泡沫

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19.脱出

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***
 
 
無言で船を操縦するグレンから、ディアナは視線を海へと移す。
すぐ目の前に広がる、大海原へと。
 
懐かしい、懐かしい故郷。
 
しかし不思議と、以前ほど“戻りたい”と強く願うことはなかった。
 
(城から逃げ出したら……復讐できない)
 
なぜ、レオナルドの手を取ってしまったのだろう。
ラキを殺した人間すら、誰か分からないままだった。
結局、人魚の存在を知らせ、仲間を危険にさらしただけではないだろうか。
 
(今、王様を海に引きずりこんで殺してしまえば)
 
少しは、人間への復讐を果たすことになるかもしれない。
ぼんやりとそんな事を考えてはみたが、実行する気にはならなかった。
 
風が吹きつけ、長く美しい銀髪が揺れる。
その髪を手で押さえていると、レオナルドが隣にやってきた。
動悸が激しくなるのを感じ、つい顔を思い切り背けてしまう。
……すると。
スッと、レオナルドが、ディアナの露わになった首筋に触れてきて。
 
(な、な、なに?)
 
驚いてレオナルドを見上げると、不機嫌そうに眉間にシワをよせていた。
首筋を指でなぞるように触れられるが、その手を払いのけることが出来なかった。
 
いつもなら、思い切り平手打ちでもしていただろう。
しかし今は……緊張して、体が固まって動けないのだ。
 
頬が熱くなるのを感じる。
これは一体、何なのだろう。
  
ディアナが混乱していると、
 
「……大丈夫か?」
 
ポツリと、レオナルドがそんなことをつぶやいた。
 
一瞬、その質問の意味がよくわからず、ディアナは首を傾げてしまう。
しかしすぐに、その意味に気がついた。
 
ディアナの首筋には、おそらく、オーウェンがつけたキスマークでもあるのだろう。
……それでなぜ、レオナルドが不機嫌になるのかは分からないが。
 
ディアナはコクリと頷き、
 
『ありがとう』
 
そう、レオナルドに向かって口をゆっくりと動かした。
レオナルドが来なければ、あのままオーウェンに最後までされていただろう。
ディアナはそのことを思い出し、体がまた、震えるのを感じる。
それをレオナルドに悟られたくなくて、スタスタと彼から少し離れた
……のだが。
 
「ディアナ、」
 
グイ、と腕を引っ張られ、体を引き寄せられた瞬間。
……唇に、レオナルドの唇を押し付けられた。
 
(な、なんなの、こいつ……)
 
ディアナが人魚だと、すでに気づいているはず。
なのに、なぜ、こんなことを平気でできるのだろうか。
いや、一番理解できないのは、自分自身だ。
 
なぜ、レオナルドに唇を奪われているのに、嫌じゃないのだろうか。
彼は、憎むべき人間なのに。
  
唇をゆっくりと離すと、レオナルドはフッと、口角をあげて笑った。
少し意地の悪い表情にも見えるのは、気のせいではないだろう。
 
「……ひっぱたかれないのも、少し物足りないものだな」
 
それだけを冗談交じりに口にすると、グレンの元へと歩いて行ってしまった。
 
(……そういう趣味なの?)
 
ディアナはポカンとしていたが、ふと気づく。
体の震えが、いつの間にか止まっていることに。
 
 
***
 
 
「レオ様……」
「何も言うな、グレン」
「しかし、お顔が……」
 
操縦するグレンのもとにやってきたレオナルドは、頬が赤いことを指摘され、大きなため息をついた。
そんなレオナルドを、グレンは少し困った表情で見る。
 
「……彼女は、本当に人魚なのですか?」
 
ディアナにチラ、と視線をやりながら、グレンが聞いてきた。
信じられない、と言いたげな表情で。
 
「……さぁな」
 
幼い頃から身の回りの世話係として仕えているグレンは、レオナルドの祖父のような存在だ。
国にではなく、レオナルド自身に仕えてくれている。
だから、今回城を抜け出すと言った時も、内密に協力してくれた。
  
「言い伝えとは……少し違うようですな。もしかしたら人間が、都合のいいように脚色していたのでしょうか」
「……そうかも、しれん」
 
グレンの言葉を聞いて、妙に納得してしまった。
ディアナに感じていた、違和感の正体……。
 
人魚の言い伝えは、所詮言い伝え。
昔の人間が作り上げたもの。
 
なぜ、もっと早くそのことに気づかなかったのだろう。
父は、気づいていたのだ。
直接人魚と話し、彼らを知り、そのような種族でないのだと。
 
レオナルドもディアナに視線をやると、切なそうな表情で、海を眺めていた。
今、彼女は故郷を想っているのだろうか。
 
(綺麗だ)
 
