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第四章『葵と結衣』
第十三話「愛があれば」
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新様はどんな家庭教師も追い出していたらしいが、どうしてか、私を追い出すことはなかった。
「新様、そこは違います。こんなの小学生でも解けますよ。ああ、こっちも違います」
「~~~っ!」
私に対してこの上なく苛々しているのは確かなのだが、苛々しながらも机に向かってはくれる。
食事と昼休憩の1時間を抜いて、朝から夕方まで、ほとんど付きっきりで勉強を教えた。
無気力息子をやる気にさせたと、小原家中から私の評価は一気に上がった。
――しかし釈然としない。
彼のやる気がでたのかと言われれば、疑問だった。
私に言いたい放題言われるのが嫌だからやっているだけで、それは彼自身が自ら望んでいるとは到底思えなかった。
そんな彼が変わるきっかけとなったのは、どこからか小原家の敷地に侵入してきた小さな女の子だった。
白いワンピースに麦わら帽子。
とても幼い見た目の少女は、固く閉ざしていた新様の心になんの遠慮もなくズカズカと入り込んで、無邪気に笑っていた。
真っ白でなにも汚れていない彼女は、眩しい太陽のようで。
少女――結衣様と触れ合う度に、新様の心は、その陽にどんどん溶かされていくのが見て取れた。
「市松、頼みがあるのだけど」
「はい?」
毎日昼休みに結衣様と遊ぶようになってから数日が経ったとき。
新様は問題を解く手を止めて、私を見上げてきた。
その瞳は今まで見たことがない強い光があって、真剣な眼差しだった。
「――僕、真面目に勉強しようと思う。だから……もっと本気で教えてくれないかな」
私は数秒、彼のその瞳を見てから、静かに教科書を閉じた。
もう、こんな本は無意味だ。
「……恋をしましたね」
「え、なんで――」
「いいのですよ。人は誰かの為になると、必死になれるものです。――少々お待ち下さい」
私はそう言って、彼の返事も待たずに部屋を出る。そして自室から大量の本を持って、彼の部屋に置く。
さすがの私でも一人で運べる量ではなかったので、カートを使って持ってきた。
分厚い参考書たちが、何もない部屋の床に積み重なる。
「なにこれ……」
私が持ってきたおびただしい数の本に、目の前の彼は圧倒されて引いていた。
「教科書なんて薄っぺらいもので、貴方は勉強するべきではないです。とりあえずこの本を全部読んで下さい。3日もあれば読めますね」
「3日!?」
3日で数十冊の本を読むなんて、冗談だと思っているのだろう。
しかも小説などではない。知識をつけるための本だ。知らないものを読むのというのは、ひどく時間がかかるものだ。
だが、彼には時間がない。
ついでに言うと、ずっと付きっきりでいる私の時間もない。
私は家庭教師ではないのだ。他にしなくてはいけないことが山程ある。
――普通の方法でなど、やっていられない。
「まず、今から速読の方法をお教えします。かなり集中力を使うので疲れますが、勉強のスピードは格段に上がります」
「速読……」
真剣に話す私に、これは冗談ではないのだと理解したのか、彼はごくりと息を呑んだ。
――ふふ、大丈夫。貴方はできる。
愛があれば。彼女を手に入れることは、絶対にできる。
「ちゃんと分かっていますね。そうですよ。死ぬほど勉強しなくては、大切な人を守ることはできません」
私の言葉に、新様はこくりと頷いた。
「はぁ……。大体、勉強も遊びもオナニーすらせず時間を無駄にする坊やのまま、大人になられては困るのです。貴方は私の主人になるのですから」
彼がやっとやる気になってくれたので、私はそれまで思っていた不満をぶちまけた。
突然の私のため息に、真面目に聞いていた彼は、がくりと肩を落とす。
「……オナニーは余計だけど……というか僕が主人ってどういうこと?」
「貴方が社長になったら、私は貴方の秘書をやります。石ころに躓いて怪我でもしたら大変なので、ボディガードにもなります」
「石ころ…………いや、そっか。そのために君は、毎日頑張っているの?」
