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第5章 クラーレスカ正教国の聖女

第5章第016話 聖女様と巫女様

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第5章第016話 聖女様と巫女様

・Side:リシャーフ・クラーレスカ・バーハル(正教国祭司総長の娘 正教国聖女 正教国聖騎士団団長)

 オーガル領を北上すると、ユルガルム領だ。
 街を囲う丘陵を越えるとユルガルムの領都が一望できる。街は盆地の中に広がり、中央には丘がありそこに城らしき建物も見える。
 ユルガルムは、昔は独立した一つの国だったそうだが、今ではネイルコード国の有力な一地方となっている。この辺の歴史も調べてみたい物だ。

 西の山の向こうからは幾筋もの煙が立っている。あそこがネイルコード国の造幣や金属精錬等の技術をまとめている拠点か。魔獣の蟻が大量発生したというのも向こう側だったはず。
 エイゼル市の方からは既に先触れが出されているようで、城門では我々もすんなりと通された。

 屋敷のロビーでは、ユルガルム辺境候自らに出迎えられた。

 「ネイルコード国ユルガルム領、辺境候ナインケル・ユルガムル・マッケンハイバーと申します。こんな田舎の街までよく来られましたクラーレスカ正教国の聖女様」

 「クラーレスカ正教国聖騎士団団長リシャーフ・クラーレスカ・バーハルと申します。この度は面会いただき感謝いたします」

 「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。正教国からわざわざ来られたということは、やはりレイコ殿が御目当てかな? あいにく今は、西ユルガルムの方で、学者やら技師らを相手に談義しているところでしてな。まぁ夕餉には戻って来られると思いますので、それまではごゆるりとされたい」

 「…一つお伺いしてもよろしいでしょうか? この国では、貴族の方々も巫女様の事を"レイコ殿"と呼ばれるのは何故なのでしょう?」

 「っ! …トゥーラっ! 辺境候に失礼ですよ」

 私の侍従のトゥーラが噛み付いた。この国に来てから、巫女様の扱いが悪いのでは?と散々ぼやいていたが。ここで我慢が出来なくなったか。

 「赤竜神の巫女様に対して失礼な呼び方なのでは?という話ですかな? ははは、私はもちろん国王陛下もアイズン伯爵も、最初にお会いしたときには最敬礼しておりますよ。ただ、その直後にレイコ殿に仰々しい挨拶はやめてくれと懇願されましてな。呼び捨てでも"ちゃん"付けでもいいとは言われておるのですが。いろいろ妥協した結果、"殿"で落ち着いているのですよ」

 「呼び捨てや"ちゃん"付けまで…しかしそれではあまりにも巫女様に不敬では?」

 「ふむ。まぁ私は止めませんがな。レイコ殿に止めてくれと言われているにも関わらず巫女様呼びを続けて嫌な顔をされるのに我慢できるのなら、そう成されれば良い」

 「そ…それは…」

 「敬っている態度を取れば無条件で喜んでもらえるとでも思っていたのかね? 少なくともレイコ殿は"そういう側"の人間ではないと言うことだ。…無駄な不興を買いたくなければ、最初だけでやめておくことをお奨めしますよ」

 「…御助言、感謝いたします。…あの、ユルガルム滞在中は剣をお預けいたしたく」

 「こちらの護衛騎士は剣を履いているのに、正教国騎士団長の剣を預かっては、要らぬ軋轢を招きます。それに、レイコ殿には剣は効きませんからな。そのままで結構ですよ」



 応接室で、巫女様が屋敷に帰ってくるのを待つことに成り。もうそろそろ日が暮れるだろうというころ。

 「にしても、マナ板の加工にあそこまでの将来性があるとは…」

 初老のいかにも賢者という風体の男が応接室に入ってきた。

 「レイコちゃん、蒸気機関車も実現したら凄いけど、冷蔵庫は最優先に開発して欲しいかな。夏でも冷たいものが食べられるって天国でしょ?」

 文官系か?という若い女性。本当に"ちゃん"付けなのだな。

 「ものすごい産業になりそうなことは私にも分るわよ、レイコ。アイズン伯爵、先ほどのマナ加工の話は本当にエルセニムに持ってってもよろしいのですか? ネイルコードで秘匿しないので?」

 銀髪紅眼の少女。…エルセニム人だな。
 付き添うように巨大な狼も入ってくるか。…だれも驚かないのか?

