講義の予定が張られている。一の日と四の日七の日は初級者。二の日五の日八の日は中級者、三の日六の日九の日は上級者となっている。今日は十四日、初級日だ。午前と午後に分かれているが、講義の内容は同じである。
江戸時代の暦は一ヶ月が二十九日か三十日で、三十一日は無い。
やがて正雪が入って来て、一段高い台に座った。歳は三十代前半であろう。これまででいちばん若い。髷は結わず、総髪が肩まで伸びている。大きな瞳から放たれる光に信綱は妖気等とは違うある種の“気”の如き物が漂っているのを感じた。昨日までの二人とは何かが違う。背は低く全体に小柄だ。黒の羽織には菊水の紋が刺繍されており、腰の帯に普通の扇子を差している。張り扇ではない。
正雪は一同をゆっくりと見回した。これまでの例だと、信綱の所で一度は視線が止まるのだが、そのまま通りすぎた。
「良い天気ですね」
誰にともなく言った。
「さて、これまでは楠木正成公の戦法について話して来ましたが、今日からは正成公の人となりについて語ってまいります」
静かな語り口である。
「正成公は何故負け戦と分かっている湊川の戦場に、たった六百騎のみで飛び込んで行ったのでしょうか?」
皆の顔を見た。
「それは大義のためです。大義を重んじたからです。対する足利尊氏公は権謀術数を用いて、ひたすら権力に執着した方です」
出だしこそ静かであったが、進むに連れて口調が激しくなって来る。
信綱は正雪の語りの特徴を四半時(約三十分)ほどで掴んだ。それは前に言ったことを何度も繰り返すことである。弟子たちを眺めた。皆、話術に引き込まれ目を輝かせて聞いている。
“見事だ!”
信綱は感嘆しながらも、正雪の言葉の中に、ある意図が隠されているのを感じ取っていた。それは家康に対する敵意である。もちろん家康や幕府を批判するようなことは一言も言っていない。しかし明らかにそうである。正成を真田幸村に、尊氏を家康に置き換えてみればはっきりする。初級でこうである。 中級、上級ではもっと過激なことを言っているに違いない。
時は瞬く間に過ぎ、講義は終わりに近づいている。正雪は拳を振り上げ、机を叩きながら叫んだ。
「卑劣な手段を用い征夷大将軍になったとて何になろうか、武士にとって大事なことは大義。大義とは人として守るべき道義。この一語にある!」
「然り!」
一人が興奮して叫んだ。誰もが陶酔している。私語を交わしたり、居眠りをしている者は一人もいない。
“これは術だ!”
信綱は舌を捲いた。今で言う催眠術である。正雪が催眠術について人に習ったことは一度もない。夕から習ったことを繰り返し人々に語ることで、いつの間にか身についてしまったのである。
信綱はもし五十万の牢人がこの男の話を聞いたら、再び戦乱の世を迎えるかもしれぬと思った。
正雪は一息つき、今度は静かに語りかけた。
「ここにおられる大半の方は、主家を離れ浪々の身であられる。又、ご奉公なさっておられる方も、恵まれた地位にはおられぬ。そちらにおられる方を除いては……」
と言ってから、正雪は初めて信綱を見た。いくら忍びと言っても、着ているものが違う。地位ある者ということは歴然としていた。二人の目が合い、瞬間、見えぬ火花が飛んだ。だが正雪の視線が直ぐに離れた。
信綱は思った。
“小奴、只者ではない。邪心に溢れている”
正雪は思った。
“この男、私の何を探りに来たのだ。江戸に来て、己の野望を人に語ったことは一度もない。自分とは別世界にいる人物であろう。幕府の中枢にいるのかも知れぬ”
瞬間、正雪の心の内に旅立ち前に夕が言った『家光には松平伊豆守という若年寄がおり、知恵伊豆と呼ばれるほどの切れ者で、その男がいる故に、愚鈍な家光でも将軍職が勤まっている』と言う言葉が浮かんで来た。
“そうか、知恵伊豆か”
何故かそう思った。
“夕様が会わせくれたのかもしれぬ”
正雪は小さく頷き、平然と後を続けた。
「しかし、志を忘れてはならぬ。大義を忘れてはならぬ」
信綱は無言で正雪に語った。
“この信綱がいる限り、異教徒だろうが、牢人だろうが、賊徒は一人たりとも許さぬ。戦国を経て、ようやく築いた安寧は守らねばならない”
正雪は又激して来た。
「虚に生きるべきではない、実に生きるべきである。虚に走るは容易く、実に止まるは困難を要する。だが、それを恐れてはならぬ。実に生き、大義に生きるべきである! 大義のためなら死を恐れてはならぬ! それが誠の武士道である!」
“由比正雪、もっともっと野心を燃やせ、不肖伊豆守が手伝って進ぜよう。地の底に落ちるまで、我が手の中で歌うがよい。舞うがよい”
知恵伊豆の射るような視線を浴びながら、正雪は自らも陶酔して、人々に呼びかけていた。
(四)
信綱が張孔堂を訪ねてから一月ほど後。
南竜公頼宣がようやく江戸に入った。明日、家光に拝謁してから、老中の査問を受けることになっている。
その夜、松平邸の芝庭に大きな男がうずくまっていた。男の背後には見事な景色が展開しているのだが、闇夜ではそれも見えない。信綱お気に入りの庭園である。
「伊賀から僅か九日。さすがは忍者じゃ」
平伏している男を縁から見下ろして信綱が言った。
「出来るだけ忍びらしくない忍者を依頼したのじゃが、本当にお前は忍びであろうな?」
冗談である。だが男は大きな身体をあらん限り小さくして必死に答えた。
「ま、間違いございません。それがしは伊東仁太夫配下の者でございます」
信綱は微苦笑した。
「相分かった。そちを今日から影と呼ぶことにしよう。では当面の任務を申し渡す。神田連雀町まで、おまえの足で歩いて、四半時以内に行ける場所に居を構えよ。これから一年間はいかにも牢人らしい仕事を致せ。物盗り、博打は相ならん。こたびの任務は長い歳月を要する。幕府を揺ぎないものにするための大事な任務じゃ。首尾よくいけば、お目見得えに取り立てる所存ゆえ、心してかかれよ」
旗本になれる。影の目が輝いた。
「成就のあかつきにはこの縁で向かい合い、一献酌み交わそうではないか。それまでは一歩たりとも上がってはならぬ」
「心得ております」
「一年の間に、そちは江戸という風景の中にすっぽりと溶け込むのじゃ。良いな」
家光の影が、己の影にそう言うと、「ははあ!」とばかりに平伏した。
寛永十二年から、老中の執務は月ごとの輪番制になっていて、今月は阿部忠秋であったが、査問の相手は御三家徳川頼宣である。松平信綱、堀田正盛の老中二人はもちろんのこと、名誉職的存在の大老酒井忠勝も同席した。
行われたのは対客間の中でも、最も格式の高い躑躅の間である。
家康の子供の中でいちばん似ていると言われた頼宣だが、鼻の下に蓄えた八の字髭を剃れば、再来ではないかと思える程そっくりで、贅肉の付き方まで同じであった。風貌だけではない。性格も似ている。だが頼宣には鳴くまで待とうほととぎす程の気の長さはない。
型通りの挨拶がすむと、機先を制するかのように頼宣が言った。
「上様に狩りの話をしたところ、たいそうお喜びになられてのう。近頃の若い者は軟弱でいかん。これからも大いに励んで手本を見せてくれとおっしゃられた」
これでは狩りのことは持ち出せない。しかし大老酒井忠勝は、先の将軍時代には老中職を勤めていた海千山千の男で、頼宣がタヌキなら、彼はキツネである。頭髪同様真っ白な顎髭をしごきながらニンマリと笑ってから言った。
「それがし軟弱にて、狩りのことはとんと分からぬのでございますが、紀州の獣たちは人間の禄高が分かるのでございましょうか?」
キツネが妙な質問をしたが、タヌキは動じない。
「獣に尋ねたことがないので分からぬが、そちがどうしてもと言うのなら折を見て聞いてみよう」
「いやいやそれには及びませぬ。それがしは大納言様が五人もの千石取りをお雇いになったと聞き、狩りが何よりもお好きな大納言様のこと。これはきっと獲物をより多く獲るために違いない。獲物は禄高の多い人間に弱いのをご存知で奮発したのであろうとばかり思い込んでおりました。そうでもなければ戦乱の治まった今日、多数の牢人を雇う必要などあろうはずがございません。もしこれが大納言様でなければ、謀反の疑いありと思われても仕方ないことでございますからのう」
忠勝はズバリと言った。
「解せぬことを? わしが謀反を致すと申すのか」
頼宣は首をかしげた。
「いえ、我らがそのように思っているのではござりませぬ。広い世間には、そのように取る者もおるかもしれませぬので、ちと、お慎みくだされたく……」
「酒井、わしは神君の血を引く者ぞ。上様の叔父じゃぞ」
「それは重々存じ上げております」
どちらも妙に冷静である。
「わしのお役目は西の守りを固めることだと思っておる。それ故に台所が苦しくなるのも厭わず多くの牢人を抱えたのだ。むしろ褒めてもらいたいくらいのものよ」
ここで忠勝は「流石は大納言様でございます。されども……」と持って行くつもりだったのだが、信綱がいきなり口を挟んだ。
「それが問題なのでございます。牢人の中には豊臣所縁の者も多数おります。そのような者が万が一にも入り込み、お家を内から撹乱致すようなことがございましては……」
頼宣の顔から見る間に血の気が引いた。
「黙れ、豆州! そちは我が藩は身元も調べず闇雲に雇用していると申すのか!」
信綱に皆まで言わせずさえぎった。頼宣は伊豆守が嫌いである。小姓上がりの成り上がりと内心では軽蔑している。その成り上がり者に偉そうに意見されたのでは沽券に関わる。それまで堪えていた堪忍袋の緒が切れ、忠勝の方が慌てた。せっかくうまく進んでいたのにぶち壊しである。
「大納言様に限って、そのような抜かりがあるわけないであろう。ご無礼を申すでない」
と言いながら、信綱に黙っていろと目配せをした。
頼宣の機嫌はこれで直った。そう、もう一つ家康と違うところがあった。ある部分では極めて単純な面も持ち合わせている。
信綱は「ははあ」とばかりに低頭した後、改めて言った。
「申し訳ございませぬ。昨今、御府内には牢人が溢れており、楠木流軍学などと称し、怪しげな道場を開いてる輩もおります故、つい口が滑りました。お許しください」
頼宣が尊敬してやまないのは、一番が父家康。次が楠木正成であった。すべては知恵伊豆、計算の内である。
傲岸不遜な伊豆守が謝罪した。南紀の竜はこれで溜飲を下げたのであろう。以後の査問には素直に応じ、今後はみだりに牢人を召抱えないとの言質を取って、思ったより早く終了した。
退席すべく立ち上がった頼宣が、振り返って信綱に尋ねた。
「豆州、先ほど楠木流の軍学がどうとやら申しておったのう」
「お耳を汚し恐縮にござりまする。あれは怪しげな輩がいると例に出したまでのこと。お忘れください」
そう言われると逆に知りたくなるのが人情である。
「その者の名は?」
「由比正雪と申しまして、神田連雀町で張孔堂なる軍学道場を開いておりますが、前身も定かでない胡乱な者でございます。お近づきになりませぬよう」
「相分かった」と口では言ったが、胸の内では豆州如きに指図を受ける南竜ではないと呟いていた。
頼宣の姿が見えなくなると、忠勝が信綱に聞いた。
「豆州、何を企んでおるのだ」
「私は何も……」
「さあ、どうかな?」
老狐はニヤリと笑った。
頼宣が屋敷に戻ると、城代家老の安藤帯刀が飛んで来た。彼は査問を案じて、紀州から老体に鞭打ち同道して来たのである。
頼宣が紀州の城主となったのはまだ十六の時であった。そのため父家康は後見役に忠義一途な帯刀を選んだ。数多の戦場を駆け巡ってきた勇者で、右の眉から頬にかけて向こう傷がある。だが勇者も歳には勝てず、今では腰も曲がり、杖の助けを借りなければ歩くのもままならない。しかし頭の方は衰えを知らないようである。重要な施策には必ず目を通し、意見を述べていた。
「首尾はいかがでございましたか?」
「ジイに言われたように、西への防御のためで押し通し、もう十分揃ったので、以後新規召抱えは致さぬと申したら、一筆をと抜かしおったので、最近眼病を患らい、物が二重に見えるので、うまく書けぬと断わった。腰抜け老中如き問題ではない」
「流石は殿。お見事でございます」
皺だらけの顔を更に皺くちゃにして喜んだ。
「ところでジイ、豆州から面白い話を聞いたぞ」
「知恵伊豆でございますか」
窪んだ目に警戒の色が走る。
「神田に楠木流の軍学を教える道場があるそうな」
好奇な目に変化した。
「ホウ! 楠木流を……」
頼宣に楠木伝説を語って聞かせたのは他ならぬ帯刀である。
「何者でございますか?」
「名は由比正雪と申すそうじゃが、前身は不明らしい」
「それでこそ楠木流でございます」
と頷いた。
「ところが豆州は近づくなと申した。どう思う?」
「妙でございますな。たかが牢人ごときに近づくなとは……」
帯刀は少しだけ思案した。
「こういうことかもしれません。殿が正成公をご尊敬なさっておられることは既に知れ渡っております。豆州も聞いておることでしょう。その殿が江戸におられれば、いずれは楠木流を名乗る軍学者の存在がお耳に届くに相違ございません。それ故に先手を打ったのではござりませぬか?」
「何故、近づいてはならんのかのう?」
頼宣は首を捻った。
「そこでございますよ、その由比何とかは……」
「正雪じゃ」
「そうそう、その正雪はかなりの切れ者ではないでしょうか? 腰抜け老中にとって、殿のように武勇に優れたお方は煙たい存在です。殿が市井の優れた人物と手を結んで、自分たちの失政が追及されるのを畏れているのです」
「なるほど、一度会ってみるのも悪くないのう」
「お眼鏡に適いましたら、お召し抱えになられますか?」
「これ以上食い扶持が増えたのでは台所に響くであろう」
一国の領主でありながら結構細かい。このあたりは家康そっくりである。
「千石や二千石、ジイが算段致しまする。ご心配召さるな」
「どうするかは一度会ってからだ。しかし由比とは誠に良い名じゃ」
帯刀は由比という名のどこがいいのかと、首を捻りながら言った。
「先ずは家臣何人かに軍学を聴講させましょう」
主従揃って老中との約束を無視している。家康は後見人の人選を誤ったようだ。極めて好戦的な頼宣と、反骨の塊のような帯刀を結びつけてしまったのだから……。
そして信綱は二人の性格を熟知した上で、遠大な謀略を企てたのである。
頼宜と帯刀、彼らも又、知恵伊豆の掌中で舞い踊る操り人形であった。
舞はまだ序曲にしか過ぎない。
{五)
正雪は頼宣差し回しの駕籠に揺られながら、ようやく何かが動き出したのを感じていた。紀州藩の家臣二人が聴講したいと訪れたのが半月前。その一人が土産持参で再度来訪し、「殿に軍学を講じてもらいたい」と要請されたのが十日前である。
最初は悪い冗談か、知恵伊豆の策略かと思った。それはそうであろう。一介の牢人が、御三家の一人徳川頼宣に招かれるなどとは想像の外だったからである。だが、如何に老中とは言え、御三家を手足として使うことは出来ないし、過日道場を訪れた武士が知恵伊豆だったとしても、自分は徳川家そのものを誹謗するようなことは一言も言っていないので捕縛は出来ない。知恵伊豆とは戦う日が必ずやって来るが、それはまだ先の話である。せっかく御三家の一つから声がかかったのだから、受けることにした。
だが指定された日は講義があるので、休講日の十日なら都合がつくと答えた。そのため使者は、他日にせよなどとは何様のつもりだ。これで打ち切りだろうと思いながら報告したが、頼宣は「ならば十日に致そう」と、いとも簡単に承知した。
我が名を言えば大概の者は尻尾を振る。だが地位も何もない由比正雪なる男はそれをしない。ひょっとすると、ジイが言ったように切れ者で、とてつもない人物かもしれないと思ったのだ。
十日の訪問が正式に決まると、正雪は仕立て屋に出向いた。主は三日で誂えろとの注文に難色を示したが、金に糸目はつけぬと言うと、相好を崩し引き受けた。そのため紀州藩から届いた謝礼の殆どが礼装代に消えてしまった。
羽織は濃い茶、袴は小豆色の綾織り。紋は五つ紋で菊水である。
江戸に出てきて早や十一年、三十歳である。軍学者として少しは知られた存在となってはいたが、それだけである。それ以上でも以下でもない。心に秘めた野望を打ち明けられる友も同志も出来ず、いたずらに歳月を重ねてきた。一朝一夕で成るような事でないのは百も承知している。それでも取っかかりすら見えて来ない日々に、多少の焦りを覚えていたが、ようやく愁眉を開いた思いであった。
頼宣は久能山東照宮建立の折、総奉行を勤めた人物である。家康の廟にどれだけの金銀が眠っているか知っているはずだ。廟の秘密について聞く機会があるかも知れぬ。そんなことを考えている間に、赤坂の紀州藩邸に到着した。
客間に案内されて待つことしばし、頼宣が帯刀を従え、満面に笑みを湛えて入って来ると、とたんに部屋の空気が変わった、いや変わったように正雪には思えた。上流階級の醸し出す独特の雰囲気に呑まれたのだ。
頼宣は四十歳。十歳の年齢差もさることながら、氏育ちが違いすぎる。たとえ身なりを整えたとて、所詮は付け焼刃。幼い頃から培われた品位には抗すべきもない。元を質せば紺屋の倅にしか過ぎない正雪は、その場から逃げ出したくなっていた。
平伏して「由比民部正雪でございます」と言うのがやっとで、次の言葉が出て来ない。
だがその時、正雪の耳にこんな声が聞こえてきた。
“崇孚禅師は芳休、おまえによく似ていた。禅師は相手が誰であろうと、己の意見を貫き通した”
臨済寺の住職承孚が手向けに送ってくれた言葉である。正雪は、太原崇孚・生まれ代わりと三度反芻した。
“そうだ。私は稀代の軍師太原崇孚の生まれ代りなのだ。乞食坊主の子孫など何ほどのことがあろう”
そう考えたら、途端に落ち着きを取り戻した。
一方の頼宣は牢人の身でありながら物怖じ一つせぬ(と彼には見えた)正雪に感じ入り、横に控えた帯刀は、正雪の眼光に妖気とは違う“気”の如き物が漂い、光を発しているのを覚えた。
乞われるままに始めた講義は、いつものように楠木正成の逸話を導入部としていたが、いつしか海の向こうの清国に移り、彼の国では王より優れた人物が現われれば、王位を禅譲する慣わしがある。我が国でもそれがあって然るべきだと強調した。それは折あれば、暗愚家光に取って代ろうとの野心を秘めている頼宣を、十分に満足させるものであった。
正雪は訪れる前に、話の骨子をどうするか考えた。頼宣の人となりは諸藩の門弟たちから聞いている。反骨大名として何かと登場して来るのだ。その対極に位置しているのが伊豆守である。野人南竜対文人知恵伊豆の暗闘がお堀の向こうで繰り広げられていることは、門外漢の正雪にもある程度察しはついていた。だからと言って、日頃道場で門弟たちに語っているものと同じではまずい。家康批判と取られるような言辞は絶対に避けねばならない。だが型どおりの講義では頼宣の方が飽き足らないであろう。ならば知恵伊豆の操り人形と言われている家光批判を底流にしてみようと講話を組み立てた。それが成功したようである。
講義が終わると酒席が設けられ、頼宣は酔いに任せて大阪の陣の武勇を語り、横では帯刀が、我関せずとばかりに悠々と居眠りをしていた。
「ところで正雪、こちらの方はどうだな」
頼宜が刀を振るまねをしながら尋ねた。
「剣術の方はとんと……」
正雪は正直に答えた。
「頭を鍛えるのに忙しく、腕の方まで回らなかったのであろう」
頼宣は愉快そうに笑った。
瞬く間に時は過ぎ、正雪が暇の挨拶をすると、頼宣は名残惜しげに、
「次の休みは二十日であったな。又来てくれるであろう」
と言った。正雪に否があろうはずがない。
講義料は前払いで済んでいるにも関わらず、更に謝礼と絹三反が下賜された。
見送りに行った帯刀が戻ってくると、「あの男、どう思う?」と頼宣は尋ねた。
「使いようでございますな」
「と言うと?」
「決してお抱えになってはなりませぬ。目から修羅場を潜ったことのある者だけが持っている光を発していました」
帯刀には死の淵を覗いたことがある者だけが持っている不思議な能力があるのかもしれない。
「修羅場? 大阪の頃はまだ子供じゃぞ」
と言いながら頼宜は自身の初陣である大阪の陣思い出していた。その時僅か十四歳である。
頼宜の周辺は屈強な徳川武士団が囲んでいる。その中に、今は家老の安藤帯刀もいた。最強軍団が敵の布陣を切り崩した後に、頼宜が進んで行くのだ。残った豊臣方は既に雑兵ばかりである。戦場経験のない若君頼宜用に作った戦場である。強者との対決を望んでいた頼宜は面白く無い。ふと振り返って後方を見ると、六文銭の旗印が見えるではないか。物陰に潜んで最強軍団が通り過ぎるのを待って飛び出した真田幸村の軍勢である。最強軍団の後方を突こうとしているのだ。強豪たちはまだ気づいていない。頼宜は馬の手綱を引いて向きを変え、向こう見ずに飛び出し、たった一騎で真田の軍勢に向かって行く。それを見て驚いた帯刀が後を追う。
頼宜は馬上から「徳川頼宜見参!」と叫んだが、次の瞬間、地面に転落した。馬が刺されたのだ。敵が太刀を振り上げた。命を捨てるしかないと、帯刀が間に飛び込んだ。身を挺して頼宜を助けたのである。帯刀の右の眉から頬にかけてパックリと口が開き、夥しい血が流れている。
帯刀は家康に、「命に代えましても頼宜様をお守り致します」と誓っていたのだ。
真田の勇士軍は向きを変えて駆け付けた徳川の最強軍団に敗れ、戦場の露と消え、頼宜は乱戦の中で真田の武将一人を見事に切り倒した。
戸板に寝かされ陣に戻った重傷の頼宜に、家康は涙を流しながら「有難う、有難う」と何度も頭を下げた。
頼宜は言った。
「そうか、島原か。だがヤットウは苦手だと言ってたではないか?」
「刀も槍も使わぬ修羅場もございます。正雪は己の過去に触れられぬよう巧みに殿を誘導していたではございませんか」
流石は帯刀である。居眠りをしながらも正雪の巧妙さをきちんと掴んでいた。
「近づけぬ方が無難と申すか?」
帯刀はニヤリと笑った。
「いえいえ、だからこそ面白いのでございます。正雪が潜った修羅場は、己の大望や野心を果たすためかもしれません。それ故に仕官したくとも出来ぬ事情があるのでございましょう。しかしあれだけの知識と能弁を使わぬ手はござりませぬ」
「過去を調べるか?」
「急ぐ必要はござりますまい。判断の基準は過去よりも今。そして将来、殿のお役に立つか否かでございます」
「立つかのう……」
「ですから使いようと申しました。正雪は野に置いてこそ本領を発揮する男でございます」
「どのように使う?」-
「牢人を束ねさせてはいかがでしょう?」
知恵伊豆の目論見と寸分違わぬことを言った。
「牢人を?」
「さようで。現在幕政を私している豆州らへの不満は、諸藩、旗本の間に満ち満ちております」
「ジイはわしに謀反を進めておるのかな」
帯刀は我が意を得たりと答えた。
「豆州ら老中たちが今の施策をあらためない場合は、それも選択肢の一つでございます」
二人は親子同然である。信頼という絆で固く結ばれており、他に誰もいない時は物騒な会話を平然と交わしていた。
「しかし紀州だけではのう」
「諸藩に呼びかけるのです。神君家康公の実子であらせられる殿が立ち上がれば、多くの藩が呼応することでございましょう」
若者のような情熱がこの老人には今も尚たぎっている。
「その際侮れないのが牢人たちでございます。放置しておけば主持ちでない牢人たちはその時々、旗色の良い方に靡くことでございましょう。だがあらかじめ組織して家臣同様にお目をかけておけば、事あるときは恩顧に報いるべく、殿の手足となって奮迅の働きをするに違いありません」
「そのために正雪を牢人軍の頭に据えろと言うのじゃな」
「御意!
