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四、三左衛門ノ変
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「義成(よしなり)殿、久し振りだな」
幕府の重臣梶原景時の嫡男源太景季(かげすえ)は、着座すると小野義成に言った。
「景高が、よしなに伝えてくれと申していた」
「妹は景高殿によく仕えておりましょうか」
「仲は良いようだ」
「それならば、ひと安心です」
小野義成の妹は景季の次弟景高に嫁いでいる。景季が鎌倉から急ぎ京に来たと聞いて義成は、最初は妹夫婦が不和になったのかと思った。だが景季の返答からすると、そういうことではなさそうだ。それに、同僚の中原政経(まさつね)と後藤基清(もときよ)も呼びだされている。急な呼び出しは、三人が仕える一条家に関わることなのだろうと推測された。
それにしても、よほどの大事が起こったに違いない。父親譲りの剛健をもって知られ、宇治川の戦いでは、佐々木高綱と先陣を争った景季だ。その三十七歳の男盛りの景季の眼が落ち窪み、頬が削げている。憔悴(しょうすい)の色が顔に浮き出て、隠すべくも無かった。
義成は義兄を気遣いながらも、胸の奥に湧き上がる不穏な泡立ちを消せずにいた。
「いささかお疲れのように見受けられますが」
「鎌倉から七日で駆け付けたのだ。さすがに堪えた。だが、火急のことゆえ疲れたなどとは言ってはおれぬ」
「火急のこととは………」
景季は、大きく息を吸った。
息を呑み、三人は景季の言葉を待った。
「鎌倉殿がご逝去(せいきょ)なされた………」
三人は呑んだ息を、一瞬止めた。
義成よりはいく分若い後藤基清が、膝を進めて景季に詰め寄る。
「いつのことでございます!」
「この正月十三日だ」
三人の眼は信じられないものを見たように、一様に大きく見開かれた。まさかという思いで、互いに顔を見合わせた。
一番年かさの中原政経は唇を噛み締め、嗚咽(おえつ)を殺している。膝の上に置いた握り拳(こぶし)を震わせている基清は、感情を必死に抑えようとして見る見る顔面を真っ赤に染めた。
ようやく気を取り直した義成が、景季に訊いた。
「原因は何でございます」
「飲水の病だ」
建久九年(一一九八年)十二月二十七日、源頼朝が突然倒れた。相模橋の橋供養の帰路のことである。そうして年が明けてから、頼朝は息を引き取った。北条政子始め重臣たちが協議し、死因は伏せられた。だが、死んだことは隠すことが出来ない。朝廷へは直(ただ)ちに奏上しなければならないのだ。何と報告するか。協議は終日続いた。結局、「飲水の病」ということにして届け出ることにした。「飲水の病」とは、今で言う糖尿病のことである。
梶原景時が是非にと申し出て、景季を使者に立てることに決定した。御家人たちには評判の良くない景時だが、頼朝の腹心中の腹心である。その嘆きようは傍目にも哀れなほどで、景時の胸の内は察するに余りあるという配慮からだった。
景季は三人の顔を一つ一つ確かめるように見ながら、言葉を継いだ。
「その方たちは頼朝公の命により一条能保(よしかた)、高能殿父子に仕えた。だが、ご両名とも一昨年、昨年と相次いで亡くなられている。その方たちの役目はすでに頼朝公の元に戻されたと考えてよかろう」
一条能保は頼朝の姉一ノ姫の婿であった。平家追討後、北条時政に続いて京都守護職の任に着いた公家である。五摂家の一つである一条家は摂政・関白に任じられる家柄だ。頼朝の朝廷進出への足掛かりとしては格好の人物と言える。三人は家人(けにん)として一条父子に仕え、ともに左衛門尉(さえもんのじょう)の位を与えられていた。主人が亡くなった後も引き続き一条家に留まってはいたが、景季の言うように役目はすでに終わっている。
三人の左衛門尉は、頷いて景季の言葉に応えた。
「知ってもおろうが、頼朝公はご息女大姫様を入内(じゅだい)なされようとしておられた。だが大姫様は上洛される途中、気鬱(きうつ)の病が昂(こう)じて命を落とされた。成就を目前にして、頼朝公の願いは無に帰したのだ」
後藤基清が、苦々しげに言葉を吐いた。
「実全法印でござろう」
「そう言われているようだな」
「土御門(つちみかど)殿の差し金に違いありません。怪しげな修験(しゅげん)者を遣わせて祈り殺したとの、もっぱらの噂」
「土御門通親(みちちか)は反幕派の首魁(しゅかい)だ。朝廷の思惑は後鳥羽上皇と通親の手に握られておる」
