きみの心音を聴かせて

朱宮あめ

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第2章・気まずいクラスメイト

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 美里と別れたあと、私はほぼ毎日のように通い詰めている地元のファミレスに入った。時刻は午後四時前。門限は七時だから、あと三時間は勉強できる。
 昨日はサボってしまったから、今日こそはちゃんと勉強しなくては。
 いつもと同じいちばん端の窓際の席に座って、ドリンクバーだけ注文すると、私は鞄から物理の問題集を取り出し、勉強を始める。
 私はいつも、このファミレスで勉強をする。
 基本、学校が終わってから夕飯七時まで。
 家にいるのは窮屈だったし、かといって図書館だと同じ高校のひとがいたりして気が散って集中できない。
 その点、ここなら高校からも適度に離れているから、四季野宮学園の生徒はあまり来ないし都合がいいのだ。
 だから私は、ここで――だれも私を知らないこの場所で勉強する。
 そうすれば、偏見の目で見られることはないから。『かわいそう』と言う目で見られずに済むから。
 勉強を始めて数時間が経っていた。
 動かしていた手を止め、きゅっと目頭を押さえる。
 ――頭痛い。
 疲れた。
 もうやめたい。
 私は、あとどれだけ勉強すればいいんだろう。
 あとどれだけやれば、認められる?
 大学に受かる?
「だれか教えてよ……」
 ひとりごちる。
 もうやめたいけれど、家に帰るわけにはいかない。
 いつもより早く帰ったら、お母さんにまた、あなたはお姉ちゃんと違ってと小言を言われかねない。
 けれど、将来の夢も目標もない私にとって、勉強は苦痛以外のなにものでもない。
 でも、私はお姉ちゃんのような天才じゃないから、努力しなければならない。
 お姉ちゃんは優秀なのに、妹は残念ね。
 そう言われないように。
 馬鹿なままでは、私に価値はないから。
 お母さんの言う通りにしないと、呆れられてしまうから。
「こちら、どうぞ」
 レモンサイダーで喉を潤し、再び問題集に目を通していると、目の前にお皿が置かれた。
 え、と顔を上げる。
 お皿にあったのは、今日食べ損ねたガトーショコラだった。雪のようなぽてっとした生クリームつきだ。
 美味しそうだけど、これは私が頼んだものではない。
 皿をすっとテーブルの脇、店員さんの前に置く。
「あの……これ、違います。私、ケーキなんて頼んでません」
 言いながら、ガトーショコラを持ってきた店員さんを見上げて、思わず「えっ」と声を上げる。
「お、音無くん……!?」
「はは。気づくの遅いよ」
 ガトーショコラを運んできてくれたのは、クラスメイトの音無くんだった。
 こんなところで会うなんて思いもしていなかった私は、驚いて瞳を瞬かせる。
「え、な、なんで……」
 困惑する私に、音無くんは苦笑混じりに言った。
「俺、ここでバイトしてるんだ」
 呆然とする私に、音無くんは続ける。
「なんなら俺、何回か清水に接客してたんだよ」
「えっ! う、うそ!?」
 衝撃的な事実に、私は目を丸くした。
「清水、いつもすごく集中して勉強してたからな」
 頬の辺りがじわじわと熱くなってくる。
 これまでずっと音無くんに勉強しているところを見られていたと思うと、恥ずかしくて逃げ出したくなる。
「あ……あの、私がここで勉強してたこと、みんなには黙っててくれない?」
「え? ……あ、うん、まぁいいけど」
 音無くんは不思議そうな顔をしながらも、こくんと頷いた。
 その目を見て、ふと告白されたときのことを思い出した。
『好きなんだ』
 まっすぐに私を見て、音無くんは言った。
 私はその告白が、不思議でならなかった。
 音無くんは人気者だ。頭もいいし、運動もできる。その上朗らかな性格をしているから、いろんなひとに囲まれている。
 そんなひとが、なんで私なんかを好きになってくれたんだろうと思った。
 挨拶を交わす以外、ほとんど話したことがないから、音無くんは私のことなんてなにも知らないはずだ。知っているとすれば、優等生の仮面を被った私だけ。
 もし音無くんが本当の私を知ったら、どう思うだろう。
 ……きっと、離れていくんだろう。
 そんなひとだと思わなかった、とか言われるかもしれない。
『ごめんなさい』
 音無くんのことは、それが怖くて断ったのだ。
 今は受験に集中したいからなんて、もっともらしい理由をつけて。
 私は本音を隠し、音無くんにうそをついた。
 あのときの音無くんの傷ついた顔は、今もときどき思い出す。
「……あのさ」
 俯いていると、音無くんが控えめに声をかけてきた。
「俺、あと三十分くらいでバイト終わるんだけど、終わったら少し話できる?」
「え?」
「それまでにこれ食べちゃって! サービスだから」
 音無くんはそう言って、私の返事も聞かずに厨房へ戻っていってしまった。
 ――三十分。
 時計を見る。
 時刻は午後六時。あと三十分なら、門限には間に合う。
 ひとり取り残された私は、テーブルにぽつんと置かれたガトーショコラを見る。
 音無くんはサービスと言ったけれど、本当にもらっちゃっていいのだろうか。
 迷いつつケーキを見ていたら、思い出したようにお腹が鳴った。
 そういえば、ファミレスに入ってかれこれ三時間以上経つけれど、ドリンクバーだけで食べ物はなにも注文していなかった。
 ケーキをそろそろと引き寄せ、フォークを手に取る。
 フォークを刺すと、ずっしりとした生地の感触が手に伝わる。
 甘さ控えめのチョコレートと生クリーム。
「……美味しい」
 ちらりと厨房のほうを見るけれど、音無くんの姿はない。
 ふと、疑問が浮かぶ。
 音無くんは、いつからここでバイトしていたんだろう。私がこのファミレスに通い始めたのは、一年の夏前くらいだった気がする。
 もしかしたら、その頃からずっとすれ違っていたのだろうか。
 気づかないところで見られていたかもしれないと思うと、やっぱり恥ずかしさが込み上げてくる。
 私は、頬の熱を誤魔化すようにガトーショコラを口いっぱいに頬張った。
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