保元らぷそでぃ

戸浦 隆

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第二章 佐藤義清出家のこと②

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   中納言の語る(二)

 義清殿が次に女院様にお目に掛かったのは、嵯峨の法金剛院でございました。
 法金剛院は、白河法皇(鳥羽上皇の祖父)様の崩御なされた大治四年(一一二九年)、供養のために女院様が建立祈願された寺です。元々は天長の頃(八三〇年)の右大臣清原夏野様の山荘で、その死後に双丘寺(ならびがおかでら)という律宗の寺院となりました。数々の珍しい花が植えられたこの寺には、歴代の帝が度々行幸なさっておられます。殊に承和の御代(みだい)、仁明天皇様は内山から望む景勝を愛でられ、その内山に五位の位を授けられたのです。「五位山」と呼ばれるようになった内山は女院様も大層お気に入りで、なだらかな山の上から広大な庭園をよく眺めておいででした。五位山から見下ろしますと、池を巡って西に西御堂、南に南御堂、東に女院様の寝殿、さらに東御堂、三重塔、水閣と続きます。花も春の枝垂れ桜に始まり蓮の花、花菖蒲、紫陽花が季節を追って競い咲く。秋は紅葉が池に映え、地上と水上に綾を織ります。その有り様は、この世の極楽浄土さながらでありました。
 この頃、女院様は鳥羽離宮ではなく、こちらにお住まいになられることが多ございました。上皇様の美福門院様へのご寵愛が次第に深まっておりましたから、それはそれで致し方ないことなのかも知れません。その法金剛院に、女院様の兄であられる大納言徳大寺実能(さねよし)様が義清殿を供に参られたのです。あれから数年を経ておりました。
 義清殿の本家筋に当たる実能様は、お気に入りの義清殿を供に召しては鳥羽離宮増築の下検分によくお出掛けでした。鳥羽離宮で顔を合わすことの少なくなった女院様の気を晴らそうと、観桜にかこつけて足をお向けになったのでしょう。
 女院様は実能様と語らいながら、庭の築山(つきやま)の桜の下を巡っておられます。「青女(あおめ)の滝」の前に差し掛かるとしばらく佇み、五位山より流れ込む水の落ちるさま、その水が池に引き入られ広がってゆくさまを飽かず眺めておいででした。石立ての名手である僧林賢と静意に命じて石組みを五、六尺高くさせるほど、女院様はこの滝にご関心が深かったのです。
 義清殿は御堂脇の樹下に畏まって坐り、お二人にじっと眼を注いでおりました。お二人というより、女院様に眼を奪われているのが傍目にも分かります。
 四十路(よそじ)に差し掛かったとはいえ、溢れるような艶(つや)やかさと豊潤な気品を漂わせる女院様は、久しぶりのご兄妹の歓談に、時折明るく澄み渡る笑い声を上げておられます。真っ青な空に映える桜の花そのもののような女院様に、心魅せられぬ者がどこにおりましょう。義清殿の熱い眼差しは、寸時も外されることがありません。女院様をたゆたう桜の華やぎに重ね合わせていたのではありますまいか。
「義清殿」
「何でごさいましょう、兵衛様」
「義清殿は、はてさて何をそんなにご熱心に見ておられますのやら」
「いや、私はただ………」
「花を愛でている、などと言うのではないでしょうね。花よりもっと眼を奪われるものがおありのご様子。ほほほ」
 兵衛の局にからかわれ、義清殿は紅潮してしまいました。
「兵衛、戯れを申すものではありません。義清殿が困っておいでではないですか」
 堀河の局のたしなめも意に介さず、兵衛の局は愉しそうに言うのです。
「よいではありませんか。ねえ、義清殿。せっかくの花見ですもの、歌を詠まれては」
「歌、ですか」
「美しいものを、ただ見ているだけではつまりません。歌に想いを託してみるのです」
「しかし………」
「あら、お嫌? それとも恥ずかしいのかしら」
「いえ。こんなことはありません」
「では、詠んでご覧なさいな」
 そそのかす兵衛の局の手に乗せられた形で、義清殿が一首詠み上げました。