源通親は源氏姓だが公家である。平清盛が勢いを持つと、最初の妻を捨てて清盛の姪を妻に娶(めと)った。平家が滅びると再び妻を捨て、後鳥羽天皇の乳母を妻に迎えた。時の権勢に機敏で、力のある方へ蝙蝠(こうもり)のようにひょいひょいと飛び移る、したたかな男である。
時の関白九条兼実(かねざね)の娘任子は後鳥羽天皇の中宮であったが、通親はこれに対抗して養女在子を入内させた。第一皇子をどちらが先に産むか。朝廷内の覇権争いは、その一点に集まっていた。建久六年八月十三日、任子が女子を出産した。次いで十一月一日、在子が出産。男子であった。通親は中納言から権(ごん)大納言に昇進する。
権勢を得た通親は、露骨な行動に出た。翌年十一月二十四日、任子を内裏から追放。翌日には兼実から関白の地位を剥奪した。これによって頼朝と手を結ぶ九条兼実を始めとする親幕派は、一挙に追い落とされる。兼実の弟慈円僧正は天台座主(ざす)を、もう一人の弟兼房は太政大臣を、嫡子良経も内大臣を辞任。親幕派の公家たちはみな官職を罷免され謹慎蟄居(ちっきょ)させられた。世に言う「建久七年の政変」である。翌建久八年一月、親王が即位して土御門天皇と称したので、通親は土御門姓を名乗っている。
「しかし、まだ親幕派は残っております」
義成が、景季の眼を食い入るように見詰めながら言った。
景季は分かっていると言うように頷き、眼を閉じた。
「通親か………」
しばらく黙ったまま腕を組んでいたが、ようやく意を決したという風に眼を開いた。
「一昨日儂が急使として参内(さんだい)し、頼朝公死去の報告をしたその直後のことだ。通親は公卿たちを集め、臨時の除目(じもく・天皇の前で行って任官の儀式)を行ったらしい。権大納言である通親は自らを右大将に、頼家様を左中将に任じたという」
「そんな馬鹿な!」
基清が気色(けしき)ばんだ。
「源氏の棟梁になられようという頼家様を、こともあろうに自分の指揮下に置くとは!」
「しかも、だ。除目は頼朝公死去の報が届けられる前に行われたことにせよ、と緘口令(かんこうれい)まで敷いてな」
「奇態な。一体どういう腹づもりだ!」
「頼朝公ご存命ということにすれば、頼家様を自分の下座に据えるは、すなわち親である頼朝公の上に立つことになる」
「頼朝公亡き後ならば、意味が無い………。そういうことですか」
「さほどに頼朝公の存在は大きいのだ。幕府にとっても、朝廷にとっても」
頼朝は源氏を再興し、平家を討伐して武家の頂点に立った。鎌倉幕府を開き、これまで続いて来た天皇中心の政治を初めて武家のものとした。天下の実権を掌中にしている頼朝を抑え、政権を奪還したいというのが朝廷側の本音だった。京都が鎌倉を牛耳る。形の上だけでも、そういう構図を作ろうと目論(もくろ)んだのである。
言葉を切り、景季はじっと三人の顔を窺った。そうして独り言を言うように、ぼそりと呟いた。
「眼に障る男だな………」
義成も政経、基清も、景季がなぜ三人をわざわざ呼び寄せたのか、この時その真意をはっきりと理解した。
三人は口を引き結んだ。
沈黙が座を重く澱ませる。その重さはしかし、三人に迫られた覚悟の重さでもあった。
景季が口を開いた。
「で、親幕派の巻き返しは図れるのか?」
両手に拳を握り締めていた基清が、ずいっと膝を乗り出した。
「瘤(こぶ)さえ無くなれば………」
政経も声を大にして重ねた。
「いかにも。荒療治が必要かと」
「なるほど。それはもっともなことではあるが………」
景季は組んだ腕を解き、右手で自分の顔をつるりと撫でた。
基清がさらに膝を詰めた。
「頼朝公が亡くなられた今となっては、これ幸いと反幕派は嵩(かさ)に掛かって参りましょう。早急に手を打たねばなりません」
「うむ。さて、どうしたものかな」
どうせよ、と具体的な指図を自分の口から言うことは出来ない。開けた眼を天井に据えながら、景季は三人の答えを待った。
三人はすでに景季の胸の内を察している。義成が政経と基清の二人に眼を配った。二人は頷き、それに応じた。
威儀を正した義成は、畏(おそ)れながらと口を開いた。
「頼朝公の下知(げじ)により我ら三名、一条家に仕えておりました。が、我らが主家は鎌倉殿より外にござらん。その主家に対する土御門殿の所業、甚(はなは)だ許し難きものと存ずる。このまま捨て置くわけには参りません」
「うむ。それで?」
「土御門殿は今、いずこに」
「哀悼(あいとう)の意を表し自邸に籠居(ろうきょ)しておったが、それもわずか一日のこと。今日は院ノ御所に出仕している筈だが」