牢人なら不要になればいつでも切れる。頼宣の身体には家康譲りの冷徹な血も流れていた。
(六)
張孔堂には甚六と与吉という同居人がいた。祖父と孫である。正雪と二人の出会いは三年前。厳冬の夕刻であった。
張孔堂の近くに臨済宗の小さな寺があった。そこは正雪の散歩道でもある。講義に疲れると、目的もなくふらりと出かけ臨済寺での修行時代に思いを馳せたりしていた。
その日もいつもと同じ道を辿っていた。空はどんよりと曇っており、今にも白いものが舞ってきそうな沈んだ色をしている。町を抜け境内に入った。
春は桜、夏は沙羅双樹、秋は紅葉と、人々の目を楽しませてくれる樹々も木枯しに打たれ、無残な姿をさらけ出している。
正雪が本堂に向かい、いつものように手を合わせたその時、本尊の近くで何かが動く気配がした。誰かいるようだ。背伸びをして中を覗き込んだのと殆ど同時に小さな塊が出て来て、直ぐ横を駆け抜けようとしたが、本能的に伸ばした正雪の腕の方が早く、塊の細い腕を掴んでいた。袖がめくれ生々しい引きつれが覗いている。
「泥棒じゃないよ。ゼニは置いて来た!」
塊は子供であった。正雪は泣きながら抗議する垢にまみれた顔を見ながら、遠い昔同じような光景を見たことを思い出した。懐からあの日の少年と同じように、供物の野菜や果物が飛び出している。
子供は供物を置く盆を指さした。言ったとおり一文銭が十枚くらい置いてある。有り金全てであろう。
正雪が子供に言った。
「分かった。確かに払っている。足りないかもしれないので、私が足しておこう」
賽銭箱に百文程投げ入れた。
本堂の裏手からフラフラと幽霊が……。いや、幽霊のような老人が出て来た。すると子供が、「ジイ!」と叫んで、懐に飛び込んで行ったので、老人は勢いに押されて尻餅をついてしまい、起き上がることが出来なくなってしまった。子供同様、垢にまみれた顔には血の気が殆どない。息も荒く、正雪が額に手をやると火のように熱い。
「いかん、医者に診せねば……」
正雪は老人を背負い、子供の手を引いて張孔堂に連れ帰った。
夜。医者が投与した薬が効いたのか、老人はぐっすりと眠っている。子供に名を尋ねると、「ジイは甚六、おいらは与吉」とぶっきらぼうな答えが返って来た。まだ警戒しているようだ。
「心配せずとも良い。ジイはもう大丈夫だ。熱も退いて来た。寝なさい」
と正雪が何度か言ったが、必死に眠気と戦っている。正雪の方が根負けをして、先に眠ってしまい、ふと目を覚ますと、与吉は甚六の足元でまん丸になって眠っていた。裾がまくれて覗いている太腿にも、火傷の引きつれがあるのが分かった。正雪は布団を出し、そっとかけてやった。
幸いにして熱は一晩で引き、昼にはカユが食べられるまでに回復し、一口一口噛みしめるようにして食べ終えた甚六は、訥々と身の上を語った。自分は元大工で、息子夫婦に与吉と四人で暮らしていたが、一月ほど前のある夜、近所で火事があり、長屋の人たちと消火に努めていたが、火勢は一向に衰えず、そのうち自分たちの家にも飛び火してしまった。火を消すことに夢中になっていて気がつかなかったが、与吉の姿が見えない。子供の事とて、騒ぎを知らずにグッスリ眠っているのだ。息子夫婦が火の中に飛び込み、辛うじて助け出したが、夫婦は全身に大火傷を負い、相次いで息を引き取ってしまった。
後に残された与吉は僅か八歳。七十を過ぎた甚六に仕事はない。家無しになってしまった二人の収入源はたまの日雇い仕事しかなく、一日何も口にしないこともあり、二人で空腹と寒さに震えながら境内の軒下で抱き合って過ごしていたと語った。
二人はそのまま張孔堂の住人になったが、正雪にとっても渡りに舟であった。門弟の増加に伴い雑用係が必要になっていたのだ。
甚六の働きで道場内が一新された。いつもうっすらと溜まっていた埃は姿を消し、板壁や柱などの傷んでいた箇所は、元大工の腕を奮い見事に修復した。料理もうまい。お陰でこれまで偏りがちだった栄養も万遍なく取れるようになった。
与吉も本来は陽気な子なのであろう。次第に明るさを取り戻し、今では正雪を実の父親のように慕っている。だが口の聞き方は悪い。
紀州邸からホロ酔いで戻ってきた正雪を与吉が出迎えた。甚六は夕食を作っている。
「どうだった。うまくいった?」
与吉が目を輝かせて尋ねる。
「ああ、うまくいった。上出来だ」
「ジイが心配してたぞ。先生あがっちゃって、何も喋れないのじゃないかって」
甚六もジイだが、紀州藩の城代家老もジイだ。同じジイでも、境遇には天と地以上の違いがある。着替えをしながら正雪は一見好々爺風の、帯刀の顔を思い浮かべた。
“あの顔に騙されてはいかん。彼らは何かを企んでいる。それに私を利用するつもりだろうが、そうはいかん。利用するのは私の方だ。私には徳川幕府を倒し、大義を貴ぶ体制を作る義務がある。その為の駒とするのだ」
正雪は大胆にも徳川御三家の一人を駒にした。
「殿さん、どんなだった?」
正雪が脱いだ着物を畳みながら与吉が尋ねた。
「どんなだったとは?」
「威張ってたとか、ボーとしてたとか……」
「品があったのう」
「ひんて、何だ?」
「与吉のように乱暴な口を利かぬということだ」
「おいらみたいのは、何と言うのだ?」
「下品だな」
正雪は漫才もどきのやり取りに、自分で吹き出した。
「品のある殿さんは普段何してる?」
「何してると言うと?」
「たとえば先生は学問を教えているし、大工は家を建ててる。殿さんは?」
「そうじゃのう…… 殿様は、領民の生活がどうしたら良くなるか、考えておられる」
「どこの殿さんもか?」
「まるで考えていない殿様もおられる。そっちの方が多いだろう」
「何で考えない?」
「さあ……」
「殿さんは嫌いだ」
「どうして?」
「汗をかかないで威張ってるから嫌いだ。ジイが言ってた。人間は一生懸命働いて、知恵をつけて、汗をかかなきゃいかんと。先生も威張ってるだけの殿さんなんかになっちゃなんねえぞ。殿さんは知恵を使って誰でも家の中で暮らせるようにしなきゃ、人間じゃなくなっちまうからな」
正雪はまだ誰にも明かしたことのない己が野心を年端も行かぬ子供に見透かされたような気がして、ドキリとした。
「与吉、大人になったら汗をかく仕事をしたいのか?」
「おいらは知恵がないし、ジイや死んだお父のように大工になるんだ」
「大工が好きか?」
「大好きだよ。だって大工がいなきゃ、みんな外で暮らさなきゃならないんだ。雨が降っても、雪が降っても……」
子供の及ぶ考えではない。甚六の受け売りであろう。
「外で暮らすって大変だよ」
これは実体験だ。
「侍は嫌いか?」
「先生みたいな侍は好きだ。何もしないで威張ってる殿さんや、長い刀を差している侍は嫌いだ」
侍奴の事だ。
正雪は生涯妻を持つまいと心に決めている。だが跡継ぎは欲しい。与吉をいずれは養子にと考えていた。
“この子は神かもしれない。神が子供の姿を借りて、人間としての生き方を教えてくださっているのかもしれぬ。しかしもう遅い。私は人として、してはならぬことをしたのだから、この道を行くしかないのだ”
自問自答する正雪の顔を与吉が覗き込んで尋ねた。
「先生、どうかしたのか? 急に黙っちまって……」
「何でもない。与吉は良い子だ。知恵もある。知恵がなければ立派な家は建てられん。ジイもお父も知恵があったから家を建てることが出来たのだ」
与吉は嬉しくなって、下から正雪の顔をもう一度覗き込んだが、正雪の笑顔の裏に、修羅場を潜った者だけが持つ凄みと寂しさが宿っていようとは知る由もなかった。
(七)
頼宜の口利もあったのであろう。あちこちの大名から声がかかるようになり、門弟も増え二百を超した。江戸一番の軍学道場となったのである。だが正雪はそれに満足してはいなかった。幕府を倒すには最低でも千、いや二千はほしい。それだけいれば奇襲攻撃が出来、勝利すれば十万以上の牢人が決起するに違いないと踏んでいた。そのためには今の十倍以上の牢人を集めねばならない。道場も狭すぎる。資金もいる。資金が貯まるのを待っていたのではいつになるか分からない。
江戸に来たばかりの時は家を借りたが、道場にした部屋が狭くて二十人も座れば満員である。午前午後と二回の講話だと、食べて行くだけなら十分な収益を得られるが、幕府を倒し、大義を重んじる新体制を作るには狭すぎる。江戸に来て二年後に現在の道場を買った。中古である。経営していた牢人が病死したのだ。費用は兄の力弥が餞別にくれた五十両を充てた。だが、ここも門弟の増加で今では手狭になって来た。
正雪は頼宜を利用することを考えた。
思い切って紀州藩の城代家老安藤帯刀に、道場を司令塔とするために、改修したいのだが、資金が足りないと相談するいとも気楽に「千両箱一つでいいか」と言った。正雪が「十分過ぎます」と言い終わらぬうちに帯刀は「明日届ける」と返事を返し、「わしも狭すぎると思っていた。これで安心して紀州に戻れる」と言って、歯のない口で笑った。それを聞いて正雪は、頼宜は本気で今の体制を倒すことを考えていると確信した。生まれも育ちも違う正雪と頼宜の連合が誕生したのである。
千両箱は翌日届き、その一月後、帯刀は改修が始まった道場を眺めながら、紀州まで交代要員二人がいる四枚肩(しまいかた)駕籠に乗って帰って行った。
改修の図面を引いたのは甚六である。十年ぶりに棟梁として現場も指揮した。生き生きと飛び回るジイを与吉はまぶし気に見上げていた。
漆黒の屋根瓦に純白の外壁が与吉の目にはお城のように映っていたのかもしれない。半年後、道場改修工事は完了した。叩き大工甚六、一世一代の大仕事であった。
正雪は木の香が匂う道場を見上げながら思った。
次は人間だ。人数を増やすだけでは駄目だ。烏合の衆では決起出来ない。知識と腕を備え、現在の幕政に疑問を持っている武士たちを、司令塔である道場に結集させねば事を起こすことは出来ない。塾生の多くは幕政に不満を持ってはいるが、だからと言って、幕府を転覆させようなどという大それた考えはない。誰もが大名になれるかもしれない戦国の世は既に歴史の彼方である。塾生たちは正雪の講話に感動し、賛意を表しても、話が終われば現実世界に戻って他愛無い話をしている。言葉の魔術はすぐ酔うが、覚めるのも早い。塾生たちに今の幕府を倒さねば明日は来ない。より良い明日を招来させねば、路頭に迷っている五十万の牢人とその家族を救出出来ない。我々が救出するのだとの自覚を持ってもらわねばならない。
正雪は自分以外にもう一人教壇に立つ人物が欲しいと思っていた。自分の代行がいないと、塾での講話と大名家からの招きが両立しなくなって来たという現実的な問題も急ぎ解決しなければならない。
ある日のことである。
正雪はいつものように受講生たちの顔を順繰りに見ながら話し始めたが、その目が突然止まった。初めて見る顔だ。月代を伸ばしているので主持ちではない。牢人であろう。だが着ている物が綺麗すぎる。髭も整えており、牢人定番の尾羽打ち枯らしたという表現は当てはまらない。歳の頃は四十前後であろう。
だが正雪の目が留まったのは身なりや風貌故ではない。彼の眼光に何事かに命を賭けた者だけが持つ鋭さを感じたからだ。見られている方も正雪の目を見て、同じことを思っていた。
新たな受講生が入ると、その受講生の入門願書が講義机に置かれる。正雪が覚えるためだ。吉田初右衛門と書かれていた。肥後藩から整理されている。家族はいない。現在の住まいは神田鍛冶町。道場からそう遠くはない。正雪も店名だけは知っている札差しだ。鍛冶町の入り口にあり、その隣からは鍛冶屋が並んでいる。初右衛門は恐らく居候であろう。別名を用心棒と言う。
正雪は、住まい以外は書かれていることを信用していない。自分が嘘で固めた履歴であるように、同じ眼光を放つ人物のそれを迂闊に信じてはならないと思っていた。
講義は正雪の「この様な世は変わらねばならない。行き場のない人々で溢れかえってしまう」で終わり、質疑に入った。講義の中身は足利時代でも、『この様な世』を『今の世』に『人々』を『牢人』に置き変えれば、そのまま徳川幕府批判になってしまう。
最初に手を挙げたのは初右衛門である。
「変えることが出来るでしょうか?」と聞いてきた。
正雪は「変わらねばならない」と言ったのである。だが初右衛門は「変えることが出来るか」と質問した。一人称である。正雪が三人称を使ったのは、幕府の手前だが、初右衛門の問いは自分を当事者としたものだ。ほんの少しだけ間をおいてから正雪は答えた。
「人それぞれの心次第だ」
抽象的な答えである。それ以上はここでは言えない。次の質問は正雪が名指しして他の者に回した。
初右衛門は時折休むことはあったが、聴講している時は真剣に耳を傾けており、質問も熱心にしいたが、以後は際どいことは言わず、巧みな話術で正雪から答えを引き出すようにしていた。人望も厚く、休憩時は初右衛門を囲んで話が弾んでいる。
初右衛門が入門してから一月後、正雪は彼を初級から中級を飛び越し上級に昇格させた。初右衛門の学識と人柄を見込んだのである。さらに一月後。何と師範代に昇格させた。
これには前段がある。講義を終えて自室で正雪がくつろいでいると、初右衛門が訪ねて来た。
「実はご相談と言うか、お願いがございます」
「願いとは?」
「ここに住まわせてもらえないでしょうか?」
「えっ?」
正雪が訝った。
「今住んでいる札差し屋に居ることが出来なくなったのです」
「なんぞやらかしたのかな?」
「とんでもない。何もしていません」
「何もしていないから、居にくくなったのかな?」
これはある意味当たっている。札差は現金を扱っているので、食いはぐれた牢人たちに押し込まれる恐れがある。だから居候こと、別名用心棒を雇っているのだ。用心棒は普段することがなく、忙しく働いている人たちにとっては、ゴロゴロしている邪魔者でしかないので肩身が狭い。
だが理由はそうではなかった。
「婿入りを断ったのです」
「婿入り!」
娘は二十五歳。今で言えば三十近い。器量は良いのだが、何故か良縁に恵まれなかった。心配した両親が目をつけたのが初右衛門である。娘は頷いたが、初右衛門は予想に反して首を横に振った。
「歳が違いすぎます」
初右衛門は四十を超えており十五歳以上離れている。
それ以後、気まずい空気が流れ、居づらくなったと言うのだ。
正雪は初右衛門がせっかくの話に、首を横に振った事情を察した。自分と同様に家族を持つことが許されない何かがあるのだろうと。だがその事情は敢えて聞かなかった。尋ねたら自分も問われる。それを避けたのだ。
正雪は「色男は辛いのう」と軽口を叩いてから話題を替えた。
「ここに住むのは構わんが条件がある」
「どのような?」
初右衛門は身構えた。
「師範代になってほしい」
初右衛門は驚いた。
「手当は用心棒代と同じだけ出す。私が大名の屋敷に招かれた時などに講義の代行をしてほしい」
「私如きに出来るでしょうか?」
初右衛門は謙遜して尋ねた。
すると正雪は一呼吸してから言った。
「出来る。私は貴公を同志と思っている」
「同志……」
二人の目があった。
「左様、同志だ」
正雪が初右衛門の両手を握り締めると、初右衛門も固く握り返した。
二人は反幕府の同志となったのである。
現在道場に住んでいるのは正雪と甚六・与吉の三人だけで、二階には廊下を挟んで十部屋ある。正雪は志を同じくする者にだけ、貸すつもりでいた。さすれば小さくとも“大義を貴ぶ同志の砦となる”
正雪は「早速だが、明日上級組に講話をしてほしい」と言った。講義以外に予定はなかったが、同じ屋根の下にいても、初右衛門の講義は正雪が大名家に出掛けた時なので、聞くことが出来ない。予め聞いておこうと思ったのだ。
初右衛門は臆することなく、「承知いたしました」と言った。
そして翌日、正雪は一番後ろに座った。それを待っていたかのように出てきた初右衛門は朝の挨拶を済ませると、「由比先生は後ろにおられる。私、吉田初右衛門を今日から講師にお雇い下された。私が道場に入門したのは、雨が止んだ朝のことだった」と切り出した。正雪は天候のことなど覚えていない。
「大雨になるだろうと思っていたのに、嘘のように晴れて来たのだ。空には虹がかかっている。その虹に誘われるままに歩いて行くと、真新しい黒瓦の屋根と白壁に吸い込まれるように虹は消えている。私はそのまま黒瓦の家に入ったが、そこが道場だった。私は誰かに操られるように筆をとり、入門書に私の名、吉田初右衛門と書いた。すると後ろから肩を叩かれた。振り向くと総髪の先生が笑顔で立っておられた。その時思った。私は先生に誘(いざな)われてここに来たのだと」
門弟たちに巧みな自己紹介をしたのだ。全て初右衛門の創作である。正雪を称えると同時に「自分は教わる側ではなく、教える側だ」と昨日までの同期生に教え込んだのだ。
講話は正雪が得意とする楠木正成の湊川の戦いで、初右衛門は驚いたことに、すべて暗記しており、それを自分の言葉に変えて語っている。塾生たちは知らぬ間に初右衛門の世界に入って行った。最後は正雪と同じである。
「楠木正成公は命を捨てても大義に生きた。これが真の武士である。我らも大義に生きようではないか、いや生きねばならぬ。天の教えに耳を傾けよう」
誰もが酔っている。正雪に勝るとも劣らぬ話術である。正雪は自分の目に間違いはなかったと安堵の胸を撫で降ろしたが、最後に言った『天の教えに耳を傾けよう』には違和感を覚えた。い
(八)
札差しの用心棒をやめた初右衛門が張孔堂に引越して来たのは、それから数日後のことで、荷物は行李一つという身軽さであった。正雪は二間続きになっている最も日当たりの良い部屋を提供した。
数日後、正雪は藤堂高次の屋敷に出向いた。講義は初右衛門が代行してくれるので心配はない。それもあって、正雪は送迎の駕籠をあらかじめ断わっていた。藤堂家までたいした距離ではない。道場完成まで何かと忙しく過ごして来たので、たまにはのんびりと、町を散策してみようと思ったのだ。
