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第9章 帝国の魔女

第9章第002話 閑話 ネイルコード国 王立学園 その2

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第9章第002話 閑話 ネイルコード国 王立学園 その2

・Side:カルタスト・バルト・ネイルコード(ネイルコード王国王太子嫡子)

 「これを"経済"と呼ぶ。諸君には、これらを地味だと思うような意識をまず払拭してもらいたい。次世代の国の舵を取る者達に、この国を富ます仕組みを正確に理解してもらうのが、この学園の第一の目的だ」

 貴族としての面子の保ち方、家の存続のさせ方、他勢力の恫喝方法。お祖父様以前の貴族子弟の教育について言えば、そんなものしかなかったそうだ。他者を隷属させ、搾取し、足を引っ張る。こんなことばかりだったと。

 お祖父様の兄たちが自滅し、継承権の順番だけで即位した後。文官に過ぎなかったお祖父様を傀儡にしようとする勢力を、あれやこれやの手練手管で粛正し。"経済"の師匠であるアイズン伯爵の施政を広げ、現在のネイルコードの基礎を築かれた。
 大貴族の抵抗により、一時はエイゼル市を奪われたこともあったそうだけど。結局のところ、それら勢力が施政で対抗できるわけもなく。多くの商会やアイズン伯爵を指示する貴族の反撃により、大抵は内輪もめ…責任の押し付け合いとも言うが、それで崩れていったそうだ。


 「後は、現在進行形で未来に大きく与える方についても説明しておく必要があるだろう。ツキシマ・レイコ殿は皆知っているだろう。レイコ殿には、講師としても協力をお願いしてある。」

 レイコ殿。すでにセイホウ王国に到着しているはずだが、向こうのことは知りようがない。ネタリア外相やマーリア殿を含め、皆の無事を祈るのみだ。

 「赤竜神の巫女様ですね。東の海の向こうへ渡航されていることは存じております。昨今最高の功労者にお会いできないのが残念ではありますが…」

 「うん。レイコ殿が来られる前も、アイズン伯爵の施政方法を広げることで我らが国は栄えてきたが。ここに来て、さらにレイコ殿のもたらした産物と知識の数々により後押しされている。皆、もう鉄道には乗ってみたかい?」

 皆、近くのものと目配せする。

 「エイゼル市の方に弟を連れて乗りました。馬車の何倍もの速度でエイゼル市に走って、あっという間に着きましたよ。冷蔵庫を使って魚なんかも運んでいて。王都でも海の魚が新鮮なまま食べられるようになって!」

 レミーヌ嬢が食い付いてきた。冷蔵庫のサイズとコストの分、鉄道や馬車で運べる量は限られるが。新鮮な魚が王都でも食べられるようになった。実際、私たちの食卓にも魚が良く出るようになった。
 レイコ殿曰く、魚は頭に良い食べ物だとのことだ。まぁ健康に良い程度の意味なのだそうだが、一時はエイゼル市の隆盛の理由の一つか!とまで噂になり、肉食が権勢の象徴だった王都の貴族の食事も変わりつつある。
 …白身魚のフライ、タルタルソース添えは、妹も私も好物だ。

 「鉄道はまだ、王都とエイゼル市の間だけの運行だが。ユルガルムの鉄工業地帯からテオーガルと王都を経てエイゼル市までの敷設も急ピッチで進んでいる。ユルガルムの製品が南北縦断鉄道で王都まで運ばれてくるのも、数年以内だろうな」


 レールの生産はユルガルムの製鉄所で行われているので。陸路でレールを運んでいた頃と違い、レールを敷いた鉄道で運んでいるユルガルム周辺の路線の施設速度が早い。

 「鉄道とは、それほど国の利になる物なのでしょうか?」

 一人の生徒が疑問を口にする。
 レイコ殿とアイズン伯爵は、作れるのなら作って当たり前というような雰囲気だったが。実効性の予測については、会議でも紛糾したと聞く。費用も相当なものだからな。
 結論としては、鉄道で結ばれる地の産業振興とセットで効果大との事だった。鉄道だけ敷けばそれでよしという話でも無いらしい。