「ならば御所の門前にて」
「待ち伏せると言うか」
「左様。三人ならば、よもや仕損じることはございますまい」
「覚悟の上なのだな」
「無論」
「そうか。引き留めて翻意(ほんい)するその方たちでもあるまい。また、引き留める理由も儂には無い」
三人ほ深々と一礼し、景季の前を辞した。
景季は、一人になるとすぐさま文机に向かった。そうして考える間も置かず、さらさらと紙に筆を走らせた。
道すがら、後藤基清が義成に言った。
「小野殿。これでやっと頼朝公の御恩に報いることが出来ます」
「そうだな。一条家の家臣で居続けることは、儂も肩身が狭かった。本分に戻れることは感謝しなければ」
「ですが、梶原殿はなぜ我らに………」
中原政経が訝しむような眼を基清に向けた。
「何だ。解っていたのではないのか」
「私はただ大殿のおん為に働けるのならば本望だと、そればかり頭にありましたが」
政経は呆れたと言う代わりに、基清の肩をドンと叩いた。それから辺りに眼を配りながら、声を落とした。
「鎌倉が動くわけには参らんだろうが」
「そうなのですか」
「動けば朝敵になる」
「朝敵?」
「通親は義理とはいえ、仮にも土御門天皇の父親だぞ。天皇に歯向かうことになる。後鳥羽院も黙ってはいまい」
「そこで我ら三人に白羽の矢が当てられた?」
「万一露見したとしても、一条家家臣の暴挙ということにすれば事は収まる。幕府にお咎(とが)めがあってはならぬのだ」
「なるほど」
「そこまで言わせるとは、なかなかに世話が焼ける」
「面目ない」
苦笑する政経に、基清は素直に頭を下げた。
義成は基清の率直な態度を好ましく思いながら、これからやり遂げねばならない大事に頭を馳(は)せた。
「中原殿。事に当たっては準備も要る。一旦、家に戻ってから落ち合おう」
「うむ」
「では後ほど」
政経が基清に念を押すように囁いた。
「くれぐれも気取られぬことの無いようにな」
「承知した」
眼を見交わし、三人の左衛門尉はそれぞれの家路へと足を向け別れた。
だが、三人が院ノ御所の門前を見通せる一角に姿を現すまでの、そのわずか一刻の間隙(かんげき)が通親の命を永らえさせることになった。
通親が後鳥羽院との会談を終え、帰ろうとした時である。急使だという者から一通の文を受け取った。
一読した通親の、文を持つ手がぶるぶると震え出した。顔から血の気が引き、膝は体を支える力を忘れ掛けていた。気を落ち着かせようとしたが、同じ所をぐるぐる回るだけだった。早急に手を打たねば………。思考も体と同じで、そればかりが頭の中をぐるぐると巡る。だが、じっと手をこまねいてはいられない。とにかく院の耳に入れなければと思い直し、先ほど退出したばかりの御前に再び進み出た。
「御上(おかみ)に申し上げまする」
「通親ではないか。何か言い忘れでもしたか」
昨年土御門天皇に譲位した後鳥羽院は、今年二十歳になる。和歌に秀でた歌人であるばかりでなく、幕府から政権を奪回しようと意欲を燃やす若き帝王でもあった。政治の実権は平氏から源氏へと、台頭して来た武家に掌握されている。累々と続いて来た朝廷主権を取り戻すこと。それが院の悲願だった。頼朝の訃報は、反幕体制をより強固なものにする千載一遇(せんざいいちぐう)の好機と言えた。
「実は、私を狙って刺客が放たれた由(よし)にござりまする」
「早いな。もう手を打って来たか」
「門前で待ち受けていると………」
「それで怯(おび)えおるか」
「怯えるなどと、そのようなことはござりませぬ」
院は、ほっほっと笑った。
後鳥羽院の祖父である後白河法皇の近臣として源平の争乱という難局を乗り切り、今や政敵九条兼実を排除して京都政界の中枢に坐る野心家が青褪(ざ)めている。日頃は何かと差し出がましい口を利く通親だが、動揺が体全体からこぼれ落ちている。脂の乗り切った五十男が、まるで猟犬に追い詰められ穴の奥で縮み上がっている野ネズミのようだった。
可笑しさとちょっと溜飲の下がる思いを味わいながら、院は言った。
「案ずるでない。まさか御所(ここ)まで押し入って来るものでもなかろう」
「それさそうでござりましょうが………」
「で、誰か。その報を報せたは」
「頼朝公逝去の急使として参内した梶原殿」
「何、景季が?」
これには後鳥羽院も驚いた。景季が動くということは、父の景時の意向によるものだろう。反幕派の中心人物である通親の命を狙う者を、幕府の要人が密告する………。どう考えてもおかしなことだった。
