きみの心音を聴かせて

朱宮あめ

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第6章・すれ違い姉妹

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「今家を出なきゃ、出られないと思ったからね。ちょうどいい機会なの」
「……でも」
「それに、柚香も私がいないほうが勉強に集中できるでしょ?」
「…………」
「そんな顔しないの。なにも、一生会えないわけじゃないんだし」
「それはそうだけど……」
「だから柚香も、受験頑張りなさいよ」
「…………」
 どこに行きたいか、なにを勉強したいか、私はまだ分からない。
 美里や葉乃のように就きたい職業があるわけでもないし、取りたい資格があるわけでもない。
 ――お姉ちゃんは、どうして医者になりたいと思ったんだろう……。
 聞いてみようと決心して顔を上げると、ふと車窓の向こうの街並みに見覚えを感じた。
 走っている道路の先に見えるのは、小さな島。島の真ん中辺りには、シーキャンドルが見える。
「……もしかして、江ノ島えのしま向かってる?」
「うん。えのすい行こうと思って」
 えのすいといえば、江ノ島の中にある有名な水族館だ。江ノ島水族館えのしますいぞくかん。略してえのすい。
「珍しい。お姉ちゃんって、水族館なんて好きだったっけ?」
「ううん、べつに」
 あっさりとした答えが返ってきて、私はえ? と首を傾げる。
「じゃあ、なんで?」
 わざわざ。近くもないところなのに。
「だって柚香、昔行きたいって言ってたでしょ」
「……そうだっけ?」
 考えてみるけれど、ぜんぜん記憶にない。
「……いやそれ、いつの話?」
 困惑気味に運転席のお姉ちゃんを見ると、お姉ちゃんは笑っていた。
「そっかぁ。覚えてないかぁ。まぁ、そうよね」
「本当に私が言ってた?」
「言ってたよ」
 そうこうしているうちに車が停車する。
「さて、行くよー」
 プラネタリウムと同様に、さっさと歩いていくお姉ちゃんを追いかける。
 チケットを買い、中に入ると藍色の世界が広がっていた。
 光に煌めく魚たちが、群れを成して四角い水槽の中を泳いでいる。
 きらきら輝く銀の鱗は、まるでプラネタリウムで見た銀河のようだ。
 お姉ちゃんは水槽の中を見つめながら、静かな口調で言った。
「柚香はさ、ずっと私を見てたから、私が好きなものをじぶんも好きだって勘違いしてるのよ」
「え?」
「小さい頃の柚香は、ちゃんと好きなものを好きって、じぶんの口ではっきり言ってたよ。楽しそうに」
「……そう、かな……」
 言われて思い返す。
 小さい頃、好きだったもの。
 そんなもの、数え切れないくらいにある。
 動物はもちろん、妖怪とか、幽霊とか、恐竜とか。一般的に、子供が好きなものはすべて通ってきた気がする。
 だけど私は口下手だからそれをうまく伝えることができなくて、いつもお姉ちゃんが代弁してくれていた。
「柚香」
 お姉ちゃんが私を呼ぶ。
「ん……?」
「柚香はもう子供じゃない。じぶんの気持ちはじぶんではっきり言うの。あんたはもう自由なんだから」
「自由……?」
「そう。柚香は自由なの。だから、お母さんやお父さんの言うことなんか聞かなくていい。じぶんのやりたいことをやりたいようにやればいいのよ」
 でも、私にはやりたいことなんて……。
 ――いや、ひとつだけあった。ずっと、なりたくて仕方なかったもの。
 焦がれてやまなかったもの。
「私はずっと、お姉ちゃんになりたかった。お姉ちゃんみたいにみんなに期待されて、愛されたかった……」
 それまで水槽を眺めていたお姉ちゃんが振り返る。そして、私の手をそっと握った。
「……うん」
「だってお母さん、いつもお姉ちゃんはって言うから……私のことは、ぜんぜん見てくれないから……っだから、お姉ちゃんみたいに優秀になれば、見てくれるかもって……」
 ずっと溜め込んでいた感情が、目頭を熱くする。
 お姉ちゃんになれたら、どんなに幸せだろうかと、いつも思っていた。
「……柚香は勘違いしてるよ」
 ――勘違い?
「そんなわけない。だって……」
 言い返そうとすると、お姉ちゃんが私の額をおもむろに指で弾いた。
「いたっ」
 思わず声を出して額を押さえる。
「ちゃんと最後まで話を聞きなさい」
「…………」
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