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第四章
94 招かれざる客
しおりを挟むシシィを置いて帰るのは気が進まないが仕方ない。
”マティアーシュ・バルトニーチェク”に客人だと、私だけに戻るように公爵家からの使いが来たと聞いたときには、正直に言って今更何の用なのかと思った。
婚約するときも事務的な連絡をしただけで祝いの言葉などの温かみは無かった生家だが、マティアーシュとして呼ばれたからには会わない訳にも行くまい。
私はもうスピネルであって、マティアーシュはこの世にいないと思ってくれて構わないのに。いや、むしろそう思ってくれ。
公爵家継嗣のシシィを求めたとき、公爵様と奥方様に対して私が切れるカードは竜王国の第二王子であるという事だけだったが、後になって面倒が起きると分かっていたらその札は使わなかった。
異母兄がいるのだから、私が何処で何をしようとあの国は気にしないだろうと思っていたのに。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさいませ、スピネル様」
シシィの婚約者になった時に公爵様から私の出自を聞かされた使用人たちとは、それまでの同僚とから「将来の主と使用人」へと関係性を変えた。そのため、まだ何も公爵家の役に立っていない私が、他国の王子であると言うだけでこの国では何の力も無いと言うのに世話をされ敬われる立場になってしまった。仕事もなくなった。
これではただの居候だと思わなくもないが今はただの学生なので、この恩は将来返す事とする。
それに対し思う所があるものもいるだろうが、表面上は尽くしてくれる使用人たちは、さすが公爵家に仕える者たちで教育が行き届いている。
「私に客人と聞いた」
「はい、応接間にご案内いたしました」
父の使いか王妃の手の者か――。そう思っていたのだが、待っていたのは私の想像もしない相手だった。
「やあ、マティアーシュ、久しぶりだね。50年ぶりくらいかな?元気そうで何より」
応接室にいたのは、私の異母兄だった。父譲りの褐色の肌と銀の髪、赤い瞳。私と同じ色彩の異母兄は、くつろいだ様子で足を組み、茶を喫している。自由な男だと思う。
向かいに座っている公爵様は、さすがに肝が据わっている。緊張感はあるものの委縮したりおもねったりする様子はない。私が申し訳なさから公爵様に頭を下げると、気にするなというように眉を持ち上げて笑ってくれた。
しかし、公爵様がそういう態度だからと言って、義兄の行動が許されるわけではない。
「兄上……」
そりゃ、公爵も早く帰って来て欲しがるわけだ。まさか、竜王国の王太子が、国交の無い住まう大陸すら違う国の公爵家に訪問の伺いも先触れも無く現れるとは……。
「まさか、お一人でいらしたのですか?」
「ああ、竜形をとって飛ぶとなると、私に付いて来れるものはそういないじゃないか。君に会いたくて、ついつい気がせいてしまったんだよ。きっと、そのうちに護衛や従者も到着することともうよ?」
それでは護衛の意味がない。
異母兄を害せる者などそうそういないだろうが、一国の王太子がすべき事ではない。私には関係のない事だが、ファルナーゼ家に迷惑がかかるとなれば話は別だ。
「順序と秩序をお守りください。次期王たるものがそれでは他者に示しがつきませんし、いくら外交をほぼしていない国だとは言え、体面があります。それに、置いて行かれた伴たちの気持ちもお考えいただかなくては」
響きはしないだろうが苦言を呈すると、異母兄は「次から気を付けるよ」とこれっぽっちも堪えた様子なく言う。分かってはいたが疲れる。
「それで、そのように性急な訪いのご用件は?」
私も十分性急だとは思うが、さっさと用件を聞いてさっさとお帰り頂いて、邪魔者抜きでシシィを愛でたい。
「人払いを」
組んでいた足を降ろし、テーブルに肘を乗せて組んだ手の上に顎を置いた義兄は、それまでの飄々とした様子から一変して真剣に言った。
公爵様がちらりとこちらを見て、私の意思を目で問うた。私が人払いを拒否すれば、例え竜王国の王太子相手でも引かずに残ってくれる気なのだと思う。
私の(将来の)義父は何と素晴らしい人間か。
実の父には公爵様を見習ってほしいものだ。
私はそれに感謝しつつ、二人きりにしてくれるように願った。面倒事はさっさと片付けたい。
公爵様が義兄に当たり障りのない挨拶をして部屋を出ると、何を思ったか義兄が、両手を膝において私に頭を下げるではないか。
勘弁してほしい。面倒くさい。
「幼い頃、マティには酷い仕打ちをした。すまなかった。信じてもらえないかもしれないが、マティに薬を盛って国を追い出したのは私ではない。指示も関与もしていない。私も最近までそんなことがあった事すら知らなかったのだ」
どうでもいい。
「私は、マティが母の死で傷ついて、自らの意思で出奔したと聞かされていた。マティが去ってから、私はなぜ弟である君に辛く当たっていたのだろうと後悔した。君が私より魔力が多く、教育の進みが早いから僻んでいたんだ。子どもだったからと言って許される事ではなかった」
謝って気が済んだら帰ってくれないだろうか。
異母兄はそこで言葉を区切って頭を上げると、懇願するような顔で私を見つめ、それから目を逸らした。
「信じては貰えない……だろうと、覚悟はしていたが……」
いや、信じる信じないではなく、ただただどうでもいいんだが。そう言ってしまっては話がこじれるか。ここは大人の対応をしておくべき場面なんだろう。
「謝罪を受け入れます」
その一言で異母兄は歓喜の表情となり、目を潤ませて私に感謝の言葉を連ねる。
――幼い頃しか知らないが、異母兄はこんな性格だったか?会えば嫌味を言い、いつも渋面で、私を目に入れることも厭わしいと全身で訴えていたように覚えていたが。
先ほど「マティ」と私のことを呼んだが、愛称どころか名を呼ばれた覚えすらないのに。
「ならば、仲直りできるなっ!すまない、ありがとうマティアーシュ」
直るような仲があっただろうか?まあいい。大陸すら違う国に住む異母兄と私は、これが今生の別れになるかもしれないのだから、見たいならば幻想を見ていてくれても一向に差し支えない。
「では、帰って来て竜王位を継いでくれ!」
前言撤回。喧嘩上等、帰れクソ異母兄。
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