 「確かに、線路敷設や列車の初期コストは莫大ですが。王都からユルガルムまでその日のうちに着けるんですよっ!。馬車とは比べものにならない量の物資を迅速に運ぶことが出来ます。大量に生産された物が、大量に消費されるところに楽々と運べる、商売にとんでもない革命が起きますよ」

 レミーヌ嬢は正確に理解しているようだ。さすがだな。

 「鉄や製品だけではなく、ユルガルムでしか採れない海産物も新鮮なままに運ばれてきますからね。レイコ様がユルガルム城の料理長に伝授したカニクリームコロッケ、あれがここでも食べられるのですよっ!」

 まくし立てるこの娘は食いしん坊か。エイゼル市とユルガルムの海では、獲れる海産物に差があるとは聞くが。

 「鉄道の敷設計画は公開しているから、知っている者もいるだろうが。南北縦断路線以外にも、東はアマランカ、西はダーコラを越えて正教国までの延伸が計画されている。電信もすでに各辺境候領までは届いて、個人でも有料で電信が使える様になっている。さらに鉄道と先んじて、電信もダーコラや正教国まで伸ばすべく、工事が進んでいる」

 電信によって、各領と連絡がその日のうちに出来る。商会も、注文の文書を届けるために時間をかける必要がなくなる。どれだけ時間と費用の節約になるやら。
 さらに。電信所に届いた電信を、その街の範囲で配達する商売も始まった。ユルガルムでは、手や腕を負傷して退役した兵の再就職先として、優先的に振っているそうだ。

 「アイズン伯爵は、国の経済をまとめて管理することで発展を促してきたが。今後は鉄道によって、大陸全ての国が巻き込まれていくのだろう。国単位貴族単位で収まる時代では無くなるのだ。まぁ、レイコ殿がおられる限り、戦争が起きることはないと思うが。この変化が大陸全土に及んでいくのは規定事項だろう」

 私欲で戦争をするような程度の国は、周囲の国から経済的に潰されるか。またはレイコ殿に直接潰されるか。

 「すでに逼迫している変化もあるぞ。皆は、ネイルコード国の人口増加率を把握しているか?」

 ある伯爵令息が手を上げて答える。

 「だいたい年二%と聞いております」

 「うん。たかが二%程度…と思う者もいるかも知れないが。それだけでも十年で二割増だ。もし食料生産が追いつかなければ、麦の価格の高騰から飢餓になりかねない。領間や国家間での紛争も再発するだろう」

 たかが二割くらいなら食べる分を減らしても…と考えるかも知れないが。二割も食料品が減れば、その価格は数倍に跳ね上がる。結果、麦が手に入らず飢える物が続出するのだ。

 「サルハラの三角州と、カラスウ河東の台地の開墾が急がれているのは、そのためだったのですね」

 「食料だけでは無く、当然居住地も仕事も増やさなくてはならない。人口増加は国力にとってありがたいことだが。内務省は常に大忙しだ。マラート内相は楽しそうだが、あそこの増員も急務だ。さらに…」

 「まだ何かあるのですか?」

 「ここでもレイコ殿だがな。彼女のもたらした医学や医療に関する知識。彼女曰く、まだ初歩の初歩だそうだが、本来は何百年もかけて蓄積される知識だ。今でも死亡率、特に乳幼児の死亡率がかなり減りつつあるが。その結果、先ほどの二%の人口増加率も上方修正だ。そのため、アマランカ領のさらに東と、そしてダーコラ国での開墾を補助することでの農地増加を計画している」