レオナルドは、ディアナのその儚げな美しさに目を奪われてしまう。
すると、グレンがコホンと軽く咳き込み、ハッと我に返った。
 
「……レオ様。鼻の下が伸びております」
「……伸びてない」
 
にこやかに笑みを浮かべるグレンは、どこか嬉しそうにも見える。
 
「さようですか……それは失礼いたしました」
「…………」
 
まさか、グレンにこのような事でからかわれる日が来るなんて。
レオナルドはグレンから離れ、ディアナのもとに再び戻ろうと歩き出す。
すると、
 
『…………』
 
ディアナが何かをつぶやくように口を動かすと、左手の薬指にはめている指輪に、ソッと唇をおとした。
 
あまりにも、切なく
あまりにも、愛おしそうに……。
  
「レオ様、そろそろ到着しますが……いかがいたしましょうか?」
 
グレンに声をかけられ、レオナルドとディアナは進行方向へと視線を移す。
すると、小さな島の浜辺が、もう目前に迫っていた。
 
「グレン、お前は船で待機していてくれ。……すぐに戻る」
「かしこまりました」
 
ーーザザン……
ザザン……
 
砂浜に乗り上げ、無人島へと降り立つレオナルドとディアナ。
穏やかな波に打たれながら、ディアナの手をとって砂浜を進む。
グレンの目の届かない、森の奥へ。
この森を抜ければ、ここは小さな島なので、反対側の浜辺へと出ることができるだろう。
 
「故郷に帰ったら、二度と城には近づくな」
 
森の中でピタリと立ち止まり、ポツリとディアナに忠告をする。
ギュッと、握りしめる手に少し力が入ってしまった。
 
 
***
 
 
ディアナは、ただただ戸惑いを隠せずにいた。
手を強く握り締められ、その手を離したくないと感じる自分がいるのだ。
 
『なぜ?』
 
なぜ、逃がしてくれるのか。
なぜ、そんな熱い瞳で見つめるのか。
 
ディアナが口をそう動かすと、レオナルドは少し苦笑いを浮かべた。
 
 
「……すまなかった。
人間は、弱い。だから力を持つ人魚を恐れてきた」
『…………』
「十年前……人間が人魚狩りなんていうバカな真似をしていなければ、争いは起きなかった。オレは……そんな当たり前のことに、気づかなかった」
 
そこまで口にすると、グイ、とレオナルドは手を引っ張る。
そして、
 
「……お前は、人魚は化け物なんかじゃない」
 
気づいたら、ディアナはレオナルドの腕の中にいた。
ギュウ、と強く抱きしめられていたのだ。
 
(……人間は、信用できない……のに)
 
どうしても、レオナルドがウソを言っているようには感じなかった。
いや、そう思いたいのかもしれない。
 
ディアナがレオナルドの顔を見上げると、頬にソッと優しく触れられる。
そして、どちらからともなく、唇を重ねていた。
 
(イヤ)
 
ギュウ、とレオナルドの背中に手を回し、強くしがみつきながら、ただ願った。
 
(離れたくない)
 
レオナルドとずっと、このままでいたい、と。
 
……この感情が何なのか、気づいてはいけない。
ディアナはずっとそう、自分の気持ちに気づかないふりをしていたのだ。
 
レオナルドは、人間の王。
仲間を、恋人を奪った、憎むべき存在。
なのに……。
 
 
大木に寄りかかりながら、幾度となく唇を重ねる二人。
聞こえるのは、かすかなせせらぎの音と、風にゆれる木々の音。
 
「……そろそろひっぱたかないと、後悔するぞ」
 
キスの合間に、レオナルドがポツリとため息まじりに耳元でつぶやく。
しかしディアナは、ただレオナルドを潤んだ瞳で見つめるだけ。
自分の気持ちに気づいてしまった今、彼を拒絶なんてできやしないのだ。
 
(許されるはずがない)
 
ラキのことを忘れたわけじゃない。
ラキのことをもう想っていないわけじゃない。
それなのに、なぜ。
 
(どうして、こんな男のことを……!)
 
戸惑うディアナの肌にレオナルドが触れてきて、思わずビクリと体が震える。
しかし、オーウェンの時に感じた嫌悪感は、一切感じなかった。
むしろ……。
 
「ディアナ」
 
どこか切なそうに名前を呼ばれ、ディアナは胸が締め付けられる。
 
彼は今、何を考えているのだろうか。
なぜ、ディアナに触れてくるのだろうか。
 
(……レオナルド)
 
ディアナはゆっくりと、目を閉じる。
 
ただ欲求を満たしたいだけなのかもしれない。
ただの興味本位かもしれない。
 
いや、レオナルドが何を考えているかは分からないままでいい。
知らないほうが、いい。
 
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