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第三章

55 不敬

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 王子のクソッたれーっ……クソッたれーっ……たれーっ……。


 自分の発した言葉のエコーが脳内に響いている。そのせいで王子様が何か言ったようだけど聞き取れなかった。

 ヤバい。本人に面と向かって言った訳ではなくとも、どう考えてもこれは不敬。え?死亡フラグって向こうからやって来るんじゃなくて、自分で立てちゃったって事か、コレ。


 不敬罪で断罪されても冤罪じゃない。まごうことなく私の口から出た言葉だものな。


 お父様、お母様、スピネルごめんなさい。


 あれだけ悪役令嬢だの婚約は死亡フラグだの冤罪で断罪だのと言っておいて、死因は自業自得の不敬罪でした……チーン。


 なんで王子のクソッたれ何て言ったんだ自分。神様のイケズでも海のバカヤローでも良かったじゃないか。ああ、クソッたれなんて言葉を吐いた時点で令嬢失格。淑女試験落第。学園も退学で、あ、冒険者になれんじゃね?いや、違う違う。不敬罪だってーの。


 そもそも、接点のない王子様を罵倒するのが悪い。うん、分かってる。王子様、私に何もしていないもんなー。ただ、記憶を取り戻してからずっと「王子様さえいなけりゃ、死亡フラグなんて関係なしに、剣と魔法の世界で第二の人生を謳歌していたのに、キーッ!」という憤り――いや、逆恨みか、そういう理不尽な感情が私の中にあったのだ。


 それはともかく、この場をどうやって切り抜けよう。切り抜けられるのか?


「シシィ……本当に申し訳なかった。謝って許される事ではないが、それでも謝罪することだけは許してほしい」


 王子様、頭下げちゃったよ!?

 何してんですか王子様。クソッたれ呼ばわりされて頭を下げるとか、なにか特殊な性癖でもお持ちでございましたりするの!?


「第一王子殿下にご挨拶申し上げます。お久しぶりにございます。シシィ・ファルナーゼ、殿下のご尊顔を拝謁し光栄至極にございます」


 震える足を叱咤し、どうにかこうにか立ち上がった私が礼を取ると、王子様は何故かさっきよりも痛みを感じているかのような顔つきになっている。


「……ファルナーゼ嬢、丁寧なあいさつ痛み入る。しかし、ここは学園だ。過度な儀礼は必要ない」


 うん、そうだよね。

 王子様に会った人間がみんなこんな挨拶をしていたら、王子様は学園生活をまともに送れまい。


 でもね、さっきのクソッたれ発言を「あれ?何かの勘違いかな?聞き間違いかな?」って思ってもらえるくらいに、しっかりと令嬢のガワを見せないと、ほら、不敬罪とかね?

 聞き間違いという事でスルー宜しく!


「殿下の寛容なお言葉に感謝申し上げます」


 さて、ここからどうやって逃亡しよう。流石に王子様に話しかけられて「じゃ、これで!」と手を振って去っていくわけにもいくまい。

 ゆっくりと時間を稼ぎつつ頭を上げる。


 と、そこに救世主登場!


「お嬢様、もう、昼休みも終わるお時間です。そろそろ教室にお戻りになられませんと」


 スピネルー!エライ!良くここが分かったね?でも、王子様をスルーはイカンぞ。


「第一王子殿下、こちらは私の傍に仕えております、スピネルにございます」


 私が紹介する声に合わせ、スピネルが王子様に深く礼を取る。


「殿下にお会いできて誠に光栄でございましたが、授業の時間もございますのでここで失礼いたします」


 学生万歳!授業があるって言えば立ち去ってもおかしくない。


「ファルナーゼ嬢。先ほどの話の続きをするために時間を取ってくれないだろうか?」


 これはお願いっぽく聞こえるけど「時間を取れよ」っていう命令だよね、王子様だしさ。断れる立場には無いよ、臣下の娘には。


「殿下の思し召しにございますなら、いつなりと」


 嫌だけど!


 辞去の挨拶も済んだことだし、すたこらさっさと逃げ出す私たち。あ、もちろん比喩だよ。ダッシュしたい気持ちを抑えて、しずしずと令嬢の見本のようにゆったり優雅に去りました。



「スピネルぅー、ありがと、来てくれて。でも、よくあそこにいるって分かったね?」


 スピネルと二人になった事で淑女の仮面は剥がれ、もう、半泣きだ。


「ど、どうされたのですか、お嬢様。あの男がよもや不埒な真似を!?」


 気色ばんで言うスピネルの腕を宥めるようにポンポンと叩いて、私は首を横に振った。


「不埒は私……っていうか不敬?」


 温室の出来事を離すと、スピネルが深いため息をついた。


「とりあえずお咎めがあるような雰囲気ではありませんでしたが、話の続きをという事でしたね」

「うん。クソッたれ呼ばわりをスルーしてくれた……ような気もするけど、お話の続きって言われても、実のある話はしてない。私の暴言を聞いて殿下が私に謝ることを許してほしいって言って……」


 うん、訳わからないね。


「落ち着いて考えると、殿下の様子から私を不敬罪で処罰する意思は見えなかった――と思う」

「第一王子殿下から話をしたいと言われて断れるわけも無し、旦那様に相談いたしましょう」

「そうだね。不敬罪がないならお話しするくらいは仕方ない」


 なるべく近づきたくはなかったけど。

 そういえば、スピネルはどうして私の居場所が分かったのかの答えを貰ってなかった。再度聞いてみる。


「匂いで、です」

「え!?スピネル、魔法で遮断しているんじゃなかったっけ?って、どこまで私の匂いが届いてんの!?そんな強烈な匂い放ってて周囲に迷惑かけてんの!?」


 8歳の頃は五歩離れれば大丈夫だったはず。その後、匂いを遮断する魔法をマルク先生に教わりながら構築したはず。匂いは体臭じゃなくてフェロモン的な何かだったはず……。


「あ、そういえば、クスバート様に声をかけられまして」

「え!?な……なんて!?」

「私に兄はいないか、兄ではなくとも似ている同族はいないかと」


 スピネルの家族に関心があるのだろうか。彼の出身国も分からないのに、マリア様は知っているのか?


「私が”8歳の時に記憶喪失になりまして”と言ったら興味を失われた様子でした」


 だよね。記憶喪失の人間に家族親族の事を聞いても答えは無い。

 ただ……マリア様がなぜスピネルにそんな事を聞いたのかが気になる。


 匂いの話を誤魔化されたと気づいたのは、その夜ベッドに入ってからだった……。



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