泡沫

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8.食事

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***
 
 
ウエストは、コルセットというものでギュウギュウに締め付けられ、床を引きずるほど長く歩きにくい、ヒラヒラとした服を身にまとわされ、首からはジャラジャラとしたアクセサリーを、顔には化粧という気持ちの悪いものをほどこされ。
 
ディアナはレオナルドの待つ部屋の前で、すでにげんなりとしていた。
 
(これが、人間の女の正装……? 信じられない。苦しくてうっとおしくて気持ち悪いだけじゃない)
 
はー、と大きなため息を一つつく。
そして、気合いをいれ直して部屋のドアをノックした。
 
とにかく、しばらくは子種を求めるのをやめよう、とディアナは考えていた。
まずはレオナルドと親密にならなければならない。
昨日は突然のチャンスに、少々焦っていただけ。
 
「……遅い。いつまで待たせる気だ?」
 
ノックして中に入るなり、椅子に腰掛けて本を読んでいたレオナルドが冷めた声を発した。
どうやら、待たされたことが気にくわないらしい。
 
(知らないわよ。文句なら、あなたの城の女たちに言ってちょうだい)
 
正装でなければと、着飾られるのに時間がかかったのだ。
好きで遅くなったわけではない。
 
『申し訳ありません』
 
ニッコリと笑みを浮かべながら、紙にそう書いて見せる。
すると、レオナルドはイスから立ち上がってディアナのもとに歩み寄った。
そして、ぐい、とディアナの顎をつかんで自分の顔に引き寄せた。
  
(顔……近すぎるんだけど)
 
レオナルドの碧い瞳に、眉をひそめた自分の苦そうな顔が写り込み、ディアナはハッと我にかえる。
そしてすぐにまた、愛想笑いを浮かべる。
これでは、下手だと言われても仕方がないな、と自覚する。
 
そんなディアナを無表情に見つめていたレオナルドだが、すぐに、パッと手を離した。
 
「……座れ。食事にする」
 
一体なんだったのだろうか。
ディアナは不審に思いながらも、言われるままにイスに腰かける。
そして、ようやくテーブルに並べられる食事に気がついた。
 
(……魚?)
 
見事に魚介類一色の豪華そうな食事が、ズラリと並んでいたのだ。
とても二人では食べきれない量が。
 
「このあたりの魚介はうまいと評判だ」
「…………」
 
ディアナたち人魚は、基本的に空腹を感じることがない。
水中のプランクトンを主な栄養としているからだ。
他には、海藻や果物を口にすることもある。
 
いいや、それ以前に、魚は人魚の仲間であり友達である。
食べるなんて、もってのほか。
 
(あり得ない)
 
全く食事に手をつけないディアナを見て、レオナルドが問いかける。
 
「食べないのか?」
 
不審に思われるだろうか。
 
ディアナは、皿の上の焼かれた魚に視線を落とす。
……やはり、食するなんてあり得ない。
  
『ごめんなさい。魚は食べることができません』
 
紙にそう書いて見せると、レオナルドは黙って手元に置いてあった呼び鈴を鳴らす。
すると、部屋の外で待機していたらしい召使いの女がすぐさま部屋へと入ってきた。
 
「彼女は魚が苦手らしい。代わりに……そうだな、パンとフルーツでも持ってきてくれ」
「かしこまりました」
 
目の前から、次々と皿が片付けられていくのを、ディアナは無表情に見つめる。
 
あの料理された魚たちは、誰かの糧となるのだろうか。
それとも、処分されてしまうのだろうか。
 
複雑な心境でそんな疑問を抱きつつ、とりあえずコップの水を飲むなり、ゴホッ、と思わずむせてしまった。
 
それもそうだろう。
 
(……これ、淡水? 人間は淡水を飲むの?)
 
淡水を口にしたのは、生まれて初めてかもしれない。
 
飲む水といえば、海水。
そんないつもの感覚で飲んだため、驚いてしまったのだ。
 
「……ただの水に、何を驚いてる?」
 
レオナルドに声をかけられ、ディアナはようやく我に返る。
そしてニコリと笑みを浮かべ、首を横に振った。
 
(変に思われた、かも)
 
いつでもどんな時でも、人間らしく振る舞うために気を張りつづけなければならない。
万が一、人魚だと正体がバレたら……非常にまずい。
 
復讐を果たすことだけが、ディアナの生きる目的なのだ。
その前に、ラキのように殺されるわけには……いかないのだから。
  
 
***
 
 
慣れない手つきでパンを食べるディアナの姿を、レオナルドはジッと観察していた。
 
しかし、いまいち確証が持てずにいる。
彼女が“人魚”であるという、確証が。
 
あの日、船が座礁した日のことを、レオナルドはぼんやり思い出す。
 
『……お前は……?』
 
揺らめく碧の世界。
あの時、自分は確かに死を受け入れた。
しかし、意識を失ったレオナルドが次に目にしたのは。
 
濡れた長い銀髪。
ダークブラウンの瞳。
 
そして、太陽の光によってキラキラと光る、美しい尾鰭……。
 
いや。
意識が朦朧としていたせいで、服か何かを尾鰭と勘違いした可能性も否定できない。
だから確証を得るためにも、記憶がないというディアナを城へと招いた。
そして、分かったことが一つある。
白馬にまたがるレオナルドを無表情に見上げた、ディアナの冷めた瞳。
 