 「こちらの人間にどこまでマナ加工が出来るようになるかはまだ未知数じゃしな。エルセニムが人材の宝庫と分った以上、むこうにも利がある形で参加して貰うのが手っ取り早いじゃろう。くっくっくっ、向こうにも学校を作って人材の発掘を大々に進めなくてわな。協力していただくぞ、マーリア姫」

 顔に傷跡のある老紳士。この方がアイズン伯爵か。

 「俺はクーラーとかいうやつが欲しいな。夏場にあれば最高だろ。引き手数多どころじゃないぞ?たぶん。生産が追いつかなくて、ユルガルムとマルタリクの職人が悲鳴を上げてるのが今から聞こえてくる…」

 まだ若い青年。商会のものっぽいゴルゲットを付けている。

 「嫌な想像しないでくれよタロウ殿。悲鳴ならもう上げてるぞ、主に俺がなっ!。…マルタリクもまた人を増やさないとな、年中人手不足で頭が痛い。まだ井戸のポンプも量産の手配が終わっていないんだぞ?」

 戦士か?というほどに筋肉隆々の大男だ。いや、鍛冶師の筋肉だなあれは。

 「やっぱモーターも必要よね。被覆銅線の量産、軸の耐久性、磁石の寿命、いろいろ継続した技術開発は必要だけど。私も冷蔵庫は早めに欲しいかな? ファルリード亭でお酒を冷やして出すだけでもすっごく喜ばれそうだし。プリンも冷やしたい」

 最後に黒髪の少女が入ってきた。上着に縫い付けられた背中の袋?には、赤い動物…あれは小竜様?
 ああ、この方が赤竜神の巫女様か。


 席を立ち、私と侍従揃って巫女様の前で膝をつく。

 「私、クラーレスカ正教国聖騎士団団長リシャーフ・クラーレスカ・バーハルと申します。ご尊顔を得たこと、恐悦至極にございます」



・Side:ツキシマ・レイコ

 「私、クラーレスカ正教国聖騎士団団長リシャーフ・クラーレスカ・バーハルと申します。ご尊顔を得たこと、恐悦至極にございます」

 小ユルガルムでの講義やら会議やらが終わって領主館に戻ってきたら。実用的ながらも高級そうな服に、女性なのに腰に剣を履いた方が、膝をついての最敬礼です。
 うお、正教国の騎士団長となっ!

 「レイコちゃん、たぶん正教国の聖女…様です」
 
…エカテリンさんが、耳を寄せてきて教えてくれます。
 金髪碧眼。長い髪は軽くまとめて靡かせています。女騎士にしろ聖女にしてろ、そのまま宗教画に書かれていそうな美女ですね。

 「あ…どうもご丁寧に。ツキシマ・レイコです…」

 こちらも少し気圧されてしまいます。

 「…」

 「…」

 膝をついた女騎士さん、俯いたまま動きません。
 え? 喋らないの? 私から話を振らないと行けないの? これ正教国のマナーなの? …と思っていたら。

 「…多分だけど。なんとかレイコちゃんを正教国に連れていきたいとユルガルム領まではるばる来たはいいけど。この国を色々見てきて、いったいどんな条件を出したらネイルコードから正教国に来てくれるんだろうか?と考え始めたら途方に暮れてしまって、何を言ったら分らなくなった状態…なのでは?」