「何を目論んでおる、梶原は」
「分かりませぬ」
「ふうん。だが意図はどうあれ、あながち悪い話でも無さそうだ」
「いかがすれば………」
「まずは凶刃(きょうじん)を取り除かねばなるまい。幕府の人間でそちの信頼に足る者はおるか」
「大江広元殿ならば」
「確かか」
「はい。広元殿の嫡男親広は私の猶子(ゆうし・養子のこと)でござりますれば」
大江広元は頼朝の信任篤(あつ)い宿老の一人である。太政官の外記(げき)として奏文の作成など文筆の職にあったが、頼朝に招かれ公文所や政所(まんどころ)の別当(長官のこと)を務めた。平家追討の際には朝廷との折衝に重要な役割を果たし、鎌倉と京都を繋ぐパイプライン的存在だった。また、源義経の追悼及び平家残党の反乱防止を理由に守護・地頭の設置を頼朝に献策したのも広元で、幕府内でも一目置かれる人物だった。
「ならば早急にしかるべき手を打つよう、広元に知らせよ」
「梶原殿のことは………」
「伏せておくがいい。上手くすれば、幕府内部に亀裂を生じさせることになるやも知れぬ。手駒は最後まで見せぬが得策というものだ」
「梶原殿に借りが出来てござりまする」
「何、見返りが無ければ借りを作る筈も無い。すぐにでも呼び寄せよ」
「大きな熨斗(のし)を付けて返しやれば、面白いことになりそうでござりまするな」
「やっといつもの通親に戻ったな」
ほっほっ、と院はまた笑った。
通親は後鳥羽院と言葉を交わしたことで少し気持ちが落ち着いた。御前を下がるとすぐに密書を認(したた)めた。従者に充分に言い含めると裏門より出す。それでようやく通親は、人心地ついた気がした。
院ノ御所の門の見渡せる叢林(そうりん)の陰で、小野義成・中原政経・後藤基清の三人は落ち合った。日が暮れ、辺りが暗くなるまで待ったが門は開かなかった。陽が落ちてしまってからでは、通親が出て来ることは無い。政務によっては、御所に泊まり込むことは度々ある。致し方なく、仕事は翌日に延ばした。
日が無為に過ぎた。じりじりとあせる気が募(つの)る。だが、三人の左衛門は待つより無かった。
通親が御所に籠もって二十日余り経った、朝の遅い時刻のことである。
基清が政経に言った。
「妙だと思いませんか」
「うむ。どれほど大事な務めがあるかは知らんが、一度も邸に戻らないとはな」
義成も頷いた。
「感づかれたか」
政経は、「いや」と首を振った。
「そんな筈は無い。この事を知っておるのは、我ら三人と梶原殿だけだ。漏れることなど有り得ない」
「そうだな。もう四、五日待ってみよう。それで動きが無ければ、梶原殿に報告する」
基清が焦(じ)れる気持ちを紛らすように、拾った小石を林の奥に投げた。
その時である。
小石の落ちた木陰がざわと動いた。基清は眼を凝らした。飛び出しこちらに駆けて来るいくつもの塊がある。あっという間に三人は取り囲まれた。鋭い眼を三人に向けている、十五人ほどの武士の一人が言った。
「神妙にせよ!」
義成が刀の柄(つか)に手を掛けながら、言い放った。
「誰だ!」
「頼家様のご命令である」
「頼家様の?」
義成は相手が何を言っているのか、瞬時には理解出来なかった。
「どういうことだ………」
信じられない思いが胸中を駆け巡った。北面の武士が警護の目的で院の命令を受けたのなら話は解る。だが、この武士団は鎌倉から駆け付けた御家人たちなのだ。頼朝公の恩義に報いるため、引いては鎌倉、頼家のために立ち上がったというのに、あろうことかその頼家の命令で捕縛されようとしているのだ。
「そんな馬鹿な………」
男は繰り返した。
「頼家様のご命令である。大人しく縛につけ!」
じりっと武士団が輪を縮めた。
義成は観念した。柄に掛けた手を解き、政経と基清に眼を送った。二人とも眼で頷き返し、体の緊張を解いた。駆け寄った武士たちが三人の刀を腰から抜き取る。引き立てられながら、義成は空を仰いだ。澄み切った一月の青空には、一片の雲も浮かんでいない。それが却って不思議な気にさせていた。
三日後、院ノ御所で通親立ち会いの下、三人の左衛門尉は尋問を受け流罪を申し渡された。この詮議を通親は最大限に利用した。三年前の政変で一掃したかに見えた親幕派の生き残りを陰謀の黒幕として処分し、完全に朝廷内から排除したのである。梶原の名はどこからも一切出なかった。
この処罰を受け、鎌倉でも頼家が三人の所職を改易(かいえき)した。後鳥羽院の寵臣(ちょうしん)の暗殺を謀(はか)ったのだ。当然といえば当然の処置だった。ところが、このことが頼家にとって思いも掛けない事態を引き起こすことになったのである。