外へ出た正雪を甚六は「行ってらっしゃいませ」、与吉は「行っといで」と見送った。いつものことである。
二人の声が残っているうちに、文字通り尾羽打ち枯らした牢人者の姿が正雪の目にう入った。年齢は三十半ば。背は高い方だ。月代も髭も伸び放題である。目は生活の疲れからか、光を失っており、着衣は色あせ、袖口はテカッている。
“この男だ”
ここ数日、門弟以外の視線を感じることがちょくちょくある。決して鋭いものではない。それはいつも、通りに面した連子窓から注いでいた。正雪が目をやると、慌てて逸らすが、直ぐ又覗いている。連子なので目以外は分からないのだが、正雪は“あの男だ。間違いない”と思った。
正雪は無視してすれ違ったが、男は振り返って正雪の背中を目で追っていた。
大名の自尊心をくすぐることに長けた正雪が、藤堂家勃興の祖である高虎を歴史に残る名君と褒め上げたので、息子である当主高次は上機嫌で正雪を送り出した。
夏には珍しく涼しい宵である。振る舞い酒でほろ酔いの正雪はゆったりと歩を進めていた。吹く風が気持ち良い。神田橋を渡ると、武家屋敷から町人街へと変化する。正雪は人通りの多い表を避けて裏道を選んだ。
人家が途絶えた時である。突然、バラバラと人の近づく気配がしたと思う間もなく行く手を塞がれた。前方に二人、後方に一人、いずれも顔を手ぬぐいで隠した牢人である。
頭らしき男が凄味を利かす。
「懐の中にある物を出してもらおうか」
と言いながらゆっくりと腰の刀を抜いた。正雪の懐中には藤堂公からの謝礼が入っている。どうやら屋敷を出た時からつけていたようだ。正雪は、軍学では一流でも、剣術の心得はない。一人でも勝てぬのにhそれより早く頭の剣が正雪の鼻先に突きつけられていた。
「お主、死にたいのか?」
仕方ない。正雪は手を離した。金を渡そうとした時、突然、突きつけられていた刃が宙を飛び、頭が「あっ!」と叫んで後退した。
「ご助成致そう」
どこから現れたのか、正雪を庇うようにして、雲突くような大男が賊たちの前に立ちはだかり、手にした長槍を構えた。槍の穂には三日月型の横刃がついている。
「邪魔するな。どけっ!」
一度手から離れた刀を拾い、体勢を立て直した頭が虚勢を張りながら怒鳴った。
「どかぬ」
大男はニヤリと笑った。鐘馗のような髭が顔の半分を覆っている。
「面倒だ。こやつから片づけてしまえ!」
命令一下、三人がほとんど同時に斬りかかったが、頭の剣は再び宙を飛び、もう一人は槍の柄で顔面を強打され、残る一人は着衣の肩口を貫かれ、柳の木に磔にされた。その間、瞬き一つするかしないかの出来事であった。
大男は柳に刺さった槍を引き抜くと悠然。と言った。
「同じ牢人故、イモ刺しにするのは勘弁してやった。だが次は遠慮なくぶち通す。命が惜しければとっとと失せろ!」
恐怖に駆られた賊たちは算を乱して逃げ出した。
ほっとした正雪が名を言いながら礼を言うと、男はそうでなくとも丸い目を更に丸くして驚いた。
「貴殿が高名な由比正雪殿でござるか。初めて御意を得る。それがしはお茶の水で槍術指南を致しておる丸橋忠弥と申す者。以後入魂に願いたい」
高名といきなり持ち上げられ、いささか照れながらも正雪がお礼にそこらで一献と誘うと、丸い目が細くなり相好が崩れた。
表通りに向かう二人を見送る影が一つ。
忠弥は底なしであった。どんなに飲んでも平然としている。
「由比殿は、ヤットウは苦手なようですな。一度、それがしの道場にお出でなされ。宝蔵院流の槍術ご指南いたそう」
「丸橋殿も張孔堂にぜひお運びを」
助けた者と助けられた者、位置関係に微妙な差が出る。
「必ず参る。それがしの弟子にも顔を出している者がおり、貴殿の噂は兼ねてより耳にしていた」
「ところで丸橋殿、先ほど賊たちに同じ牢人故、刺すのは勘弁してやったと申されたが……」
「さよう、同病相哀れむじゃ。好きで牢人になった者はいない。彼らとて、食うに困って致し方なく及んだ所業。みな幕府が悪いのじゃ」
と絞り出すように言ったので、正雪は思わず辺りを見回した。
「滅多なことを……」
「構うものか。役人が来たら死人の山を築いてやるまでの事。徳川の世に未練はござらぬ。由比殿、何だったら訴人するがよろしかろう。褒美に預かるは必定じゃ」
「分かり申した。では、これから奉行所に行ってまいる」
「何っ!」
忠弥の顔色が変わったが、正雪は笑顔で言った。
「冗談でござるよ。丸橋殿、蛮勇を奮うは簡単。耐えることはその幾倍もの勇気が必要。貴殿とてこれまで耐えてきたはず。そうでござろう」
忠弥はだからどうなんだという顔をした。
「耐えて何かが生まれるとでも言うのか?」
「生むのです。ぼやきや虚勢からは何も生まれません。それこそ牢人同士、どうしたら生むことが出来るのか、じっくりと話し合おうじゃありませんか」
二人は看板まで痛飲し、忠弥は打ち解けていく中で次第に正雪を立てるようになって行った。どうやら位置関係が逆転したようである。
忠弥は別れ際に、自分は大阪の陣で豊臣側についたため、斬首された長曾我部盛親の血を引く者だと名乗ったが、正雪は眉に唾をつけて聞いていた。
二日後。槍をかついで一升徳利をぶら下げたな宴会となった。初右衛門はもちろん、入門して間もない内弟子の遠藤小太郎、下男の甚六、それに与吉も同席している。
小太郎の父親遠藤伊之助は、豊臣側譜代大名で七手組の一人中嶋氏種の家臣であった。氏種は淀君・秀頼と運命を共にしたが、伊之助は命がけで大阪を脱出し、故郷の尾張で妻子と再会した。小太郎は五歳で、上に七歳の姉がいた。各地を転々と放浪の末、江戸に着き、牢人長屋で暮しを始めたのが、その向かいに楠木流を名乗る道場があり、そこで講師をしていたのが、正雪である。
伊之助は経理に明るいのが幸いして、某藩に採用が内定したが、かつて秀吉の側近だった七手組の一人氏種の家臣だったことを知った重役たちが、幕府に遠慮して内定していた採用を取り消したため、伊之助は腹を切って命を果てた。
正雪が道場を現在の場所に移転してから間もなく、気になって遠藤家を一度訪れたが、既に無人となっていて、長屋の連中から聞いた話によると残された三人は妻の実家に引越したとのことであった。
そしてひと昔と二年。やって来たのが十七歳になった小太郎である。小太郎は正雪に向かって正座し、自分はお世話になった遠藤伊之助の遺児ですと自ら名乗り、懐から二両取り出し、お借りしていた一両です。利息が少ないでしょうがお受け取り下さいと言った。伊之助が正雪に一両借りたのは仕官が内定したので、質屋に入っている大小と裃を出すためであった。
正雪は改めて小太郎の顔を眺めた。両の目と顎が伊之助そっくりである。鼻筋と口元は母親似だ。姉は嫁に行き、母親は花嫁姿を見て、あの世に旅立ったが、死を前にして、小判を一枚取り出し、「由比先生にお返ししておくれ」と小太郎に言い残した。
生活費を切り詰め、十年かけて貯めたのであろう。
「これだけでは利息が無いと思い、二年間、仕事の算盤以外に、夕刻近所の川でシジミ採りをし、それを売って一両溜まったので、お返ししようと思い江戸にまいりました」と淡々とした口調で小太郎は語った。
正雪は、口には出さないが苦労苦労の連続であったろう。父母の元に行きたくなったこともあったろうと思い、涙をこらえることが出来なかった。
聞けば、金沢で商店の経理をしていたとのこと。士籍は維持していたので、先生の道場で働ければと思い、武家姿になり江戸に戻って来ましたと言った。
正雪は即決で、経理として雇うことを決め、小太郎の誠実な性格と、何事にも前向きな姿勢に惚れ込み、必ずや同志になるであろうと見込んで、内弟子にならぬかと言うと、荷物はこれしかありませんと言って、その日から住み込んだ。父親と同じ経理に詳しいとは、血が為せる業だろうと正雪は思った。
豪快だが大雑把な忠弥と、緻密でやや神経質な初右衛門。性格はまるで違うが、馬が合うらしく、槍と剣では腕が互角の場合、どちらが有利かなどと言ったことを、口角泡を飛ばして議論し、それに小太郎も加わり剣術談義に花が咲いた。小太郎は初右衛門から手ほどきを受けている。正雪は笑みを湛えながら聞いていた。
(九)
ある日の講義のことである。いつものように弟子たちの席を見渡して正雪は我が目を疑った。若い女性が座っていたのだ。新道場開設以来、弟子の数が増え、先日は郭然と名乗る芝増上寺の坊主まで入門した。そのうち町人も来るのではないかと思ってはいたが、女性とは予想外であった。
歳の頃は十七、八。未だあどけなさが残っているが、目鼻立ちの整った顔で、食い入るようにして聞いている。大概のことには驚かない正雪だが、いつもの調子が出ないまま講義を終え、冷や汗三斗の思いで自室に戻ると追いかけるようにして小太郎が入って来た。
「先生に折り入ってお尋ねしたいことがあると申されてる方がおられますが……」
何故か、顔を朱に染めている。
「どなたじゃな?」
「講義を聴いていた娘です」
更に赤くなったが、お陰で正雪の方は冷静になれた。
「こちらにお連れしなさい」
笑いをこらえながら言った。
「は、はい!」
小太郎は弾かれたように立ち上がると、前のめりになって呼びに行った。一目惚れしたようだ。
正雪も女だてらに軍学道場に来た真意を聞いてみたいと思っlたのだ。
待つほどもなく、娘が小太郎に伴われて入ってきた。正雪は酒呑童子のような顔をして突っ立っている小太郎に、茶を持って来るようにと言ってから、娘の顔を改めて見た。
ところが娘は正雪の存在をまるで忘れたかのように、一点を凝視している。正雪は視線の先を追った。そこは床の間で菊水の幟がかけられている。
「私に聞きたいことがあるとか……」
と問うと、娘は我に返ったように正雪の方を向いた。
「失礼致しました。つい……」
あとの言葉を飲み込み「高田菊乃と申します」と言ってから、
「お尋ねしたいこととは、そこにある幟と兵法書のことでございます」
と目で指した。
「これがどうかしましたかな?」
と言いながら正雪は一点の隙も見せまいと既に心の武装に取りかかっている。
「どなたからか譲られた物でございますか?」
大膳は確か、家族はいないと言ってたはずだ。
「恩師楠木大膳先生から授かったものですが、それが何か?」
「やはりそうでございましたか」
菊乃が初めて笑顔を見せた。y
「私の母方の祖父は楠木大善と申しまして、正成公の末裔に当たる者。これが家系図でございます」
と言いながら、懐から一巻の巻物を取り出した。
楠木多門兵衛正成から始まる系図は、その子正行と続き、枝分かれしながら大善まで続いている。
「祖父で男子が途絶えましたが、出陣する折に、家系図で戦は出来ぬので置いて行く。これが有れば楠木公の血筋の者だという証になると言い残したのでございます」
己が戦死しても、大楠公の血が流れていることを誇りにして生きて行くようにとの娘を思う親心であろう。
「祖父は長年浪々の身でございましたが、大阪の陣で、真田幸村公に請われて、豊臣方にお味方し……」
正雪は思わず辺りを見回した、初対面の者に祖父が豊臣方だったなどと、余りにも不用心である。
「ご心配なく他の人には申しません」
正雪の心をまるで見透かしているかのように言った。
「先程、講義をお聞きして、先生でしたら言っても大丈夫だと思ったのです」
正雪はしどろもどろで最悪だったのだが、菊乃は何かを感じ取ったようだ。
彼女の語るところによると、祖父の大善は大阪の陣に出陣の際、京の自宅から家伝の幟を持ち、兵法書を身につけ、楠木の名を再び天下に轟かすべく出立したが、願い虚しく戦死してしまい、娘の幸が一人取り残され、数年後、高田章之助という牢人と結婚した。そして生まれたのが菊乃で、彼女がまだ乳飲み子の頃、母が内職の仕立て物を届けに行っての帰り道、『楠木流軍学指南』と書かれた看板がふと目に止まり、窓越しに中を覗くと、いきなり菊水の幟が目に飛び込んできて、その前には兵法書まで置いてある。父大善が戦場に持って行った二品に間違いない。直ぐに道場主の『楠木大膳』に面会を求め、入手した経路を尋ねたが、『大膳』はノラリクラリと言い逃れをするばかりで埒が明かない。仕方なく日を改めて夫の章之助にも同道してもらい、再び道場を訪ねたが、既にも抜けの殻であった。近所で聞いたところ、江戸に行くと言って、まるで追われてでもいるかのように慌しく旅立ったと教えてくれた。しかしその日暮しの浪人の妻。探す暇もなければ、伝手もない。ましてや江戸になど行けるはずがない。心にかかりながらもそれっきりになってしまった。そして二年前、労咳を患っていた父が亡くなると、母も後を追うようにして還らぬ人となってしまった。父から伝染していたのだ。その母が今際の際に『偽者の大膳を見つけ出し、幟と兵法書を取り戻しておくれ。そして楠木流の兵法を後世に伝えられるような立派な方と添い遂げるのですよ』と、菊乃に言い残した。
一人ぼっちとなった菊乃は『大膳』を探すため巡礼に身をやつし、やっとの思いで江戸まで来るには来たが、手掛かり一つ掴めずにいた。ところが最近、楠木流軍学を名乗る道場が、大層な評判になっているとの噂を耳にして訪ねて来たのだと言った。
話を聞き終わって正雪は「さようでしたか、ご苦労なされたのう」と言いながら、小太郎はまだ茶を持って来ないのかと内心で舌打ちしていた。こんな時は一間置いた方が、妙案が浮ぶ。だが小太郎は現れない。
正雪が尋ねた。
「楠木大膳と名乗った方は、おいくつになられるのかな?」
「生きていれば八十近いのではないでしょうか」
「ならば私の師ではない。私が師事した大膳先生は、年齢は僅か二歳違い。嘘だとお思いなら、直ぐ近くに大膳先生と内弟子の私が一年。不慮の事故で先生がお亡くなりになられたので、私が跡を継いで一年住んでいた家がある。近所の者にでもお聞きになられると良い」
と言った。正雪も必死である。同年齢で師弟というのも妙なので二歳年上にした。今、楠木流の看板を降ろしたのでは、これまでの苦労がすべて水泡となる。
菊乃は笑顔を浮かべて言った。
「もう良いのです。楠木公の流れは幾重かに枝分かれしております。大義を貴ぶ楠木公の教えは脈々と繋がっていることでしょう。私はお妾さんの女中。先程講義をお聞きして、由比先生は血の流れは違っていても、楠木流軍学の後継者たるに相応しいお方だということがよく分かりました。あの世にいる祖父も母も喜んでいることと思います」
正雪はこの言葉で冷静さを取り戻すことが出来、逆に尋ねた。
「お妾さんの女中とは?」
「江戸に来た時、口入れ屋の紹介で行ったm先が、米問屋のお妾さんだったのです。それっきりずっとそこでお世話になっています。お妾さんの女中には先祖が誰かなんて、どうでもいいことです」
「あなたの母上がお会いした大膳と、私の師である大膳とどのような関係があったのか、今となっては調べようもないが、あなたが正成公の血を引くお方であることは確かなこと。どうです。ここに来ませんか」
「えっ?」
正成の末裔がいることによって権威付けが出来る。正雪は菊乃を取り込むことを考えたのだ。ほっておいて偽者だなどと言いふらされたら、それまでである。
「私の仕事を手伝ってほしいのです。いえ、講義bをしろと言うのではありません。この兵法書が書かれた頃は、鉄砲もなければ大筒もなく、城の形状も今とはまるで違います。現状に見合ったものに書き換えるのです。これは正成公の兵法を否定するのではなく、更に発展させることになると思います。私や師範代だけでは日々の講義に追われて、そこまで手が回りません。菊乃さん、あなたにやってほしいのです」
軍学は野望達成のための手段である正雪に、そのような考えがあったわけではない。菊乃を引きつけるために咄嗟に思いついたのだ。だが、菊乃の心を捉えた『大義を貴ぶ心』が正雪の中に根付いているのは確かなことであった。
「そんな難しいこと、私には……」
「いえ、大丈夫です。あなたなら出来ます」
正雪がそう断言した時、「先生、ジイが!」と言いながら小太郎が慌しく入ってきた。
「どうした?」
「様子がおかしいのです」
正雪は菊乃の存在を忘れて立ち上がった。
床に寝かされている甚六はガアーガアーと鼾をかいていて、与吉が「ジイ、起きなよ、起きなよ!」と身体を揺さぶっているのだが、反応を示さない。正雪は医者を呼ぶようにと小太郎に指示した。
(十)
ほぼ同時刻。伊豆守邸の庭園に男がうずくまっていた。影である。
縁に立っている信綱が言った
「ほう、すると正雪はそちが子供の頃に由比で出会った治三郎に間違いないと言うのじゃな」
「はい、忘れようとて忘れることは出来ません。大人になったとは言え、あの顔、名前、それに楠木流、今も脳裏に焼きついております」
「由比の生まれとの噂はやはり本当だったのか」
「間違いございません。言葉に駿府訛りがあります」
由比は駿府の隣である。
どこの生まれにも化けねばならない忍者らしい分析をした影だが、感情丸出しで続けた。
「もし殺せとおっしゃるのなら、今すぐにでも叩き殺して見せます」
信綱は苦笑いをした。
「余程恨みがあるようだが、態度に出してはならぬ。今必要なことは正雪の心の中に飛び込むことだ。門弟を増やすために汗を流し、正雪の忠実な配下となるのだ。そちの恨みをいずれ晴らすためにものう。ところで正雪の方ではおまえのことを覚えていないであろうな」
「欠片もございますまい」
影は吐き捨てるように言った。
半月に一度の雲隠れから戻ってきた初右衛門と「こんな時は女手も必要でしょう」と真夜中までいてくれた菊乃も含めて、懸命に看病したが、その甲斐もなく甚六は明け方、昇る太陽に背を向けて黄泉の国に旅立って行った。
幼い与吉に代わって正雪が喪主となり葬儀が行われ、忠弥も駆けつけてくれた。