私は彼の問いかけには応えず、ただ少しだけ微笑んでみせた。
――そしてこの日から、彼はただ想い人の為だけに、必死に勉強をはじめたのだった。
「新様、そこは違います。こんなの小学生でも解けますよ。ああ、こっちも違います」
「~~~っ!」
私に対してこの上なく苛々しているのは確かなのだが、苛々しながらも机に向かってはくれる。
食事と昼休憩の1時間を抜いて、朝から夕方まで、ほとんど付きっきりで勉強を教えた。
無気力息子をやる気にさせたと、小原家中から私の評価は一気に上がった。
――しかし釈然としない。
彼のやる気がでたのかと言われれば、疑問だった。
私に言いたい放題言われるのが嫌だからやっているだけで、それは彼自身が自ら望んでいるとは到底思えなかった。
そんな彼が変わるきっかけとなったのは、どこからか小原家の敷地に侵入してきた小さな女の子だった。
白いワンピースに麦わら帽子。
とても幼い見た目の少女は、固く閉ざしていた新様の心になんの遠慮もなくズカズカと入り込んで、無邪気に笑っていた。
真っ白でなにも汚れていない彼女は、眩しい太陽のようで。
少女――結衣様と触れ合う度に、新様の心は、その陽にどんどん溶かされていくのが見て取れた。
「市松、頼みがあるのだけど」
「はい?」
毎日昼休みに結衣様と遊ぶようになってから数日が経ったとき。
新様は問題を解く手を止めて、私を見上げてきた。
その瞳は今まで見たことがない強い光があって、真剣な眼差しだった。
「――僕、真面目に勉強しようと思う。だから……もっと本気で教えてくれないかな」
私は数秒、彼のその瞳を見てから、静かに教科書を閉じた。
もう、こんな本は無意味だ。
「……恋をしましたね」
「え、なんで――」
「いいのですよ。人は誰かの為になると、必死になれるものです。――少々お待ち下さい」
私はそう言って、彼の返事も待たずに部屋を出る。そして自室から大量の本を持って、彼の部屋に置く。
さすがの私でも一人で運べる量ではなかったので、カートを使って持ってきた。
分厚い参考書たちが、何もない部屋の床に積み重なる。
「なにこれ……」
私が持ってきたおびただしい数の本に、目の前の彼は圧倒されて引いていた。
「教科書なんて薄っぺらいもので、貴方は勉強するべきではないです。とりあえずこの本を全部読んで下さい。3日もあれば読めますね」
「3日!?」
3日で数十冊の本を読むなんて、冗談だと思っているのだろう。
しかも小説などではない。知識をつけるための本だ。知らないものを読むのというのは、ひどく時間がかかるものだ。
だが、彼には時間がない。
ついでに言うと、ずっと付きっきりでいる私の時間もない。
私は家庭教師ではないのだ。他にしなくてはいけないことが山程ある。
――普通の方法でなど、やっていられない。
「まず、今から速読の方法をお教えします。かなり集中力を使うので疲れますが、勉強のスピードは格段に上がります」
「速読……」
真剣に話す私に、これは冗談ではないのだと理解したのか、彼はごくりと息を呑んだ。
――ふふ、大丈夫。貴方はできる。
愛があれば。彼女を手に入れることは、絶対にできる。
「ちゃんと分かっていますね。そうですよ。死ぬほど勉強しなくては、大切な人を守ることはできません」
私の言葉に、新様はこくりと頷いた。
「はぁ……。大体、勉強も遊びもオナニーすらせず時間を無駄にする坊やのまま、大人になられては困るのです。貴方は私の主人になるのですから」
彼がやっとやる気になってくれたので、私はそれまで思っていた不満をぶちまけた。
突然の私のため息に、真面目に聞いていた彼は、がくりと肩を落とす。
「……オナニーは余計だけど……というか僕が主人ってどういうこと?」
「貴方が社長になったら、私は貴方の秘書をやります。石ころに躓いて怪我でもしたら大変なので、ボディガードにもなります」
「石ころ…………いや、そっか。そのために君は、毎日頑張っているの?」
私は彼の問いかけには応えず、ただ少しだけ微笑んでみせた。
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