幕府の重臣梶原景時の嫡男源太景季(かげすえ)は、着座すると小野義成に言った。
「景高が、よしなに伝えてくれと申していた」
「妹は景高殿によく仕えておりましょうか」
「仲は良いようだ」
「それならば、ひと安心です」
小野義成の妹は景季の次弟景高に嫁いでいる。景季が鎌倉から急ぎ京に来たと聞いて義成は、最初は妹夫婦が不和になったのかと思った。だが景季の返答からすると、そういうことではなさそうだ。それに、同僚の中原政経(まさつね)と後藤基清(もときよ)も呼びだされている。急な呼び出しは、三人が仕える一条家に関わることなのだろうと推測された。
それにしても、よほどの大事が起こったに違いない。父親譲りの剛健をもって知られ、宇治川の戦いでは、佐々木高綱と先陣を争った景季だ。その三十七歳の男盛りの景季の眼が落ち窪み、頬が削げている。憔悴(しょうすい)の色が顔に浮き出て、隠すべくも無かった。
義成は義兄を気遣いながらも、胸の奥に湧き上がる不穏な泡立ちを消せずにいた。
「いささかお疲れのように見受けられますが」
「鎌倉から七日で駆け付けたのだ。さすがに堪えた。だが、火急のことゆえ疲れたなどとは言ってはおれぬ」
「火急のこととは………」
景季は、大きく息を吸った。
息を呑み、三人は景季の言葉を待った。
「鎌倉殿がご逝去(せいきょ)なされた………」
三人は呑んだ息を、一瞬止めた。
義成よりはいく分若い後藤基清が、膝を進めて景季に詰め寄る。
「いつのことでございます!」
「この正月十三日だ」
三人の眼は信じられないものを見たように、一様に大きく見開かれた。まさかという思いで、互いに顔を見合わせた。
一番年かさの中原政経は唇を噛み締め、嗚咽(おえつ)を殺している。膝の上に置いた握り拳(こぶし)を震わせている基清は、感情を必死に抑えようとして見る見る顔面を真っ赤に染めた。
ようやく気を取り直した義成が、景季に訊いた。
「原因は何でございます」
「飲水の病だ」
建久九年(一一九八年)十二月二十七日、源頼朝が突然倒れた。相模橋の橋供養の帰路のことである。そうして年が明けてから、頼朝は息を引き取った。北条政子始め重臣たちが協議し、死因は伏せられた。だが、死んだことは隠すことが出来ない。朝廷へは直(ただ)ちに奏上しなければならないのだ。何と報告するか。協議は終日続いた。結局、「飲水の病」ということにして届け出ることにした。「飲水の病」とは、今で言う糖尿病のことである。
梶原景時が是非にと申し出て、景季を使者に立てることに決定した。御家人たちには評判の良くない景時だが、頼朝の腹心中の腹心である。その嘆きようは傍目にも哀れなほどで、景時の胸の内は察するに余りあるという配慮からだった。
景季は三人の顔を一つ一つ確かめるように見ながら、言葉を継いだ。
「その方たちは頼朝公の命により一条能保(よしかた)、高能殿父子に仕えた。だが、ご両名とも一昨年、昨年と相次いで亡くなられている。その方たちの役目はすでに頼朝公の元に戻されたと考えてよかろう」
一条能保は頼朝の姉一ノ姫の婿であった。平家追討後、北条時政に続いて京都守護職の任に着いた公家である。五摂家の一つである一条家は摂政・関白に任じられる家柄だ。頼朝の朝廷進出への足掛かりとしては格好の人物と言える。三人は家人(けにん)として一条父子に仕え、ともに左衛門尉(さえもんのじょう)の位を与えられていた。主人が亡くなった後も引き続き一条家に留まってはいたが、景季の言うように役目はすでに終わっている。
三人の左衛門尉は、頷いて景季の言葉に応えた。
「知ってもおろうが、頼朝公はご息女大姫様を入内(じゅだい)なされようとしておられた。だが大姫様は上洛される途中、気鬱(きうつ)の病が昂(こう)じて命を落とされた。成就を目前にして、頼朝公の願いは無に帰したのだ」
後藤基清が、苦々しげに言葉を吐いた。
「実全法印でござろう」
「そう言われているようだな」
「土御門(つちみかど)殿の差し金に違いありません。怪しげな修験(しゅげん)者を遣わせて祈り殺したとの、もっぱらの噂」
「土御門通親(みちちか)は反幕派の首魁(しゅかい)だ。朝廷の思惑は後鳥羽上皇と通親の手に握られておる」
源通親は源氏姓だが公家である。平清盛が勢いを持つと、最初の妻を捨てて清盛の姪を妻に娶(めと)った。平家が滅びると再び妻を捨て、後鳥羽天皇の乳母を妻に迎えた。時の権勢に機敏で、力のある方へ蝙蝠(こうもり)のようにひょいひょいと飛び移る、したたかな男である。