 「ぐぅ…」

 エカテリンさん、相変わらず鋭いですね。リシャーフ様?ぐぅの音が漏れています。

 「まぁ、お金とか服とか食べ物とか家とか、まして男で釣るなんて出来るわけもなく。そうとなったら脅迫くらいしかないんだろうけど。アイズン伯爵?いやネイルコード国そのものを赤竜教から破門?…そんなことをしたら多分、ネイルコード国内の教会がレイコちゃんとレッドさんをご神体にして正教国から独立するだろうし。レイコちゃんの身近な人を人質に取る、ネイルコード国に戦争を吹っかける…まぁタシニの峠を通ってきただろうからレイコ・バスターの威力は実感できるくらい見てきただろうけど、レイコちゃんを人質で脅迫したら、それこそ正教国が地図から無くなっても不思議ではないし」

 エカテリンさん、容赦ありませんね。
 私がそんなことにレイコ・バスター使わないと分っていて、煽ってくれています。ナイスサポートですエカテリンさん。

 「…御慧眼、恐れ入ります。…いえ、巫女様を脅迫だなんてとんでもない」

 リシャーフ様が降参しました。

 「私はてっきり、私を偽物扱いして無視するか、悪魔扱いで糾弾するかとか、そんなのも考えていたんだけど」

 「うーん、小竜神様もいるから、それはちょっと難しいかな。一度レイコちゃんを偽物とか悪魔とか断じちゃったら、もう後戻り出来ないからね。教会が間違ってました~では、権威失墜も良いところ、現行の首脳部は全員退陣物ね。真贋裁判するから引き渡せ~だと、さっきの脅迫と同じかな。レイコちゃんを正確に把握していたら、なおさら取れない手だよね。まぁ、なだめすかしてご行幸いただく…ってのが関の山かな?」

 「なるほど。エカテリンさん冴えてますね」

 「えへへへ~」

 ご褒美ちょうだいとばかりに、フードからレッドさんを抱き上げて、なでなでスリスリしてます。

 「あ…あの! 赤竜神の巫女様と小竜様にちょっと馴れ馴れしくないですか? そこの女騎士!」

 リシャーフさんに付き従っていた侍従さんが、エカテリンさんに噛み付きます。
 こちらの方は、侍従ですかね?、ブラウンのショートヘア髪にブラウンの瞳のアイリさんと同じくらいの歳?
 もう一人の方は、ミオンさんと同じくらいの歳かな? 金までは行かないですが、明るいブラウンの髪を後ろで三つ編みにしている、落ち着いた感じの女性ですが。同僚の物言いにちょっと焦っています。

 「あの。私がエカテリンさんに、"ちゃん"付けもレッドさんなでなでの権利も与えてます…でいいですか?」

 「いやしかし! 赤竜神の巫女様と小竜神様ともあろうお方が一騎士にぞんざいに扱われるなんて…」

 「それです」

 「はい?」

 「私は私です。私がどうあるかは私が決めます。正教国としては、私にこうあるべきだとか、こうしろとか言いたいのでしょうが。そもそも私は私自身に宗教的価値を一切感じていませんので、祭り立てられても不本意なだけです。もう一度言います、私が決めることです。正教国に一切の決定権を与えるつもりはありません」

 女侍従さん、何も言えなくなってしまいましたね。

 「ほらいわんこっちゃない。なるほど、だからレイコ殿は敬礼されるのをあそこまで嫌がったのか」

 「私は、この世界への来歴が特殊なだけで、そんな拝まれるような人間では無いのですよ」

 ナインケル様、初めてお会いしたときのこと思い出していますね。
 私は小市民なのです。決して神の眷属ではありません。虚構に対して頭を下げさせるなんてしたくありません。

 「私のことを利用できたら美味しそうだし、その利益が他国に流れるのはけしからんから、とりあえず引っ張ってこい。こんなところでしょ?。そこに少しでも私の意思を汲む気がある?」

 「…しかし。それでも正教国の権威で周囲が安定しているのも事実なのです。このままでは、ネイルコードと正教国の対立がどう大陸に波及していくか…。巫女様がここに居れば、ネイルコード国が戦争に巻き込まれることは無いでしょう。しかし、正教国周辺で戦争が起こることは構わないのでしょうか? この期に及んで正教国に留まって欲しいとは言いません。せめて正教国に一度来ていただければと… どうすれば来ていただけるのでしょうか?」

