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1.歌声
しおりを挟むーーザザン……
ザザン……
どこまでも続く水平線を眺めながら、長めの黒髪に碧い瞳をもつ青年は、いつの間にか流れていた涙を、袖でグイッと拭った。
(……たかが歌に涙するなんて、どうかしてる)
青年が軽く苦笑していると、歌声はいつの間にかやんでいた。
一体、今の歌は誰が歌っていたのだろうか。
歌声に聞きほれていた青年は、今更そんな疑問をもつ。
というのも、ここは見渡す限りの……海。
「不吉ですな……」
しわがれた声が背後から聞こえ、ゆっくりと振り向くと、いつからいたのか、眉をひそめて神妙な表情を浮かべる老人が立っていた。
「グレン、……不吉とは?」
老人……昔からの世話係であるグレンに、青年は首を傾げながら尋ねる。
しかしもう、うっすらと気づいてはいた。
「この世のものとは思えないほど美しい歌声、それに我々のもの以外に船が見あたらないところをみると……
今の歌声は、人魚のものに違いないでしょう」
人魚。
その言葉を聞いた瞬間、やはりな、と青年は納得する。
「人魚か。……それは確かに不吉だ」
青年はグレンから視線を海へと戻し、眉をひそめながら嫌悪感たっぷりに口にする。
『人魚は災いをもたらす存在』
それは遥か昔からの言い伝えであり、また、事実でもあった。
ほんの十年前。
人間と人魚の間で激しい争いが起こり、多くの犠牲者が出た事は記憶に新しい。
その争いにより人魚は絶滅したと言われていたが……どうやらそうでもないらしい。
青年はギリ、と悔しそうに歯を食いしばった。
「人魚とは、凶暴で冷酷な化け物……。我々に気づけば何をしでかすか分かりません。早く城へ戻る事にしましょう、レオ様」
「あぁ……」
グレンの提案に、青年……レオナルドは少し間を置いてコクリと頷くが、
「……嵐が来るな」
不意に空を見上げるなり、そうつぶやいた。
そして身を翻し、カツカツと足音を立てながら船内へと姿を消した。
ーーパシャ……
「……あれが、人間の王」
遠く離れた水面から、自分たちをずっと見ていた一人の人魚の存在に気づく事なく。
「レオナルド。誕生パーティーの主役がどこに行ってたの?」
レオナルドが船内のパーティー会場に戻ると、一人の若い女性が駆け寄ってきた。
茶髪のサラリとした長い髪に、パッチリとした目が印象的な可愛らしい雰囲気をもつ女性だ。
彼女に気づくなり、レオナルドはニコリと笑みを浮かべる。
「ソフィアか。いや、ちょっと外の空気を吸いに行ってただけだ。……さて、そろそろパーティーはお開きにしよう。嵐がくるぞ」
「嵐? まさか」
レオナルドの言葉に、ソフィアは目を丸くする。
無理もないだろう、とレオナルドは思う。
「だって、海も空もこんなに穏やかで静かなのに、」
「嵐の前の静けさ、ってやつだ」
レオナルドの言葉にいまいち納得できていないソフィアだが、それ以上何か言う事はなかった。
婚約者であるとはいえ、レオナルドは一国の国王。
彼に対等に意見できる者がいるならば、唯一の肉親である弟くらいだろう。
ソフィアがレオナルドの言った通りだと気づいたのは、それからほんの数分後の事だった。
船が陸へと向かっている最中に、天候はみるみる悪化。
あっという間に船は嵐に巻き込まれ、難破してしまったのだ。
その情報は、すぐさま城で待機していたある人物のもとへと伝わった。
「……兄上たちが乗った船が嵐に巻き込まれて難破した……だと!?」
「は! ただいま救助に向かっていますが……生存者の確認は未だとれていません」
息を切らして報告に来た臣下の言葉を聞くなり、ガタン、と青年は勢いよく椅子から立ち上がる。
ガッチリした体格に切れ長の目、短めの黒髪に蒼い瞳。
どこか人を寄せ付けない雰囲気を持つこの青年の名は、ヴィクトル。
レオナルドの実の弟だ。
「兄上とソフィーの安否も分からないのか?」
「……は!」
その答えにヴィクトルはチッと舌打ちをすると、先ほどまで座っていた椅子にかけてある上着を手にとる。
そして部屋の出入り口へと早足に向かいながら、
「オレも救助に向かう。案内しろ」
威圧的な口調で、そう命令した。
本来ならば、そんな危険な場所へと王弟であるヴィクトルを向かわせるべきではない。
だが、彼の命令にとても逆らえないと感じたのか、臣下はしぶしぶ頷いた。
「……これは……」
荒れ狂う海へと救助に向かったヴィクトルたちだが、誰もが目の前の光景に言葉を失った。
無理もないだろう。
目に映るのは、座礁した船と救命ボートに乗り救助に歓喜する人々。
そして……穏やかさを取り戻した、静かな海。
ヴィクトルたちが着いた時には、すでに嵐は過ぎ去っていたのだ。
「……とにかく皆を船に、」
「……ッ、ヴィク……!!」
ヴィクトルが部下たちへの指示を言い終える直前。
どこからか、自分の名を呼ぶソフィアの声がかすかに聞こえてきた。
「……ソフィー、無事だったのか」
数ある救命ボートの中、ヴィクトルはすぐにソフィアの姿を見つけてホッと安堵する。
しかし救助が来たというのに、ソフィアは真っ青な顔で涙をポロポロと流していたのだ。
……嫌な予感がした。
「ヴィク……! レオナルドが……レオナルドが……!!」
ソフィアは船へと救助されるなり、泣きながらヴィクトルの胸に飛び込んできた。
思わず固まってしまうヴィクトルだが、すぐに事の重大さに気づく。
「落ち着け、ソフィー。兄上はどこに?」
すでに全員を救助し終えたというのに、レオナルドの姿がどこにもないのだ。
(……まさか)
一番に救助ボートに乗らなければならない国王が、いないはずがない。
そう自分に言い聞かせてみるヴィクトルだが、泣きじゃくるソフィアの次の言葉に……絶句した。
「きゅ、救助ボートから、海に落ちそうになった私を、ヒック、か、庇って……ヒック、海に! わ、私どうしたら……」
「……ッ、」
嫌な予感は、的中したのだ。
ヴィクトルは慌てて船の手すりから身を乗り出し、海をキョロキョロと見渡す。
しかし、当たり前だがどこにもレオナルドの姿はない。
「ヴィク……」
「泣くなソフィー。……兄上はきっと無事だ」
もちろん、何の根拠もない。
だが、ソフィアを泣きやませるために適当な気持ちで言ったわけではなかった。
ただの勘だが、レオナルドは無事だと確かに思ったのだ。
「お前は皆と一緒に陸に戻ってろ」
「え……?」
「オレは残って兄上を探す」
座礁した船が、ゆっくりと静かな海の中へと沈んでいく様を眺めながら。
ヴィクトルの言葉に、ソフィアはただ小さく頷いた。
それを確認するなり、ヴィクトルは足早に部下たちのもとへと向かう。
そして、
「船の準備をしろ!」
一人海に残り、レオナルドを探しに出た。
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