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五、サロン・ド・エコール

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「何ぃ! あの高梨の許婚だぁ?」
 兵頭先生は、用務員の竹崎が用意してくれていた麦茶の入った紙コップを危うく落としそうになった。
「そうだったのか。そりゃあ、キツいなぁ」
 そう言うと、兵頭先生はごくりと麦茶を飲んだ。
 用務員室に入るのは、陶子は初めてだった。入口のサッシのドアの横の壁には様々な道具類が立て掛けてある。芝刈り機、チェーンソー、糸鋸(いとのこ)、細長い筒のバーナー、伸縮する枝切り機、ロープ、竹箒(たけぼうき)。向かい合う壁には麦わら帽子、合羽(かっぱ)、何のために使うのか解らないカラフルなスカーフやパッチワークの大きめのバッグなどがフックに架けてある。床にはオイル缶や長靴、ちり取り、巻き取り型のホースがきちんと並べられ、靴脱ぎ場からは一段高く板の間のフロアーが続く。壁際にロッカー、冷蔵庫、スチール製の棚が配置され、反対側の窓のある壁に沿って作業台を兼ねる長机が置いてある。陶子と兵頭先生は、その長机の前のパイプ椅子に並んで坐った。先生と生徒とはいえ、校内のしかも生徒が普段立ち入らない用務員室で男と女が二人きりでいることに配慮して、入口のサッシのドアは開け放たれていた。
 用意してくれていた用務員の竹崎の麦茶を、せっかくだからと陶子もひと口飲んだ。ほど良く冷えた香ばしい麦茶が喉から食道、胃へと落ちて行くのが解る。
「高梨恭一は俺も教えたよ。変わったヤツだった」
「確かに変わってたかも知れません」
「でも俺は好きだったな、あいつ」
 兵頭先生の「あいつ」という言葉には、親しみが滲み出ていた。
「大体が教師という輩(やから)は二種類に分類される」
「そうなんですか?」
「真面目で勉強の出来る生徒を好む輩。枠(わく)に収まらず、面倒を起こして手こずらせる生徒を好む輩。どっちかというと、俺は後者の部類に入るな。そっちの生徒の方が面白いんだ。吉本みたいな、ヒャッヒャッ」
「恭一さんは面倒を起こしたりしたんですか?」
「いや、ちーとも。勉強は出来る、スポーツは得意。しかし、枠にははまらない。教師を手こずらせる」
「両面持ってたんですね、やっぱり」
「あいつ出来過ぎるんだよ。勉強でも、ある分野では教師以上に突出した知識を持ってたからな。『先生、そこは違います』って指摘する。教師の方は形無しだ。だけど、才をひけらかしたいわけじゃない。事実と違うことを教えられるのが嫌だっただけだ。それを誤解して高梨を毛嫌いする輩もいたけどな」
「出しゃばりじゃなく、どちらかというと控え目でした。私の前でも」
「そうだろうな。優しいところがあったよ、あいつは」
 恭一の話になると、涙が出そうになる。陶子はちょっと腹に気を溜めて堪えた。
「いつだったか、ガラス割り事件があった」
「ガラス割り事件?」
「ああ。授業中に突然、ある生徒が立ち上がって窓際に行くやガラスを拳(こぶし)で割ったんだ。教師も生徒らもビックリ仰天さ。その男生徒は大人しい子で目立たないヤツだった。悪戯や悪いことなんか、しようにも出来ない子なんだ。そいつが泣きながら拳骨でバンとやった」
「なぜなんですか?」
「最初はストレスからやったんだろう、と教師は思ったらしい。だけど、クラスの数人の男生徒が面白がってクツクツ笑ってたんだ」
「それって………」
「そうだ。イジメだよ。一番大人しくて口応えも出来ないような生徒を選んで脅(おど)し、無理矢理やらせたんだ」
「ひどいじゃないですか」
「公共の器物破損だ。親を呼んでの厳重注意、下手すりゃ停学になる」
「可哀想だわ。無理矢理やらされたんでしょう?」
「証拠が無い。やった本人が口をつぐんで、やらせた連中が全員白を切れば、な」
 兵頭先生は天井を仰ぎ、麦茶を飲んだ。そうして下を向き、空になった麦茶の紙コップを見詰めながら言葉を続けた。
「その時だ。あいつが立って、窓際へ行った」
「恭一さんが?」
「ああ。ガラスを割った生徒はヒックヒックとしゃくりあげながら立ち尽くしていた。そいつの側まで行くと、血の出ている右手をハンカチで縛ってやってな。それからあいつ、自分も素手でガラスをバーン!」
 兵頭先生は右手を握り締め、空手の正拳突きで空(くう)を突く。
 唖然とした。そんな話は恭一から聞いたこともなかった。
「それからニタニタ笑っていた男の子たちの席に行き、一人一人に血の滲むその拳を眼の前に突き付けた。終始無言でさ。拳には数ヶ所ガラスの破片が刺さっていたそうだ」
 陶子は胸が潰れそうな思いがした。恭一の怒り、恭一の痛み、恭一のやるせなさ、恭一の優しさが迫って来て言葉が出ない。
「その話を聞いた時、俺はその教師に怒鳴ったよ。『お前、一体何してたんだ! 追い詰められた生徒が眼の前にいるのに気付かなかったのか! 何でその子の側に飛んで行かない!』って。アホだよ、まったく。教師失格だ」
「ガラスを割った二人は?」
「二人も、やらせた連中も校長室で厳重注意。親に報せないわけにはいかないから連絡はしたが、まあ、一番軽い処分で済んだ。それから後は、イジメは無くなった。高梨のお陰だ。そんな激しさも持っていたな、あいつ」
 自分の知らない恭一がいる。陶子は無性に恭一に会いたくなった。会って恭一のその右手をさすり、優しく包み込んでやりたかった。
「千巻。で、何か相談ごとがあったんだろ」
 兵頭先生の柔らかい眼がくりくりっと動き、陶子に話を促す。
「はい。実は、行方の解らない恭一さんから手紙が来たんです」
「それは、いつのことだ」
「四月の終わりです。私、ゴールデン・ウィークの初日に東京に探しに行ったんです。そうしたら恭一さん、住んでいたマンションを引き払って自主退学していました」
「火事騒動の起こる直前か」
「手紙には源実朝の歌と恭一さんが作ったと思える歌だけが書いてありました」
「覚えているな、その歌」
 頷いて、陶子はカバンからノートを取り出した。三首の歌を書き、兵頭先生に手渡す。