 「…そうね。奴隷制の廃止。エルセニム人や山の民達を平等に扱う。喜捨の徴収を止めてきちんとした税制を敷く。赤竜騎士団とかいうふざけた団体を各国から引き上げさせてる。マーリアちゃんと一緒に連れていった人達の消息について公開して保護する。まぁそれくらいしたら観光くらいには行ってもいいかな?」

 「……父ケルマン祭司総長はともかく。サラダーン祭司長は呑まないでしょう」

 「逆に言えば、それが呑めないというところが正教国の問題点を浮き彫りにしておるの」

 うん? 祭司総長はともかくってのは、正教国のトップも一枚岩では無いと言うことですかね?

 「…はぁ。だから私は宗教屋は嫌いなんです」

 「レイコ、宗教屋って?」

 マーリアちゃんが聞いてきます。

 「教会の言うことを聞かないと、死んだら地獄に落ちるぞとか信者を脅して金儲けする宗教団体のこと」

 「…正教国では、半分くらいそんな祭司だったかな」

 「え? 半分はまともってことなの? マーリアちゃんっ?」

 …それはちょっと驚きの情報ですね。

 「まぁ派閥ってのがあるらしくて。まずは、信仰と布教のためには正教国が強くなくてはならない、そのためにはお金が必要なのは当たり前って考えの人たちね。他の祭司からは影で拝金派って呼ばれていたけど。あとは、祭司が真摯に神と向き合っていれば、自ずから信者たちが着いてきてくれるって感じの人達ね。実際は、これらの間に細かい派閥が沢山あるらしいけど」

 まぁ、祭司も霞食べて生きているわけじゃ無いので、お金は大事でしょうし、お金を持っている派閥の方が強いのでしょぅが。利権が第一となったら、そりゃ拝金と呼ばれるでしょうね。

 「私自身は別に宗教そのものは嫌いじゃ無いんだけど。確認しようも無い死後のことで脅迫して喜捨をせびったり、正しい間違いでは無く教会の都合の良し悪しで学問に干渉してきたりとか。正直、人類の進歩の脚を引っ張っているような組織は嫌いです」

 「いや、私達は信者の安寧のために日々努力しているのであって…」

 この人達は拝金派というわけでは無いようですが…

 「そこも問題です」

 「そこ?」

 きょとんとする侍従のお姉さん。

 「信者というものを定義して下さい」

 「…赤竜教を信じる者…ですか」

 「つまり、それ以外は人扱いしていないということでしょう?」

 「い…いえっ! …そんなことは…あ…」

 思い当たるところがあるようですね。ここで全ての人類のためとか言えない、信者とそれ以外を作ってしまう。意識してか無意識か、宗教屋に片足突っ込んでますよ。

 「このままだと何百年か先の未来、正教国があった今の時代はこの大陸にとっての暗黒時代と歴史の教科書に書かれるようになるかもしれません。ネイルコード国のおかげでそこまでひどくならないと思ってますけど」

 「そんなっ! なんでそんなことが…」

 「そんな歴史があった世界から来たんですよ、私は」

 世界史を勉強すれば、嫌でも目に付く事柄ですからね。

 「生きている時の罪で地獄に落されないように免罪符ってのを教会が販売して荒稼ぎとか。教会に反することを言う人はすぐ火あぶりとか。もしかしてもうやってる?」

 まぁ戦乱も多かったし、あの時代が宗教だけが原因とは言いませんが。

 「私が奴隷とか差別が嫌いな理由は分ってもらえたと思います。信者のためと言ってしまっている段階でだめです。その辺を踏まえてリシャーフ様に聞きます。私を正教国に連れてって、具体的に何をさせたいのでしょう?」

 「…申し訳ありません。少し考えさせて下さい」

 リシャーフ様たちは肩を落して、部屋に案内されて行きました。…ちょっと追い詰めすぎましたかね?

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