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五章九星八十八と星天大聖

指物師の統

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「困った、何も浮かばない……!」
 作曲する、なんて言ったはいい者のなにからしていいか分からない。とりあえず、家にあるすべての楽譜と、楽士の日記、覚え書きなどをかき集め積んでみた。けれど、何も思いつかない。
「そもそも、千天節の曲なんて決まってるだろ。殿中曲ではないにしろ、長い歴史と価値のある曲だ」
 千天節の曲、というだけでだれもが思い浮かべるほどその曲には力があった。琴を中心に、気品あふれる大輪の花ような神々しささえ感じられるような曲だ。それもそのはずだ、初代皇帝は悪政を敷いた前帝に反旗ひるがえしつつも、禅譲によってその地位を明け渡された方だからだ。
 禅譲とは、皇帝が自らの非を認め、その地位を譲ること。つまり、仁徳を持つ理想の長であることを示すことに繋がる。
「それを塗り替えるだけの何かが、陛下は必要……?」
 たしかに、現皇帝陛下は高齢で、病も重く自ら政をすることはあまりないと噂で聞く。だけれど、それは特に珍しい事ではない。人は生老病死から逃れることはできないのだから。生にしがみつくほど、器の小さい者に皇帝は務まらない。
「陛下は病ゆえに、何かがあり、それゆえに曲を……あぁわかんない!」
 寝台の上に寝転がり、ごろごろと身をゆすっても、音が転がり出るわけではない。鈴じゃないんだから。しかし、そう悠長なことはしていられないのだ。陛下の好みの曲は分からないけれど、千天節の曲を元に何かをつくればよい、と考えていた自分が馬鹿だった。
 千天節の曲は下手にいじると、その神々しさは欠けてしまう。しかし、千天節の曲を一から作るなど、途方もない事だ。

「こうなったら、逃げる!」

 ぽん、と羽は窓から軽く跳び下り、庭に出てみる。先ほど外を見たときはまだ昼過ぎだったのに、もう夜のとばりがかけられている。着地した足はは何かの感覚をとらえた。見下ろすと、誰かの荷物の上だった。頑丈な行李のようで、羽が乗ってもびくともしなかった。
「わお、意外と行動派なんだなぁ!」
「……?」
 行李を背に庭に腰を下ろしていた青年が首だけをこちらに向けて目を丸くした。後頭部で結った髪を布でまとめた庶民の格好をした青年はたった今落ちてきた羽を見上げている。
「誰だ?」
 見覚えのない顔だが、行李を持っているという事は商人か旅人だ。服装を見たところ、まだあまり汚れていないようで、この近辺に住んでいるのだろうと思った。
「あぁ、ごめんごめん。僕の名前は伏犠、偉大なる発明家にして万物の父だよ」
 その名前に羽は深々と礼をした。

「これは、神仙の太祖であり、楽を生み出した我らが神。このようなあばら家に何の御用でしょう」
「ちょっと下界の様子が気になってね、ちょっとそこらの人間の中に入ったのさ。だから、今の僕には仙術も何も出来ないから、空を飛べだなんて無茶を言わないでおくれよ」
「その様な無礼なまねは致しません、ささ、こちらに湯殿がございますので、どうぞこちらへ」
 羽は丁寧な物腰で伏犠と名乗った青年を案内した。
「君の名前は?」
「周家当主が嫡男、楽士の周羽と申します」
「へぇ、君も楽人なのかい?」
「あなた様に比べれば私など、まだまだです」

 そう言うと、伏犠ははは、と小さく笑う。羽は回廊を回り、裏口へと案内した。
「この先をまっすぐ参りますれば、湯殿に通じます」
「ああ、ありがとう。では、湯殿を借りるとしよう。しかし、屋敷の外に湯殿があるなんて不思議なつくりをするんだね」
「いえ、我が家は増築を重ねていますので、湯殿を作るだけの場所が無いのでございます」
 では、と言って羽は青年を門から出すと、その勢いでかんぬきをすぐにかけた。そして、何事もなかったかのように部屋に戻った。椅子に腰かけ、深くため息をついて、頭を掻きむしった。
「まさか、今度は神を名乗る不審者に遭うなんて」

