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第5章 クラーレスカ正教国の聖女

第5章第023話 王宮にて その2

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第5章第023話 王宮にて その2

・Side:クライスファー・バルト・ネイルコード (ネイルコード国王)

 「あの売僧の馬鹿共が! 一番手を出してはいけないところにあっさり手を出しやがりましたわね…」

 御前会議に参加している我妻リーテが激怒している。レイコ殿の言葉で言えば、激おこというやつか。

 「リーテ…皆もいるのだ、言葉遣いをもうちょっと…」

 「はいっ?! なんですか、あなたっ?!」

 「…いえ、何でもありません」

 怒ったリーテには逆らえない。自分が叱られているときには口で勝てるわけもなく。他者への怒りが向いているときには聞く耳を持たないし、下手に制しようとすると矛先がこちらを向く。
 しかも、感情にまかせて喚いているのではなく、理詰めで怒りを振りまくのだ。勝てるわけがない。

 「まだ本人に直接手を出すのなら、当人だけ反撃受けて終わりですが。周囲の者に手を出したら、それをさせなくするには組織そのものをまとめて処理しなければならなくなるでしょうに。最悪の形で人質取って脅迫した形になるって、分かっているのかしら、正教国のやつらは」

 「申し訳ありません妃殿下。正教国のマナ術師の能力を見くびっておりました」

 「…セーバスらはよくやってくれています。死傷者が皆無なのは、本当に不幸中の幸いでした。もしあの宿屋から死者でも出ていたら、問答無用で正教国が消えていたところです」

 報告は呼んだが。投擲とは言えあれほどの距離から攻撃出来るのだ。戦場なら、石や土の壁なり盾で防げるのでさほど有効な手段では無いのだが。木造の宿屋や教会ではどうしようもなかろうし、警備の範囲を広くするにも限界がある。
 監視対象のカリッシュを見失ったのは確かに失態だが。その時点で無闇に捜索の範囲を広げることに人材を割かずに、レイコ殿の関係者の警護に重点を移したのは正解だった。次の日のまでにカリッシュが見つからないようなら、ファルリード亭の面々には貴族街の方に避難して貰うことも検討されていた。
 …まぁ、六六の住宅街でマナ術士の攻撃を受け、一軒半焼で死傷者無し、上等言って良いだろう。ただ、正教国の危機が去ったわけでは無い。…なんでネイルコード国王たる私が、正教国の心配をせねばならぬのだ…

 「…ネタリア外相。最悪、正教国が文字通り地図から無くなった場合を前提に、今後の各国家の動向を分析し直す必要が出てきた。」

 半分冗談で言っていた"最悪"ではあるのだが。ここにきてこれまた冗談で言っていた正教国側による最悪の一手である。
 ネタリア外相の処には、各国に派遣している大使や内偵の情報が逐次集まっている。特に、ダーコラ国の顛末が終わって正教国に明確に喧嘩を売った時からさらに詳細な分析を命じており、各国要人への調略も含めて非常にデリケートな判断が続き、彼の部署はかなり忙しくなっているはずだ。しかし、今回の件でその努力の半分程が消し飛んだ感がある。

 「穏便に済んだとしても今の正教国トップがそのまま残る絵は見えん。事が済んだ後にあの国の性質がどこまで変わるかはまだ不透明だが、正教国が混乱するのは必至だ」

 大陸中央をともかくまとめていた正教国が無くなるか、無くならないまでも衰退すれば、下手をすると大陸に群雄割拠の時代の到来か。しかも赤竜神の巫女によってそれが引き起こされるとなると、早々赤竜教による抑えは効かなくなるだろう。

 「マラート内相と、カステラード。内務と軍も、国内の教会勢力の動向監視と連絡は密に願いたい。この国のほとんどの祭司は親ネイルコードだとは思うが、正教国からの破門ともなれば、カリッシュのようなのが出てこないとも限らん」

 「すでに調べあげており、要注意とされた教会関係者の監視、および周辺地区の衛兵への増員の指示を既に出しております」

 一部ま話ではあるが、レイコ殿が来られてからの教会内部の妖しい動きについては、既に調べられているし。レイコ殿に対して無理な接触を試みようとした者については、国内教会側が協力的なこともあって、今のところは比較的穏便に押さえられている。

 「…いっそ、ネイルコード国でこの大陸に覇を唱えますか? それが一番楽なような気がしてきました」

 ザイル宰相が面白さ半分、うんざり半分で言う。私が嫌がるのを知っていてわざとだな。もちろん私はうんざりだ。

 ネイルコード国は、大陸においてはほぼ東端の国だ。ネイルコード国より東にも土地は広がっているが。国というよりはせいぜい独立領地といった感じの開拓地が点々としている程度で国規模の脅威はないし。魔獣を狩ってのマナ塊と毛皮程度の交易があるが、それらを通じて基本的には友好的である。向こうもパンは食べたいのだ。
 南は海が広がっているし、北のユルガルム領の先は海か湖かは判明していないがその先は未踏の地だ。もしネイルコード国が動くとすれば全力を西に向けられるし、今のネイルコード国の国力ならば大陸制覇も可能かもしれない。