時の関白九条兼実(かねざね)の娘任子は後鳥羽天皇の中宮であったが、通親はこれに対抗して養女在子を入内させた。第一皇子をどちらが先に産むか。朝廷内の覇権争いは、その一点に集まっていた。建久六年八月十三日、任子が女子を出産した。次いで十一月一日、在子が出産。男子であった。通親は中納言から権(ごん)大納言に昇進する。
権勢を得た通親は、露骨な行動に出た。翌年十一月二十四日、任子を内裏から追放。翌日には兼実から関白の地位を剥奪した。これによって頼朝と手を結ぶ九条兼実を始めとする親幕派は、一挙に追い落とされる。兼実の弟慈円僧正は天台座主(ざす)を、もう一人の弟兼房は太政大臣を、嫡子良経も内大臣を辞任。親幕派の公家たちはみな官職を罷免され謹慎蟄居(ちっきょ)させられた。世に言う「建久七年の政変」である。翌建久八年一月、親王が即位して土御門天皇と称したので、通親は土御門姓を名乗っている。
「しかし、まだ親幕派は残っております」
義成が、景季の眼を食い入るように見詰めながら言った。
景季は分かっていると言うように頷き、眼を閉じた。
「通親か………」
しばらく黙ったまま腕を組んでいたが、ようやく意を決したという風に眼を開いた。
「一昨日儂が急使として参内(さんだい)し、頼朝公死去の報告をしたその直後のことだ。通親は公卿たちを集め、臨時の除目(じもく・天皇の前で行って任官の儀式)を行ったらしい。権大納言である通親は自らを右大将に、頼家様を左中将に任じたという」
「そんな馬鹿な!」
基清が気色(けしき)ばんだ。
「源氏の棟梁になられようという頼家様を、こともあろうに自分の指揮下に置くとは!」
「しかも、だ。除目は頼朝公死去の報が届けられる前に行われたことにせよ、と緘口令(かんこうれい)まで敷いてな」
「奇態な。一体どういう腹づもりだ!」
「頼朝公ご存命ということにすれば、頼家様を自分の下座に据えるは、すなわち親である頼朝公の上に立つことになる」
「頼朝公亡き後ならば、意味が無い………。そういうことですか」
「さほどに頼朝公の存在は大きいのだ。幕府にとっても、朝廷にとっても」
頼朝は源氏を再興し、平家を討伐して武家の頂点に立った。鎌倉幕府を開き、これまで続いて来た天皇中心の政治を初めて武家のものとした。天下の実権を掌中にしている頼朝を抑え、政権を奪還したいというのが朝廷側の本音だった。京都が鎌倉を牛耳る。形の上だけでも、そういう構図を作ろうと目論(もくろ)んだのである。
言葉を切り、景季はじっと三人の顔を窺った。そうして独り言を言うように、ぼそりと呟いた。
「眼に障る男だな………」
義成も政経、基清も、景季がなぜ三人をわざわざ呼び寄せたのか、この時その真意をはっきりと理解した。
三人は口を引き結んだ。
沈黙が座を重く澱ませる。その重さはしかし、三人に迫られた覚悟の重さでもあった。
景季が口を開いた。
「で、親幕派の巻き返しは図れるのか?」
両手に拳を握り締めていた基清が、ずいっと膝を乗り出した。
「瘤(こぶ)さえ無くなれば………」
政経も声を大にして重ねた。
「いかにも。荒療治が必要かと」
「なるほど。それはもっともなことではあるが………」
景季は組んだ腕を解き、右手で自分の顔をつるりと撫でた。
基清がさらに膝を詰めた。
「頼朝公が亡くなられた今となっては、これ幸いと反幕派は嵩(かさ)に掛かって参りましょう。早急に手を打たねばなりません」
「うむ。さて、どうしたものかな」
どうせよ、と具体的な指図を自分の口から言うことは出来ない。開けた眼を天井に据えながら、景季は三人の答えを待った。
三人はすでに景季の胸の内を察している。義成が政経と基清の二人に眼を配った。二人は頷き、それに応じた。
威儀を正した義成は、畏(おそ)れながらと口を開いた。
「頼朝公の下知(げじ)により我ら三名、一条家に仕えておりました。が、我らが主家は鎌倉殿より外にござらん。その主家に対する土御門殿の所業、甚(はなは)だ許し難きものと存ずる。このまま捨て置くわけには参りません」
「うむ。それで?」
「土御門殿は今、いずこに」
「哀悼(あいとう)の意を表し自邸に籠居(ろうきょ)しておったが、それもわずか一日のこと。今日は院ノ御所に出仕している筈だが」
「ならば御所の門前にて」
「待ち伏せると言うか」
「左様。三人ならば、よもや仕損じることはございますまい」
「覚悟の上なのだな」