あれは……
憎しみを宿している瞳、だった。
 
「で……記憶は戻りそうにないのか?」
『はい』
 
レオナルドの質問に、ディアナは慣れない手つきで紙に返事を書く。
ニコリと、下手な作り笑いを浮かべながら。
 
(ウソも下手くそだ)
 
そう口にしそうになったが、あえてこらえる。
  
記憶喪失というのは、おそらくウソなのだろう。
 
これまでに何十、何百という人間を見てきたレオナルド。
一国の王として、人を見る目はそれなりにあると自負しているつもりだ。
 
(だが……どう見ても人間にしか見えない)
 
昨日、何一つ身にまとっていない彼女の裸を確認したが、どう見ても人間そのものだったことを思い出す。
 
やはり、人間なのだろうか。
しかし、人魚には不思議な魔力があると聞くから、そうとも言い切れない。
 
向かい側の席に座るディアナに、視線を移してみる。
そして、ディアナの口の周りについたパンくずに気づき、思わず眉をひそめた。
 
「ずいぶんと貧しい家に育ったらしいな。マナーのかけらもない」
 
普段のレオナルドは、弟ヴィクトルの前でさえも“国王”として、誰にも心の隙を見せぬよう振舞っている。
冷静沈着で、判断力のある、人から支持されるような人格だと思われるように。
 
しかし、どうしてもディアナに対してキツくあたってしまう。
彼女が、憎くてたまらない人魚だからかもしれない。
顔を見るだけで苛立ってしまうのだ。
 
『申し訳ありません』
 
明らかに引きつった笑みを浮かべながら、ディアナは先ほど書いた紙を、もう一度レオナルドに見せた。
 
「お前はオレの客人だ。人前で恥をかかせるな」
 
そう吐き捨てるように言って、ひとくち水を飲んだ。
 
彼女の正体がハッキリするまで、この城から出すわけにはいかない。
もうしばらく泳がせよう、と判断したのだ。
 
 
***
 
 
(むかつく男……!)
 
ーーバタン!!
 
レオナルドの嫌味満載な食事の時間が終わり、ようやく部屋へと戻るディアナ。
そしてコツコツとベッドに歩み寄るなり、苛立ちをぶつけるように枕を何度も拳で思いきり叩いた。
 
(人間はみんな、あんなやつばかりなの?)
 
レオナルドほど性格の悪い男の治める国など、勝手に滅ぶのではないかと思う。
 
誰もついてきやしない。
他国とうまくやっていけやしない、と。
 
(滅ぶなら早く滅んだらいいのに)
 
そうすれば、ディアナはレオナルドに媚を売ることも、子種を求めることもなくてすむ。
復讐する手間が省けるというものだ。
 
……とはいえ。
もちろん、そんな簡単に国が滅ぶなんて本気で思ってはいない。
 
随分と外ヅラは良かったし、うまくやっていけているのだろう。
はぁー、と大きなため息をつくディアナは、そのままベッドに倒れこむ。
そして目を閉じて、ぼんやり思い出すのは……大好きだった、恋人の微笑みだった。
 
(……ラキは……この城で殺された。あの男が知らないはずない……)
 
レオナルドはこの城の主。
もしかしたら、彼がラキを殺したのかもしれない。
 
うっすらと目を開くと、左手の中指にはめてある指輪が、きらりと光った。
 
(ラキ……)
 
……腕の中で目を覚まさないラキの姿が、まぶたに焼きついて離れない。
 
 
***
 
 
「珍しいな。兄上が誰かと食事をするなんて」
 
コツコツと通路を歩いていたレオナルドは、ヴィクトルに声をかけられて振り返る。
 
「そういえばそうかもしれないな」
 
まだ昼前だというのに、どうやらレオナルドとディアナが食事を共にしたことは城中に知れ渡っているようだ。
だからといって、たいして気にとめるようなことでもないが。
……しかし、そう思っていたのはレオナルドだけらしい。
 
「婚約者とすら食事を共にしないのに、素性の分からない女とするのは命の恩人だからか? あの女を妾にするらしい、なんて噂が流れてるぞ」
「妾? ……バカらしい」
 
根も葉もない噂に踊らされるような性格ではない。
それはヴィクトルもだと思っていたので、少々意外に思う。
 
「そんなくだらない噂、勝手に消える。話はそれだけか?」
「くだらない、か。……あぁ、それもそうだ。邪魔して悪かった」
 
そう苦笑いするように言って、ヴィクトルは来た道を引き返す。
そんな弟の後ろ姿を眺めながら、ふと疑問に思った。
 
ディアナのことが気になるのだろうか、と。
 
彼女は素性が分からない。
あぁ口にはしたが、これまでに見たことがないほどの美しい容姿の持ち主。
男なら、心揺らいでも不思議ではないだろう。
 
(……いや。あの美しさも、まやかしかもしれない)
 
ディアナがレオナルドの心の中に入り込むスキなど、微塵もないのだが
なんとなく、自分にそう言い聞かせた。
 
 
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