「不審者なんてずいぶんな言い草だね、羽」
「!!??」

 先程裏門から追い出した青年が腕を組み、頬を少し膨らませてこちらを睨んでいた。羽からしたらわけがわからない。かんぬきまでかけ、ここから一番遠い門から追い出したのに、羽よりも先に戻ってくるなどわけがわからない。
 固まっている羽に、伏犠と名乗った青年はからからと笑った。年のころは子牙より少し上と言ったところだろう。まだ30にはなっていないようで、その肌はつやつやとしており、体つきもしっかりしている。
「僕は伏犠だよ。家を人の住む道具だと仮定すれば、全ての道具を生み出したこの僕に分からないことなどないのさ」
「なんで……」
「簡単なことさ、ここに戻ってくる時に抜け道を通ったからね」
 抜け道、と言う。
「何も不思議なことじゃない。抜け道や隠し扉なんて貴族の家には大抵あるものさ。嫡男である君が知らないのは少し意外だけど」
 そんなこと、父は何も言わなかった。子どもの頃はよく家のなかでかくれ鬼をしたというのに、気づかなかった。
「とにかくさ、僕のすごさは分かったかい?」
 そう、自らを神と名乗る不審者は言う。ただでさえ、前例の無いことを言い渡されたばかりだと言うのに、これ以上悩むのは嫌だと思う。
「そう邪険な顔をしないでくれないかな。神と名乗ったのが悪かったかな?」
「当たり前ですよ。初対面でそう言うのは変人奇人の類いでしょう」
 とりあえず、この青年の素性が明らかになっていない今、下手な言葉は使えない。
「じゃあ、改めて名乗ろう。僕は統って言うんだ。姓は王、工部の王家だよ」
「なっ!? 王家!?」
 青年の口から出たのは、周家にとってはある意味商売敵と言ったところの家だ。
「そうそう。王家の統だよー」
「早くここから出た方が!? 父上に見つかったらとんでもない事になる! ただでさえ、陛下からの勅書で不機嫌なのに、王家の人がいたら八つ当たりされますよ!?」
「あー、それは大変だなぁ。御当主殿の雷はすごいって話だし」
「そもそも、なんでこんなところに王家の人がいるんだ?! 取っ捕まるだろうに」
「まぁ、そこは、ねぇ」
「何が目的ですか!! 工部はいま千天節の事で手一杯だから、周家に圧をかけにきた、と言うことですか!?」
「それはないよ、落ち着いて。そもそも、千天節に関しては僕は何も知らないし、知らされてない」
「……」
「君が僕にたいして良い感情がないのは分かるよ。工部は度々周家の宴や催事に対して色々反発してきたし、事細かく指示を飛ばしていたもの、よく思われないのは知ってる」
 工部は殿中の建築や文化財の保護を行っている部署だ。宴のための舞台や調度品の調達等も行っているため、時々対立が起きる。
 伝統と格式を重んじる周家に対し、革新と流動性を重んじる王家は反発するべくして反発する。
(父上はよく王家の事を悪く言うけど……)
 おもえばこの王統と言う青年が羽がはじめて出会う王家の人間になる。王家の屋敷は遠く、殿中で会う機会など滅多にない。
「だけど、君だ」
「俺?」
「君はどうやら、これまでの周家の人間とはまた違うような気がするんだ。殿中に入ったのも、課題曲でなく自作の曲だと聞いているよ。あの周家の人間が課題曲を奏でないと聞いて、王家は少し驚いたものだよ」
「俺も、前例ない事だと思っています。でも、あの時の俺には必要な事だったんです」
「そうだろうね」
「って、何話してるんだ、俺?」
「はは、いい事じゃないか。丁度いい、気晴らしに僕の特技を見せてあげよう」
 指を鳴らし、統が言う。統は懐から細長い布を取り出し目に当てて、後ろで結んだ。目隠しをしたまま、青年は羽に問いかけた。