 何の関係があるのはよく分からないが。レイコ殿のペーパープラン研究所では、サルハラの農業試験場でカビの研究もさせている。何でも、怪我などによる死亡率を劇的に減らせるすごい薬が作れる可能性があるそうだ。病で死ぬ民が減るのは良いことだが…各省庁は大忙しだ。

 「アマランカはともかく。他国に食料を依存するのは危険ではありませんか?」

 「わたしもそう思ったのだがな。増産した食糧を倉庫で腐らしてまでネイルコードに圧力をかけてくるか? それに輸送のために鉄道も敷設されているわけだから。もしあれで軍展開されたら、対抗できる国はないぞ」

 必要な場所に短時間で大量の兵員を迅速に輸送できる。普通なら、軍の薄いところを狙って侵攻するのだろうが。鉄道があるとそれが難しくなる。
 ネイルコードが実際に派兵することは無いと思うが。出来るという事実だけで抑止になる。

 「…アイズン伯爵はそこまで考えて鉄道を振興したのでしょうか?」

 皆の視線が、ひとりの青年に集まる。クラウヤート・エイゼル・アイズン、アイズン伯爵の孫だ。

 「増産した食糧の販売先としてネイルコードに依存せざるを得ない…というところまでは計画していると思います。ただ、軍事力で圧力をかけるという目的で鉄道敷設を考えたことは、たぶん無いでしょうね。まぁそういう考えに至らないから、伯爵止まりなのだ…と陛下と笑いながらお話しされていました」

 「陞爵されないのに笑われていたのですか?」

 「お祖父様は、町の発展が何より楽しいのですよ。エイゼル市の屋敷から街を眺めて高笑いしている人ですからね。王宮に閉じ込めたら、多分失意で早死にしますよ。だから伯爵に留まってエイゼル市にいるのです」

 それでも今後は、爵位に興味は無い者にでも能力を発揮させるために適度な地位と爵位を与える。そうなっていくだろう。アイズン伯爵…いやクラウヤートの時代には侯爵位は受け入れてもらいたいものだ。

 「孤児院の子供を将来の労働力と税収だと言って憚らない人ですから。人を浪費する戦争を本当に嫌っていますし。戦争をさせないために圧力をかけることはあっても、戦争前提の行動は出来ない人です。あの顔の傷はその戒めだそうです」

 「…あの。アイズン伯爵の噂ってのは本当なのでしょうか?」

 女学生の一人が聞いてくる。
 あの人相だから、いろいろ悪い噂も流れていた。税は八割とか、スラムを潰してそこの住人を売り払ったとか。もっとも、麦の販売統制の理由と、六六の安定した生活を送る人々の姿が知られるにつれ、払拭されている噂だが。

 「エイゼル市が、そういう人物による街に思えるかね?」

 「そ…そうですよね。以前、夜会でお見かけしたときには、お顔は恐かったですけど…」

 ちらちらとクラウヤートを見ている。まぁ彼からはその祖父の噂は想像できないよな。
 アイズン伯爵の顔の傷は、まだ男爵だった頃、他領とのいざこざの時、領民救出に出張ったときに付いた傷だそうだ。
 しかし。救出できた人数に対して自軍の損耗がかなりあったらしい。そのことは未だに引きずっているそうだ。

 「これからは、アイズン伯爵流施政のところに、レイコ殿による技術革新が加わる事になる。この国が、大陸が、どのようになって行くかは予想しかねる部分は多いが。そうした新しい時代に対応できる人材を国では求めている。君たちはその先兵だ…と父上は言っていた。私が王位に就く頃には、貴族どころか王族すらどういう扱いになっているかは分からないが。国を動かす人材として、ここにいる皆が大きな役割をこなしていることを、私も期待する」

 うん。大きくなった話に不安を感じている者もいるようだが、目はキラキラしている。将来の国の中枢を担う人材として期待されていることは理解しているようだ。


 …。将来、僕の仕事が楽になることも期待して良いかな? 引退したら、また飛行機に関わりたいな。…いつ引退できるんだろ?

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