 ただ。今回の件をもってしても、そんな大規模な軍征にレイコ殿が賛同するとも思えない。赤竜神の巫女であるレイコ殿が同意しないような状態では、西征で流される血は何倍にもなるだろう。いやそれ以前に、われわれがレイコ殿の征伐の対象となってしまう。

 そもそも、そのようなことをしてもネイルコード国に利が少ない。西に軍の全力を向けられると言うことは、逆に言えば西だけを守っていればこの国は安泰なのだ。
 ネイルコード国は豊かになりつつあるし。成り行きとは言え、まずはダーコラ国やエルセニム国の開発を援助していかねばならない。いつかはさらに西の他国の面倒を見るにしてもまだまだ先の話だ。今はまだ正教国の面倒までは見られない。

 レイコ殿とアイズン伯爵、これらがこの国にある以上、この大陸の将来の中心がネイルコードになるのは間違いないところだが。今はまだ荷が重すぎる。子や孫の世代で十分だ。

 …宰相への回答の代わりに、私は大きなため息をつく。

 「…分っておりますよ陛下。冗談です」

 「…ダーコラの正教国側国境への兵員と軍備を揃えるための支援。場合によってはネイルコード国軍のダーコラ国駐留。これらが必要か?」

 「陸路は、例の三角州周辺がまだ未整備ですからな。まずは海路をバトゥーの港まで輸送となりますか。向こうでの駐屯地整備の準備はすぐにでも始めた方が良さそうですな」

 「…レイコ殿を押さえることは出来ないのでしょうか?」

 ネタリア外相が、疲れたように手を上げる。…いや、説明して説得すれば、レイコ殿なら呑んでくれるかもしれない。ただ、それはネイルコード国自身がレイコ殿の代わりに正教国と対峙する必要を示す。国としてなにもしないという選択が取れない以上、結局は軍事的衝突が先に来るだけの話になってしまう。

 「正教国からの回答を読んだろう? すでにレイコ殿だけの問題ではない。正教国の人間が街に火を放って民を害そうとしたにも関わらずあの反応だ。一国としてすでに無反応ではいられない。むしろ、レイコ殿がどうするかを観察した上での軍事検討となるわけだから、現状の推移としてはまだ穏便な方だ。私ならとっとと艦隊を率いて正教国の海辺の街を片っ端に襲撃しに行くところだぞ」

 カステラードは、軍相という立場ながらも自重はよく知っているし、武断派と言うほど好戦的というわけでは無いが。王族なだけあって国として"嘗められる"ことの危険性も良く理解している。
 まぁあり得ないだろうが、もしレイコ殿が公式に「ネイルコード国のほうで正教国を成敗して」とでも言われたら、本当に全面戦争を考えないと行けなくなる。ただ、レイコ殿は絶対にそんなことは言わないと確信できることは幸いだ。本当にまともな方を赤竜神様は遣わせてくれたもんだ。

 となってくると、レイコ殿が取る方法というものも、大体想像が付くのだ。
 現状でレイコ殿は、ネイルコードの貴族でも軍人でもない。立場的には第三国から来ているだけの外交官だ。建前上、ネイルコード国に縛られずに自由に動くことが出来る。

 「わざわざあのレイコ・バスターを町衆の面前でお披露目してやったのに。それでいてなおレイコ殿を怒らせるようなことを…なにを考えているんだ正教国は? 情報が伝わっていないのか、片っ端に無視しているのか…」

 マラート内相が嘆いている。我々は、レイコ殿があれを人間相手に使うことはないだろうと知ってはいるが。あれを見てネイルコードに喧嘩を売ってくるとは…

 「…レイコ殿の性格を知られていますかね?」

 王太子アインコールが呟く。彼も、レイコ殿に関する報告は熟読している。

 「むしろ、個人の武威として考えるには、非現実的すぎたのかもしれんな」

 「私は、カリッシュの独断専行に過ぎないとは思っています。あの正教国の返答にしても、正教国の面子と天秤にかけて引くに引けなくなったという感じには思いますな。ただ、それでもあのような者を送り込んできたという時点で、正教国はネイルコードを…というかレイコ殿を相当甘く見ているんでしょうが…」

 ネタリア外相の分析は、私やリーテの意見と同じだ。

 「さて。まずはダーコラ国の防備増強。既に正教国からダーコラ国にも同じ通告が送られてはいると思いますが、急いで新国王であるマラウェイ陛下に連絡を入れねばなるまい。ダーコラ国との協力を密にし、最悪の展開として正教国側からの連合軍の侵攻に備えると。海軍の方にも手配をして、迅速な派兵の準備を」

 カステラード軍相がまず軍の動かし方について意見を述べる。特に異論は出ないようだ。

 「国内の教会については、まぁレイコ殿がこの国を支持してくれるかぎり正教国に靡くとは思いませんが。やはり正教国から独立した教会の起ち上げを容認するしかないですか?」

