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29 兄の思い その壱

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「……猊下!」


 所用を済ませ部屋に戻ろうと廊下を歩く教皇に声が掛けられた。


「…………何でございますかな。もう、帰られたかと思うておりましたが」


 廊下の端に、先程のレーベン王国のセリの兄が立っていた。……ハインツといったか。

 それを見た聖騎士達は教皇の前に出てハインツに剣を向ける。


「……よい。ラングレー殿。何かまだお話でも?」

 教皇のその言葉に聖騎士達は剣をおさめた。

 レーベン王国で、まだ魔力の目覚めていなかったセリに酷い仕打ちをしていたという兄ハインツ。
 彼は先程は妹を思う素振りを見せてはいたものの、当然教皇のハインツを見る目は厳しかった。


「一つ、お聞かせください。……妹は……、セリーナは、今幸せなのでしょうか……? ここにいる事が、彼女の願いなのでしょうか?」

 ハインツは真っ直ぐ教皇の目を見て言った。

「……ふむ」

 ……先程も、このセリの兄は真っ直ぐな目で自分を見て来た。……心根は、悪いようには感じない。教皇は今まで数え切れないほどの人間を見て来た。悪しき心根の者は分かるつもりだ。

「私は、『孫娘』をとても大切に思うておる。あの子が望まぬ事はせぬ。『孫娘』の思うまま、自由に生きていかせてやりたいと、そう心から願っておる」


 教皇は、真実偽りないセリへの思いを告げた。

 ……さて、兄者殿はどう出るか? 御涙頂戴でセリ様を返せと言うてくるかの?


 そう思って見ていると……。

 徐に、ハインツは膝をつきあまつさえ頭を下げた。……所謂、土下座をしたのだった。


 これには内心教皇も驚いた。だが、その位で今まで辛い目にあったセリを渡す訳にはいかない。

「……どういうおつもりかの? 頭を下げれば、孫娘を渡すとでも?」


 教皇は全く動じる素振りを見せずそう冷たく言い放った。


「……いいえ! どうか、お願いでございます。妹を、セリーナをよろしくお願いいたします。たった1人見知らぬ国へ出て苦労しているのかと……。いえ、これは私が言えた義理ではございません。父からも、セリがそこで幸せでいるのなら連れて帰るなと、そう言いつかっております。
猊下。どうぞ妹を、何卒よろしくお願いいたします……!」


 頭を床に擦り付けるようにしてそう懇願するセリの兄ハインツに、教皇も流石に心が揺らいだ。……しかし心を鬼にして言葉を紡ぐ。


「私が孫娘を大切にするのは当然のこと。貴方にお願いされるまでもないことです。……しかし、貴方の国の王子はどうお考えでしょうな。彼は私の可愛い孫娘を狙っているようでしたが?」


 そう告げると、ハインツは頭を下げつつ頷いた。


「……はい。殿下はセリーナを魔力がない時から気に入っていたようでしたから……。
私は世界の教会の長である教皇に逆らう事は得策ではない、そう説得し国へこのまま帰るよう進言したします。……どうか、セリーナをよろしくお願いいたします」


 セリの兄はそう言って頭を下げたまま動かなかった。

 教皇は一つ大きくため息を吐いた。


「……私は孫娘を必ず守り抜くとだけお約束しよう。……それから我が孫娘には好いた者がおるようでしてな。私は今彼らを見守っているのです。
……道中、お気を付けて帰りなされ。神が貴方をお守りくださるように」


 そう言って軽く祈りを捧げてから教皇はその場を去った。


 ……教皇は途中振り向いたが、彼はまだ土下座をし頭を下げたままだった。


 ◇


「…………ふう」

 大教会で用意された自室に戻り、教皇は重いため息を吐いた。

 ……そして部屋にうずくまる、少女の姿に気付く。

「…………聞いて、おられたのですな」

「ッ……。は、い……」

 セリは、うずくまったまま顔を腕に埋めて震えていた。……泣いているのだろう。

 教皇はゆっくりと少女の近くのソファに座る。


「……随分と、改心されておったようじゃのう。この一年半、きっとご苦労されたのじゃろうのう」


「……ひっく」


「……返せとは、一度も言わなんだ。ただ、セリ様の幸せをひたすら祈っておりましたわ」


「……ひっく」


「国も荒れたままであろうし、本当はセリ様の力は喉から手が出るほど欲しいであろうに、あの王子を説得するとまで言っておりましたぞ」


「……ひぃっく」

 セリは涙を止められなかった。いつも、いつもセリーナに冷たく意地悪だった兄ハインツ。


 それが急にこんな風に言ってくるなんて、反則でないのか? あんな兄達がいるところに居られないと国を出たというのに。 

 泣きながら兄を信じていいのか分からず迷っている様子のセリを、教皇は慈愛の目で見つめた。


「セリ様。……実を言いますと、我ら教会は全世界を我らが神の光が等しく届くようにする事が悲願。そして世界中の国々がレーベン王国を狙っているのですよ。……本来は豊かで何故か強き魔法使い達が生まれる土壌を手に入れたいと考えておるのです」

「……ひっく…………、えっ!」

 セリは驚いてしゃっくりも止まった。


「……しかしながら、もしもあの魔物達を一瞬にして殲滅したという『大魔法使い』が居たのなら。我らも他の国々もレーベン王国に手を出す事は出来ますまい」

 セリは先程の兄の言葉の衝撃でボヤけた頭で必死に今の教皇の言葉を噛み砕く。
 つまりは、セリがレーベン王国に戻れば世界はレーベン王国に手は出せない、ということ……。


 そう思い至り、大切な人達との別れを思い悲しげな表情をしたセリに教皇は慌ててとりなす。

「セリ様。何もあの国に住まねばならない事はありません。
そうですな……、月に一度でもいいのではありませぬかな? その日1日だけ、あの国の正当な要望にだけ応えるというのはいかがでしょう。なにしろセリ様は『転移』が使えるのですから」

 そう言って教皇はウィンクをした。

「……っ! 転移で……」


 セリは教皇のその提案は目から鱗だった。
 ……そうか、ずっとじゃなくていいんだ……。たまにレーベン王国に行って復旧に力を使い更にその存在で他国を牽制し、そして普段は今まで通りライナーやダリルやアレン、そして時々教皇さまに会いに来れば良いんだわ……。

 希望を見出した様子のセリに、教皇は安堵した。

 教皇にとってセリは、今や本当の孫娘のような存在。魔法がきっかけではあったが、何より愛しい存在となっていたのだ。セリが憂う事なく暮らしていけるようにしてやりたい。


「ふむ。……納得出来たようですな。兄上と、一度きちんとお話された方が良いのでは?」

 教皇は心配そうにセリを見た。セリは笑顔をみせた。

「……はい。……でも少しだけ待ってもらって良いですか? 多分今すごく酷い顔をしてます……」


 そう言って恥ずかしげに泣き腫らした顔を隠そうとするセリを微笑んで見守る教皇だった。





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