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第7章 Welcome to the world

第7章第027話 蟻の女王

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第7章第027話 蟻の女王

・Side:ツキシマ・レイコ

 この世界について、いくつか思い違い…というか思い込んでいたことがあります。てっきりこの惑星が生まれてから地球と同じように四十六億年くらい経っているとか、それでも結局生命が発生しなかった惑星を改造した…とか思っていましたが。もっと若い、生命が発生する以前の惑星である可能性もあったのかなと。

 地球の場合、海は早々に出来ましたが。生物が発生したのが三十五億年前。酸素が作られるようになったのは二十億年前で、光合成を獲得したプランクトンが大気中の二酸化炭素を吸収し、大量の酸素の放出と炭素の固定が行なわれました。さらに、生物が陸上に進出したのは四億年程前。地球四十六億年の歴史に比べれば比較的最近のことです。
 生物がまだ発生していないけど海だけはある若い惑星だとすれば、テラフォーミングにはおあつらえ向きと言えるでしょう。地球の何億年分もの工程をマナに整えさせて生命が住めるようにしたのかもしれません。

 私は、基本的な免疫学は学生時代に修得していますが。
 仮に生物が発生していた惑星なら… 地球の生命とは反りが合わないでしょうね。まず、使っているタンパク質が同じとは限りません。同じ空間にいたら、おそらく互いの構成物質で強烈なアレルギーを起こして共倒れしそうです。
 大気に酸素があるのなら他の星の生物でも一緒にいられる…なんてのは、まずフィクションの世界の話です。実際には、細菌やウィルスの感染以前に、互いに重度の花粉症みたいな症状から肺炎を起こして窒息死。免疫レベルで殴り合う様相しか想像できません。
 その星の生物を食用として摂取するのなら、一旦アミノ酸レベルまで分解しないとだめでしょうね。

 仮に。本当に生物の発生している惑星が見つかったとしたら… メンター達なら、その生態系はそのまま進化させていじらないという選択をしそうです。
 少なくとも私なら、そこに地球の生命を持ち込もうなんて考えません。地球とは全く起源を異とする生態系、あまりに貴重です。

 地球のあの時代から三千万年です。仮に光速の1パーセントで広がったとしても、すでに銀河系くらいは網羅しているはずです。もう一桁速かったら、マゼランどころかアンドロメダくらい手が届いているかも。
 …そういう惑星が見つかっていたらいいな、この辺は"夢"のある話ですね。宇宙人と呼べるレベルの生命は見つかっているのでしょうか? 赤竜神な赤井さんと最初に会ったときにはそんな質問を考える余裕はありませんでしたが、今度赤井さんに聞く機会があったらぜひ聞いてみたいです。


 閑話休題。
 原初の海は、強い酸性の上に大量の金属が溶け込んでいて、普通の生物にはまさしく毒水でした。それを短時間で酸化させて沈殿させて、大気や海水に溶け込んでいた大量の二酸化炭素も固定して。地表を人が暮らせる程度の環境にするには、結構な規模の介入が必要だったはずです。
 その後も、それらの環境を安定させなければなりません。大気の成分もですが、温室化効果ガスの量をこまめに調節して気温を安定化させたり。他の惑星で地球と似た環境は、ほっといて安定するというものでもないと思います。
 そういう工程を考えると。もしかしたらですが、魔獣というのもこの星の安定機構の一部ではないのでしょうか?
 北極あたりに、副作用か意図的なのかは分かりませんが、なにかしら魔獣を発生させるような原因があるのは間違いないと思います。
 もし、魔獣がこの惑星の生態系の一部として用意されていたのだとしてら。無闇に退治するのはまずいではないでしょうか?


