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第四章『葵と結衣』
第十二話「葵と新」
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「結衣様が新様と出会った夏休み、私はすでに小原家に仕えていました」
結衣を優しく抱きしめたまま、葵は話を続ける。
「新様は結衣様に一目惚れだったと思うのですが――私はその、『新様が恋をした』結衣様に恋をしたのです」
「……えーと?」
「ふふ、意味がわかりませんか? まぁ、私もよくわからないのですが」
不思議そうな表情をする結衣に、葵は微笑んだ。
言葉にして説明すると、本当に意味がわからないなと自分でも思う。
「――私の雇い主の息子である新様は、私にとって特別な人です。なによりも大事にすべき人。新様のお父上は、新様が社会に出たら私を彼のお付きにすると決めておられました」
『特別な人』というのは、今も変わらない。でもそれは、『恋』ではない。
「そのときのために、私は一日のほとんどを色んな勉学や訓練に当てていました。そしてその合間に、彼のことを知るためによく観察していました」
結衣の頭を撫でながら、葵は懐かしむように過去を語る。
葵は普通の学校へは通わず、独学で勉強していたこと。それと並行して師匠の元で様々な訓練をしたこと。
「――つまり私の人生は彼のためにあったわけです。そして件の夏休み、新様は結衣様に出会いました。その様子を私は二人をずっと近くで見ていました。もちろん、二人とも気付いてはいませんでしたけどね」
※
十三年前、夏。
私――市松葵は十六歳。
わけあって、小原家に仕えていた。
この家の一人息子である小原新は、私の将来の主人になる予定であった。
一つ年下である彼は、いまいちやる気のない子供だった。
恵まれすぎた環境が、彼にとっては気に入らないのであろう。
ろくに勉強もせず、かといって何か特別変わったことをするわけでもなく、彼はほとんど部屋の中にいた。
この夏休み、彼の両親は彼を徹底的に勉強させようとした。
しかし他人を――家庭教師を部屋に入れることを、とにかく拒む。
そこで彼のお父上は、私を新様の部屋に向かわせた。
「新様、失礼致します」
返事がなかったが、私は勝手に部屋に入った。
雇い主が、彼の部屋に行けと言ったのだ。彼がどう反応しようが、私は入るしかない。
「誰……? なんで勝手に入ってくるの」
予想通り、不満をぶつけてくる新様。
彼はとくに何をするわけでもなく、ベッドに座っていた。
周りには本も遊ぶものもなにもない――本当になにもしていないようだった。
「……市松だっけ。なんで君が来るの?」
どうやら私が来たことに多少は驚いているようだった。
それもそのはずで。私はずっと彼を隠れて観察しているが、こちらから接することはほぼなかった。
こちらのことなど関心のないといった風に、私を覗く瞳には光が無く、きっと、同じくこちらも自分には興味がないと思っているのだろう。
それは概ね正解だ。別に彼にどう思われても構わなかったし、今後も自分から関わるつもりはなかった。
しかし雇い主の命令となれば、話は別だ。
……この家にいるのは大人ばかりであり、彼に年齢が近いのは、私だけだった。
私は大人びてはいたが、子供は結局どうやったって子供だ。
大人を拒否するのなら、子供の私を送りつけておけ、とでも思われたのかもしれない。
私は持ってきた数冊の教科書を、彼の机に置く。
「勉強を教えにきました」
「……は?」
私の目的が意外だったのか、彼は顔をあげる。
「え、君、学校行ってないよね。てか、一歳しか違わないし……」
「大丈夫です。ちゃんと独学しております。底辺高校へ行っている貴方より数億倍、頭がいい自信はありますので、心配には及びません」
「は……!?」
私の説明に、新様は目を見開いて固まった。
……うん? 彼がこんなに動揺するのは珍しい。なにか変なことを言っただろうか。
まあいいか、私は私の仕事をするまでだ。