いったん戻った菊乃も、五日後にはお妾さんから暇をもらい、張孔堂に移って来て、女性ならではの細やかさで与吉を力づけていた。
そして初七日。門弟でもある廓然坊主の読経が終ると、道場に浄めの席が設けられ、客分の忠弥と主だった門弟たちが列席したが、一人だけ新弟子の河原十郎兵衛が混じっていた。葬儀にはいなかったが、人伝に聞いて駆けつけたようである。河原は幕府の塩硝蔵奉行という役職にあり、火薬類一切の管理をしている。同志の一人に加えたいのはやまやまなのだが幕府の官吏である。慎重の上にも慎重に心を見極めねばならない。当分様子を見るつもりでいた。
甚六は張孔堂の設計者とは言え、下男にしか過ぎない。皆、正雪への義理で顔を出しているので、ただ一人の遺族与吉の存在は忘れさられ、いつしか賑やかな宴席の場と化していた。主役は十郎兵衛である。何人かの者は仕官の口にありつくべく、なんとか取り入ろうとして、見え透いた世辞の羅列をしている。忠弥は苦々しげに、初右衛門はあからさまに侮蔑を込めた目で、猟官運動に励む男たちを眺めており、正雪は冷静に同志となりうる人物と、除去すべき者たちの選別をしていた。
与吉の姿がいつの間にか見えなくなったのを正雪は気づいていたが、そのうち戻って来るであろうと最初は気に留めていなかった。しかし、いつまでたっても現れない。小太郎や菊乃に聞いても知らぬと言う。正雪は初右衛門に後を頼んで表へ出た。
与吉がいる場所は見当がついている。正雪が二人と初めて出会った寺の境内に行くと、やはりいた。しゃがみこんで地面に小枝で人の顔を描いている。おそらく甚六であろう。空には巣離れしたばかりの子燕が親鳥のあとを追うようにして飛んでいる。
「与吉」と正雪が声をかけると、与吉は「先生……」と言ってしばらく顔を見ていたが、やがてその目から大粒の涙がこぼれ落ちた。正雪は膝を折り、与吉の顔を覗き込むようにして言った。
「おまえの気持ちはよく分かる。しかし悲しんでばかりいてもジイは喜んではくれぬぞ。ジイや、おとうおっかあが望んでいるのは与吉が強い男の子になることだ。これから辛いことがまだまだ待っている。強くならなければ乗り越えて行けぬ。そうであろう」
与吉は頷きながら涙を拭くと、自身に言い聞かせるように言った。
「先生、おいら、ジイやおとうの後を継いで大工になる」
「大工が好きか?」
以前に聞いたのと同じことを尋ねた。
「うん」
「そうか……」
養子にならぬかと言うつもりで来たのだが、それを聞いて諦めた。真一文字に結んだ唇が確固とした意思を表している。
「分かった。なるからには日本一の大工になれ」
「うん!」
「但し、修行に行くのは十二歳になってからだ。それまでに読み書きを身につけるのだ。文字を知らなくてはジイのように図面を描ける大工にはなれぬ」
巣離れはそれからである。
「分かったよ。一所懸命やる」
与吉の顔に笑顔が戻った。
正雪はそんな与吉が羨ましかった。自分が与吉と同年齢の頃は、己の意思というものがまったくなかった。父親の操り人形で、治三郎の僕なることに何の疑問も持っていなかった。それに比べて与吉の何としっかりしていることか。自分自身の設計図をきっちりと描いている。
「ジイのために来てくれたお客様が待っている。帰ろう」
「うん!」と答えたその声は、いつもの与吉であっ
。
だが戻りかけた時、いきなり山門の脇から現れた男に行く手を遮られた。長刀を背負っている。あの牢人だ。三人以外誰もいない。
“まずい”
ところが案に相違して「由比先生でございますね」と頭を下げて来た。
「それがしは金井半兵衛と申し、張孔堂の直ぐ近くにおります者で、ご覧の通りのしがない牢人でございます」
と言った。敵意はまったく感じられない。正雪が「窓越しにちょくちょく道場を覗いておられる方ですな」と問うと、恥かしげにボサボサの頭をかいたので、両肩にフケの花が咲いた。
「面目ございません。何せ貧乏暮し。妻の内職とそれがしの傘張りで、一家六人がようやく糊口を凌いでいる有り様でして。先生の講義を拝聴したくとも、金の出所がございません。仕方なくただ聞きしておりました。お許しください」
と言ったので、正雪は苦笑した
「何か御用でござるかな?」
もしかしたら、無料で門弟にしろとでも言うのではあるまいかと思いながら尋ねた。
「それがしを用心棒としてお雇いいただけませんでしょうか? さすればお手当てを頂戴した上に、講義も大威張りで聞けます」
正雪は又苦笑した。
「実を申しますと、先生が盗賊に襲われたのをそれがし見ておりました」
苦笑が去る暇がない。
「しめた! お近づきになれる。お助けに参ろうと致しましたが、それがしより一足早く、槍を持った牢人が現れ、賊共を追い払ってしまい、せっかくの機会をみすみす逃がしてしまいました。もう一度盗賊が出て来ぬかと心待ちにしながらちょくちょくお後をつけておりましたが、一向に現われません。シビレが切れ、自ら申し出た次第でございます」
正雪は呆れ返りながらも尋ねた。
「そう言われるからには腕に自信がおありで」
「佐々木巌流の又弟子にて燕返しを会得しております」
言うまでもなく巌流とは、宮本武蔵に敗れた佐々木小次郎のことである。
「燕返しとは珍しい」
「それがしの旧主は福島正則でございました。佐々木先生は武蔵と対決する前年、安芸にお見えになり、自ら編み出された燕返しを父に伝授なされたのでございます」
福島正則とは、世に言う賤ケ岳七本槍の筆頭で、虎退治の加藤清正と並んで、秀吉配下の猛将として勇名を馳せた人物である。
「では、お父上から」
「はい、川中島で習いました」
妙に明るい男の顔に影が走った。
正則は関ヶ原の一戦では家康に味方した。その功で、安芸・備後四十九万八千二百石の大名となったが、大阪の陣では江戸屋敷にいたため監禁同様の状態となり、身動き出来なかった。これは正則が大阪方につくであろうと家康が危ぶんだからである。
正則が関ヶ原で徳川方についたのは、豊臣家を裏切ったからではない。石田三成が嫌いだったからだ。桶屋の倅から取り立ててくれた秀吉への恩義を忘れてはいなかった。それ故に大阪の陣開戦前に
は、あらかじめ蓄えておいた三万石の米を幕府の目を盗んで大阪城に運びこんでいる。
豊臣家滅亡の後も、幕府は正則を極端に恐れ、元和五(一六一九)年、広島城の城壁を勝手に修復したとの咎で減封し、信州は川中島高井野村に蟄居させた。
修復の件は執政本多正純にあらかじめ届けており、了承済みと正則は思っていたのだ。ならず者の言い掛かりと同じである。だが正則は一言の弁解もせずに近臣三十名のみを従えて信州に落ちて行き、六年後の寛永元年に亡くなった。
「では正則公に最後まで……」
「小姓を勤めておりました」
正則は病死ではなく自害したとの噂もあり、正雪はそれを確かめようと尋ねた。
「正則公はご自害なされたとの風聞がござるが……」
半兵衛は直接それには答えず、吐き出すように言った。
「殿はそれがしにおっしゃられました。おまえの燕返しで、徳川の世をひっくり返すことが出来たら……と。だが、口惜しいかな。剣の腕だけで天下を覆すことは出来ませぬ
いきなり背中の長刀を抜き払うと、低空飛行をしていた燕を一刀の下に切り落とした。文字通りの燕返しである。
「お見事!」。
あまりの早業に正雪は思わず感嘆の声を挙げた。話には聞いていたが、既に伝説となっていた燕返しをこの目で見れるとは思ってもいなかった。
「それがしに出来ることは、こんなことくらいしかございません。肝心の頭が伴っておりません。それで自分の頭になってくれる人物はいないものかと探しておりましたところ、ご講義を窓越しに拝聴し、先生こそ、それがしの頭となるべきお方だと思ったのでございます」
与吉が燕の遺骸を愛おしむかのようにして、両手で抱きしめている。
半兵衛はやや声を潜めて言った。
「如何でしょう。幕府にいささか含みを持つ者とご承知の上で、それがしを用心棒にお雇い願えませんでしょうか?」
二人の目と目が合った。それで十分である。
「承知致した」
正雪が頷いた時、与吉が突然、「何で燕を殺したんだ。何で、何で!」と泣き叫びながら半兵衛に武者振りつき、不意を突かれた剣豪はたじろいだ。
「すっ、すまぬ、許せ」と半兵衛は謝ったが、与吉は「ばかっ!ばかっ!」と泣きながら、尚も半兵衛の膝に向かって小さな拳を振り上げている。上空ではようやく巣立った子燕たちが悲しげな鳴き声をあげて舞っていた。
寛永十五(一六三八)年三月初旬。
ようやく島原の乱を鎮圧した幕府軍は、死臭を含んだ生暖かい風に送られて、敵の牙城であった原城を後にした。
幕府軍総大将松平信綱は馬上からもう一度原城を振り返った。困難なことを成し遂げたという充実感が自然に込み上げてくる。
“切支丹はこれで謀反を起こす力はなくなった”
討伐軍に殺戮された二万を超える農民たちの遺骸はもう見えない。彼の脳裏には映らない。信綱は既に次なる敵に宣戦を布告していた。
人呼んで知恵伊豆こと幕府年寄職松平伊豆守信綱は、徳川幕府二百六十五年の基礎を築いた男だ。この時四十二歳。脂が乗り切った時期である。四角い顔の真ん中に座っている大きめの鼻と、への字に結んだ唇は意思の強さを表し、爛々たる眼光は不屈の闘争心を示していた。
身に着けている見事な甲冑は、将軍家光からの拝領品である。
“幾多の血を流した戦国の時代はようやく終わり、平穏な時を迎える事が出来た。この平穏を破る賊徒は、切支丹であろうが、豊臣の残党であろうが、決して許さない。賊徒は芽の内に摘み取る”
これが知恵伊豆の方策を為す基底である。
表面では「知恵伊豆殿」などとおべっかを使っている連中が、裏に回れば、「戦場を知らぬ成り上がり者」と陰口を叩いているのは十分承知している。いや、面と向かって言う者もいた。御三家の一人紀州大納言徳川頼宣などは、何かと言うとそれを持ち出す。
“もう言わせぬ”
島原天草の乱は物事の先を見ることに長けている知恵伊豆を以ってしても予想外、青天の霹靂であった。騒動が起きたのは寛永十四(一六三七)年十月の末。肥後の天草では、今年は追放された宣教師ママカスの予言の年であるという噂が流れていた。
その予言とは、『この後二十五年後に十六歳の神童が出現し、白旗が靡き、ゼウスの教えが広がり、人々はクルスを捧げ、天帝が万民を救う』と言うものである。
そして庄屋の息子天草四郎時貞という少年が、それまで一歩も歩けなかった老婆を歩けるようにした。飛んでいる鳩を呼び寄せ、生んだ卵から十字架を取り出したなどと言った話が次々と伝わり、いつしかそれは島原にも広がって行った。
“何かが起きる。ゼウスが我らを救う”
虐げられた人々の間に漠然とした期待が生まれ、それが日を追うごとに醸成されて行く。
十月二十三日。有馬で切支丹農民二人が捕縛されると、情報は瞬く間に信徒の間に伝わったが、捕縛はいつしか殺害されたとなり、二日後には昇天の儀式を行うまでになってしまった。その儀式の最中に代官がやってきて高圧的な態度で中止を命じたため、悲しみは怒りに変わり、農民たちは寄ってたかって代官を逆に殺害してしまったのである。これが起爆剤となり、各地の代官所や寺院が襲われ、少年天草四郎を頭に戴く一揆軍は、島原城をあっという間に包囲してしまった。
島原城の先代城主松倉重政は領民に過酷な年貢を課し、納められない者の手足を縛り、蓑を着せて、火をつけて焼き殺したりした。積年の恨みが爆発したのだ。苛斂誅求がもたらした当然の帰結である。
松倉藩は近隣諸国に援助を求めたが、皮肉なことに諸大名を抑えるために、信綱らが策定した「武家諸法度」が一揆軍を利することとなった。即ち『江戸ならびに、何国において、何篇の事ありといえども、在国の輩は、その所を守り、下知を相待つべきこと』という一文が諸藩を縛り、幕府の命令が下りるまで出兵しなかったのである。
十一月八日。事の仔細がようやく江戸に伝わり、三河深溝城城主板倉重昌を上使として鎮圧に向かわせた。
重昌は小倉で一揆軍侮りがたしと聞いて、九州諸藩に出兵を命じたが、大軍が来るとの情報に、一揆軍は無人となっていた原城に立て篭った。城は島原半島の南端近くにあり、東は海に面し、西は湿地帯で、南北は大小さまざまな火山岩がゴロゴロしている自然の要塞であった。
天草四郎は一揆軍の象徴的存在で、実際に指揮を取っているのは関ヶ原で滅亡した切支丹大名小西行長に仕えていた四十人の牢人と、三十五人の庄屋で、その下に老若男女合わせて二万五千の農民がいる。諸藩からの援軍が来たことで強気になった重昌は「百姓ごときに手間はいらぬ」とばかりに襲いかかったが、信仰の二文字で結ばれた一揆軍はしぶとく粘り、容易に原城を落とせないでいた。
討伐軍苦戦の知らせに業を煮やした幕府は、第二陣を派遣した。上使は松平信綱である。彼自身が「私が行く」と言ったのだ。他の老中たちも信綱の才覚を信じ、賛同したが、幕府内には戦を知らぬ知恵伊豆のお手並み拝見とばかりに、冷ややかな目で見送った者もいた。
知恵伊豆が来るとの知らせを聞いた重昌はあせった。面目丸潰れである。信綱到着前に一揆軍を殲滅しようと、正月元旦に総攻撃を敢行したが、却って反撃にあい、四千を超える死者を出す敗北を喫し、重昌自身も戦死した。
その三日後に到着した信綱は、原城を十余万の兵で十重二十重に取り囲み、兵糧攻めに転じ、戦線は膠着状態となった。
軍議の折、板倉重昌の補佐として参陣していた石谷貞清が進言した。
「一揆勢の多くは領主松倉の圧制に耐えかねて武器を取った者たちで、切支丹は半数以下でございます。降伏すれば罪は問わぬと呼びかければ、多数の者たちが応じると思われます。さすれば敵の戦意も落ち、これ以上の犠牲者を出さずに終息するのではないでしょうか」
しかし信綱は冷たく言った。
「これは異教徒との戦いなのじゃ。自ら願い出た者ならともかく、こちらから降伏を呼びかけるようなことは一切まかりならぬ。諸国にはまだ多くの信者が潜んでおる。ここで妥協したら、幕府与し易しと、各地で反乱が起きるかもしれぬ。さすれば体制が揺らぎ、切支丹ばかりか、豊臣の残党も蠢動する。この騒動は単に治めれば良いというものではない。折あればと機会を窺っている賊徒たちに、幕府の断固たる姿勢を知らしめるのだ。そのためには原城に立て篭る者、異教徒であろうがなかろうが、一人も許してはならぬ」
見せしめだ。知恵伊豆は敵に対して、情けと言う言葉を持ち合わせていなかった。
信綱は小戦闘があると、死亡した敵兵の腹を切り裂き、胃に残っている食物を調べさせ、中身が海藻や麦の穂だけになったのを確認すると総攻撃に転じ、二月二十八日、天草四郎以下二万を越える一揆軍は壮烈な死を遂げ、ゼウスの元へと旅立った。
原城は累々たる屍の山であった。カラスの鳴き声だけが不気味に響き、空には黒く重い雲が垂れ込めている。その雲が突然十の字の裂け目を作り、そこから陽光が発せられ、殉教者たちの身体を優しく包んだ。
一隅に小さな叢が残っている。一揆軍は食べられる物は殆ど食べ尽くし、最後は雑草まで口にしていたが、何故かそこだけが辛うじて残されていた。その叢が突然動き
、身体の下に隠していた剣を杖代わりにして立ち上がった。忍者のように草を背負い、地面に伏せていたのである。
男の顔は何十日も満足に食べていないので、目ばかりがギョロギョロと光っている。背が高いところを見ると、戦の前は立派な体格をしていたのかもしれない。歳は三十代半ばくらいであろうか。
惨憺たる光景を男はしばしの間、呆然と眺めていたが、やおら跪くと懐からクルスを取り出し、ゼウスに祈りを捧げた。倒れた同志たちへの鎮魂の祈りである。
長い時が過ぎ、ようやく祈りを終えた男は再び立ち上がると天に向かって誓った。
“命に代えてもゼウスの国を作ります。それが唯一人生き残った私の使命です”
そして討伐軍の去った彼方を睨み、呻くように言った。
「松平伊豆守、主に代わり、いつの日か汝を……」
片手に握り締めたクルスを見えぬ敵、知恵伊豆に向かって突きつけた。
(二)
言うまでもなく、江戸の中心は江戸城である。大手門の近傍は普代。桜田門付近には外様。赤坂門から時計回りに、中山道までは旗本の屋敷があり、そこを境にして、町人街へと渦巻状に広がって行く。ところが秋田の佐竹家だけは、何故かその公式から外れて旗本屋敷の端にあった。少し歩けば神田である。
夕刻、その佐竹家から警備の侍に囲まれた一丁の駕籠が出て来た。乘っているのは老中松平伊豆守信綱。佐竹の当主に招かれての茶会の帰りである。
老中の邸宅は、何時たりとも登城出来るよう西の丸下にあり、日常は目と鼻の先にある江戸城との間を往復するだけであった。そのため信綱は、佐竹家を訪れた時は供回りを減らし、遠くから変装した警備陣に見守らせながら、町人街を一回りして帰るようにしている。民情視察である。
既に夕刻。物売りの声が行き交い、職人たちが道具箱を肩に家路を急ぐ、稽古帰りの娘たちはおしゃべりに夢中だ。そんな姿を見ると、信綱は安らぎを覚え、庶民の安寧は老中たる自分が守る。知恵伊豆が守ると、非公式の時に使うお忍び駕籠の引き戸をわずかに開けて、無言の内に語りかけていた。
安寧とは、戦乱のない日々であり、そのための保証は徳川の世が未来永劫続くことだと信綱は確信していた。幕府の存在を少しでも脅かす者がいれば、叩き潰さねばならない。情けは無用である。たとえ無慈悲と言われようが、鬼と言われようが、せねばならぬ。少しの血が流れることを躊躇していたのでは、却って大量の血を流すことになると思っている。信綱の概念にある庶民とは、幕府に逆らうことのない従順な人々であり、爪の先程でも不満を持っている者は範疇から外れていた。
信綱は引き戸を戻して目を閉じた。彼も既に五十の坂を越え、髪の毛は白い物が増えている。
