きみの心音を聴かせて

朱宮あめ

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第4章・ひとりにはなりたくない

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 中三の夏、美里が突然外部受験をすると言い出した。
「私は教師になりたいから、受験は経験しなきゃダメだと思うんだよね! っていきなり」
 思わず笑う。
「美里らしいね」
「それで、じゃあ私も一緒に受けるってなったんだ。だからね、私が外部受験をしたのは、単に美里と離れるのがいやだったから」
「……そうだったんだ」
 意外だった。
 葉乃は正直、美里以上にじぶんの意思がしっかりしている子だと思っていた。
 外部受験も美里に合わせてではなく、葉乃自身の意思だと思っていた。
「私は、本当は美里がいなきゃぜんぜんダメなの。冷めたふりして強がってたけど、実際はひとりじゃなにもできない」
 葉乃の本音には、自己嫌悪が色濃くあふれ出ていた。葉乃が私へ抱いていた感情の名前を、唐突に理解する。
 劣等感だ。
 私がお姉ちゃんに抱いていた思いと同じ。
 じぶんのことがどうしても好きになれなくて、身近なひとに憧れて、僻んで……。
「美里が柚香とどんどん仲良くなっていくの見て……怖くなったんだ。私だけ置いていかれてるようで……可愛くもなくて性格も悪い私じゃ、勝ち目なんてないから」
 振り絞るような声に、たまらない気持ちになる。
「ずっと、じぶんがだいっきらいだった……柚香みたいに、優しくてなんでもできる子だったら、って、いつも思ってた」
「……私は、葉乃が思うような人間じゃないよ」
「そんなことない。柚香はすごいよ」
「……それなら私だって、ずっと葉乃が羨ましかった」
「え……」
「いつも冷静で、意思がはっきりしてて」
「……そんなことないのに」
「あるよ!」
「ないって!」
 お互い顔を見合わせて、ぷっと吹き出す。
「なんだか、似たもの同士じゃん私たち」
「だね」
 強いと思っていた葉乃だって、本当は心の中で葛藤していた。
 私と同じように。
 ……みんな、同じなんだ。
「葉乃……話してくれてありがとう」
 葉乃のなかで私がどういうイメージなのかなんて、葉乃にしか分からない。
 同じく、私も葉乃を知っている気になっていただけだった。
『意外』なことばかりだった。
 今、葉乃の本音を聞いて、新しい葉乃を知れたことがなにより嬉しい。
「柚香、今までいやな態度とって本当にごめん」
「私もごめん。美里にも葉乃にもいい顔ばかりして、本音を隠してた。これからは、気を付けるから」
 きらわれるのがいやで、だれにでもいい顔ばかりしていた。
 今回のことだって、音無くんに背中を押してもらえなければ、諦めて葉乃からも美里からも逃げていただろう。心にもやもやを抱え込んだまま。
「……あのさ、葉乃。私は葉乃のことが好きだよ。美里のことも」
「柚香……」
「だから、これからも仲良くしてほしい。……ダメかな」
 葉乃は一度戸惑いがちに視線を揺らして、頷いた。
「私も……柚香のことは好き。でも私……柚香にひどいことしたのに……いいのかな」
 本当に申し訳なさそうにする葉乃に、私は内心ほっとする。
 ハブろうとするくらいだ。葉乃にとって、私はいらない存在だとばかり思っていた。でも、そんなことはなかったようだ。
「じゃあ、星カフェのガトーショコラ一回奢って。それで許す」
 冗談のつもりで言うと、葉乃は少し考えて、スマホを見た。
「……じゃあ、今から行く? 星カフェ」
「えっ! 今から!?」
 驚く私に、葉乃が笑う。
「だってなんか……早く仲直りしたくて」
「行く~!」
 嬉しくて、思わず抱きつく。
 その後、電車に乗らずに駅を出て、ふたりで星カフェに向かった。
 あれは冗談だからいいよと断ったけれど、葉乃は本当にガトーショコラを奢ってくれた。
「柚香がガトーショコラが好きなんて知らなかった。いつも頼んでなかったよね?」
「あー……うん。まぁダイエットしてたしね」
「えっ、柚香ダイエットなんてしてたの!?」
「うん。最近太っちゃって」
「なにそれ。言ってくれたらマックじゃなくてべつのとこにしたのに」
「いいのいいの。言わなかったのは私だし、それにさ、ふたりと喋るのが目的だったから」

 今日二度目の帰り道、夕陽を眺めながら、葉乃がしみじみとした声を出す。
「……今日、柚香の本音が聞けてよかった。私、今までよりさらに柚香のこと大好きになったよ」
 そう言って、葉乃が私を見る。
 いつもすました顔の葉乃がくしゃっとした顔で笑う。なんとも言えない気持ちになった。
「私も。なんか、安心した」
「ついでに、美里のことも見直した」
「ついでって……美里かわいそー」
 思わず苦笑する。葉乃の口調は、いつも通りだ。
「いーの。今までさんざん迷惑かけられてきたから。正直、美里のそういうところ、いい加減にしてよって思ったときもあったんだ。でも、本当はただ、素直に行動できる美里が羨ましかっただけなんだろうね」
「あー分かる。私も美里の素直さは羨ましい。でも私、葉乃の冷静なところもちょっと辛辣な物言いも好きだよ」
「なにそれ。褒めてる?」
「褒めてるよ!」
 私だけじゃない。
 みんな、じぶんにはないものを持つだれかを羨んだり、憧れたりする。
 当たり前のことだ。だから、そんなことにいちいち恥ずかしがることなんて、本当はないのかもしれない。
「美里、あれでいてなかなか見る目あるわね」
 上から目線の言い方に、思わずぷはっと吹き出して笑う。
「それはなに目線なの?」
「上から目線!」
「もー、やめてよー」
 声を上げて笑い合う。久しぶりに、ふたりで泣くほど笑い合ったような気がする。
「……話さなきゃ、伝わらないんだよね」
「だね」
 泣いたせいで、お互い鼻声だ。
「ねぇ葉乃。私、葉乃と美里と友達になれてよかった」
 すぐとなりにあった葉乃の手をぎゅっと握ると、
「私も」
 と、葉乃も同じ強さで握り返してくれる。
 あたたかなぬくもりが伝わってきて、心がくすぐったくなった。
 不思議だ。さっきまであんなに心細かったのに。
 本音を伝えるのは怖いし、勇気がいる。
 けれど、言わなきゃ伝わらない。
 じぶんを変えるには、勇気を出して動くしかない。他人を待ってるだけじゃ、現実は変わらないんだ。
 電車のアナウンスとともに、線路の向こうから、滑るように電車がやってくる。
「やっときた」
「行こっか」
「うん」
 私たちは手を繋いだまま、電車に乗り込んだ。
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