そう思い、私は教科書を開き、使われている形跡のない椅子を引いて新様を見た。
「時間が勿体ないですから、とりあえず座っていただけますか」
結衣を優しく抱きしめたまま、葵は話を続ける。
「新様は結衣様に一目惚れだったと思うのですが――私はその、『新様が恋をした』結衣様に恋をしたのです」
「……えーと?」
「ふふ、意味がわかりませんか? まぁ、私もよくわからないのですが」
不思議そうな表情をする結衣に、葵は微笑んだ。
言葉にして説明すると、本当に意味がわからないなと自分でも思う。
「――私の雇い主の息子である新様は、私にとって特別な人です。なによりも大事にすべき人。新様のお父上は、新様が社会に出たら私を彼のお付きにすると決めておられました」
『特別な人』というのは、今も変わらない。でもそれは、『恋』ではない。
「そのときのために、私は一日のほとんどを色んな勉学や訓練に当てていました。そしてその合間に、彼のことを知るためによく観察していました」
結衣の頭を撫でながら、葵は懐かしむように過去を語る。
葵は普通の学校へは通わず、独学で勉強していたこと。それと並行して師匠の元で様々な訓練をしたこと。
「――つまり私の人生は彼のためにあったわけです。そして件の夏休み、新様は結衣様に出会いました。その様子を私は二人をずっと近くで見ていました。もちろん、二人とも気付いてはいませんでしたけどね」
※
十三年前、夏。
私――市松葵は十六歳。
わけあって、小原家に仕えていた。
この家の一人息子である小原新は、私の将来の主人になる予定であった。
一つ年下である彼は、いまいちやる気のない子供だった。
恵まれすぎた環境が、彼にとっては気に入らないのであろう。
ろくに勉強もせず、かといって何か特別変わったことをするわけでもなく、彼はほとんど部屋の中にいた。
この夏休み、彼の両親は彼を徹底的に勉強させようとした。
しかし他人を――家庭教師を部屋に入れることを、とにかく拒む。
そこで彼のお父上は、私を新様の部屋に向かわせた。
「新様、失礼致します」
返事がなかったが、私は勝手に部屋に入った。
雇い主が、彼の部屋に行けと言ったのだ。彼がどう反応しようが、私は入るしかない。
「誰……? なんで勝手に入ってくるの」
予想通り、不満をぶつけてくる新様。
彼はとくに何をするわけでもなく、ベッドに座っていた。
周りには本も遊ぶものもなにもない――本当になにもしていないようだった。
「……市松だっけ。なんで君が来るの?」
どうやら私が来たことに多少は驚いているようだった。
それもそのはずで。私はずっと彼を隠れて観察しているが、こちらから接することはほぼなかった。
こちらのことなど関心のないといった風に、私を覗く瞳には光が無く、きっと、同じくこちらも自分には興味がないと思っているのだろう。
それは概ね正解だ。別に彼にどう思われても構わなかったし、今後も自分から関わるつもりはなかった。
しかし雇い主の命令となれば、話は別だ。
……この家にいるのは大人ばかりであり、彼に年齢が近いのは、私だけだった。
私は大人びてはいたが、子供は結局どうやったって子供だ。
大人を拒否するのなら、子供の私を送りつけておけ、とでも思われたのかもしれない。
私は持ってきた数冊の教科書を、彼の机に置く。
「勉強を教えにきました」
「……は?」
私の目的が意外だったのか、彼は顔をあげる。
「え、君、学校行ってないよね。てか、一歳しか違わないし……」
「大丈夫です。ちゃんと独学しております。底辺高校へ行っている貴方より数億倍、頭がいい自信はありますので、心配には及びません」
「は……!?」
私の説明に、新様は目を見開いて固まった。
……うん? 彼がこんなに動揺するのは珍しい。なにか変なことを言っただろうか。
まあいいか、私は私の仕事をするまでだ。
そう思い、私は教科書を開き、使われている形跡のない椅子を引いて新様を見た。
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