信綱は徳川発祥の地三河の代官大河内久綱の長男として生まれたが、幼い頃、家康の側近で叔父に当たる松平正綱の養子となった。現将軍である家光が生まれると、僅か九歳で城中に召し出され、小姓となり、三人扶持を与えられ、後年、家光が将軍となってからは、とんとん拍子に出世街道を歩み、今や六万石の大名であるばかりか、安倍忠秋、堀田正盛と並んで、老中職に任じられ、幕府の中枢を担っている。
信綱は安倍、堀田の二人と今朝協議したことを反芻した。御三家の一人紀州藩徳川頼宣に関してだ。頼宣は神として崇められている家康の十男であり、先の将軍秀忠の弟で、武断派の代表であったが、豊臣家滅びて既に三十年。政(まつりごと)の中心は信綱ら文治派が握り、頼宣は蚊帳の外に置かれ、家光に何か進言しても、それは老中に図ってからとの一言が返ってくるだけで相手にしてもらえない。大阪冬の陣、夏の陣では若干十四歳で、歴戦の勇士に伍して奮戦し、家康を喜ばせた。それ故に命を的にして戦った者が、何故冷遇されねばならないのかと、不満を募らせており、老中との関係もギクシャクしたものになっていた。
頼宣は武張ったことが大好きで、なかでも狩りを殊の外好み、自らが先頭に立って、紀州の山野を駆け巡っていた。そんな頼宣を人々は南紀の竜、南竜公と仇名していた。
当人はただの狩りのつもりでも、幕府を預かる者の目には戦の訓練、あるいは準備としか映らない。これが他の大名なら、改易をちらつかせれば立ちどころに恐れ入り、恭順するのだが、如何にせん神君家康公の直系である。遠慮が先に立ち、遠回しに「お慎みください」と言うのが精々である。しかし南竜公の方では柳に風、暖簾に腕押し、忠告を聞くどころか、以前にも増して物々しい布陣を構え大掛かりな狩りを平然と行なっていた。
その南竜公が、藩の財力を遥かに超える大勢の牢人を雇い入れているという風聞が聞こえてきた。福島正則の遺臣である村上彦右衛門に、いきなり千石の知行を与えたばかりか、武者奉行に取り立てたという。牢人の大量採用は軍事力の増強である。江戸家老を呼び出し問い質すと、事実であると答えた。たとえ御三家とは言え、放置することは出来ない。真意の程を聞かねばならぬ。帰国していた頼宣に参勤交代を早め、急ぎ江戸表へ出立するよう将軍家光の名で命じた。
今後牢人の雇い入れは慎み、狩りの規模も縮小するとの一札を入れさせることで、老中三人の意見は一致した。
「あのお方、書かぬだろうな」
信綱は独り言を言って、鼻の下に八の字髭をピンと伸ばした食えぬ男の顔を思い浮かべた。
今回は灸をすえる程度で良いと信綱は思っている。余り重い咎を与えると、徳川家のために、財政が苦しくなるのも厭わず武力を整えたのに、罰するとは何事かと、武断派が騒ぎ出す可能性があるからだ。
信綱は上様に敵対する者は誰であろうと許さぬ。いつの日か、動かぬ証拠を突きつけ、空を飛べぬようにしてやると自身に言い聞かせていた。
信綱は家光が竹千代と呼ばれていた子供の時から一緒に歩んで来た。小姓になった時、自分の生涯は影で良い。竹千代君を歴史に残る名君にしようと思っていた。ところが竹千代は余り利発な子ではなかった。それに比べて弟の国松は何事にも才たけている活発な子で、母のお江は国松ばかりに愛情を注ぎ、竹千代を軽んじていた。妻の影響もあったのか、秀忠も国松を次期将軍にと思うようになり、旗色を見るに敏な家臣たちもまた国松につき、竹千代は家臣からも軽んじられ、信綱や遅れて小姓となった阿部忠明ら側近だけが、数少ない庇護者であった。
だが乳母春日局が駿府まで出向き、家康に直訴したことにより、鶴の一声で三代目は竹千代と決定し、長じて竹千代改め家光は元和九年、僅か二十歳で将軍となった。
家光が本領を発揮するのはそれからである。彼は将軍となった直後、外様大名を集めてハッタリをかました。
「このたび、余が将軍となったが、それについて、あらかじめその方どもに申し渡すことがある。前代までの将軍は、その方どもと同列の大名だった時期もあり、その方どもに対する待遇にもそれなりの含みがあったが、余は生まれながらの天下人である。これまでとは格式をかえ、譜代大名同様家来として遇するからさよう心得よ。もし不承知の者あれば、謀反いたすがよい。今日より三月の猶予を使わす故、国許へ立ち返り、その支度をいたせ」
胸に一物の外様大名は皆畏れ入り忠誠を誓ったが、この台詞は信綱があらかじめ原稿をしたため、丸暗記させたものであった。
将軍となった家光は自信がついたのであろう。それまでの引っ込み思案は影を潜め、何事にも積極的になっていったが、余りにも何事すぎた。つまらぬ落ち度で草履取りや弁当番に死罪を言い渡し、挙げ句の果てには夜な夜な城を抜け出し、辻斬りまでするようになった。
たとえ暗愚であろうが主君は主君。忠勤を尽くすのが臣下の勤めである。信綱は家光の愚行の処理をしながら、他の老中たちとも計り、着々と幕府の体勢を固めて行った。その一つに機構の整備がある。それまでの軍事組織を順次平和時の官僚組織に改めた。時代により多少の変化はあったが、信綱が作った機構は幕末まで維持された。鎖国を完成させたのも信綱を中心とする幕閣である。これも黒船の来航まで続く。鎖国により日本を殖民地化せんとする列強諸国の野望を断ち切ったのである。だが鎖国と不即不離の関係にある過酷な切支丹弾圧は、島原一揆となって爆発し、幕府を震撼せしめた。
又、諸大名の取り潰しは峻烈を極め、江戸開府以来の改易数は百九十八家、千六百九十三万石に上り、外様はおろか、普代であろうとも、枕を高くして寝てはいられなかった。改易とは取り潰しの一種で、所領や家禄・屋敷を没収し,士籍から除くことである。
最も顕著な例は、家光の弟である国松改め徳川忠長であろう。数々の奇行を理由に改易させられた。これは将軍職に就けなかった忠長が、諸藩と語らって謀反を起こすことを畏れたからである。
しかし相次ぐ改易取り潰しは、牢人の増加という新たな社会問題を生んだ。その数五十万と言われているが、正確な数は分からない。
改革の功罪は置くとして、これらの施策により、徳川体制は揺ぎないものとなって行ったのである。
信綱は尚も紀州大納言頼宣のことを考えていた。
“外様の整理は概ね終わった。切支丹も闇の中に消えた。家光公を逆恨みしておられた忠長公は自ら命を断った。残るは時の移りが読めぬ方お一人。南竜公が紀州の海で眠ったままでいればそれで良い。しかし天に昇ろうとして動き出す可能性は十分にある。竜が一度起きると天地に竜巻を起こす。それを何としても食い止めねばならぬ”
その時、「面白い、相手になってやろうじゃねえか!」という罵声が聞こえ、駕籠が止まった。引き戸を少しだけ開け、前方を見ると、数人の武士と町人が睨みあっている。双方の姿が突飛だ。武士の方は髑髏や虎の模様が描かれた着物姿で、裾を脛まで捲り上げており、一人は何故か鎖帷子をつけている。そして反りがない長刀の柄には、白く晒した棕櫚の皮が巻かれている。一方の町人たちは三つ引きの大紋をつけた茶色の長羽織を着込み、侍たち同様裾を腰に巻きつけ、反りのない長刀を差していた。
「ヤッコか!」
信綱は吐き出すように言った。武士たちはれっきとした旗本で、白柄組と称している侍奴。頭領の名は水野十郎佐衛門成之。親子二代に渡る奴である。町人の方は人入れ斡旋業、幡髄院長兵衛配下の町奴であった。どちらも男伊達を売り物にしているが、社会の枠から外れたスネ者の集団である。
旗本の方は、直参とは名ばかりで、彼らの祖父や父が、関ヶ原や大阪冬・夏の陣で先頭になって奮戦したにも関わらず、大名たちのような加増にも預かることjなく、汲々とした生活を送っている者が多い。おまけに昨今は剣の腕前より算盤勘定のうまい者が微かに残された出世の道を歩むことが出来る。持って行き場のない鬱憤を喧嘩沙汰で紛らわしているのだ。
一方の町奴も、人入れの斡旋業とは表向きだけで、博打と喧嘩に明け暮れる無頼の徒であった。従ってこの両者が出会うと、肩が触れたの、鞘がぶつかったのと、つまらぬことで騒ぎになり、時には血の雨が降る。
大名しか使わないお忍び駕籠である。中の人物が誰かは分からなくとも、身分ある者が乗っていることくらいは判断がつくはずだが、どちらもまったく意に介していない。双方が刃を抜いたので、野次馬が「ワッ」とばかりに取り巻いていた円の半径を広げた。ところが一人だけ動かぬ者がいた。月代の伸びた牢人で、奴たちの派手な衣装とは対照的にくたびれた着流し姿で、柳の木に寄りかかり、無表情に争いを眺めている。
「いかが致しましょうか?」
供廻りの一人が信綱に尋ねた。戸惑っている。駕籠の周辺は既に遠くから見守っていた警備方が何喰わぬ顔で守護しているので、自身の身は心配ない。だが強行突破すれば争そいに巻き込まれるであろうし、傍観しているのも妙だ。
「道を変えよ」
駕籠は元来た道を戻って行った。
“奴たちもいつか整理せねばならぬ。しかしあやつらはたいした存在ではない。幕府の手の中で蠢いているだけ。いつでも片づけられる。それよりも……”
信綱は平然と見物していた浪人の顔を思い浮かべた。
“あの牢人者に、あすこにいた奴たちが束になってかかっても敵わぬだろう。名もない者であろうが、何十万という牢人の中には、あのように肝の座った者が大勢いるに違いない”
もし、彼らが謀反を起こしたらと思うと、背筋が寒くなる。牢人たちが何も出来ないでいるのは、彼らを束ねる者がいないからだ。牢人は切支丹と違って、それぞれがバラバラに生きている根無し草だ。だから大きな力にはならない。だが牢人をまとめようとする者が出てきたら、そして切支丹や外様大名と結びついたら、幕府に弓を引 再び戦乱の世となるかもしれぬ。そうなる前に賊徒は始末せねばならぬ。
そこまで考えた時、知恵伊豆の脳裏に何かが閃いた。
“そうだ。南海の竜と、餌を求めてさ迷っている野良犬を一緒にしてやれば良いのだ。さすれば一度に始末出来る”
(三)
屋敷に戻っても信綱の頭の中はそのことでいっぱいだったので、妻が孫たちのことを話しても耳に入る余地がなかった。知恵伊豆の頭脳はクルクルと回転し、一編の狂言を組み立てた。
だがこの狂言に、他の老中や年寄りを加えることは出来ぬ。もし幕閣うち揃っての陰謀などと知れたら、家光公jにまで累が及び、それこそ南海の竜に取って代わられる。誰にも相談せず、すべてを自分一人でやらねばならぬ。露見した時は己が腹を切れば良い。島原の失敗を繰り返さぬためにも毒草は早めに刈り取らねばならぬ。
狂言作者は瞑目して、これから展開させる一幕一幕を思い描いていたが、閉じていた目を開けると、私的探索方である柴田孝之助を呼んだ。
柴田は信綱の家臣である。幕府の隠密ではない。信綱は何人かの家臣を隠密として使っていた。彼らは幕閣の稟議にかけずとも、自分だけの考えで使えるので便利な存在であった。その中で最も優れているのが柴田である。
「たいしたことではない。江戸中の軍学道場を調べてもらいたい」
「かしこまりました」
これだけで事足りる。
軍学道場なるものが当時いくつあったか正確な数は分からないが、かなりの数だったようだ。いずれも牢人が経営しており、過去の戦や三国志を題材にしたり、天文による吉凶占いなどもしていた。講釈師という名が書物に出て来るのは宝永年間、五代将軍綱吉の時代である。講談の源流かもしれぬ。
軍学道場には牢人が集まっているとの事なので、そこから調べてみようと思ったのだ。
数日後、柴田が調査の結果を持って来た。道場主の名はもちろんのこと、元はどこの家中だったか、家族構成や門弟の数など、細かく記されていた。名乗っている流儀が様々で、武田信玄流もあれば、源義経流もある。
信綱は先ず弟子の数に着目した。最も多いのは近藤宗雲斎なる者が開いている近藤軍学教練所で門弟の数は約百五十人。次が鳴海張欣道場で約百三十人。三番目が由比民部正雪の張孔堂で約百人。それ以外はどこも百以下で、最も少ない道場は五人しかいなかった。約がついているのは、門弟の数は固定されたものではなく、増えたり減ったりしているからだ。
次に信綱はどこの藩にいたかを見た。
武田流を名乗る近藤宗雲斎の祖父が滅亡した武田氏であったが、それ以外は大阪の陣以降に改易された大名の家臣であった。さすがに豊臣家所縁の者はいない。たとえいたとしても偽っているであろう。
真贋の程は分からぬが、一人を除いて、どこの藩中だったかは判明している。不明なのは張孔堂の由比正雪だが、代わりに師がはっきりしている。楠木正成の末裔楠木大膳なる者である。信綱は張孔堂とは隣国の軍師張良と孔明から名づけたものだと直ぐに分かった。当時はまだ菩提寺による『人別張』制度も確立していなかったので、真贋を計るためにはかなりの時間と人手を要する。知恵伊豆は的を絞ることにした。
翌日、信綱はいつもより早目に帰宅すると、着流し姿で、供も身辺警護も連れずに外出した。深編笠で顔は隠している。行き先は日本橋にある近藤軍学教練所だ。
近々国許へ帰るので、耳土産に近藤先生のご講義を拝聴したいと言うと、喜んで上げてくれた。聴講料は思ったより安い。道場は板張りで文机が三十前後置かれ、既に十人以上座っている。殆どが牢人で、主持ちらしいのは数人しかいない。中高年は僅かで、若い連中が多い。信綱は料金の安い理由が分かった。あまり高くしたのでは門弟が集まらないからだ。しかしいくら安いと言っても金を払うのである。傘張り牢人のように尾羽打ち枯らした者はいない。身なりもこざっぱりしている。それでも信綱は場違いである。遠慮のない視線を浴びせられ、品定めされていた。
机にはいたずら書きや刃物でつけた傷が無数にある。午前中は寺子屋をやっているようだ。寺で教えていた読み書きを、これなら自分も出来ると目をつけたのであろう。
開講時間が近づく頃には、机のほとんどが埋り、やがて師範の宗雲斎が登場した。威厳に満ちた顔である。「エヘン!」と一つ咳払いをすると、やおら源平の一の谷合戦を語り始めたが、それは信綱の度胆を抜くのに十分なものであった。一言で言えば面白いのだ。張り扇で机を叩くのは朝飯前で、身振り手振りどころか、立ち上がって足振りまで使う。一人芝居である。弟子たちはそれを見て笑い転げていた。
この道場が人気のある理由を信綱は理解した。学問のために来ているのではなく、息抜き、或いは暇つぶしに通っているのだ。弟子たちが求めている『笑い』に近藤センセは十分に応えている。
翌日は深川の鳴海張欣道場へ行った。こちらは三国志である。昨日の近藤センセのような派手さはないが、鳴海センセも語り上手である。聞く者を飽きさせない。だが内容に誤りが多すぎる。彼らは役者だが、学者でもなければ軍師でもない。人を束ねること等とても無理だ。軍学者に狙いをつけたのは誤りだったか、明日はもう止めようかと思ったが、由比正雪の旧主が不明なのが気になり、無駄足覚悟で出かけることにした。
張孔堂は神田連雀町の裏通りにあり、通りに面した二十畳程の部屋を道場にしており、入口には『楠木流軍学 張孔堂』の看板が掲げられている。正雪がここに道場を開いたのは十余年前。それ以前は同じ連雀町の長屋に住んでいた。弟子が増え、手狭になったため引っ越したのである。横に三脚、縦に七脚、合計二十一の文机が置かれ、講師の席として中央最前列の机と一間の間隔を置いて、畳一畳ほどの台に小さな文机が置かれている。台の高さは一尺五寸くらいだ。文机に傷はない。寺子屋はやっていないようだ。
信綱はこれまでと同じく最後部に座った。壁に講義の予定が張られている。一の日と四の日七の日は初級者。二の日五の日八の日は中級者、三の日六の日九の日は上級者となっている。今日は十四日、初級日だ。午前と午後に分かれているが、講義の内容は同じである。
江戸時代の暦は一ヶ月が二十九日か三十日で、三十一日は無い。
やがて正雪が入って来て、一段高い台に座った。歳は三十代前半であろう。これまででいちばん若い。髷は結わず、総髪が肩まで伸びている。大きな瞳から放たれる光に信綱は妖気等とは違うある種の“気”の如き物が漂っているのを感じた。昨日までの二人とは何かが違う。背は低く全体に小柄だ。黒の羽織には菊水の紋が刺繍されており、腰の帯に普通の扇子を差している。張り扇ではない。
正雪は一同をゆっくりと見回した。これまでの例だと、信綱の所で一度は視線が止まるのだが、そのまま通りすぎた。
「良い天気ですね」
誰にともなく言った。
「さて、これまでは楠木正成公の戦法について話して来ましたが、今日からは正成公の人となりについて語ってまいります」
静かな語り口である。
「正成公は何故負け戦と分かっている湊川の戦場に、たった六百騎のみで飛び込んで行ったのでしょうか?」
皆の顔を見た。
「それは大義のためです。大義を重んじたからです。対する足利尊氏公は権謀術数を用いて、ひたすら権力に執着した方です」
出だしこそ静かであったが、進むに連れて口調が激しくなって来る。
信綱は正雪の語りの特徴を四半時(約三十分)ほどで掴んだ。それは前に言ったことを何度も繰り返すことである。弟子たちを眺めた。皆、話術に引き込まれ目を輝かせて聞いている。
“見事だ!”
信綱は感嘆しながらも、正雪の言葉の中に、ある意図が隠されているのを感じ取っていた。それは家康に対する敵意である。もちろん家康や幕府を批判するようなことは一言も言っていない。しかし明らかにそうである。正成を真田幸村に、尊氏を家康に置き換えてみればはっきりする。初級でこうである。 中級、上級ではもっと過激なことを言っているに違いない。
時は瞬く間に過ぎ、講義は終わりに近づいている。正雪は拳を振り上げ、机を叩きながら叫んだ。
「卑劣な手段を用い征夷大将軍になったとて何になろうか、武士にとって大事なことは大義。大義とは人として守るべき道義。この一語にある!」
「然り!」
一人が興奮して叫んだ。誰もが陶酔している。私語を交わしたり、居眠りをしている者は一人もいない。
“これは術だ!”