 教会との調停も担っているマラート内相。
 正教国から左遷された祭司を中心に、レイコ殿を文字通り祭り上げて"正統"な赤竜教会を立ち上げたいという機運はもともとあったが。教会に必要以上に力を与えるのは望ましくないし、なによりレイコ殿が嫌がるというのを理由で押さえていた。ただ正教国と決別するのなら、国内教会を独立させることくらいは認めないと行けないかもしれない。

 「あとはレイコ殿か… 彼女はまずどうすると思う?」

 私から皆に問いかける。

 アイズン伯爵がこの会議に出ていれば良かったのだが。ユルガルム領から帰ってきたばかりの彼は、エイゼル市でまだ後始末に奔走している。

 「単身正教国に乗り込もうとするでしょうな。 手っ取り早いし、それが最もネイルコードに迷惑をかけない…とか考えていそうですよ?」

 マラート内相。

 「実際、彼女一人だけで決着を付けようとしても可能でしょうからね。後先を考えなければですが…」

 …ネタリア外相。

 「そもそも、行くな…と言えるか?」

 カステラード軍相…

 「正教国からあの回答がなければ、私も止めたかもしれませんが… まぁ、レイコ殿を激高させて正教国に呼びつけるという意味なら、非常に効果的な手段だね。意図してやったのなら、凄い度胸だけど」

 王太子のアインコール。

 「なんだかんだで正教国のトップは信仰より利益で結びついていますからな。レイコ殿が現トップを潰したところで戦乱になるほどバラバラにはならないとは私は見ていますが。後釜を狙って派閥間での主導権争い…まずは弱小派閥や国の支持を取り付けつつ取り込み、派閥の拡大。それらが数派に纏まって対立。そこから教会の主導権を巡って…戦争…内戦になるかどうかは状況次第ですかね?」

 ザイル宰相。

 「問題は、ネイルコード国はその一つの勢力と見られるだろう言うところか。逆に言えば、こちらに取り込むことも可能なのではないか?」

 依存でもかまわないので味方を増やすのも、私がアイズン伯爵から学んだことの一つでもある。

 「旧ダーコラの門閥貴族と同じですわよ。大半は、こんな田舎の王国と手を組もうだなんて思わないでしょう。ただ逆に、ネイルコードの事を正しく知った上で手を組もうというのなら、まだ見込みがある勢力といえます。良いふるいですわね」

 「…なんとも不透明だな。最善を考えるのなら、レイコ殿という劇薬を持って正教国が改革を進められるという可能性は?」

 「代わりに上に立つ者が必要でしょうね。祭司総長が勤まるような人物、いますか?」

 「聖女リシャーフなら、神輿には良いんじゃないか?」

 「…ちょっと弱いですわね。下手をすればあっという間に傀儡です」

 「ならば、その聖女の後ろ盾にネイルコード国がなれないかね?」

 「…それは妙案かもしれませんな。ユルガルムからの報告では、少なくとも現在の正教国トップとは線を引いている様な為人のようですな。ただ、我々がレイコ殿と聖女を連れて正教国に乗り込んだどころで、むしろ向こうが反発でまとまりかねません」

 アインコールが何か考え込んでいる。

 「聖女殿が教都に戻る前に、教都にて交渉を開始するしかないかもしれませんね。レイコ殿の正教国行きの目的の説明と、ネイルコード国が決して正教国の崩壊を臨んでいるわけではないことの説明。レイコ殿の教都到着を待ってそれを諫め。レイコ殿の前で、今回の件の懲罰として正教国の責任者を廃してトップの入れ替えを行い、さりげなく次代のトップである聖女を支持し、レイコ殿にも追認して貰う」

 正教国をレイコ殿から庇う振りをして、ネイルコード国に都合のよい人物をトップにすげ替える…か。

 「ネイルコード国が聖女を支持をするとの宣言、それが出来る権限を持った人間がその場に居る必要がありますがね。流石にネイルコードの人間がいる教都を吹き飛ばしたりはしないでしょうし」

 「俺が行くか?」

 カステラードが立候補するが。

 「お前には、ダーコラ国方面の軍の再配置と、最悪に備えて貰わねばならん」

 「ここは、私が行きましょう」

 アインコールが立候補する。列席した皆が驚く。

 「正教国への怒りを持ち、それでも正教国を案じている。その辺の演出には、大臣クラスでは難しいでしょう。それに私なら、聖女殿の取り扱いについても、その場で臨機応変に裁量が持てる。私とレイコ殿が聖女殿を支持するのなら、正教国も安定させやすいでしょう」

 「しかし! 王太子の身にもしもの事があっては…」

 「そんなもしもの事があったら、さっそう大陸は戦乱だ。そのようなときの王太子には、むしろカステラードの方が向いているだろ。もっとも、レイコ殿と小竜様が護衛に入ってくれるだろうから、そう心配はしておらんよ。私も、娘が嫁に行く前に死にたくはない」

 王太子を正教国へ派遣か。大事ではあるが、致し方無しか。

 「案としては悪くないな。細かいところを詰めよう。ともあれ自体は流動的だ。皆、情報収集と警戒は怠らないように」

 「「「はっ」」」

 …我が孫娘クリステーナは、嫁にはやらんがな。

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