ほのほのみ虚空とみてる阿鼻地獄
 行くへもなしといふもはかなし

世の中は鏡にうつる影にあれや
 あるにもあらずなきにもあらず

里雀苫屋の仮寝留まるも
 白衣の裾も野風さよ吹く

「一枚の便箋に実朝の歌が二首、もう一枚に残りの一首。明らかに実朝の歌と区別してありました。だから私、その歌は恭一さんのものだと思うんです。何かメッセージを込めて私に送って来たんじゃないかって」
「メッセージか………」
「さっきの授業で『沓冠』が出たから、てっきりそれだと思ったんですけど」
「上手く読み解けないか」
「その次のページに、平仮名書きにして各句に分けて書いてあります」

 さとすずめ
 とまやのかりね
 とどまるも
 びゃくえのすそも
 のかぜさよふく

「………確かに『沓冠』じゃ、何のことだか解らんなあ」
 兵頭先生は頭をひねった。
「はあてな、と」
 しばらくノートと睨めっこしていた。
「うーん………」
 腕組みをして唸り始めた。
「参ったな、こりゃ。何で実朝の歌とセットなんだあ?」
 腕組みを解いた両手で頭をガリガリと掻きむしる。梅干しを食べたみたいに口をすぼめたから、ネズミ男の顔がますますネズミに似て来た。
「『実朝』がパスワードかあ?」
 兵頭先生が「赤ペン貸せ」と言う。陶子は急いでペンケースを開き、赤ペンを渡した。
 陶子から受け取ったペンで、兵頭先生は句の中の「さ」「ね」「と」「も」の文字を〇でくくった。初句の上の「さ」「と」。二句目の上下の「と」「ね」。三句目の上の「と」「ど」と、下の「も」。四句目の下の「も」。結句の上から四つ目の「さ」。