信綱は舌を捲いた。今で言う催眠術である。正雪が催眠術について人に習ったことは一度もない。夕から習ったことを繰り返し人々に語ることで、いつの間にか身についてしまったのである。
信綱はもし五十万の牢人がこの男の話を聞いたら、再び戦乱の世を迎えるかもしれぬと思った。
正雪は一息つき、今度は静かに語りかけた。
「ここにおられる大半の方は、主家を離れ浪々の身であられる。又、ご奉公なさっておられる方も、恵まれた地位にはおられぬ。そちらにおられる方を除いては……」
と言ってから、正雪は初めて信綱を見た。いくら忍びと言っても、着ているものが違う。地位ある者ということは歴然としていた。二人の目が合い、瞬間、見えぬ火花が飛んだ。だが正雪の視線が直ぐに離れた。
信綱は思った。
“小奴、只者ではない。邪心に溢れている”
正雪は思った。
“この男、私の何を探りに来たのだ。江戸に来て、己の野望を人に語ったことは一度もない。自分とは別世界にいる人物であろう。幕府の中枢にいるのかも知れぬ”
瞬間、正雪の心の内に旅立ち前に夕が言った『家光には松平伊豆守という若年寄がおり、知恵伊豆と呼ばれるほどの切れ者で、その男がいる故に、愚鈍な家光でも将軍職が勤まっている』と言う言葉が浮かんで来た。
“そうか、知恵伊豆か”
何故かそう思った。
“夕様が会わせくれたのかもしれぬ”
正雪は小さく頷き、平然と後を続けた。
「しかし、志を忘れてはならぬ。大義を忘れてはならぬ」
信綱は無言で正雪に語った。
“この信綱がいる限り、異教徒だろうが、牢人だろうが、賊徒は一人たりとも許さぬ。戦国を経て、ようやく築いた安寧は守らねばならない”
正雪は又激して来た。
「虚に生きるべきではない、実に生きるべきである。虚に走るは容易く、実に止まるは困難を要する。だが、それを恐れてはならぬ。実に生き、大義に生きるべきである! 大義のためなら死を恐れてはならぬ! それが誠の武士道である!」
“由比正雪、もっともっと野心を燃やせ、不肖伊豆守が手伝って進ぜよう。地の底に落ちるまで、我が手の中で歌うがよい。舞うがよい”
知恵伊豆の射るような視線を浴びながら、正雪は自らも陶酔して、人々に呼びかけていた。
(四)
信綱が張孔堂を訪ねてから一月ほど後。
南竜公頼宣がようやく江戸に入った。明日、家光に拝謁してから、老中の査問を受けることになっている。
その夜、松平邸の芝庭に大きな男がうずくまっていた。男の背後には見事な景色が展開しているのだが、闇夜ではそれも見えない。信綱お気に入りの庭園である。
「伊賀から僅か九日。さすがは忍者じゃ」
平伏している男を縁から見下ろして信綱が言った。
「出来るだけ忍びらしくない忍者を依頼したのじゃが、本当にお前は忍びであろうな?」
冗談である。だが男は大きな身体をあらん限り小さくして必死に答えた。
「ま、間違いございません。それがしは伊東仁太夫配下の者でございます」
信綱は微苦笑した。
「相分かった。そちを今日から影と呼ぶことにしよう。では当面の任務を申し渡す。神田連雀町まで、おまえの足で歩いて、四半時以内に行ける場所に居を構えよ。これから一年間はいかにも牢人らしい仕事を致せ。物盗り、博打は相ならん。こたびの任務は長い歳月を要する。幕府を揺ぎないものにするための大事な任務じゃ。首尾よくいけば、お目見得えに取り立てる所存ゆえ、心してかかれよ」
旗本になれる。影の目が輝いた。
「成就のあかつきにはこの縁で向かい合い、一献酌み交わそうではないか。それまでは一歩たりとも上がってはならぬ」
「心得ております」
「一年の間に、そちは江戸という風景の中にすっぽりと溶け込むのじゃ。良いな」
家光の影が、己の影にそう言うと、「ははあ!」とばかりに平伏した。
寛永十二年から、老中の執務は月ごとの輪番制になっていて、今月は阿部忠秋であったが、査問の相手は御三家徳川頼宣である。松平信綱、堀田正盛の老中二人はもちろんのこと、名誉職的存在の大老酒井忠勝も同席した。
行われたのは対客間の中でも、最も格式の高い躑躅の間である。
家康の子供の中でいちばん似ていると言われた頼宣だが、鼻の下に蓄えた八の字髭を剃れば、再来ではないかと思える程そっくりで、贅肉の付き方まで同じであった。風貌だけではない。性格も似ている。だが頼宣には鳴くまで待とうほととぎす程の気の長さはない。
型通りの挨拶がすむと、機先を制するかのように頼宣が言った。
「上様に狩りの話をしたところ、たいそうお喜びになられてのう。近頃の若い者は軟弱でいかん。これからも大いに励んで手本を見せてくれとおっしゃられた」
これでは狩りのことは持ち出せない。しかし大老酒井忠勝は、先の将軍時代には老中職を勤めていた海千山千の男で、頼宣がタヌキなら、彼はキツネである。頭髪同様真っ白な顎髭をしごきながらニンマリと笑ってから言った。
「それがし軟弱にて、狩りのことはとんと分からぬのでございますが、紀州の獣たちは人間の禄高が分かるのでございましょうか?」
キツネが妙な質問をしたが、タヌキは動じない。
「獣に尋ねたことがないので分からぬが、そちがどうしてもと言うのなら折を見て聞いてみよう」
「いやいやそれには及びませぬ。それがしは大納言様が五人もの千石取りをお雇いになったと聞き、狩りが何よりもお好きな大納言様のこと。これはきっと獲物をより多く獲るために違いない。獲物は禄高の多い人間に弱いのをご存知で奮発したのであろうとばかり思い込んでおりました。そうでもなければ戦乱の治まった今日、多数の牢人を雇う必要などあろうはずがございません。もしこれが大納言様でなければ、謀反の疑いありと思われても仕方ないことでございますからのう」
忠勝はズバリと言った。
「解せぬことを? わしが謀反を致すと申すのか」
頼宣は首をかしげた。
「いえ、我らがそのように思っているのではござりませぬ。広い世間には、そのように取る者もおるかもしれませぬので、ちと、お慎みくだされたく……」
「酒井、わしは神君の血を引く者ぞ。上様の叔父じゃぞ」
「それは重々存じ上げております」
どちらも妙に冷静である。
「わしのお役目は西の守りを固めることだと思っておる。それ故に台所が苦しくなるのも厭わず多くの牢人を抱えたのだ。むしろ褒めてもらいたいくらいのものよ」
ここで忠勝は「流石は大納言様でございます。されども……」と持って行くつもりだったのだが、信綱がいきなり口を挟んだ。
「それが問題なのでございます。牢人の中には豊臣所縁の者も多数おります。そのような者が万が一にも入り込み、お家を内から撹乱致すようなことがございましては……」
頼宣の顔から見る間に血の気が引いた。
「黙れ、豆州! そちは我が藩は身元も調べず闇雲に雇用していると申すのか!」
信綱に皆まで言わせずさえぎった。頼宣は伊豆守が嫌いである。小姓上がりの成り上がりと内心では軽蔑している。その成り上がり者に偉そうに意見されたのでは沽券に関わる。それまで堪えていた堪忍袋の緒が切れ、忠勝の方が慌てた。せっかくうまく進んでいたのにぶち壊しである。
「大納言様に限って、そのような抜かりがあるわけないであろう。ご無礼を申すでない」
と言いながら、信綱に黙っていろと目配せをした。
頼宣の機嫌はこれで直った。そう、もう一つ家康と違うところがあった。ある部分では極めて単純な面も持ち合わせている。
信綱は「ははあ」とばかりに低頭した後、改めて言った。
「申し訳ございませぬ。昨今、御府内には牢人が溢れており、楠木流軍学などと称し、怪しげな道場を開いてる輩もおります故、つい口が滑りました。お許しください」
頼宣が尊敬してやまないのは、一番が父家康。次が楠木正成であった。すべては知恵伊豆、計算の内である。
傲岸不遜な伊豆守が謝罪した。南紀の竜はこれで溜飲を下げたのであろう。以後の査問には素直に応じ、今後はみだりに牢人を召抱えないとの言質を取って、思ったより早く終了した。
退席すべく立ち上がった頼宣が、振り返って信綱に尋ねた。
「豆州、先ほど楠木流の軍学がどうとやら申しておったのう」
「お耳を汚し恐縮にござりまする。あれは怪しげな輩がいると例に出したまでのこと。お忘れください」
そう言われると逆に知りたくなるのが人情である。
「その者の名は?」
「由比正雪と申しまして、神田連雀町で張孔堂なる軍学道場を開いておりますが、前身も定かでない胡乱な者でございます。お近づきになりませぬよう」
「相分かった」と口では言ったが、胸の内では豆州如きに指図を受ける南竜ではないと呟いていた。
頼宣の姿が見えなくなると、忠勝が信綱に聞いた。
「豆州、何を企んでおるのだ」
「私は何も……」
「さあ、どうかな?」
老狐はニヤリと笑った。
頼宣が屋敷に戻ると、城代家老の安藤帯刀が飛んで来た。彼は査問を案じて、紀州から老体に鞭打ち同道して来たのである。
頼宣が紀州の城主となったのはまだ十六の時であった。そのため父家康は後見役に忠義一途な帯刀を選んだ。数多の戦場を駆け巡ってきた勇者で、右の眉から頬にかけて向こう傷がある。だが勇者も歳には勝てず、今では腰も曲がり、杖の助けを借りなければ歩くのもままならない。しかし頭の方は衰えを知らないようである。重要な施策には必ず目を通し、意見を述べていた。
「首尾はいかがでございましたか?」
「ジイに言われたように、西への防御のためで押し通し、もう十分揃ったので、以後新規召抱えは致さぬと申したら、一筆をと抜かしおったので、最近眼病を患らい、物が二重に見えるので、うまく書けぬと断わった。腰抜け老中如き問題ではない」
「流石は殿。お見事でございます」
皺だらけの顔を更に皺くちゃにして喜んだ。
「ところでジイ、豆州から面白い話を聞いたぞ」
「知恵伊豆でございますか」
窪んだ目に警戒の色が走る。
「神田に楠木流の軍学を教える道場があるそうな」
好奇な目に変化した。
「ホウ! 楠木流を……」
頼宣に楠木伝説を語って聞かせたのは他ならぬ帯刀である。
「何者でございますか?」
「名は由比正雪と申すそうじゃが、前身は不明らしい」
「それでこそ楠木流でございます」
と頷いた。
「ところが豆州は近づくなと申した。どう思う?」
「妙でございますな。たかが牢人ごときに近づくなとは……」
帯刀は少しだけ思案した。
「こういうことかもしれません。殿が正成公をご尊敬なさっておられることは既に知れ渡っております。豆州も聞いておることでしょう。その殿が江戸におられれば、いずれは楠木流を名乗る軍学者の存在がお耳に届くに相違ございません。それ故に先手を打ったのではござりませぬか?」
「何故、近づいてはならんのかのう?」
頼宣は首を捻った。
「そこでございますよ、その由比何とかは……」
「正雪じゃ」
「そうそう、その正雪はかなりの切れ者ではないでしょうか? 腰抜け老中にとって、殿のように武勇に優れたお方は煙たい存在です。殿が市井の優れた人物と手を結んで、自分たちの失政が追及されるのを畏れているのです」
「なるほど、一度会ってみるのも悪くないのう」
「お眼鏡に適いましたら、お召し抱えになられますか?」
「これ以上食い扶持が増えたのでは台所に響くであろう」
一国の領主でありながら結構細かい。このあたりは家康そっくりである。
「千石や二千石、ジイが算段致しまする。ご心配召さるな」
「どうするかは一度会ってからだ。しかし由比とは誠に良い名じゃ」
帯刀は由比という名のどこがいいのかと、首を捻りながら言った。
「先ずは家臣何人かに軍学を聴講させましょう」
主従揃って老中との約束を無視している。家康は後見人の人選を誤ったようだ。極めて好戦的な頼宣と、反骨の塊のような帯刀を結びつけてしまったのだから……。
そして信綱は二人の性格を熟知した上で、遠大な謀略を企てたのである。
頼宜と帯刀、彼らも又、知恵伊豆の掌中で舞い踊る操り人形であった。
舞はまだ序曲にしか過ぎない。
{五)
正雪は頼宣差し回しの駕籠に揺られながら、ようやく何かが動き出したのを感じていた。紀州藩の家臣二人が聴講したいと訪れたのが半月前。その一人が土産持参で再度来訪し、「殿に軍学を講じてもらいたい」と要請されたのが十日前である。
最初は悪い冗談か、知恵伊豆の策略かと思った。それはそうであろう。一介の牢人が、御三家の一人徳川頼宣に招かれるなどとは想像の外だったからである。だが、如何に老中とは言え、御三家を手足として使うことは出来ないし、過日道場を訪れた武士が知恵伊豆だったとしても、自分は徳川家そのものを誹謗するようなことは一言も言っていないので捕縛は出来ない。知恵伊豆とは戦う日が必ずやって来るが、それはまだ先の話である。せっかく御三家の一つから声がかかったのだから、受けることにした。
だが指定された日は講義があるので、休講日の十日なら都合がつくと答えた。そのため使者は、他日にせよなどとは何様のつもりだ。これで打ち切りだろうと思いながら報告したが、頼宣は「ならば十日に致そう」と、いとも簡単に承知した。
我が名を言えば大概の者は尻尾を振る。だが地位も何もない由比正雪なる男はそれをしない。ひょっとすると、ジイが言ったように切れ者で、とてつもない人物かもしれないと思ったのだ。
十日の訪問が正式に決まると、正雪は仕立て屋に出向いた。主は三日で誂えろとの注文に難色を示したが、金に糸目はつけぬと言うと、相好を崩し引き受けた。そのため紀州藩から届いた謝礼の殆どが礼装代に消えてしまった。
羽織は濃い茶、袴は小豆色の綾織り。紋は五つ紋で菊水である。
江戸に出てきて早や十一年、三十歳である。軍学者として少しは知られた存在となってはいたが、それだけである。それ以上でも以下でもない。心に秘めた野望を打ち明けられる友も同志も出来ず、いたずらに歳月を重ねてきた。一朝一夕で成るような事でないのは百も承知している。それでも取っかかりすら見えて来ない日々に、多少の焦りを覚えていたが、ようやく愁眉を開いた思いであった。
頼宣は久能山東照宮建立の折、総奉行を勤めた人物である。家康の廟にどれだけの金銀が眠っているか知っているはずだ。廟の秘密について聞く機会があるかも知れぬ。そんなことを考えている間に、赤坂の紀州藩邸に到着した。
客間に案内されて待つことしばし、頼宣が帯刀を従え、満面に笑みを湛えて入って来ると、とたんに部屋の空気が変わった、いや変わったように正雪には思えた。上流階級の醸し出す独特の雰囲気に呑まれたのだ。
頼宣は四十歳。十歳の年齢差もさることながら、氏育ちが違いすぎる。たとえ身なりを整えたとて、所詮は付け焼刃。幼い頃から培われた品位には抗すべきもない。元を質せば紺屋の倅にしか過ぎない正雪は、その場から逃げ出したくなっていた。
平伏して「由比民部正雪でございます」と言うのがやっとで、次の言葉が出て来ない。
だがその時、正雪の耳にこんな声が聞こえてきた。
“崇孚禅師は芳休、おまえによく似ていた。禅師は相手が誰であろうと、己の意見を貫き通した”
臨済寺の住職承孚が手向けに送ってくれた言葉である。正雪は、太原崇孚・生まれ代わりと三度反芻した。
“そうだ。私は稀代の軍師太原崇孚の生まれ代りなのだ。乞食坊主の子孫など何ほどのことがあろう”
そう考えたら、途端に落ち着きを取り戻した。
一方の頼宣は牢人の身でありながら物怖じ一つせぬ(と彼には見えた)正雪に感じ入り、横に控えた帯刀は、正雪の眼光に妖気とは違う“気”の如き物が漂い、光を発しているのを覚えた。
乞われるままに始めた講義は、いつものように楠木正成の逸話を導入部としていたが、いつしか海の向こうの清国に移り、彼の国では王より優れた人物が現われれば、王位を禅譲する慣わしがある。我が国でもそれがあって然るべきだと強調した。それは折あれば、暗愚家光に取って代ろうとの野心を秘めている頼宣を、十分に満足させるものであった。
正雪は訪れる前に、話の骨子をどうするか考えた。頼宣の人となりは諸藩の門弟たちから聞いている。反骨大名として何かと登場して来るのだ。その対極に位置しているのが伊豆守である。野人南竜対文人知恵伊豆の暗闘がお堀の向こうで繰り広げられていることは、門外漢の正雪にもある程度察しはついていた。だからと言って、日頃道場で門弟たちに語っているものと同じではまずい。家康批判と取られるような言辞は絶対に避けねばならない。だが型どおりの講義では頼宣の方が飽き足らないであろう。ならば知恵伊豆の操り人形と言われている家光批判を底流にしてみようと講話を組み立てた。それが成功したようである。
講義が終わると酒席が設けられ、頼宣は酔いに任せて大阪の陣の武勇を語り、横では帯刀が、我関せずとばかりに悠々と居眠りをしていた。
「ところで正雪、こちらの方はどうだな」
頼宜が刀を振るまねをしながら尋ねた。
「剣術の方はとんと……」
正雪は正直に答えた。
「頭を鍛えるのに忙しく、腕の方まで回らなかったのであろう」
頼宣は愉快そうに笑った。
瞬く間に時は過ぎ、正雪が暇の挨拶をすると、頼宣は名残惜しげに、
「次の休みは二十日であったな。又来てくれるであろう」
と言った。正雪に否があろうはずがない。
講義料は前払いで済んでいるにも関わらず、更に謝礼と絹三反が下賜された。
見送りに行った帯刀が戻ってくると、「あの男、どう思う?」と頼宣は尋ねた。
「使いようでございますな」
「と言うと?」
「決してお抱えになってはなりませぬ。目から修羅場を潜ったことのある者だけが持っている光を発していました」
帯刀には死の淵を覗いたことがある者だけが持っている不思議な能力があるのかもしれない。
「修羅場? 大阪の頃はまだ子供じゃぞ」
と言いながら頼宜は自身の初陣である大阪の陣思い出していた。その時僅か十四歳である。
頼宜の周辺は屈強な徳川武士団が囲んでいる。その中に、今は家老の安藤帯刀もいた。最強軍団が敵の布陣を切り崩した後に、頼宜が進んで行くのだ。残った豊臣方は既に雑兵ばかりである。戦場経験のない若君頼宜用に作った戦場である。強者との対決を望んでいた頼宜は面白く無い。ふと振り返って後方を見ると、六文銭の旗印が見えるではないか。物陰に潜んで最強軍団が通り過ぎるのを待って飛び出した真田幸村の軍勢である。最強軍団の後方を突こうとしているのだ。強豪たちはまだ気づいていない。頼宜は馬の手綱を引いて向きを変え、向こう見ずに飛び出し、たった一騎で真田の軍勢に向かって行く。それを見て驚いた帯刀が後を追う。
頼宜は馬上から「徳川頼宜見参!」と叫んだが、次の瞬間、地面に転落した。馬が刺されたのだ。敵が太刀を振り上げた。命を捨てるしかないと、帯刀が間に飛び込んだ。身を挺して頼宜を助けたのである。帯刀の右の眉から頬にかけてパックリと口が開き、夥しい血が流れている。
帯刀は家康に、「命に代えましても頼宜様をお守り致します」と誓っていたのだ。
真田の勇士軍は向きを変えて駆け付けた徳川の最強軍団に敗れ、戦場の露と消え、頼宜は乱戦の中で真田の武将一人を見事に切り倒した。
戸板に寝かされ陣に戻った重傷の頼宜に、家康は涙を流しながら「有難う、有難う」と何度も頭を下げた。
頼宜は言った。
「そうか、島原か。だがヤットウは苦手だと言ってたではないか?」
「刀も槍も使わぬ修羅場もございます。正雪は己の過去に触れられぬよう巧みに殿を誘導していたではございませんか」
流石は帯刀である。居眠りをしながらも正雪の巧妙さをきちんと掴んでいた。
「近づけぬ方が無難と申すか?」
帯刀はニヤリと笑った。
「いえいえ、だからこそ面白いのでございます。正雪が潜った修羅場は、己の大望や野心を果たすためかもしれません。それ故に仕官したくとも出来ぬ事情があるのでございましょう。しかしあれだけの知識と能弁を使わぬ手はござりませぬ」
「過去を調べるか?」
「急ぐ必要はござりますまい。判断の基準は過去よりも今。そして将来、殿のお役に立つか否かでございます」
「立つかのう……」
「ですから使いようと申しました。正雪は野に置いてこそ本領を発揮する男でございます」
「どのように使う?」-
「牢人を束ねさせてはいかがでしょう?」
知恵伊豆の目論見と寸分違わぬことを言った。
「牢人を?」
「さようで。現在幕政を私している豆州らへの不満は、諸藩、旗本の間に満ち満ちております」
「ジイはわしに謀反を進めておるのかな」
帯刀は我が意を得たりと答えた。
「豆州ら老中たちが今の施策をあらためない場合は、それも選択肢の一つでございます」
二人は親子同然である。信頼という絆で固く結ばれており、他に誰もいない時は物騒な会話を平然と交わしていた。
「しかし紀州だけではのう」
「諸藩に呼びかけるのです。神君家康公の実子であらせられる殿が立ち上がれば、多くの藩が呼応することでございましょう」
若者のような情熱がこの老人には今も尚たぎっている。
「その際侮れないのが牢人たちでございます。放置しておけば主持ちでない牢人たちはその時々、旗色の良い方に靡くことでございましょう。だがあらかじめ組織して家臣同様にお目をかけておけば、事あるときは恩顧に報いるべく、殿の手足となって奮迅の働きをするに違いありません」
「そのために正雪を牢人軍の頭に据えろと言うのじゃな」
「御意!
