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第5章 クラーレスカ正教国の聖女

第5章第020話 狂信者

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第5章第020話 狂信者

・Side:カリッシュ・オストラーバ

 サラダーン祭司長、及びケルマン祭司総長からの任を受け、赤竜神の巫女様を正教国へお迎えするために、船旅の末にネイルコード国エイゼル市に着きました。
 …確かに栄えている街のようですが。けしからんですね。このような余裕があるのなら、教会に喜捨すべきなのです。

 奴隷を全て解放して人並みの仕事を与える。赤竜教を信望しない国の人間や種族なども分け隔て無く受け入れる。分っていませんね、赤竜教に帰依しない者には、幸せになる権利などないのです。そもそも人として扱う必要も無いのです。

 他人より豊かになる。他人より金が欲しくなる。それを守りたくなる。それらの欲こそが人を不幸にする元凶です。そういったものに固執する限り、平和は訪れません。
 赤竜神様を信望し、正教国に従う。何も考えずに信仰に身を捧げる。執着を捨てれば、民は安寧なのです。
 そんな当たり前のことも理解できない俗物共の街ですね、ここは…

 街の堕落した繁栄具合にいたたまれなくなり、伯爵邸への招待を辞してエイゼル市の教会に入りましたが。ここも堕落していますね。
 前に来たクエッタなる祭司は、街の食堂から不夜城と呼ばれる歓楽街にまで脚を伸ばしていたとかで。ここの司祭から妙に街へ誘われると思ったら、我々も同様だと思われましたか。
 全員を礼拝堂に集めなさい。徹夜で説教です。


 アイズン伯爵は現在不在。代理として伯爵家嫡男ブラインにも面会は出来ましたが。

 「あなたが大変敬虔な信徒だというのは分りました。ただ、教義のみを持ってレイコ殿に接触するのはいかがな物かと思いますよ」

 「…なぜでしょうか?」

 「簡単な話で。誇張でも比喩でも無く、彼女は赤竜神様の知り合いだからです。赤竜神様が人間だった頃の仕事上の上司だったそうで、さらにレイコ殿のご尊父の弟子でもあったそうです。レイコ殿に教義を盾に迫ったところで、その教義の真実を彼女の口から語られたら、教会としては面目が立たないのでは?」

 知人? 上司? 何の冗談だ。そんなことが本当にあるのか? …いや、本当かどうかは重要ではない。そんなふざけたことを信者達に広められて堪るか。…ならば、なおさら巫女様を確保せねばならなくなった。

 「まぁレイコ殿は宗教を完全否定しているわけでは無いそうで。単に、宗教を金儲けに使う宗教屋が嫌いだそうです。その辺を踏まえて接触することをお奨めしますよ」

 ふむ。教会の維持と繁栄のためには、俗な話ではあるが金は必要なものだ。もちろん、それらを己の快楽のために使うのは論外だが。そのへんは巫女様も常識的なのかもしれないが… おそらくはその辺の金の使い道の区別はされていないのだろうな。ただ、まだ話が出来ない御仁ではなさそうだ。

 「そう言いつつも、ネイルコードでは巫女様の取り込みを謀っているのではないのですか? 来年あたり、今年十歳になるという王太子の子息の婚約者として発表されても驚かないですよ? それとも今年十一になるとかいうあなたの息子ですかな?」

 巫女様は、見た目十歳ほどの子供だそうだ。つなぎ止めておきたいのなら、婚姻が手っ取り早いだろうし。王侯貴族なら考えないわけがない。

 「あっははははっ!」

 「なっ?!」

 「いや失礼。まぁ下手に勘ぐられても困りますので正直に話しますが。確かに私の息子のクラウヤートはレイコ殿と仲が良いですよ。実際に今もユルガルム行きに一緒に行っていますしね。あと、クライスファー陛下も、お孫のカルタスト殿下にそれとなくレイコ殿に面通しされたそうですが。既に、にべもなく断られております」