 (さ)(と)すずめ
 (と)まやのかり(ね)
 (と)(ど)まる(も)
 びゃくえのすそ(も)
 のかぜ(さ)よふく

 また腕組みをして、ひと頻り唸る。
「実朝、実朝と。こうかあ?」
 兵頭先生は初句の一番上の「さ」と二句目の一番下の「ね」を線で結んだ。
「『と』は四つあるが、どいつだ」
 そう言ったが、ペンは迷わず三句目の上の「と」へ走る。
「やっぱり『沓』と『冠』だろ。次の句へ行くわな」
 二つある「も」も同じ三句目の下の「も」ではなく、次の四句目の筈だ。 
 陶子が立ち上がりノートを覗き込むのと、兵頭先生が四句目の下の「も」へ線を引くのが同時だった。
「あっ、先生!」
「ん? どうした」
「パスワードだったんです、あれ!」
「何だよ、あれって」
「イニシャルです」
 狐につままれたように、ネズミ顔が間延びした。
 陶子は兵頭先生から引ったくるように赤ペンを取ると、結句の初めの「の」を〇で囲み、四句目の「も」と線で結ぶ。「W」の文字が浮かび上がった。

 (さ)とすずめ 
 とまやのかり(ね)
 (と)どまるも
 びゃくえのすそ(も)
 (の)かぜさよふく

「恭一さんの歌の下に『WM』のイニシャルが書いてあったんです。恭一さんのイニシャルは『KT』。だから『WM』は歌に隠されたものを読み解くためなパスワードだったんです」
「おいおい。早く言えよ、そんな大事なこと」
「済みません」
 陶子は頭を下げた。
「悩まされたお陰でさ、顔の皺と脳ミソの皺の数が六本増えたけどな。ヒャッヒャッ」
 兵頭先生はしゃくり笑いを収めると、陶子に確かめた。
「Mなんだな、もう一つのイニシャルは」
「はい」
「じゃあ、こうだろ」
 兵頭先生の持つペンが歌の中の五つの文字を□でくくる。それから、それぞれの□を線で繋いだ。
 結句の下の「く」から四句目の上の「び」、三句目の下の「も」。そうして二句目の上から初句の下へと線が走り、「M」の文字が完成した。