牢人なら不要になればいつでも切れる。頼宣の身体には家康譲りの冷徹な血も流れていた。
(六)
張孔堂には甚六と与吉という同居人がいた。祖父と孫である。正雪と二人の出会いは三年前。厳冬の夕刻であった。
張孔堂の近くに臨済宗の小さな寺があった。そこは正雪の散歩道でもある。講義に疲れると、目的もなくふらりと出かけ臨済寺での修行時代に思いを馳せたりしていた。
その日もいつもと同じ道を辿っていた。空はどんよりと曇っており、今にも白いものが舞ってきそうな沈んだ色をしている。町を抜け境内に入った。
春は桜、夏は沙羅双樹、秋は紅葉と、人々の目を楽しませてくれる樹々も木枯しに打たれ、無残な姿をさらけ出している。
正雪が本堂に向かい、いつものように手を合わせたその時、本尊の近くで何かが動く気配がした。誰かいるようだ。背伸びをして中を覗き込んだのと殆ど同時に小さな塊が出て来て、直ぐ横を駆け抜けようとしたが、本能的に伸ばした正雪の腕の方が早く、塊の細い腕を掴んでいた。袖がめくれ生々しい引きつれが覗いている。
「泥棒じゃないよ。ゼニは置いて来た!」
塊は子供であった。正雪は泣きながら抗議する垢にまみれた顔を見ながら、遠い昔同じような光景を見たことを思い出した。懐からあの日の少年と同じように、供物の野菜や果物が飛び出している。
子供は供物を置く盆を指さした。言ったとおり一文銭が十枚くらい置いてある。有り金全てであろう。
正雪が子供に言った。
「分かった。確かに払っている。足りないかもしれないので、私が足しておこう」
賽銭箱に百文程投げ入れた。
本堂の裏手からフラフラと幽霊が……。いや、幽霊のような老人が出て来た。すると子供が、「ジイ!」と叫んで、懐に飛び込んで行ったので、老人は勢いに押されて尻餅をついてしまい、起き上がることが出来なくなってしまった。子供同様、垢にまみれた顔には血の気が殆どない。息も荒く、正雪が額に手をやると火のように熱い。
「いかん、医者に診せねば……」
正雪は老人を背負い、子供の手を引いて張孔堂に連れ帰った。
夜。医者が投与した薬が効いたのか、老人はぐっすりと眠っている。子供に名を尋ねると、「ジイは甚六、おいらは与吉」とぶっきらぼうな答えが返って来た。まだ警戒しているようだ。
「心配せずとも良い。ジイはもう大丈夫だ。熱も退いて来た。寝なさい」
と正雪が何度か言ったが、必死に眠気と戦っている。正雪の方が根負けをして、先に眠ってしまい、ふと目を覚ますと、与吉は甚六の足元でまん丸になって眠っていた。裾がまくれて覗いている太腿にも、火傷の引きつれがあるのが分かった。正雪は布団を出し、そっとかけてやった。
幸いにして熱は一晩で引き、昼にはカユが食べられるまでに回復し、一口一口噛みしめるようにして食べ終えた甚六は、訥々と身の上を語った。自分は元大工で、息子夫婦に与吉と四人で暮らしていたが、一月ほど前のある夜、近所で火事があり、長屋の人たちと消火に努めていたが、火勢は一向に衰えず、そのうち自分たちの家にも飛び火してしまった。火を消すことに夢中になっていて気がつかなかったが、与吉の姿が見えない。子供の事とて、騒ぎを知らずにグッスリ眠っているのだ。息子夫婦が火の中に飛び込み、辛うじて助け出したが、夫婦は全身に大火傷を負い、相次いで息を引き取ってしまった。
後に残された与吉は僅か八歳。七十を過ぎた甚六に仕事はない。家無しになってしまった二人の収入源はたまの日雇い仕事しかなく、一日何も口にしないこともあり、二人で空腹と寒さに震えながら境内の軒下で抱き合って過ごしていたと語った。
二人はそのまま張孔堂の住人になったが、正雪にとっても渡りに舟であった。門弟の増加に伴い雑用係が必要になっていたのだ。
甚六の働きで道場内が一新された。いつもうっすらと溜まっていた埃は姿を消し、板壁や柱などの傷んでいた箇所は、元大工の腕を奮い見事に修復した。料理もうまい。お陰でこれまで偏りがちだった栄養も万遍なく取れるようになった。
与吉も本来は陽気な子なのであろう。次第に明るさを取り戻し、今では正雪を実の父親のように慕っている。だが口の聞き方は悪い。
紀州邸からホロ酔いで戻ってきた正雪を与吉が出迎えた。甚六は夕食を作っている。
「どうだった。うまくいった?」
与吉が目を輝かせて尋ねる。
「ああ、うまくいった。上出来だ」
「ジイが心配してたぞ。先生あがっちゃって、何も喋れないのじゃないかって」
甚六もジイだが、紀州藩の城代家老もジイだ。同じジイでも、境遇には天と地以上の違いがある。着替えをしながら正雪は一見好々爺風の、帯刀の顔を思い浮かべた。
“あの顔に騙されてはいかん。彼らは何かを企んでいる。それに私を利用するつもりだろうが、そうはいかん。利用するのは私の方だ。私には徳川幕府を倒し、大義を貴ぶ体制を作る義務がある。その為の駒とするのだ」
正雪は大胆にも徳川御三家の一人を駒にした。
「殿さん、どんなだった?」
正雪が脱いだ着物を畳みながら与吉が尋ねた。
「どんなだったとは?」
「威張ってたとか、ボーとしてたとか……」
「品があったのう」
「ひんて、何だ?」
「与吉のように乱暴な口を利かぬということだ」
「おいらみたいのは、何と言うのだ?」
「下品だな」
正雪は漫才もどきのやり取りに、自分で吹き出した。
「品のある殿さんは普段何してる?」
「何してると言うと?」
「たとえば先生は学問を教えているし、大工は家を建ててる。殿さんは?」
「そうじゃのう…… 殿様は、領民の生活がどうしたら良くなるか、考えておられる」
「どこの殿さんもか?」
「まるで考えていない殿様もおられる。そっちの方が多いだろう」
「何で考えない?」
「さあ……」
「殿さんは嫌いだ」
「どうして?」
「汗をかかないで威張ってるから嫌いだ。ジイが言ってた。人間は一生懸命働いて、知恵をつけて、汗をかかなきゃいかんと。先生も威張ってるだけの殿さんなんかになっちゃなんねえぞ。殿さんは知恵を使って誰でも家の中で暮らせるようにしなきゃ、人間じゃなくなっちまうからな」
正雪はまだ誰にも明かしたことのない己が野心を年端も行かぬ子供に見透かされたような気がして、ドキリとした。
「与吉、大人になったら汗をかく仕事をしたいのか?」
「おいらは知恵がないし、ジイや死んだお父のように大工になるんだ」
「大工が好きか?」
「大好きだよ。だって大工がいなきゃ、みんな外で暮らさなきゃならないんだ。雨が降っても、雪が降っても……」
子供の及ぶ考えではない。甚六の受け売りであろう。
「外で暮らすって大変だよ」
これは実体験だ。
「侍は嫌いか?」
「先生みたいな侍は好きだ。何もしないで威張ってる殿さんや、長い刀を差している侍は嫌いだ」
侍奴の事だ。
正雪は生涯妻を持つまいと心に決めている。だが跡継ぎは欲しい。与吉をいずれは養子にと考えていた。
“この子は神かもしれない。神が子供の姿を借りて、人間としての生き方を教えてくださっているのかもしれぬ。しかしもう遅い。私は人として、してはならぬことをしたのだから、この道を行くしかないのだ”
自問自答する正雪の顔を与吉が覗き込んで尋ねた。
「先生、どうかしたのか? 急に黙っちまって……」
「何でもない。与吉は良い子だ。知恵もある。知恵がなければ立派な家は建てられん。ジイもお父も知恵があったから家を建てることが出来たのだ」
与吉は嬉しくなって、下から正雪の顔をもう一度覗き込んだが、正雪の笑顔の裏に、修羅場を潜った者だけが持つ凄みと寂しさが宿っていようとは知る由もなかった。
(七)
頼宜の口利もあったのであろう。あちこちの大名から声がかかるようになり、門弟も増え二百を超した。江戸一番の軍学道場となったのである。だが正雪はそれに満足してはいなかった。幕府を倒すには最低でも千、いや二千はほしい。それだけいれば奇襲攻撃が出来、勝利すれば十万以上の牢人が決起するに違いないと踏んでいた。そのためには今の十倍以上の牢人を集めねばならない。道場も狭すぎる。資金もいる。資金が貯まるのを待っていたのではいつになるか分からない。
江戸に来たばかりの時は家を借りたが、道場にした部屋が狭くて二十人も座れば満員である。午前午後と二回の講話だと、食べて行くだけなら十分な収益を得られるが、幕府を倒し、大義を重んじる新体制を作るには狭すぎる。江戸に来て二年後に現在の道場を買った。中古である。経営していた牢人が病死したのだ。費用は兄の力弥が餞別にくれた五十両を充てた。だが、ここも門弟の増加で今では手狭になって来た。
正雪は頼宜を利用することを考えた。
思い切って紀州藩の城代家老安藤帯刀に、道場を司令塔とするために、改修したいのだが、資金が足りないと相談するいとも気楽に「千両箱一つでいいか」と言った。正雪が「十分過ぎます」と言い終わらぬうちに帯刀は「明日届ける」と返事を返し、「わしも狭すぎると思っていた。これで安心して紀州に戻れる」と言って、歯のない口で笑った。それを聞いて正雪は、頼宜は本気で今の体制を倒すことを考えていると確信した。生まれも育ちも違う正雪と頼宜の連合が誕生したのである。
千両箱は翌日届き、その一月後、帯刀は改修が始まった道場を眺めながら、紀州まで交代要員二人がいる四枚肩(しまいかた)駕籠に乗って帰って行った。
改修の図面を引いたのは甚六である。十年ぶりに棟梁として現場も指揮した。生き生きと飛び回るジイを与吉はまぶし気に見上げていた。
漆黒の屋根瓦に純白の外壁が与吉の目にはお城のように映っていたのかもしれない。半年後、道場改修工事は完了した。叩き大工甚六、一世一代の大仕事であった。
正雪は木の香が匂う道場を見上げながら思った。
次は人間だ。人数を増やすだけでは駄目だ。烏合の衆では決起出来ない。知識と腕を備え、現在の幕政に疑問を持っている武士たちを、司令塔である道場に結集させねば事を起こすことは出来ない。塾生の多くは幕政に不満を持ってはいるが、だからと言って、幕府を転覆させようなどという大それた考えはない。誰もが大名になれるかもしれない戦国の世は既に歴史の彼方である。塾生たちは正雪の講話に感動し、賛意を表しても、話が終われば現実世界に戻って他愛無い話をしている。言葉の魔術はすぐ酔うが、覚めるのも早い。塾生たちに今の幕府を倒さねば明日は来ない。より良い明日を招来させねば、路頭に迷っている五十万の牢人とその家族を救出出来ない。我々が救出するのだとの自覚を持ってもらわねばならない。
正雪は自分以外にもう一人教壇に立つ人物が欲しいと思っていた。自分の代行がいないと、塾での講話と大名家からの招きが両立しなくなって来たという現実的な問題も急ぎ解決しなければならない。
ある日のことである。
正雪はいつものように受講生たちの顔を順繰りに見ながら話し始めたが、その目が突然止まった。初めて見る顔だ。月代を伸ばしているので主持ちではない。牢人であろう。だが着ている物が綺麗すぎる。髭も整えており、牢人定番の尾羽打ち枯らしたという表現は当てはまらない。歳の頃は四十前後であろう。
だが正雪の目が留まったのは身なりや風貌故ではない。彼の眼光に何事かに命を賭けた者だけが持つ鋭さを感じたからだ。見られている方も正雪の目を見て、同じことを思っていた。
新たな受講生が入ると、その受講生の入門願書が講義机に置かれる。正雪が覚えるためだ。吉田初右衛門と書かれていた。肥後藩から整理されている。家族はいない。現在の住まいは神田鍛冶町。道場からそう遠くはない。正雪も店名だけは知っている札差しだ。鍛冶町の入り口にあり、その隣からは鍛冶屋が並んでいる。初右衛門は恐らく居候であろう。別名を用心棒と言う。
正雪は、住まい以外は書かれていることを信用していない。自分が嘘で固めた履歴であるように、同じ眼光を放つ人物のそれを迂闊に信じてはならないと思っていた。
講義は正雪の「この様な世は変わらねばならない。行き場のない人々で溢れかえってしまう」で終わり、質疑に入った。講義の中身は足利時代でも、『この様な世』を『今の世』に『人々』を『牢人』に置き変えれば、そのまま徳川幕府批判になってしまう。
最初に手を挙げたのは初右衛門である。
「変えることが出来るでしょうか?」と聞いてきた。
正雪は「変わらねばならない」と言ったのである。だが初右衛門は「変えることが出来るか」と質問した。一人称である。正雪が三人称を使ったのは、幕府の手前だが、初右衛門の問いは自分を当事者としたものだ。ほんの少しだけ間をおいてから正雪は答えた。
「人それぞれの心次第だ」
抽象的な答えである。それ以上はここでは言えない。次の質問は正雪が名指しして他の者に回した。
初右衛門は時折休むことはあったが、聴講している時は真剣に耳を傾けており、質問も熱心にしいたが、以後は際どいことは言わず、巧みな話術で正雪から答えを引き出すようにしていた。人望も厚く、休憩時は初右衛門を囲んで話が弾んでいる。
初右衛門が入門してから一月後、正雪は彼を初級から中級を飛び越し上級に昇格させた。初右衛門の学識と人柄を見込んだのである。さらに一月後。何と師範代に昇格させた。
これには前段がある。講義を終えて自室で正雪がくつろいでいると、初右衛門が訪ねて来た。
「実はご相談と言うか、お願いがございます」
「願いとは?」
「ここに住まわせてもらえないでしょうか?」
「えっ?」
正雪が訝った。
「今住んでいる札差し屋に居ることが出来なくなったのです」
「なんぞやらかしたのかな?」
「とんでもない。何もしていません」
「何もしていないから、居にくくなったのかな?」
これはある意味当たっている。札差は現金を扱っているので、食いはぐれた牢人たちに押し込まれる恐れがある。だから居候こと、別名用心棒を雇っているのだ。用心棒は普段することがなく、忙しく働いている人たちにとっては、ゴロゴロしている邪魔者でしかないので肩身が狭い。
だが理由はそうではなかった。
「婿入りを断ったのです」
「婿入り!」
娘は二十五歳。今で言えば三十近い。器量は良いのだが、何故か良縁に恵まれなかった。心配した両親が目をつけたのが初右衛門である。娘は頷いたが、初右衛門は予想に反して首を横に振った。
「歳が違いすぎます」
初右衛門は四十を超えており十五歳以上離れている。
それ以後、気まずい空気が流れ、居づらくなったと言うのだ。
正雪は初右衛門がせっかくの話に、首を横に振った事情を察した。自分と同様に家族を持つことが許されない何かがあるのだろうと。だがその事情は敢えて聞かなかった。尋ねたら自分も問われる。それを避けたのだ。
正雪は「色男は辛いのう」と軽口を叩いてから話題を替えた。
「ここに住むのは構わんが条件がある」
「どのような?」
初右衛門は身構えた。
「師範代になってほしい」
初右衛門は驚いた。
「手当は用心棒代と同じだけ出す。私が大名の屋敷に招かれた時などに講義の代行をしてほしい」
「私如きに出来るでしょうか?」
初右衛門は謙遜して尋ねた。
すると正雪は一呼吸してから言った。
「出来る。私は貴公を同志と思っている」
「同志……」
二人の目があった。
「左様、同志だ」
正雪が初右衛門の両手を握り締めると、初右衛門も固く握り返した。
二人は反幕府の同志となったのである。
現在道場に住んでいるのは正雪と甚六・与吉の三人だけで、二階には廊下を挟んで十部屋ある。正雪は志を同じくする者にだけ、貸すつもりでいた。さすれば小さくとも“大義を貴ぶ同志の砦となる”
正雪は「早速だが、明日上級組に講話をしてほしい」と言った。講義以外に予定はなかったが、同じ屋根の下にいても、初右衛門の講義は正雪が大名家に出掛けた時なので、聞くことが出来ない。予め聞いておこうと思ったのだ。
初右衛門は臆することなく、「承知いたしました」と言った。
そして翌日、正雪は一番後ろに座った。それを待っていたかのように出てきた初右衛門は朝の挨拶を済ませると、「由比先生は後ろにおられる。私、吉田初右衛門を今日から講師にお雇い下された。私が道場に入門したのは、雨が止んだ朝のことだった」と切り出した。正雪は天候のことなど覚えていない。
「大雨になるだろうと思っていたのに、嘘のように晴れて来たのだ。空には虹がかかっている。その虹に誘われるままに歩いて行くと、真新しい黒瓦の屋根と白壁に吸い込まれるように虹は消えている。私はそのまま黒瓦の家に入ったが、そこが道場だった。私は誰かに操られるように筆をとり、入門書に私の名、吉田初右衛門と書いた。すると後ろから肩を叩かれた。振り向くと総髪の先生が笑顔で立っておられた。その時思った。私は先生に誘(いざな)われてここに来たのだと」
門弟たちに巧みな自己紹介をしたのだ。全て初右衛門の創作である。正雪を称えると同時に「自分は教わる側ではなく、教える側だ」と昨日までの同期生に教え込んだのだ。
講話は正雪が得意とする楠木正成の湊川の戦いで、初右衛門は驚いたことに、すべて暗記しており、それを自分の言葉に変えて語っている。塾生たちは知らぬ間に初右衛門の世界に入って行った。最後は正雪と同じである。
「楠木正成公は命を捨てても大義に生きた。これが真の武士である。我らも大義に生きようではないか、いや生きねばならぬ。天の教えに耳を傾けよう」
誰もが酔っている。正雪に勝るとも劣らぬ話術である。正雪は自分の目に間違いはなかったと安堵の胸を撫で降ろしたが、最後に言った『天の教えに耳を傾けよう』には違和感を覚えた。い
(八)
札差しの用心棒をやめた初右衛門が張孔堂に引越して来たのは、それから数日後のことで、荷物は行李一つという身軽さであった。正雪は二間続きになっている最も日当たりの良い部屋を提供した。
数日後、正雪は藤堂高次の屋敷に出向いた。講義は初右衛門が代行してくれるので心配はない。それもあって、正雪は送迎の駕籠をあらかじめ断わっていた。藤堂家までたいした距離ではない。道場完成まで何かと忙しく過ごして来たので、たまにはのんびりと、町を散策してみようと思ったのだ。
外へ出た正雪を甚六は「行ってらっしゃいませ」、与吉は「行っといで」と見送った。いつものことである。
二人の声が残っているうちに、文字通り尾羽打ち枯らした牢人者の姿が正雪の目にう入った。年齢は三十半ば。背は高い方だ。月代も髭も伸び放題である。目は生活の疲れからか、光を失っており、着衣は色あせ、袖口はテカッている。
“この男だ”
ここ数日、門弟以外の視線を感じることがちょくちょくある。決して鋭いものではない。それはいつも、通りに面した連子窓から注いでいた。正雪が目をやると、慌てて逸らすが、直ぐ又覗いている。連子なので目以外は分からないのだが、正雪は“あの男だ。間違いない”と思った。
正雪は無視してすれ違ったが、男は振り返って正雪の背中を目で追っていた。
大名の自尊心をくすぐることに長けた正雪が、藤堂家勃興の祖である高虎を歴史に残る名君と褒め上げたので、息子である当主高次は上機嫌で正雪を送り出した。
夏には珍しく涼しい宵である。振る舞い酒でほろ酔いの正雪はゆったりと歩を進めていた。吹く風が気持ち良い。神田橋を渡ると、武家屋敷から町人街へと変化する。正雪は人通りの多い表を避けて裏道を選んだ。
人家が途絶えた時である。突然、バラバラと人の近づく気配がしたと思う間もなく行く手を塞がれた。前方に二人、後方に一人、いずれも顔を手ぬぐいで隠した牢人である。
頭らしき男が凄味を利かす。
「懐の中にある物を出してもらおうか」
と言いながらゆっくりと腰の刀を抜いた。正雪の懐中には藤堂公からの謝礼が入っている。どうやら屋敷を出た時からつけていたようだ。正雪は、軍学では一流でも、剣術の心得はない。一人でも勝てぬのにhそれより早く頭の剣が正雪の鼻先に突きつけられていた。
「お主、死にたいのか?」
仕方ない。正雪は手を離した。金を渡そうとした時、突然、突きつけられていた刃が宙を飛び、頭が「あっ!」と叫んで後退した。
「ご助成致そう」
どこから現れたのか、正雪を庇うようにして、雲突くような大男が賊たちの前に立ちはだかり、手にした長槍を構えた。槍の穂には三日月型の横刃がついている。
「邪魔するな。どけっ!」
一度手から離れた刀を拾い、体勢を立て直した頭が虚勢を張りながら怒鳴った。
「どかぬ」
大男はニヤリと笑った。鐘馗のような髭が顔の半分を覆っている。
「面倒だ。こやつから片づけてしまえ!」
命令一下、三人がほとんど同時に斬りかかったが、頭の剣は再び宙を飛び、もう一人は槍の柄で顔面を強打され、残る一人は着衣の肩口を貫かれ、柳の木に磔にされた。その間、瞬き一つするかしないかの出来事であった。
大男は柳に刺さった槍を引き抜くと悠然。と言った。
「同じ牢人故、イモ刺しにするのは勘弁してやった。だが次は遠慮なくぶち通す。命が惜しければとっとと失せろ!」
恐怖に駆られた賊たちは算を乱して逃げ出した。
ほっとした正雪が名を言いながら礼を言うと、男はそうでなくとも丸い目を更に丸くして驚いた。
「貴殿が高名な由比正雪殿でござるか。初めて御意を得る。それがしはお茶の水で槍術指南を致しておる丸橋忠弥と申す者。以後入魂に願いたい」
高名といきなり持ち上げられ、いささか照れながらも正雪がお礼にそこらで一献と誘うと、丸い目が細くなり相好が崩れた。
表通りに向かう二人を見送る影が一つ。
忠弥は底なしであった。どんなに飲んでも平然としている。
「由比殿は、ヤットウは苦手なようですな。一度、それがしの道場にお出でなされ。宝蔵院流の槍術ご指南いたそう」
「丸橋殿も張孔堂にぜひお運びを」
助けた者と助けられた者、位置関係に微妙な差が出る。
「必ず参る。それがしの弟子にも顔を出している者がおり、貴殿の噂は兼ねてより耳にしていた」
「ところで丸橋殿、先ほど賊たちに同じ牢人故、刺すのは勘弁してやったと申されたが……」
「さよう、同病相哀れむじゃ。好きで牢人になった者はいない。彼らとて、食うに困って致し方なく及んだ所業。みな幕府が悪いのじゃ」
と絞り出すように言ったので、正雪は思わず辺りを見回した。
「滅多なことを……」
「構うものか。役人が来たら死人の山を築いてやるまでの事。徳川の世に未練はござらぬ。由比殿、何だったら訴人するがよろしかろう。褒美に預かるは必定じゃ」