 「…なぜでしょう? 業腹ではありますが、国妃の地位ならかなり魅力的なのではと思いますが」

 「レイコ殿が、あなたが言われるところの俗物的なものに対して価値を感じられていないのが一つ。レイコ殿曰く、ここは"地球"に比べると娯楽が少なくてのんびりした世界だそうです。この世界での地位や富は、彼女にとっては持っていても大して価値のないものなのでしょうね」

 地球。報告に名前は上がっている赤竜神の住まわれていたという世界。実在するのなら、それこそ神の国だ。たしかにそれと比較されては、大陸のいかなる享楽もそれらを越えることは無いのだろう。まさに神の視点と言えるが。

 「あと一つ、明確な理由を聞いていますが。さすがにこれを私の口から話すことは出来ません。ただ、レイコ殿が妃などの地位には全く興味が無いのは確かですね」

 「…教えてはいただけないのですか?」

 「あなたの友人が、だれそれ構わずあなたに関しての情報を吹聴していたとして、あなたは看過できますか? 私はレイコ殿に嫌われたくないので、ご勘弁を。私の息子のことがあるので陛下から教えていただけましたが。私がこの話を知っていることをレイコ殿に知られることさえ、後ろめたいのですから」

 巫女様の意にそぐわないのなら、これ以上は聞き出せないか。



 貴族街を出て、巫女様が定宿にしているというファルリード亭という宿に来てみた。…監視が付いてきているが、まぁいいだろう。

 ふむ。質素なのは良いが、赤竜教の権威には釣り合わない宿だな。
 なんと、店員は獣人か! しかもその子供がハーフとは尚のこと汚らわしい。こんな処は巫女様がいて良いところでは無いっ!
 それでも我慢して、巫女様が滞在されている部屋を拝見したいと申し入れたところ、食堂の客席から二人の男達がやって来て遮った。

 「接触して来るにしても、まさか女性の部屋を直接見せろと言ってくるとは想像してませんでしたがね。流石にそれ以上は外交問題にせざるを得なくなりますので、控えていただけませんか? カリッシュ・オストラーバ祭司殿」

 …私の名前を知っているとは、国の諜報員か? なるほど巫女様を自由にさせているとはいいつつ、監視はしていると言うことだな。

 「…致し方ない。承知した」

 この二人、なかなかの手練れと見た。不意打ちで一人相手なら太刀打ちできるだろうが、ここは無理か。まぁ私も明るい内からやり合うつもりは無い。
 しかたない。次に、巫女様がよく立ち寄られているという教会に寄ってみるか。

 六六とか言ったか。貧民街を取り壊して、そこの住人を押し込めるために作った区画だという。まぁ教都のスラムは、私もあの汚さや匂いには辟易として近寄りがたいので、分相応の質素な範囲でこぎれいな分にはむしろ好ましい。

 しかし。教会の建物も質素だな。六六には結構な住人が居るようなのだから、喜捨を取り立てて権威に見合った教会を建てれば良い物を。

 ここの教会の長、ザフロ・リュバン祭司か。
 このザフロ祭司は、ケルマン祭司総長と因縁があるらしく、二十年ほど前にネイルコードに左遷されたという話は聞いたことがある。長いことネイルコードで祭祀をしているにもかかわらず、この程度の教会しか任せて貰っていないのか、情けない。
 …ふむ。丁度昼食が終わった時間らしく、食後の一杯としゃれ込んでいたのだろうが。その果実酒、ネイルコード産ではあるがかなり高価だったと記憶している。正教国の商人がご機嫌伺いに正教国上層部に配っていたな。
 そんな高価な酒を飲んでいるということは、喜捨は着服しているのか?