 もう一つ。人類が戦争に明け暮れないようにするための"人類に対する共通の脅威"として魔獣が"置かれた"可能性を考えています。
 定期的な波の襲来。国家間の戦争より優先する理由としては十分なのではないのか? ただ、やり過ぎるとそちらにリソースを取られすぎて、人類の発展を阻害する可能性も。いやな考えですが、戦争が文明の発展に貢献してきたのもたしかなのです。
 大陸の人たちは、東にあるという大陸、かつての魔女の帝国からの移住だと聞いていますが。その東の大陸でも北からの脅威はあったんでしょうね。
 魔獣を人類の脅威とする、案配が難しいやり方に思います。戦争が起きそうになってからその地域に魔獣をけしかける方が簡単に思いますが…"神意"としてはちょっと露骨でしょうかね?


 魔獣が自然発生した物なのか。意図的に配置された物なのか。

 もちろん。魔獣が人を襲うというのなら、私は魔獣を退治します。この優先順位は変わりません。
 私がそういう行動をすることは赤井さんも織り込み済みでしょうし、私の介入くらいは誤差の範疇程度の計算していると思います。

 それでも。蟻が自然進化した生物で何かしらコミュニケーションが取れる…という可能性もあるわけで。
 私から見れば、蟻の群れは醜悪ではありますが。それで彼女らの生態を否定するというのも、人間視点の傲慢にも思えてきます。

 赤井さんや他のメンターはたぶん、他の知的生命体が目的に適うのかどうかもいろいろ試行錯誤していることでしょう。なにせ三千万年もありましたからね。
 家にいるアライさん、本当にアライグマの系譜なのかは分かりませんが。霊長類とは別の、おそらくは食肉目あたりが起源の知性体なのは間違いありません。赤井さんが意図的に進化させなくても、三千万年万年もあれば知的生命への進化の時間としては十分でしょう。
 ラクーンらにどこまで赤井さんが関わっているのかも不明ですが。蟻に対してもなにかしら関与、または関心を持っている可能性はあります。

 ここで蟻を退治するかどうかを決める前に、自分できちんと確認しておくべきでしょう。


 「レッドさん、お願いねっ」

 「クーッ、ルックー」

 トンッ!とヒュ~ッ。

 山のてっぺんから飛び降り、レッドさんに襟首を掴んでもらって滑空します。
 いつぞや王宮の庭で頭を捕まれて飛んで、王子王女殿下達にドン引きされた飛び方もありましたが。今着ている上着の襟首には、レッドさんに掴んでもらうためのハーネスが組み込まれてます。
 レッドさんの翼の面積で滑空するには、そこそこの速度が必要です。岩山から飛び降りた速度は丁度良いですね。

 事前の偵察のとおりに女王らしき蟻の塊を発見。近くにある大きな岩の上が空いていたので、そこに降ります。滑空して着陸するほどのスペースはないので、最後は十メートルくらいを飛び降りる感じになりましたが。
 けっこうドスンとしたので、周囲の蟻がこちらに気がついて警戒しました。こちらに押し寄せようとしますが、周辺のマナの制御をうばって蟻を押さえます。
 マナが使えなくなった蟻は動けないほどでは無いですが、岩を登ってくるだけのパワーは出ないようですね。

 丁度、トラックくらいのサイズの蟻の塊が通過するところです。女王の上半身というか、胸節より前が塊より出ていました。女王蟻の下と、その体のほとんどを占めているおなか部分は、ほぼ蟻で埋め尽くされています。輸送と保温のためのようです。
 うーん、鳥肌物の光景ですが…そこは我慢します。

 「レッドさん、彼女にコンタクトできる?」

 「クー? クーッ!」

 蟻の女王だからとりあえず三人称は"彼女"です。…働き蟻も兵隊蟻も、ほとんどメスですけどね。
 レッドさんからは、やってみるとの思念。
 蟻は、私を直接どうこうしようとするのは諦めたようですが。環となって私の立っている岩の周りを取り囲んでいます。
 女王蟻はこちらを見ているわけではない…って、複眼は動きませんしそもそも解像度が低いですが。周囲の蟻と共にこちらを探ろうとしているのはわかります。