「分かり申した。では、これから奉行所に行ってまいる」
「何っ!」
忠弥の顔色が変わったが、正雪は笑顔で言った。
「冗談でござるよ。丸橋殿、蛮勇を奮うは簡単。耐えることはその幾倍もの勇気が必要。貴殿とてこれまで耐えてきたはず。そうでござろう」
忠弥はだからどうなんだという顔をした。
「耐えて何かが生まれるとでも言うのか?」
「生むのです。ぼやきや虚勢からは何も生まれません。それこそ牢人同士、どうしたら生むことが出来るのか、じっくりと話し合おうじゃありませんか」
二人は看板まで痛飲し、忠弥は打ち解けていく中で次第に正雪を立てるようになって行った。どうやら位置関係が逆転したようである。
忠弥は別れ際に、自分は大阪の陣で豊臣側についたため、斬首された長曾我部盛親の血を引く者だと名乗ったが、正雪は眉に唾をつけて聞いていた。
二日後。槍をかついで一升徳利をぶら下げたな宴会となった。初右衛門はもちろん、入門して間もない内弟子の遠藤小太郎、下男の甚六、それに与吉も同席している。
小太郎の父親遠藤伊之助は、豊臣側譜代大名で七手組の一人中嶋氏種の家臣であった。氏種は淀君・秀頼と運命を共にしたが、伊之助は命がけで大阪を脱出し、故郷の尾張で妻子と再会した。小太郎は五歳で、上に七歳の姉がいた。各地を転々と放浪の末、江戸に着き、牢人長屋で暮しを始めたのが、その向かいに楠木流を名乗る道場があり、そこで講師をしていたのが、正雪である。
伊之助は経理に明るいのが幸いして、某藩に採用が内定したが、かつて秀吉の側近だった七手組の一人氏種の家臣だったことを知った重役たちが、幕府に遠慮して内定していた採用を取り消したため、伊之助は腹を切って命を果てた。
正雪が道場を現在の場所に移転してから間もなく、気になって遠藤家を一度訪れたが、既に無人となっていて、長屋の連中から聞いた話によると残された三人は妻の実家に引越したとのことであった。
そしてひと昔と二年。やって来たのが十七歳になった小太郎である。小太郎は正雪に向かって正座し、自分はお世話になった遠藤伊之助の遺児ですと自ら名乗り、懐から二両取り出し、お借りしていた一両です。利息が少ないでしょうがお受け取り下さいと言った。伊之助が正雪に一両借りたのは仕官が内定したので、質屋に入っている大小と裃を出すためであった。
正雪は改めて小太郎の顔を眺めた。両の目と顎が伊之助そっくりである。鼻筋と口元は母親似だ。姉は嫁に行き、母親は花嫁姿を見て、あの世に旅立ったが、死を前にして、小判を一枚取り出し、「由比先生にお返ししておくれ」と小太郎に言い残した。
生活費を切り詰め、十年かけて貯めたのであろう。
「これだけでは利息が無いと思い、二年間、仕事の算盤以外に、夕刻近所の川でシジミ採りをし、それを売って一両溜まったので、お返ししようと思い江戸にまいりました」と淡々とした口調で小太郎は語った。
正雪は、口には出さないが苦労苦労の連続であったろう。父母の元に行きたくなったこともあったろうと思い、涙をこらえることが出来なかった。
聞けば、金沢で商店の経理をしていたとのこと。士籍は維持していたので、先生の道場で働ければと思い、武家姿になり江戸に戻って来ましたと言った。
正雪は即決で、経理として雇うことを決め、小太郎の誠実な性格と、何事にも前向きな姿勢に惚れ込み、必ずや同志になるであろうと見込んで、内弟子にならぬかと言うと、荷物はこれしかありませんと言って、その日から住み込んだ。父親と同じ経理に詳しいとは、血が為せる業だろうと正雪は思った。
豪快だが大雑把な忠弥と、緻密でやや神経質な初右衛門。性格はまるで違うが、馬が合うらしく、槍と剣では腕が互角の場合、どちらが有利かなどと言ったことを、口角泡を飛ばして議論し、それに小太郎も加わり剣術談義に花が咲いた。小太郎は初右衛門から手ほどきを受けている。正雪は笑みを湛えながら聞いていた。
(九)
ある日の講義のことである。いつものように弟子たちの席を見渡して正雪は我が目を疑った。若い女性が座っていたのだ。新道場開設以来、弟子の数が増え、先日は郭然と名乗る芝増上寺の坊主まで入門した。そのうち町人も来るのではないかと思ってはいたが、女性とは予想外であった。
歳の頃は十七、八。未だあどけなさが残っているが、目鼻立ちの整った顔で、食い入るようにして聞いている。大概のことには驚かない正雪だが、いつもの調子が出ないまま講義を終え、冷や汗三斗の思いで自室に戻ると追いかけるようにして小太郎が入って来た。
「先生に折り入ってお尋ねしたいことがあると申されてる方がおられますが……」
何故か、顔を朱に染めている。
「どなたじゃな?」
「講義を聴いていた娘です」
更に赤くなったが、お陰で正雪の方は冷静になれた。
「こちらにお連れしなさい」
笑いをこらえながら言った。
「は、はい!」
小太郎は弾かれたように立ち上がると、前のめりになって呼びに行った。一目惚れしたようだ。
正雪も女だてらに軍学道場に来た真意を聞いてみたいと思っlたのだ。
待つほどもなく、娘が小太郎に伴われて入ってきた。正雪は酒呑童子のような顔をして突っ立っている小太郎に、茶を持って来るようにと言ってから、娘の顔を改めて見た。
ところが娘は正雪の存在をまるで忘れたかのように、一点を凝視している。正雪は視線の先を追った。そこは床の間で菊水の幟がかけられている。
「私に聞きたいことがあるとか……」
と問うと、娘は我に返ったように正雪の方を向いた。
「失礼致しました。つい……」
あとの言葉を飲み込み「高田菊乃と申します」と言ってから、
「お尋ねしたいこととは、そこにある幟と兵法書のことでございます」
と目で指した。
「これがどうかしましたかな?」
と言いながら正雪は一点の隙も見せまいと既に心の武装に取りかかっている。
「どなたからか譲られた物でございますか?」
大膳は確か、家族はいないと言ってたはずだ。
「恩師楠木大膳先生から授かったものですが、それが何か?」
「やはりそうでございましたか」
菊乃が初めて笑顔を見せた。y
「私の母方の祖父は楠木大善と申しまして、正成公の末裔に当たる者。これが家系図でございます」
と言いながら、懐から一巻の巻物を取り出した。
楠木多門兵衛正成から始まる系図は、その子正行と続き、枝分かれしながら大善まで続いている。
「祖父で男子が途絶えましたが、出陣する折に、家系図で戦は出来ぬので置いて行く。これが有れば楠木公の血筋の者だという証になると言い残したのでございます」
己が戦死しても、大楠公の血が流れていることを誇りにして生きて行くようにとの娘を思う親心であろう。
「祖父は長年浪々の身でございましたが、大阪の陣で、真田幸村公に請われて、豊臣方にお味方し……」
正雪は思わず辺りを見回した、初対面の者に祖父が豊臣方だったなどと、余りにも不用心である。
「ご心配なく他の人には申しません」
正雪の心をまるで見透かしているかのように言った。
「先程、講義をお聞きして、先生でしたら言っても大丈夫だと思ったのです」
正雪はしどろもどろで最悪だったのだが、菊乃は何かを感じ取ったようだ。
彼女の語るところによると、祖父の大善は大阪の陣に出陣の際、京の自宅から家伝の幟を持ち、兵法書を身につけ、楠木の名を再び天下に轟かすべく出立したが、願い虚しく戦死してしまい、娘の幸が一人取り残され、数年後、高田章之助という牢人と結婚した。そして生まれたのが菊乃で、彼女がまだ乳飲み子の頃、母が内職の仕立て物を届けに行っての帰り道、『楠木流軍学指南』と書かれた看板がふと目に止まり、窓越しに中を覗くと、いきなり菊水の幟が目に飛び込んできて、その前には兵法書まで置いてある。父大善が戦場に持って行った二品に間違いない。直ぐに道場主の『楠木大膳』に面会を求め、入手した経路を尋ねたが、『大膳』はノラリクラリと言い逃れをするばかりで埒が明かない。仕方なく日を改めて夫の章之助にも同道してもらい、再び道場を訪ねたが、既にも抜けの殻であった。近所で聞いたところ、江戸に行くと言って、まるで追われてでもいるかのように慌しく旅立ったと教えてくれた。しかしその日暮しの浪人の妻。探す暇もなければ、伝手もない。ましてや江戸になど行けるはずがない。心にかかりながらもそれっきりになってしまった。そして二年前、労咳を患っていた父が亡くなると、母も後を追うようにして還らぬ人となってしまった。父から伝染していたのだ。その母が今際の際に『偽者の大膳を見つけ出し、幟と兵法書を取り戻しておくれ。そして楠木流の兵法を後世に伝えられるような立派な方と添い遂げるのですよ』と、菊乃に言い残した。
一人ぼっちとなった菊乃は『大膳』を探すため巡礼に身をやつし、やっとの思いで江戸まで来るには来たが、手掛かり一つ掴めずにいた。ところが最近、楠木流軍学を名乗る道場が、大層な評判になっているとの噂を耳にして訪ねて来たのだと言った。
話を聞き終わって正雪は「さようでしたか、ご苦労なされたのう」と言いながら、小太郎はまだ茶を持って来ないのかと内心で舌打ちしていた。こんな時は一間置いた方が、妙案が浮ぶ。だが小太郎は現れない。
正雪が尋ねた。
「楠木大膳と名乗った方は、おいくつになられるのかな?」
「生きていれば八十近いのではないでしょうか」
「ならば私の師ではない。私が師事した大膳先生は、年齢は僅か二歳違い。嘘だとお思いなら、直ぐ近くに大膳先生と内弟子の私が一年。不慮の事故で先生がお亡くなりになられたので、私が跡を継いで一年住んでいた家がある。近所の者にでもお聞きになられると良い」
と言った。正雪も必死である。同年齢で師弟というのも妙なので二歳年上にした。今、楠木流の看板を降ろしたのでは、これまでの苦労がすべて水泡となる。
菊乃は笑顔を浮かべて言った。
「もう良いのです。楠木公の流れは幾重かに枝分かれしております。大義を貴ぶ楠木公の教えは脈々と繋がっていることでしょう。私はお妾さんの女中。先程講義をお聞きして、由比先生は血の流れは違っていても、楠木流軍学の後継者たるに相応しいお方だということがよく分かりました。あの世にいる祖父も母も喜んでいることと思います」
正雪はこの言葉で冷静さを取り戻すことが出来、逆に尋ねた。
「お妾さんの女中とは?」
「江戸に来た時、口入れ屋の紹介で行ったm先が、米問屋のお妾さんだったのです。それっきりずっとそこでお世話になっています。お妾さんの女中には先祖が誰かなんて、どうでもいいことです」
「あなたの母上がお会いした大膳と、私の師である大膳とどのような関係があったのか、今となっては調べようもないが、あなたが正成公の血を引くお方であることは確かなこと。どうです。ここに来ませんか」
「えっ?」
正成の末裔がいることによって権威付けが出来る。正雪は菊乃を取り込むことを考えたのだ。ほっておいて偽者だなどと言いふらされたら、それまでである。
「私の仕事を手伝ってほしいのです。いえ、講義bをしろと言うのではありません。この兵法書が書かれた頃は、鉄砲もなければ大筒もなく、城の形状も今とはまるで違います。現状に見合ったものに書き換えるのです。これは正成公の兵法を否定するのではなく、更に発展させることになると思います。私や師範代だけでは日々の講義に追われて、そこまで手が回りません。菊乃さん、あなたにやってほしいのです」
軍学は野望達成のための手段である正雪に、そのような考えがあったわけではない。菊乃を引きつけるために咄嗟に思いついたのだ。だが、菊乃の心を捉えた『大義を貴ぶ心』が正雪の中に根付いているのは確かなことであった。
「そんな難しいこと、私には……」
「いえ、大丈夫です。あなたなら出来ます」
正雪がそう断言した時、「先生、ジイが!」と言いながら小太郎が慌しく入ってきた。
「どうした?」
「様子がおかしいのです」
正雪は菊乃の存在を忘れて立ち上がった。
床に寝かされている甚六はガアーガアーと鼾をかいていて、与吉が「ジイ、起きなよ、起きなよ!」と身体を揺さぶっているのだが、反応を示さない。正雪は医者を呼ぶようにと小太郎に指示した。
(十)
ほぼ同時刻。伊豆守邸の庭園に男がうずくまっていた。影である。
縁に立っている信綱が言った
「ほう、すると正雪はそちが子供の頃に由比で出会った治三郎に間違いないと言うのじゃな」
「はい、忘れようとて忘れることは出来ません。大人になったとは言え、あの顔、名前、それに楠木流、今も脳裏に焼きついております」
「由比の生まれとの噂はやはり本当だったのか」
「間違いございません。言葉に駿府訛りがあります」
由比は駿府の隣である。
どこの生まれにも化けねばならない忍者らしい分析をした影だが、感情丸出しで続けた。
「もし殺せとおっしゃるのなら、今すぐにでも叩き殺して見せます」
信綱は苦笑いをした。
「余程恨みがあるようだが、態度に出してはならぬ。今必要なことは正雪の心の中に飛び込むことだ。門弟を増やすために汗を流し、正雪の忠実な配下となるのだ。そちの恨みをいずれ晴らすためにものう。ところで正雪の方ではおまえのことを覚えていないであろうな」
「欠片もございますまい」
影は吐き捨てるように言った。
半月に一度の雲隠れから戻ってきた初右衛門と「こんな時は女手も必要でしょう」と真夜中までいてくれた菊乃も含めて、懸命に看病したが、その甲斐もなく甚六は明け方、昇る太陽に背を向けて黄泉の国に旅立って行った。
幼い与吉に代わって正雪が喪主となり葬儀が行われ、忠弥も駆けつけてくれた。
いったん戻った菊乃も、五日後にはお妾さんから暇をもらい、張孔堂に移って来て、女性ならではの細やかさで与吉を力づけていた。
そして初七日。門弟でもある廓然坊主の読経が終ると、道場に浄めの席が設けられ、客分の忠弥と主だった門弟たちが列席したが、一人だけ新弟子の河原十郎兵衛が混じっていた。葬儀にはいなかったが、人伝に聞いて駆けつけたようである。河原は幕府の塩硝蔵奉行という役職にあり、火薬類一切の管理をしている。同志の一人に加えたいのはやまやまなのだが幕府の官吏である。慎重の上にも慎重に心を見極めねばならない。当分様子を見るつもりでいた。
甚六は張孔堂の設計者とは言え、下男にしか過ぎない。皆、正雪への義理で顔を出しているので、ただ一人の遺族与吉の存在は忘れさられ、いつしか賑やかな宴席の場と化していた。主役は十郎兵衛である。何人かの者は仕官の口にありつくべく、なんとか取り入ろうとして、見え透いた世辞の羅列をしている。忠弥は苦々しげに、初右衛門はあからさまに侮蔑を込めた目で、猟官運動に励む男たちを眺めており、正雪は冷静に同志となりうる人物と、除去すべき者たちの選別をしていた。
与吉の姿がいつの間にか見えなくなったのを正雪は気づいていたが、そのうち戻って来るであろうと最初は気に留めていなかった。しかし、いつまでたっても現れない。小太郎や菊乃に聞いても知らぬと言う。正雪は初右衛門に後を頼んで表へ出た。
与吉がいる場所は見当がついている。正雪が二人と初めて出会った寺の境内に行くと、やはりいた。しゃがみこんで地面に小枝で人の顔を描いている。おそらく甚六であろう。空には巣離れしたばかりの子燕が親鳥のあとを追うようにして飛んでいる。
「与吉」と正雪が声をかけると、与吉は「先生……」と言ってしばらく顔を見ていたが、やがてその目から大粒の涙がこぼれ落ちた。正雪は膝を折り、与吉の顔を覗き込むようにして言った。
「おまえの気持ちはよく分かる。しかし悲しんでばかりいてもジイは喜んではくれぬぞ。ジイや、おとうおっかあが望んでいるのは与吉が強い男の子になることだ。これから辛いことがまだまだ待っている。強くならなければ乗り越えて行けぬ。そうであろう」
与吉は頷きながら涙を拭くと、自身に言い聞かせるように言った。
「先生、おいら、ジイやおとうの後を継いで大工になる」
「大工が好きか?」
以前に聞いたのと同じことを尋ねた。
「うん」
「そうか……」
養子にならぬかと言うつもりで来たのだが、それを聞いて諦めた。真一文字に結んだ唇が確固とした意思を表している。
「分かった。なるからには日本一の大工になれ」
「うん!」
「但し、修行に行くのは十二歳になってからだ。それまでに読み書きを身につけるのだ。文字を知らなくてはジイのように図面を描ける大工にはなれぬ」
巣離れはそれからである。
「分かったよ。一所懸命やる」
与吉の顔に笑顔が戻った。
正雪はそんな与吉が羨ましかった。自分が与吉と同年齢の頃は、己の意思というものがまったくなかった。父親の操り人形で、治三郎の僕なることに何の疑問も持っていなかった。それに比べて与吉の何としっかりしていることか。自分自身の設計図をきっちりと描いている。
「ジイのために来てくれたお客様が待っている。帰ろう」
「うん!」と答えたその声は、いつもの与吉であっ
。
だが戻りかけた時、いきなり山門の脇から現れた男に行く手を遮られた。長刀を背負っている。あの牢人だ。三人以外誰もいない。
“まずい”
ところが案に相違して「由比先生でございますね」と頭を下げて来た。
「それがしは金井半兵衛と申し、張孔堂の直ぐ近くにおります者で、ご覧の通りのしがない牢人でございます」
と言った。敵意はまったく感じられない。正雪が「窓越しにちょくちょく道場を覗いておられる方ですな」と問うと、恥かしげにボサボサの頭をかいたので、両肩にフケの花が咲いた。
「面目ございません。何せ貧乏暮し。妻の内職とそれがしの傘張りで、一家六人がようやく糊口を凌いでいる有り様でして。先生の講義を拝聴したくとも、金の出所がございません。仕方なくただ聞きしておりました。お許しください」
と言ったので、正雪は苦笑した
「何か御用でござるかな?」
もしかしたら、無料で門弟にしろとでも言うのではあるまいかと思いながら尋ねた。
「それがしを用心棒としてお雇いいただけませんでしょうか? さすればお手当てを頂戴した上に、講義も大威張りで聞けます」
正雪は又苦笑した。
「実を申しますと、先生が盗賊に襲われたのをそれがし見ておりました」
苦笑が去る暇がない。
「しめた! お近づきになれる。お助けに参ろうと致しましたが、それがしより一足早く、槍を持った牢人が現れ、賊共を追い払ってしまい、せっかくの機会をみすみす逃がしてしまいました。もう一度盗賊が出て来ぬかと心待ちにしながらちょくちょくお後をつけておりましたが、一向に現われません。シビレが切れ、自ら申し出た次第でございます」
正雪は呆れ返りながらも尋ねた。
「そう言われるからには腕に自信がおありで」
「佐々木巌流の又弟子にて燕返しを会得しております」
言うまでもなく巌流とは、宮本武蔵に敗れた佐々木小次郎のことである。
「燕返しとは珍しい」
「それがしの旧主は福島正則でございました。佐々木先生は武蔵と対決する前年、安芸にお見えになり、自ら編み出された燕返しを父に伝授なされたのでございます」
福島正則とは、世に言う賤ケ岳七本槍の筆頭で、虎退治の加藤清正と並んで、秀吉配下の猛将として勇名を馳せた人物である。
「では、お父上から」
「はい、川中島で習いました」
妙に明るい男の顔に影が走った。
正則は関ヶ原の一戦では家康に味方した。その功で、安芸・備後四十九万八千二百石の大名となったが、大阪の陣では江戸屋敷にいたため監禁同様の状態となり、身動き出来なかった。これは正則が大阪方につくであろうと家康が危ぶんだからである。
正則が関ヶ原で徳川方についたのは、豊臣家を裏切ったからではない。石田三成が嫌いだったからだ。桶屋の倅から取り立ててくれた秀吉への恩義を忘れてはいなかった。それ故に大阪の陣開戦前に
は、あらかじめ蓄えておいた三万石の米を幕府の目を盗んで大阪城に運びこんでいる。
豊臣家滅亡の後も、幕府は正則を極端に恐れ、元和五(一六一九)年、広島城の城壁を勝手に修復したとの咎で減封し、信州は川中島高井野村に蟄居させた。
修復の件は執政本多正純にあらかじめ届けており、了承済みと正則は思っていたのだ。ならず者の言い掛かりと同じである。だが正則は一言の弁解もせずに近臣三十名のみを従えて信州に落ちて行き、六年後の寛永元年に亡くなった。
「では正則公に最後まで……」
「小姓を勤めておりました」
正則は病死ではなく自害したとの噂もあり、正雪はそれを確かめようと尋ねた。
「正則公はご自害なされたとの風聞がござるが……」
半兵衛は直接それには答えず、吐き出すように言った。
「殿はそれがしにおっしゃられました。おまえの燕返しで、徳川の世をひっくり返すことが出来たら……と。だが、口惜しいかな。剣の腕だけで天下を覆すことは出来ませぬ
いきなり背中の長刀を抜き払うと、低空飛行をしていた燕を一刀の下に切り落とした。文字通りの燕返しである。
「お見事!」。
あまりの早業に正雪は思わず感嘆の声を挙げた。話には聞いていたが、既に伝説となっていた燕返しをこの目で見れるとは思ってもいなかった。
「それがしに出来ることは、こんなことくらいしかございません。肝心の頭が伴っておりません。それで自分の頭になってくれる人物はいないものかと探しておりましたところ、ご講義を窓越しに拝聴し、先生こそ、それがしの頭となるべきお方だと思ったのでございます」
与吉が燕の遺骸を愛おしむかのようにして、両手で抱きしめている。
半兵衛はやや声を潜めて言った。
「如何でしょう。幕府にいささか含みを持つ者とご承知の上で、それがしを用心棒にお雇い願えませんでしょうか?」
二人の目と目が合った。それで十分である。
「承知致した」
正雪が頷いた時、与吉が突然、「何で燕を殺したんだ。何で、何で!」と泣き叫びながら半兵衛に武者振りつき、不意を突かれた剣豪はたじろいだ。
「すっ、すまぬ、許せ」と半兵衛は謝ったが、与吉は「ばかっ!ばかっ!」と泣きながら、尚も半兵衛の膝に向かって小さな拳を振り上げている。上空ではようやく巣立った子燕たちが悲しげな鳴き声をあげて舞っていた。
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