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その悲鳴、届かずに

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「おはようございマス」
 冷たく言い放つ自らの上司から、何か……命の危険的なものを感じ取ってしまったものは一体どれほどいるだろうか。まるでシベリアの極寒の吹雪に巻かれたような、あるいは氷の中に閉じ込められてしまったような、逃げ場のない恐怖と凍てつくような冷たさ。そしてそこにいるすべての人間が、「今ボスは機嫌が悪いのだ」と察した。……察してしまった。
 彼は自らのデスクにつくと、腰をかけずに、立ったままあたりを見渡した。全員、文字通り死力をかけて仕事に取り組んでいる。それを見たガブリールは、「総員、起立」と声をかける。
 「起立」の「つ」を言い終わる前に立ち上がったのが60%。「り」のあたりで立ち上がったのが39%、残りの1%は、「き」の子音の「k」が出たあたりで条件反射で立ち上がったものたちである。

「緊急朝礼を行いマス」

 今度は、ガブリールが「礼」を言う前に、全員が揃って礼をした。ぴったり45°、腰から折った礼である。バトル職員なんて敬礼でもしだしそうな勢いである(マジレセオバトル職員は、軍人のような立ち振る舞いを要求される。その姿は暴君ガブリールと愉快な仲間たちとして一部のコアなファンの間で有名である)。
 ガブリールはにこりともせずに、神妙な面持ちでじっと皆を見た。

「……アカネが、何者かによって誘拐されました」

 ガタッ!
 バンッ!
 ドンガラガッシャーン!

 そんな音が、早朝のマジレセオに響き渡った。
 書類が蝶のように舞い踊り、棚から大量の資料がおっこちて、勢いあまりすぎた椅子が壁に突き刺さる。しかしこんなものは感情の発露にすぎず、職員たちの怒りは天元突破していた。

「臨時休業は致しまセン。しかしお客様から情報を集めたり、移動中にそれとなく周囲を確認したりはできるでショウ。すでにマジレセオのいたるところにアカネの顔のウォンテッドは張っておきマシタ。それでは総員仕事に戻るようニ」

 その瞬間、全員が我先にと部屋を飛び出し、マジレセオ以上いまだかつてないほどの連携であたりを捜索……もとい巡回……もとい警備し始めた。いつかの、給料をかけた鬼ごっこもびっくりである。あっという間に、マジレセオ内部は職員たちで埋め尽くされた。
 しかしそれにより反応できなかったことが一つだけある。それが何かは、壁中の張り紙の真ん中にいる、一般的に見れば幼げな少女の写真が、明らかに拡大したものであり、ついでに目線がこちらになかったことを見れば察せるだろう。
 かくして職員たちによる茜の大捜索(表向きはただの巡回)が始まったのであった。




 茜はその夜、いつも通りベッドに横になったはずだった。
 だから、こんなコンクリで固められた部屋で、手錠足枷さるぐつわのフルコンボを受けるような覚えはない。
 こんな状況になったら真っ先に悲鳴をあげそうなものだが、逆に息が出なかった。心臓が悲鳴をあげる。よもすればこのまま血管が破裂しそうなほどである。危険だ、危険だ、と脳が警鐘を鳴らす。だって、当たり前だ、今まで平和(?)に生きてきたのに、朝起きたと思ったら全身が痛くてついでに拘束されているのだから。怖い、怖い、怖い! 頭の中で、自分は誘拐されたのだ、という事がなんとなくわかって、恐怖が先立つ。全身が小刻みに震えて、冷たい床に転がされてて、体は冷たくなっているはずなのに、汗が止まらない。呼吸できない。短く浅くしても、それが脳に行かないみたいに、オーバーヒートした熱が全身を駆け巡る。
 それなりに明るい部屋は、茜の状況をいやというほどに伝えてくれる。それが逆に茜の心を圧迫した。
 いったいここはどこ? そんな疑問も沸き上がるが、切実に助けてほしい。
 茜が目覚めて、きっかり五分経った。唐突に、茜の髪を、誰かがひっぱった。
 痛い、痛い! 涙がとめどなくあふれてくる。ぶちぶち、と音がして、何本か髪の毛が抜けた。誰かは、何も言わずに茜をひっぱった。自分で動こうにも、足枷がそれを邪魔する。頭皮が剥がれ落ちてしまいそうなぐらい痛い。たぶん茜の髪の毛の寿命は10年ぐらい減った。
 痛い、そう叫ぼうにもさるぐつわがそれを邪魔する。んー、んー! という声にならない悲鳴があがる。
 やがて3分ほど引きずられていると、不意に茜をひっぱる誰かの足が止まった。
 茜は、初めて「誰か」の姿を認識した。
 真っ白なローブで体を覆っているので、性別や年齢といった、その人間を構成する一切はわからない。だが、茜よりずっと身長は高かった。そして茜は、白いローブに見覚えがあった……「Beatrice」で買い物した時に見た、「メシアス」の構成員が着ていたものと、全く同じものであったからである。
 「誰か」は、茜の手錠と足枷を解くと同時に、硬いベッドのようなものに寝かせて、首元と四肢を固定した。関節をピンポイントで押さえつけられているため、身動きが全く取れない。抵抗しようとしても、絶妙に力が入らなかった。
 汗やら涙やらで目の前がにじんでいる。私はどうなるのだろうか。全く予想できないのが怖い。薬漬け? 拷問? それとも……。
 絶望しかできない状況。物語ならヒーローが助けにきてくれるのに、現実は無常で、茜の全身に激痛が走った。
 さるぐつわの間から甲高い悲鳴が漏れた。しかしその悲鳴が誰かに届くことはなかった。





 ガブリールは、理解した。
 だから、救わなければならなかった。
 反対色を身にまとう弟を筆頭に、マジレセオの職員たちとともに、「メシアス」の本拠地の、さびれた古城に乗り込む。
 どこからか、茜が自分に助けを求めるような声が、聞こえた気がした。
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