なにとかく
 あだなる花の色をしも
   心にふかく染めはじめけむ

 兵衛の局が早速、辛辣(しんらつ)に評します。
「痒(かゆ)いところに手が届きそうで届かない、もどかしい歌ですこと。遠慮しないで、もっと自分の気持ちを真っ直ぐに言えばいいのに」
「義清殿は、あなたと違って謙虚のお気持ちが強いのです」
 堀河の局が申します。
「けれども、義清殿。この歌には初恋の淡い慕情は込められてはおりましょうが、あまりにも取り留めなく思われます。いま一つ試みてご覧なさい」
 堀河の局に促され、義清殿はもう一首詠まれました。

花みれば
 そのいはれとはなけれども
   心のうちぞ苦しかりける

「いかがでしょうか」
 義清殿が堀河の局に尋ねます。
 それには答えず、堀河の局はわたくしを見てこう言いました。
「中納言はどう思います」
「わたくしは歌を評するほど………」
「いえいえ。あなたはわたくしや兵衛よりもずっと義清殿を理解しています。二人の詠う心の底には同じ資質が流れていると、以前から感じていました。思った通りに言えばいいのです。その方が義清殿のためにもなりましょう」
「そうですね。では、申しましょう。義清殿の歌には『ふくらみ』があります。それが良きにつけ悪しきにつけ、義清殿の歌となっています。今の歌には、詠った本人にしか分からない心の奥の声が、言葉の『ふくらみ』に吸収されてしまっています。谺(こだま)が返っているとでも申しましょうか、響きは耳に届くけれど意味が捉えにくい。それは、例えば『なにとかく』や『いはれとはなけれども』といった言葉の使い方から来ているように思います」
 なるほど、と得心したように義清殿は頷きました。
「中納言様の言われること、よく分かります。かたじけのうございました。では、もう一つ詠んでみましょう」
 自分のいたらなさを直ぐさま認める素直さ、さらなる上を修得しようという心掛け。それが義清殿のよいところなのです。

花ときくは
 誰もさこそは嬉しけれ
   思ひしづめぬわが心かな

「さすがは義清殿。芽吹き花咲く喜びが眼に浮かぶようです。しかも下の句に込められた想いが深い。いい歌です」
 堀河の局が眼を細め、兵衛の局も我がことのように喜んでいます。わたくしも、こうして四人で話を弾ませることが殊の外嬉しいのです。
 わたくしたちの楽しげな語らいの声に気が引かれたのでしょうか、女院様がこちらにおいでになりました。
「楽しそうだこと。何をはしゃいでいるのです」
 堀河の局が義清殿の歌をご披露申し上げました。
「そう。義清が、その歌を……」
 女院様が義清殿に声をお掛けになりました。
「義清。息災でしたか」
 懐かしいものを慈しむような口ぶりです。義清殿が顔を上げました。女院様と義清殿の視線がほど良い緊張の糸を縒(よ)っていくように、わたくしには思われました。
「はい………」
「友を亡くした、と聞きましたが」
「佐藤憲康(のりやす)という同族の者です」
「さぞかし心痛めたことでしょう」
「二つ年上の、兄のような人でした」
「いつのことです」
「女院様より御衣をいただいた、その夜に」
「それは………」
 女院様は息を呑まれ、言葉の接ぎ穂を失ってしまわれました。
 あの日、得意満面に退出して行った義清殿の清々(すがすが)しい後ろ姿が鮮やかに甦(よみがえ)ります。喜びの絶頂から悲しみの奈落へ突き落とされた義清殿の心が、女院様には痛いほどお分かりになられたのでしょう。
「共に帰る道すがら、虫の報せとでもいうのでしょうか、憲康殿がいつになく物静かに私に語り掛けるのです」
「何と申したのですか」
「先祖代々天皇家をお護りし、今また当帝の恩恵に与(あずか)り面目を施しているというのに、どうしたことか何ごとも夢幻(ゆめまぼろし)のように思える、と言うのです。きょう生きているからといって、明日を迎えることが出来るとも思えない。出家し、山里にわび住まいしてみたい気がする、と」
「まだこれからの若い盛りだというのに、出家を?」
「翌朝、鳥羽離宮に参上しようと、七条大宮の邸に憲康殿を誘いに参りました。ところが、門前で大勢の人々が立ち騒いでおります。内からは悲しむ声、泣く声が聞こえて来るのです。ただ事ではないと急いで中に入って訊けば、主が昨夜寝たまま死んでしまったのだと」
「何と儚(はかな)いこと………。それで、遺された者は」
「十九になる妻と七十をいくつか越えた老母です」
「不憫(ふびん)な………」
 女院様ははらりと涙を落とされました。春うららかな最中(さなか)の落涙(らくるい)は桜の花の散るにも似て、女院様を一層美しく見せるのでした。義清殿はその涙をご自身の手にすくい取りたかったのではないでしょうか。
 せき上げて来るものを堪えながら、義清殿は言葉を続けました。
「女院様より誉れをいただいた輝かしい日に、最も大切な友を失いました。何か因縁(いんねん)めいたものを感じて止みません」
 女院様は袖で涙をお拭いになり、しばらく五位山の山際と青空の境に眼を留めておられました。それから義清殿に眼をお戻しになると、その顔をじっと見詰めて申されます。
「そなたもそなたの友も、顕仁と同じ年頃。他人ごととは思えません。顕仁は可哀想な業(ごう)を背負って生きています。政(まつりごと)には不向きなのです。幸い、そなたとは歌を通じて分かり合えるようですね。末永く支えてやってくれますか」
 義清殿は「はい」と答え、深々と頭を下げるのでした。
 女院様がわたくしの方をお向きになられた時にはもう眼に涙は無く、何か楽しいことを思いついた子供のような輝きが戻っておりました。
「中納言」
「はい」
「今宵は臥待月(ふしまちづき・陰暦十九日の月。出るのが遅いから臥して待つ月の意。寝待月とも)ですね。ゆっくり夜桜が見たい」
「よろしゅうございます。滞(とどこお)りなく準備いたしておきます」
 女院様が義清殿に眼を移され、その端整な顔をじっと見詰めます。
「義清。そなたも一緒に」
「えっ」
 義清殿は弾けるように顔を上げました。
「大納言様には私から言っておきます。警護に義清を残しておくようにと」
 涼風に翻(ひるがえ)る花弁のように、女院様は立ち去って行かれます。寝殿に向かわれる女院様の後ろ姿を、義清殿はただただ眺めるばかりでございました。
 義清殿が出家したのは、それからしばらくしてのことでございます。
 出家の原因がどこにあったのか、義清殿自身、語ることはありませんでした。ただ、次のような歌が残されております。