 「昼餉の酒としては、ずいぶん高価な酒を飲んでおられるようですな。建物は小さくとも、さすがエイゼル市の教会というところですか」

 「ははは。実は、この酒を造っている酒蔵の杜氏が、ここの孤児院出身でしてな。そのときのことを恩に着てくれて、エイゼル市に仕事の用事で来る都度に、私に差し入れてくれるのですよ」

 「まさか、孤児がそんな要職につけるわけが…」

 杜氏ともなれば、酒蔵では一子相伝に近い職場だ。読み書き計算の教育も小さい頃から下級貴族並に仕込まれて、長い期間の修行が必要なはず。孤児がポンと入れるような職場では無いはずだ。

 「読み書き計算までは、六六や孤児院の子供達にはみな勉強させています。そこから成績が優秀な者が、さらに上の学校へ推薦されます。エイゼル市は発展著しい分、人手が足りないところが多いですからな。そこまで行けば商家や領庁と引っ張りだこですな。彼は元々商家で働いていたのですが、王都の西のテオーガル領に行ったときに取引先の酒蔵に興味を持ったようでしてな、そちらで働くようになったのですよ」

 孤児に読み書き計算を教えるだと。平民に余計な知恵を付けさせてどうする? だまって教会の言うことを聞いているぐらいが丁度良いのだ。

 「より上等な職に就けるようになれば、よりエイゼル市の税収が増える。教育は、子供に投資しているだけだ、元は十二分に取れる…というのがアイズン伯爵の言い分ですけどね。まぁそれで困窮する子供が居なくなるのですから、孤児院の管理者としては大助かりですな。ははは」

 「…」

 アイズン伯爵。これは強欲と言って良いのか。正教国でも教育を広めれば喜捨の増加に繋がるのか…いや…

 「…カリッシュ殿は、レイコ殿についてどれくらいお聞きになっていますか?」

 「…赤竜神様が小竜神様のお付きとしてこの大陸に使わされた巫女様…ですな。何の手違いかネイルコードに降りてしまったようですが」

 「レイコ殿が自身について語ったことについては、教会には伝わっていないのですか?」

 「…いくらかは伝わっていますが。伝聞では当てにならないような与太話ですな。赤竜神様が元は人間だったなど…」

 ブライン伯爵子息も同じようなことを言っていたな。巫女様から聞いたと…

 「私は直接聞きましたよ。レイコ殿はもともと、地球というところで賢者院の学者だったそうです。レイコ殿のお父上も人間だったころの赤竜神様も、同じ分野の研究をされていたそうですな」

 「…その研究というのは?」

 ザフロ路祭司は自分の頭を軽く叩きながら
 
 「人の頭の中、意識や記憶を取り出して、他の物に移す研究だそうです」

 「それは…魂を取り出す研究?」

 「私もそう思いましたが、魂では無いそうです。本の複製、経典の写経、そんな感じで、"同じ内容でも同じ物ではない"そうですな。レイコ殿の御尊父は残念ながら早世され。地球でのレイコ殿も病に倒れたそうです。レイコ殿と赤竜神様の元の人も、自身の意識と記憶を複写して亡くなったそうです。そこから時間が経ってマナが発明され。赤竜神様は、そのマナで作った器に複写した意識や記憶を再現され。そのマナの器ごと、星の海を渡ってこの世界にたどり着いたそうです。それが三千万年前のことだそうです」

 「三千万年…」

 帝国が滅びて千年ほど。赤竜教の記録は、一番古い物でそれより数百年がせいぜいだ。それの一万倍以上も昔から…まさに神代の話なのだが…

 「赤竜神様がこの世界に来られたころ、この世界は毒の海に毒の空気、とても生き物の住める場所では無かったそうですね。そこをマナの力をもって清浄化し、地球から持ち込んだあらゆる生物の"種"を撒き、今に至る…だそうです」

 「…赤竜神様が元は人間だったとしても。この世界を創造したも同じなら、やはり神では無いですか?」

 神が全ての始まりなら、神の始まりは何か? 若い祭司候補がよくやる禅問答だ。

 「赤竜神様がなぜ星の海を渡り、私達をこの星に撒いたのか。赤竜神様も"神"を探しているからだそうですよ」

 「なっ?!」

 「話が難しくて私にはほとんど理解できなかったのですが。赤竜神様から見ても神と言ってよいほどの存在が、確かに存在するという証拠があったそうです。神と言うより、神という現象だとレイコ殿は言ってましたが。その現象に意思や目的があるかはまったくの不明ですが、赤竜神様はその神に…神の力に接触をしたい。しかし赤竜神様"達"の能力を持ってもそれが敵わず。その接触を人に任せて試すことにしたそうです。この世界のように、生き物が住めるようにして人を撒いた世界は、星の海に数多にあるだろう…とレイコ殿は仰ってました。その数多の世界から、いつか神に接触する術を発明する者が出ることを期待しているわけです」

 混乱する。初めて聞いた話が多すぎる。どう解釈すれば良いのだ?

