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第四章

93 事件Ⅱ 5

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「うっ……」


 ドエス先生が呻き声をあげ身じろぎをした。そろそろ意識を取り戻すのかもしれない。

 優しいヴィヴィアナ様が心配そうに見ているけれど、女装男子は落とすの上手かったし、落ちてすぐに拘束を解いたから大丈夫だと思う。


 窓のない部屋で、ドアの外に人の気配。見張りであろうそれは多分一人。

 人質のいない今、ドエス先生がもうちょい役に立つ人だったら、スピネルの到着を待つまでも無く抜け出せるだろうけど、私一人でヴィヴィアナ様とドエス先生を守れるかというと少々怪しい。


「アレキサンドエス先生!」


 ドエス先生が目覚めたようだ。ヴィヴィアナ様が先生に状況の説明をしている。生徒を守る気だったのに一緒に誘拐されてしまった先生は、眉間に皺を寄せてヴィヴィアナ様の話を聞いている。


「……何という事だ」


 先生もね、とばっちりだよね。狙いは私だったらしいのに、巻き込んで申し訳ない。

 後ろ手に縛られたまま何とか起き上がった先生は、首が気になるようだが手を使えないので、肩で首を擦るようにしている。見たところ、あざにもなってい無いようだし意識もはっきりしているので、後遺症云々の心配はいらなそうだ。


「ソルミ嬢もファルナーゼ嬢もこれから大変だな」


 きっと助けが来るから頑張りましょうと言ったヴィヴィアナ様に、先生が言った。いや、大変なのは先生も一緒だろうに。


「ご令嬢が誘拐されたという事は、今後の生活に差し障るだろう?例え指一本触れられなかったとしても、風評は底辺に落ちる。貴族令嬢が肌身を汚されたとなれば、行く末は知れたものだろう?」


 あー、そっちですか。確かに、誘拐被害に遭った令嬢が、助けられたとしても気にしなければならないのは、純潔を奪われたという噂が出ること。たとえ事実無根であっても、そういう憶測が一人歩きした時点でアウトだ。


「大丈夫ですよ。すぐに助けが来ます。誘拐自体が表沙汰にならなければ、噂なんて立ちようがありません」


 ヴィヴィアナ様を安心させるように笑って言うと、何故か先生が底意地の悪い笑顔を浮かべた。


「そうだろうか?どんなに隠そうとしても、事実というものは明るみに出る」


「誘拐自体を無かったことにします。実行犯もその裏にいる主犯もただじゃ済ませません」


「人の口に戸は立てられないよ、ファルナーゼ嬢。私がすべて見ている」


「見ているなら、何もなかったことはお判りでしょう。先生ともあろう方が、生徒の将来を潰すと言うのですか」


「いやいや、私はそんな事は言っていない。ただ、噂は怖いものだ、そうだろう?」


 先生の話を聞いてヴィヴィアナ様が小さく震えている。


 なんだ、コイツ。ドSじゃなくて、弱い者いじめする根性悪のクソヤローじゃないか。Sの風上にも置けん。SはサービスのS、Mは満足のMって知らんのか。

 私たちを守ろうとあの男たちの前に立ったのに手も足も出ず、それどころか足手まといになって一緒に誘拐されたことで自尊心に傷がついて、目の前の弱者相手に手っ取り早くうっぷん晴らししようってか。

 この状況でヴィヴィアナ様を苛めるなんて。


 アンタも敵だ。


「ふふふっ。成程、先生はそういう方だったのですね」


 私はさくっと縄抜けして立ち上がる。


 縛られるときに、肘を曲げて両掌を力を入れていたので、縄には多少のゆるみがある。馬車に乗っている間も、この部屋に押し込まれた後もグーとパートを繰り返し、ゆるみを増やしておいた。あとは手首を捩じって外すだけ。


 女装男子が縛るの下手で助かった。縄で良かった。

 これで、上手な人に親指同士を針金なんかで結ばれていたらこうはいかない。


 縄抜けの訓練をスピネル主導で結構やったのが役に立ってよかった。訓練中に「もしかして、スピネルにこういう趣味が……?」と思ったことは、墓場まで持っていく秘密だ。

 ……そういう趣味じゃないよね?趣味と実益を兼ね備えてとかじゃないよね?突っ込んで藪蛇になったら嫌だから、この件に関しては沈黙一択だ。


「……ファルナーゼ嬢?いつの間に縄を」

「まあ、シシィ様」


 二人に驚かれた。


「油断していてもらうために縛られたままにしてありましたけどね、この位の心得はあります」


 多分、貴族令嬢の嗜みに縄抜けは入っていないと思うけど。


 ヴィヴィアナ様の縄も解く。擦れた後が赤くなっていて痛々しい。思わず摩ってしまったら、私の手首も赤くなっている事に気付いたヴィヴィアナ様がぎゅっと手を握ってくれた。

 私は暴れん坊令嬢だからいいけど、箱入りのヴィヴィアナ様にこんな仕打ちをしたあいつら許せん!誰も巻き込まずに私一人を狙ったんだったら、私はここまでキレたりしていない。

 あ、お父様とお母様とスピネルは、私が暴れん坊だろうが何だろうがかすり傷でも付けた相手には容赦しないから、攫ったのが私一人でもアウトか。


 ドエス先生が今度は自分の番だろうと期待した目で私を見ている。本当は解いてやりたくなんかないけど、これからする事を考えると相手が縛られたままというのは私に都合が悪い。


「犯人たちは勿論、目撃者もいなければ噂が流れるなんてこと有り得ませんね?」


 そう言って、とりあえず顎を蹴りあげてやる。うぐっとかいう呻き声を上げ、ドエス先生が首と顎を抑えて床に倒れた。


 私の言葉を理解することを脳が拒否したのか、蹴られた衝撃が大きかったのか、ドエス先生がフリーズしている。


「死人に口なしって言いますもんね?」


 にっこりと笑って言ってやると、ドエス先生が真っ青になってぶるぶると震え始めた。

 フィジカルもメンタルもそんなに弱いんなら、ドSもドクズも卒業しろや。


 どうやってヴィヴィアナ様が受けた恐怖のお返しをしてやろうかと思っていた時に響いた破壊音。バタバタと部屋の外が騒がしくなったかと思うと、やがて静かになる。

 ヴィヴィアナ様が恐慌状態に陥りそうなのを見て、アレは問題ないと伝えて抱きしめる。私は竜族ではなから匂いやらフェロモンやらは分からないけど、それでも把握した。


 今の騒動は、私の婚約者が起こしたものだと。


 説明するより先に、外開きのドアが内側にぶち破られ、待っていた人の姿が見えた。その人はこの場に似つかわしくない笑みを浮かべ、ただ真っすぐに私を見て言う。


「シシィ、待たせてごめんね?少し離れている間に攫われてしまうのだから、私は君から目を離すのは嫌なんだ」




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