「無論」
「そうか。引き留めて翻意(ほんい)するその方たちでもあるまい。また、引き留める理由も儂には無い」
三人ほ深々と一礼し、景季の前を辞した。
景季は、一人になるとすぐさま文机に向かった。そうして考える間も置かず、さらさらと紙に筆を走らせた。
道すがら、後藤基清が義成に言った。
「小野殿。これでやっと頼朝公の御恩に報いることが出来ます」
「そうだな。一条家の家臣で居続けることは、儂も肩身が狭かった。本分に戻れることは感謝しなければ」
「ですが、梶原殿はなぜ我らに………」
中原政経が訝しむような眼を基清に向けた。
「何だ。解っていたのではないのか」
「私はただ大殿のおん為に働けるのならば本望だと、そればかり頭にありましたが」
政経は呆れたと言う代わりに、基清の肩をドンと叩いた。それから辺りに眼を配りながら、声を落とした。
「鎌倉が動くわけには参らんだろうが」
「そうなのですか」
「動けば朝敵になる」
「朝敵?」
「通親は義理とはいえ、仮にも土御門天皇の父親だぞ。天皇に歯向かうことになる。後鳥羽院も黙ってはいまい」
「そこで我ら三人に白羽の矢が当てられた?」
「万一露見したとしても、一条家家臣の暴挙ということにすれば事は収まる。幕府にお咎(とが)めがあってはならぬのだ」
「なるほど」
「そこまで言わせるとは、なかなかに世話が焼ける」
「面目ない」
苦笑する政経に、基清は素直に頭を下げた。
義成は基清の率直な態度を好ましく思いながら、これからやり遂げねばならない大事に頭を馳(は)せた。
「中原殿。事に当たっては準備も要る。一旦、家に戻ってから落ち合おう」
「うむ」
「では後ほど」
政経が基清に念を押すように囁いた。
「くれぐれも気取られぬことの無いようにな」
「承知した」
眼を見交わし、三人の左衛門尉はそれぞれの家路へと足を向け別れた。
だが、三人が院ノ御所の門前を見通せる一角に姿を現すまでの、そのわずか一刻の間隙(かんげき)が通親の命を永らえさせることになった。
通親が後鳥羽院との会談を終え、帰ろうとした時である。急使だという者から一通の文を受け取った。
一読した通親の、文を持つ手がぶるぶると震え出した。顔から血の気が引き、膝は体を支える力を忘れ掛けていた。気を落ち着かせようとしたが、同じ所をぐるぐる回るだけだった。早急に手を打たねば………。思考も体と同じで、そればかりが頭の中をぐるぐると巡る。だが、じっと手をこまねいてはいられない。とにかく院の耳に入れなければと思い直し、先ほど退出したばかりの御前に再び進み出た。
「御上(おかみ)に申し上げまする」
「通親ではないか。何か言い忘れでもしたか」
昨年土御門天皇に譲位した後鳥羽院は、今年二十歳になる。和歌に秀でた歌人であるばかりでなく、幕府から政権を奪回しようと意欲を燃やす若き帝王でもあった。政治の実権は平氏から源氏へと、台頭して来た武家に掌握されている。累々と続いて来た朝廷主権を取り戻すこと。それが院の悲願だった。頼朝の訃報は、反幕体制をより強固なものにする千載一遇(せんざいいちぐう)の好機と言えた。
「実は、私を狙って刺客が放たれた由(よし)にござりまする」
「早いな。もう手を打って来たか」
「門前で待ち受けていると………」
「それで怯(おび)えおるか」
「怯えるなどと、そのようなことはござりませぬ」
院は、ほっほっと笑った。
後鳥羽院の祖父である後白河法皇の近臣として源平の争乱という難局を乗り切り、今や政敵九条兼実を排除して京都政界の中枢に坐る野心家が青褪(ざ)めている。日頃は何かと差し出がましい口を利く通親だが、動揺が体全体からこぼれ落ちている。脂の乗り切った五十男が、まるで猟犬に追い詰められ穴の奥で縮み上がっている野ネズミのようだった。
可笑しさとちょっと溜飲の下がる思いを味わいながら、院は言った。
「案ずるでない。まさか御所(ここ)まで押し入って来るものでもなかろう」
「それさそうでござりましょうが………」
「で、誰か。その報を報せたは」
「頼朝公逝去の急使として参内した梶原殿」
「何、景季が?」
これには後鳥羽院も驚いた。景季が動くということは、父の景時の意向によるものだろう。反幕派の中心人物である通親の命を狙う者を、幕府の要人が密告する………。どう考えてもおかしなことだった。
「何を目論んでおる、梶原は」
「分かりませぬ」
「ふうん。だが意図はどうあれ、あながち悪い話でも無さそうだ」
「いかがすれば………」
