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しおりを挟む僕には、だれにも話したことのない秘密がある。
それは――心の声を聞くことができるということ。
もちろんそれは、僕が自ら望んだことではない。中学二年くらいのとき、突然そういう体質になってしまったのだ。
教室にいても、電車の中でも、そして……家でも。必ずだれかの心の声が聞こえてくる。
それは大体気持ちのいいものではなくて、だれかの悪口だったり不満だったり、知りたくもない事実だったりする。
だれかの悪意を聞くというのは、思春期真っ只中の僕には耐え難いものだった。
親友だと思っていた友人の心の内。可愛いなと思っていたあの子の裏の顔。優しい先生の本音……。人を信用できなくなるには、十分過ぎるものだった。
簡単に言えば、絶望したのだ。人の醜さに。
僕は、この不思議な能力を手に入れてからというもの、ほとんどクラスメイトと接しなくなった。
中学生のときはこの能力に戸惑い、人間不信で不登校気味になっていた。
けれど、高校生になった今、少しは成長したのか、クラスからあぶれない程度にはクラスメイトたちとまともな関係を築けるようになった。
とはいえ、わざわざ深入りしようとは思わないので、基本的に学校外でのイベントの誘いは断るが。
誘いを断るときには相手が気を悪くしないように言葉に気を付けながら、それなりの理由を盾に謝罪をする。
……の、だけれど。
僕には今、気になっている人がいる。
クラスメイトの花野澄香……。
斜め前の席の彼女には、感情がない。……いや、というか、一度も声を聞いたことがないのだ。彼女自身の声も、心の声も、どちらも。
花野はクラスメイトと話をしないどころか、目もほとんど合わせない。
つまり、高校生になって半年が経つのに、彼女はこの学校生活の中で一度も心を動かしていないということだ。
***
――それは、夏休みが明けて一ヶ月が過ぎた頃、昼休みのことだった。
『だれか、私を殺して』
ふと、声が聞こえて顔を上げる。
「え……?」
聞いたことのない声だった。突然聞こえてきた物騒な言葉に、心臓がざわめいた。
教室を見まわす。みんな、楽しそうにお弁当を食べている。特別様子のおかしいのクラスメイトたちはいないが……。
カラフルな会話が飛び交う中、たったひとり、自席で本を読む彼女に目がいった。
……もしかして。
まるで、そこだけ教室から切り離されたように薄くしらじんだ空間。
彼女の黒髪は、特別にきれいだった。陽に当たるとかすかに青みがかって見えるのだ。まるで、髪の毛一本一本に、深海の水が混ざっているような。
それだけでなく、彼女は容姿も飛び抜けて美しい。
すっと通った鼻筋に、長いまつ毛。本に目を落とす横顔はさながら精巧な彫刻のようで、うっかり視界に入れると、息をするのも忘れてその横顔に魅入ってしまうことが多々あった。
今の声は、彼女のものだったのだろうか……。
しとしとと降る雨音のように穏やかで、それでいて流れ星のように儚い声だった。
初秋、夏の不快感丸出しの空気はどこかへ行って、少し落ち着いた色が街を包み始めた。
放課後、僕は街の図書館でテスト勉強をしたあと、図書館に隣接する公園を散策していた。
部活に入っていない僕は、放課後は基本自由だ。
舗装された小路を歩いていると、少し先の東屋に人影があることに気づいた。女性だ。
俯いているのか、顔はよく見えないけれど、耳にかけた髪がさらりと垂れた瞬間、あ、と思った。
彼女だ。花野澄香。
少し近付いてから、足を止める。
相変わらず美しい横顔。
公園の一角、この東屋だけが、騒がしい世間と切り離されたように神聖なもののように錯覚してしまいそうになる。
ぽつ、と頬に冷たい感触があった。
空を見ると、いつの間にか青空は分厚く重い雲に覆われている。と、思えば雨粒はあっという間に公園を薄墨色に染め始めた。
「わっ……降ってきた!」
僕は慌てて東屋に逃げ込んだ。
髪についた雫を手で軽く払いながら、ちらりと花野を見る。花野は忙しなく東屋へ駆け込んだときだけ、僕をちらりと見たものの、すぐに視線を手元の本に戻して読書を再開していた。その後は僕のことにまったく関心を示す様子もなく、読書に勤しんでいる。
「…………」
僕は花野の読書の邪魔をしないよう、細心の注意を払って彼女の向かいに座った。
静かな空間。神聖な時間。
声をかけてみたいけれど、かけるのがはばかられる。沈黙が心地良いだなんて、不思議だ。
しとしと、ぽつぽつ。
雨が降っている。雨のせいか、いつもより緑が深く、花も鮮やかに見える。
僕はその日、彼女にひとことも声をかけられないまま、雨が止むのを待ち続けた。
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