 さとすず【め】
【と】まやのかりね
 とどまる【も】
【び】ゃくえのすそも
 のかぜさよふ【く】

「『実朝の、首求め』か。『変形沓冠』だぜぇ、これぁ。やるなあ、あいつ」
「実朝の首を探している、ということでしょうか」
「または『実朝の首を探せ』、か」
「どちらにしても、実朝の首がどこにあるのか求めて行けば恭一さんに繋がる?」
「それだけじゃなさそうだ」
「と言うと?」
「解らん。が、こんな手の込んだメッセージを送って来るくらいだ。ひょっとしたら………」
 兵頭先生は顎(あご)に右手を当て、ロダンの「考える人」のようなポーズをしている。その後に出さなかった言葉を胸の中で反芻(はんすう)しているのだ、と陶子は思った。恐らくそれは、陶子が感じている震えに繋がるものの筈だ。
「千巻………」
 兵頭先生が立ち上がった。
「はい」
「相談ごとがまた出て来るだろう。そん時ぁ、遠慮するな。いつでも声を掛けるんだぞ」
 陶子は言葉が詰まってしまった。恭一だけではない。自分には親身になって支えてくれる人が他にもいるのだ。そう思うと、熱いものがじわりと胸の底に広がって来る。
「とりあえず今日のところは、これにて一件落着!」
「ありがとうございました」
 陶子はもう一度礼をすると、兵頭先生の後について用務員室を出た。
「竹崎さんにも礼を言ってけ」
「はい」
 兵頭先生はさっさと歩いて行く。その後を陶子はついて行った。教員室のある校舎ではない。体育館に続く縫製室のある棟だ。ノックをして、兵頭先生は縫製室のガラス戸を開けた。
「おや。いつもの変わり映えしないメンバーだなぁ」
「いらっしゃい。いつもと変わらない口の悪いメンバーのご登場ね」
 縫製担当の藤原先生がにこやかに切り返した。
 藤原先生は三十代後半だが、三人の子持ちには見えないほど若々しい。陶子は一年生の時に習った。叱る時は厳しいが、普段は生徒を優しく包むように接する先生だ。女生徒だけでなく、授業を受けたことの無い男生徒にも人気が高い。藤原先生と差し向かいに坐っているのが用務員の竹崎で、定年退職を間近に控えている。もう一人、藤原先生の隣に坐っている女の先生が人懐っこい笑みで兵頭先生と陶子を迎えた。
「あら。いつもとは違う可愛らしいお客様が来てるじゃない」
 中原学校長だ。女性の校長は今では珍しくない。中原学校長は腕立ちで気さくだから、「肝っ玉母さん」みたいな印象がある。
 陶子はあわてて頭を下げた。
 兵頭先生に促され、陶子も縫製室に入った。
「さあさあ、お坐りなさい。遠慮なんて要らないから、ここは」
 中原学校長に勧められ、陶子は兵頭先生と並んで竹崎の横に坐った。二人分の紅茶を淹(い)れに、藤原先生が席を立つ。実習で使う大きな作業台をテーブル代わりに、その上にティーカップとクッキーを盛った皿が置いてあった。
「教員室では息が抜けない。で、時々ここで溜まったガスを抜くんだ」と、兵頭先生が言った。
「ガス、ですか?」と、陶子が訊く。
「ストレスが溜まったら腐ってしまうでしょ。吐き出さないと、やっていけないのよ。ここでは相当臭いガスが吐き出されるわね。その中でも一番臭いのは、私」と、中原学校長。
「いやいや、そんなことは。ま、ありますかな」と、竹崎。
「学校長は立場上、溜め込むものが俺たちより多い。しかもガスを抜きたくっても、いつでもどこでも、というわけにはいかない。三ヵ月に一回ぐらいか、ここでガス抜きするのは。臭いのは当たり前だ」と、再び兵頭先生。
「藤原先生のお陰ですよ。ここは使わせてくれるし、紅茶やコーヒーは淹れてくれるし、手作りクッキーは出してくれるし」と、竹崎がクッキーに手を伸ばす。
「そんなことありませんよ」と、藤原先生がお盆に二つのティーカップを載せて戻って来た。
「言い出しっぺは竹崎さんじゃありませんか。私はそれに乗っかっただけ」
 藤原先生が兵頭先生と陶子の前にカップを置く。兵頭先生はシュガーパックを五つとフレッシュを三つ紅茶に入れ掻き回した。そんなに入れるぅ? 陶子はびっくりした。
「竹崎さんをそそのかしたのは、俺。何とか藤原先生とお近づきになれんかな、という見え見えの下心を汲んでくれたんだ。有り難くって涙が出たね、ヒャッヒャッ」
「下心は私も同じですよ、兵頭先生。同病相憐れむってヤツで、エヘヘ」
 クッキーを頬張りながら、竹崎は紅茶を啜った。
「あなた、千巻さんね。ほら、遠慮しないの」
 中原学校長が陶子に紅茶とクッキーを勧めた。
「こんなバカ言ってるけど、二人の心遣いなの。解るでしょ」