「まずは凶刃(きょうじん)を取り除かねばなるまい。幕府の人間でそちの信頼に足る者はおるか」
「大江広元殿ならば」
「確かか」
「はい。広元殿の嫡男親広は私の猶子(ゆうし・養子のこと)でござりますれば」
大江広元は頼朝の信任篤(あつ)い宿老の一人である。太政官の外記(げき)として奏文の作成など文筆の職にあったが、頼朝に招かれ公文所や政所(まんどころ)の別当(長官のこと)を務めた。平家追討の際には朝廷との折衝に重要な役割を果たし、鎌倉と京都を繋ぐパイプライン的存在だった。また、源義経の追悼及び平家残党の反乱防止を理由に守護・地頭の設置を頼朝に献策したのも広元で、幕府内でも一目置かれる人物だった。
「ならば早急にしかるべき手を打つよう、広元に知らせよ」
「梶原殿のことは………」
「伏せておくがいい。上手くすれば、幕府内部に亀裂を生じさせることになるやも知れぬ。手駒は最後まで見せぬが得策というものだ」
「梶原殿に借りが出来てござりまする」
「何、見返りが無ければ借りを作る筈も無い。すぐにでも呼び寄せよ」
「大きな熨斗(のし)を付けて返しやれば、面白いことになりそうでござりまするな」
「やっといつもの通親に戻ったな」
ほっほっ、と院はまた笑った。
通親は後鳥羽院と言葉を交わしたことで少し気持ちが落ち着いた。御前を下がるとすぐに密書を認(したた)めた。従者に充分に言い含めると裏門より出す。それでようやく通親は、人心地ついた気がした。
院ノ御所の門の見渡せる叢林(そうりん)の陰で、小野義成・中原政経・後藤基清の三人は落ち合った。日が暮れ、辺りが暗くなるまで待ったが門は開かなかった。陽が落ちてしまってからでは、通親が出て来ることは無い。政務によっては、御所に泊まり込むことは度々ある。致し方なく、仕事は翌日に延ばした。
日が無為に過ぎた。じりじりとあせる気が募(つの)る。だが、三人の左衛門は待つより無かった。
通親が御所に籠もって二十日余り経った、朝の遅い時刻のことである。
基清が政経に言った。
「妙だと思いませんか」
「うむ。どれほど大事な務めがあるかは知らんが、一度も邸に戻らないとはな」
義成も頷いた。
「感づかれたか」
政経は、「いや」と首を振った。
「そんな筈は無い。この事を知っておるのは、我ら三人と梶原殿だけだ。漏れることなど有り得ない」
「そうだな。もう四、五日待ってみよう。それで動きが無ければ、梶原殿に報告する」
基清が焦(じ)れる気持ちを紛らすように、拾った小石を林の奥に投げた。
その時である。
小石の落ちた木陰がざわと動いた。基清は眼を凝らした。飛び出しこちらに駆けて来るいくつもの塊がある。あっという間に三人は取り囲まれた。鋭い眼を三人に向けている、十五人ほどの武士の一人が言った。
「神妙にせよ!」
義成が刀の柄(つか)に手を掛けながら、言い放った。
「誰だ!」
「頼家様のご命令である」
「頼家様の?」
義成は相手が何を言っているのか、瞬時には理解出来なかった。
「どういうことだ………」
信じられない思いが胸中を駆け巡った。北面の武士が警護の目的で院の命令を受けたのなら話は解る。だが、この武士団は鎌倉から駆け付けた御家人たちなのだ。頼朝公の恩義に報いるため、引いては鎌倉、頼家のために立ち上がったというのに、あろうことかその頼家の命令で捕縛されようとしているのだ。
「そんな馬鹿な………」
男は繰り返した。
「頼家様のご命令である。大人しく縛につけ!」
じりっと武士団が輪を縮めた。
義成は観念した。柄に掛けた手を解き、政経と基清に眼を送った。二人とも眼で頷き返し、体の緊張を解いた。駆け寄った武士たちが三人の刀を腰から抜き取る。引き立てられながら、義成は空を仰いだ。澄み切った一月の青空には、一片の雲も浮かんでいない。それが却って不思議な気にさせていた。
三日後、院ノ御所で通親立ち会いの下、三人の左衛門尉は尋問を受け流罪を申し渡された。この詮議を通親は最大限に利用した。三年前の政変で一掃したかに見えた親幕派の生き残りを陰謀の黒幕として処分し、完全に朝廷内から排除したのである。梶原の名はどこからも一切出なかった。
この処罰を受け、鎌倉でも頼家が三人の所職を改易(かいえき)した。後鳥羽院の寵臣(ちょうしん)の暗殺を謀(はか)ったのだ。当然といえば当然の処置だった。ところが、このことが頼家にとって思いも掛けない事態を引き起こすことになったのである。
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