年月を
 いかでわが身に送りけむ
   昨日見し人今日はなき世に

知らざりき
 雲ゐのよそに見し月の
  かげをたもとに宿すべしとは

何となく
 せりと聞くこそあはれなれ
   摘みけむ人の心しられて

 古い物語や古歌に出て来る「芹(せり)摘む」は、高貴な女性に叶わぬ恋をすることを意味します。ですから、わたくしには義清殿の真意が思わず洩れた歌のように思えてなりません。
 義清殿が出家したのが保延六年(一一四〇年)、二十三歳の時。その翌年には崇徳天皇顕仁様が譲位なされて新院に、さらに次の年には女院様がご出家なされました。
 女院様が落飾(高貴な女性が髪を落とし仏門に入ること)なされた時、義清殿は法華経の勧進(寄付を募ること)を行って奔走いたしました。鳥羽本院様、新院様、内大臣藤原頼長様など、女院様ゆかりの方々に法華経二十八品(ほん)の写経をお願いに回ったのです。義清殿の尽力で無事一品経の供養が行われ、女院様はどんなにかお喜びになられたことでしょう。けれども、それからわずか三年後、打ち続く衰勢に押し流されるように、女院様は三条高倉第でお隠れあそばされました。久安元年(一一四五年)八月二十二日、四十五歳の若さでございました。
 喪に服している三条高倉第を義清殿が訪ねられ、堀河の局に歌を託しました。

尋ぬとも
 風のつてにも聞かじかし
   花と散りにし君が行方を

 南殿の春満開であった桜の花は、もうすでに散ってしまって跡形も無い。その桜の花を女院様に重ね、行方を尋ねても風の便りすら聞けないと嘆いているのです。

(堀河の局の返し)
吹く風の
 行方しらするものならば
  花と散るにもおくれざらまし

 風が行方を知らせてくれるのなら、花のように散った君の跡を慕い追って行くのにと、これは義清殿のお心を汲んでの歌。
 女院様の亡骸は、ご遺言通り火葬に付されず法金剛院の裏の五位山に埋葬されております。
 義清殿は女院様との想い出深い嵯峨の法金剛院の近くに庵(いおり)を結んでおりましたが、明くる年、花の行方をたどるように陸奥(現在の東北地方)へと旅立たれました。義清殿は出家してから後は、名を西行(さいぎょう)と改められております。
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