 兵頭先生も竹崎さんも、学校の中の風通しを良くしたいという思いがある。学年やクラスの受け持ち分野だけの狭い視野ではなく、学校全体・生徒全体が見渡せる付き合いを教師間でして欲しい。分化・専門化も大切だが、それ以上にお互いの相互理解がなくてはならない。学校は一つのコミュニティだという意識をみんなが持つ。そうすれば教師同士、教師と生徒同士が楽しく学校生活を送ることが出来る。そのためには、本音を言い合える場が必要だ。形ばかりの会議ではなく、サロンがその役割を担う。そう中原学校長は言った。
「だから私だけじゃなく他の先生方や事務職員にも声を掛けてくれて、ちょいちょいここでダベリングしているの」
 陶子は頷いた。砂糖もフレッシュも入れずに紅茶のカップを口元に運ぶ。紅茶の湯気で、少し眼鏡が曇った。
「あなた、大変な問題を抱えているみたいね。詳しいことは知らないけど、ここにいる人は頼っていい。困ったら、何でも言いなさい。あなたも仲間なんだから」
 中原学校長は「この学校の生徒だから」とは言わなかった。「仲間」と言ってくれたことが陶子には嬉しかった。兵頭先生を初め、見渡せばいろんな人が自分の周りにいて、自分を温かい眼で見てくれていたのだ。また胸がじいんと熱くなって来た。
「千巻。実朝を調べるなら、まず『吾妻鏡』を読め。ただし、鵜(う)呑みにするなよ。あれはかなり曲者(くせもの)だからな」
「はい」
 中原学校長が立ち上がる。
「さあてと。私は行きます。臭いガス出し切ってリフレッシュ出来たし、やっつけないといけない仕事が山積み。後はよろしく。ごちそうさま」
 兵頭先生が言った。
「しこたまガス溜め込むのが仕事なんて、俺はやっぱり管理職には向いてないよなあ。ご苦労なこってす」
「嫌なことを避けてたら、楽しいことは生まれっこないでしょ。誰かがやんなきゃいけないのっ」
 中原学校長がみんなに会釈して出て行く。トップの姿勢が良くも悪くも全体の空気を創り出す。陶子は、この学校が以前よりもっと居心地が良くなるような気がした。
「竹崎さん、お部屋を貸していただいてありがとうございました」
 陶子が言うと、竹崎は顔の前で右手を左右に振った。 
「いやあ。何でもないって。お役に立てるんだったら、いつでも使っていいからね」
「これから、ちょいちょい使わせて貰おう。校内デートには打って付けの場所だからなぁ」
 兵頭先生が、おどけてヒャッヒャッと笑う。
「あのう………」
 陶子は気になっていたことを竹崎に訊いてみようと思った。
「何です、千巻さん」
「用務員室の壁に架かっていたスカーフ。あれ、何に使うんですか?」
「ああ、あれね。用務員の仕事って、草引きしたり校舎の補修とか切れた電球交換とか、ま、学校の縁の下の地味ぃな仕事なんだよ。でね、気持ちは地味じゃいけないと思って、女房のお古を貰って来た。作業する時、それを首に巻いたり麦わら帽子にくくり付ける。そうすると、何だか気分が華やかになるからね。どんな仕事でも楽しんでやらんと」 
「オシャレなんですね。じゃあ、パッチワークのバッグもですか?」
「あれは文化祭の、ほら、バザー。縫製部の展示コーナーがあってね、そこで買ったもの。ティー・タイムに、藤原先生に美味しいお茶とお菓子を頂いているから。そのお礼に、ね」
 藤原先生が頬を膨らませた。
「作品の素晴らしさに惹かれて買ったって。そう言ってたじゃないの、竹崎さん」
 竹崎が、あわてて口ごもりながら言った。
「もちろん、です。素敵なバッグですからねぇ。ええ、もちろんですとも。ですからね、鑑賞するために大事に壁に架けてあるんです。毎日眺めて、いいなあって。いや、本当に。はい」
「へええ。怪しいなあ。買ったものの使いどころが無くて困ってるんじゃないの? 本当は」
 藤原先生が竹崎をちょっと睨む。もちろん本気じゃないのは陶子にも解る。
 竹崎はクッキーをポリポリ齧りながら、とぼけた調子で言った。
「いやいや、そんなことは。ま、ありますかな。多少は」
「男の人って下心で動くのよねぇ、やっぱり。千巻さん、よおっく覚えておきなさい。これもお勉強の内」
 竹崎は頭を掻いて、エヘヘと笑った。兵頭先生も声を出さずにニヤニヤしている。頬を膨らませたポーズを解いて、藤原先生はにこやかに微笑む。三人の寛(くつろ)ぎの作る空間に、陶子はいつまでも浸っていたい気持ちだった。

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