 「レイコ殿は、巫女として崇められるのが苦手だそうです。赤竜神が神では無く、当然自分も神の巫女などと呼ばれる存在ではないと自覚しているからですな。今までも、レイコ殿自身が自分は巫女だと自称したことはないはずです。まずここが、レイコ殿が正教国に行きたがらない理由になるかと思いますが、いかがかな?」

 赤竜神様は神では無い。巫女様は神の使いではない。だから奉られることを拒む。…まぁ筋は通っているが… 赤竜神様がこの世界を創造したことには違いあるまい。
 ああそうか…ザフロ司祭は"巫女様の信者"か。だから余所に行かせたくないのだな…
 まぁ、巫女様を手放したくないというのなら、こちらも考えがある。別れの挨拶もそこそこに、教会を出てきた。



 私は、両親が祭司の家庭に生まれた。他の国なら、そのまま貴族相当の家庭だが。私は長子ではなかったため、物心ついてきたときは信者として勉強を始め、教会に祭司見習いとして入り、敬虔で有能な信徒として認められ、自力で祭司に出世した。
 長年、信徒ととして教義の勉強と研究をしてきた。赤竜教が間違っているわけが無い。赤竜神様が神になられた経緯はともかく、赤竜神様がこの世界での創造神なのは確かなのだ。そして小竜様は、信仰に沿った生き方が正しいことを証明する赤竜神様からもたらされた象徴であり、巫女殿は赤竜神様と我々信徒のとの仲立ちをするべき存在なのだ。
 そうで無くてはならない。…どうすれば巫女様にご自身の役割を理解していただける?


 その日は貴族街には戻らず、郊外の畑の脇に立てられた農具小屋に潜伏した。
 教会を出るころまでは、私を監視している者らの気配も感じていたが。私もマナ術が使えるし、そこらの騎士よりは優秀だ。肉体強化をフルに使って撒いてやった。

 あの宿と、巫女様の今のあり方を肯定してしまっているあの貧素な教会。あれらがあるから巫女様がここに捕われているのだ。これらさえ無くなれば…
 宿の周りにはいくつかの監視の目がある。しかし、その目の届かない距離から攻撃が出来るのなら…


 深夜になったところで、まずは宿の方に向かう。宿の周囲に三人のマナ術に長けた者達が居るようだが。そこからさらに離れたところに陣取る。

 私の手には、マナ塊がいくつか握られている。麻痺系や放出系のマナ術を使うには、このマナ塊が必要になる。正確には必須では無いが、これ無しで麻痺系を使えば自身も相手と同じくらいの麻痺を喰らうし。放出系を使えば手に火傷を負う。術の放出をマナ塊から行なうことで、自身への加害を逸らすのだ。
 マナ術師の中には、杖に仕込んだり、スティック状に加工したり、グローブに埋め込んだりといろいろ携帯性に工夫をしているが。今手元にあるのは、魔獣から取り出したマナ塊を雑に整形したただけのものだ。
 マナ塊を、専用の金属で作った球に入れると発熱を始める。厨房で使われているようなマナコンロと同じ原理だが、マナコンロのマナ塊とは純度が違い、発熱量も段違いだ。大型化したマナランプを金属塊に入れたようなものだ。
 当然このまま持っていると手が焼けてしまうので、持てなくなるほど熱くなる前にマナ術で身体強化を施して…思いっきり宿に向けて投げつけるっ!

 バコンッ!

 そこそこ響く音がして、見張りが気がついたようだ。二人がこちらに向かってくる気配がする。
 投げ込んだマナ塊は、あの勢いなら木造の宿屋のどこかにめり込んでいるはずだ。すぐに火を噴くだろう。
 見届けられないのは心残りだが、まだ目的地はもう一つある。早々にこの場を離れよう。

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