 レッドさん、苦戦していますね。
 魔獣の中のマナ塊は、それ自体が副脳みたいな役割をします。これを介して、体内のマナを操り、身体強化などを行うのですが。そのマナ塊に思考を依存しすぎて精神を持って行かれると、本能的行動が優勢となった魔獣や魔人となってしまいます。
 レッドさんが、女王蟻のマナ塊にアクセスして、その思考構造を探りますが。完全に解析するには時間がまったく足りません。即席では、意識の表面的な概念をやりとりするのがやっとです。

 何分にらみ合ったでしょうか、なんとかイメージのやりとりはできるようになったそうです。
 それでも私と直接やりとりするのは無理なので、レッドさんが翻訳して中継してくれるそうです。

 蟻にこちらから思念を送ってみます。言葉ではなく概念だけど、伝わるかな?
 「人類VS蟻」、「勢力の衝突」、「双方の被害の拡大」、「無益」、「活動領域の区分けの提案」、「撤退要請」。
 要は、ここから先は人類の領域なので、どちらかが滅ぼし滅ぼされるような事態になる前にここから退いてくれるようにお願いしてみます。

 向こうから送られてきたイメージ…というより、私からの思念を感じた上で、女王の意識の上に浮かんだ概念。
 「マナの回収と集積」「収集ユニット…働き蟻の増産」「棲み分けは意味不明」「拡張、拡大、食べられるだけ食べる」「殖えられるだけ植える」
 これら行動に快楽を求めるわけではなく。まして害意や悪意があるわけでもなく。…これはもう、自己増殖するロボットですね。いや生物の本能としては間違った価値観ではないのですが。他の哺乳類系魔獣よりさらに原始的と言って良いでしょう。

 彼らは、大地に積層されたマナも収集できるはず。先ほどのイメージにも、マナの摂取先については生物も大地も特に差はないようでした。マナだけが目的なら、他の生物を襲わないように出来ないかと聞いてみましたが…否定されました。むしろ他の生物が濃縮しているところを採取する方が効率が良いとも言ってます。
 
 マナの生体濃縮システムは、人類がマナを利用するためには必要なシステムだとは思うけど。これはもう蟻の本能というより、マナ自体が効率的なシステムを乗っ取ることで暴走していると言っても良いと思う。ここまでなぜ赤井さんが放置しているのかはわからないけど。

 「…話し合いは無理ね」

 簡単に言えば、食べることと殖えること、これしか頭にありません。

 「交渉決裂ということで。さっきの山まで戻りましょうか」

 露出している岩の間をぴょんぴょん跳びながら加速していき、後はレッドさんの飛行能力にお任せします。流石に上昇を含むとなるとプラズマアクチュエーターでは足りず、羽ばたきが忙しいですが。

 「レッドさん、あれらから知性が生まれる可能性はあると思う?」

 「蟻には個が無い。個は楽を生み出す。楽は文化を育てる。文化が無ければ文明は育たない」…と哲学的な回答がレッドさんから来ました。
 要は、蟻には文明を育てる動機が無いのね。個々が楽しみたいから文化を創り、楽をしたいから文明が作られる。そういう様式があの蟻たちから発生するとは思えません。キリギリス要素が足りないのです。

 いや。もう一つ文明を発展させる要素があるって話をお父さんがしていたっけ。
 「恐怖」
 外敵があるからこそ、武器を発明しする。軍隊をそろえる。それらを維持するための社会体制を作る。
 滅ぼされたくない…滅ぼされる前に滅ぼしてしまえ。 非常に乱暴だけど、実際に世界の歴史の大部分はこれで成り立っている。
 例えば。地球での冷戦の構造は人類史にとっては暗部だけど。電子機器、航空機、宇宙開発。その後の人の生活に欠かせない物のルーツは確かにそこから生まれています。
 蟻が外敵として配置された可能性は考えたけど。蟻たちが人間を外敵として認識し、対抗手段として文明を発達させる、そのようなことがあり得るのか…

 …レイコ・バスターを準備しましょうか。残念だけど。

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