「僕はね、目隠しをしたままでも、その細工物がどの土地で作られた物か、当てることができるんだ」
「へぇ。楽士が耳だけでどの楽人が奏でているか分かるのと、似た感じかな」
「そう、大体そんな感じだね。じゃ、一つ頼むよ。この手に乗せられるくらいだといいかな。あと、敬語は必要ないよ。友人だと思って気楽に接してほしいな」
 唐突な事だったけれど、もし本当の事なら尊敬できる。統は子どものように両の掌を上に向けて体の正面に持ってきた。その大きさなら、あまり大きなものはもたせられない。かといって、小さすぎては広げた両手の間から零れ落ちてしまう。

(それに、目隠ししてるなら陶器は危ないよな)

 誤って落ち、音がなれば誰かが来るかもしれない。なら、選ぶべきは文机にある硯箱が妥当だろう。そう思い、羽は硯箱を手に取り、統に近づく。統に渡す直前、その口を開いた。
「それ、硯箱だね」
「な、なんで? 分かったんだ?」
 目隠しをしたままだから、分かる事といえば羽が歩いて行った方向ぐらいだ。その方向にしたって、衣もあれば、書物もあるし、それを収める行李もある。それなのに、統は硯箱だと当てた。
 目隠しをしたまま、統は羽の硯箱を受け取ると、その表面を撫でた。

「へぇ、君まだ若いのに古い物を使っているね。側面と底に修繕した跡がある。製法からして50年位前の物だから、君のおじい様辺りが使われていた物なんだろう」
「それは、俺のおばあさまが亡くなった時、形見分けしていただいた物なんだ」
「物を大切にする人は好きだなぁ、僕。と、この独特な節目のある杉を使うっていう事は、南部の地域の製品だろうね。そしてこの蝶と花の彫刻は、当時流行していた細工師、古杜の作に違いない」
 全部当たっている。硯箱を受け取った羽は、統が本物の職人であることを確信した。目隠しをとった統は、にこにこ笑っている。

「なぁ、一つ聞いてもいいか?」
「うん、いいよ」
「さっきどうして硯箱だと気づいたんだ?」
 その問いに、統はあれぇ、と間抜けた声を出した。
「君はこういうのができると友人から聞いていたのだけれど。偶然だったのか、あるいは気づいていないのか、ふむ。まぁ、いいか」
 ぽん、と手を打ち統は言葉をつなげていく。
「単純に、いくつかの前提条件を元に、君の行動を制限し、そこから導き出される結果のうち、一番可能性の高い物を言ったまでさ」
「は、はぁ?」
 前提条件、制限、可能性。全く聞き馴染みのない言葉に、羽は首をかしげた。
「僕は君に、何か持って来てほしいと言って目隠しをしただろう。この時点で君はこう考えるはずだ。、と」
「当たってる」
「そうだろう。誰だって、目隠しをした奴に壊れやすい物を渡さない。だから、そこの棚にある陶磁器類や茶器はもってこないだろう。それに、これさ」
 そう言って、統は両手を前に持ってきた。
「少し間をあけて手を広げたなら、こう思うだろう。”この両手に乗るほどの大きさでなくてはならない”と」
「……」
 完全に思考を読まれた。ただものではないし、統は言った。自分も同じことをしたことがある、と。
「さて、これで僕が職人だって分かってくれたかい?」
「あぁ、わかった。ところで、何の目的でここに?」
 忘れてた、と統が呟いたのを聞こえなかったことにした。

「周羽、君が千天節の曲を作るところが見たい」
「なっ!!!?」
 先程、千天節のことなど知らないと言ったことなど棚にあげて、統は言う。それに、勅命の事も知っている。
(何者なんだ、この人……)
 どこか、策に似た雰囲気を持つ青年に羽は戸惑いを隠せなかった。
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