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石壁の砦を出立し、国境沿いを西側方面へと進んで二日経った。急ぐために全員馬車と馬で移動中である。食べ物や飲料水、荷物を積んだ幌付き馬車の荷台の隙間に、トッカと二人で座っている。魔法使いが馬に乗れないので、護衛のトッカも一緒なのである。この非常事態、トッカにだけは話しておくべきだと、過去の話をした。面倒を背負い込ませて申し訳ないが、この先どうなるかわからない、今しか話す時間はなかった。
自分が子ども時代に受けていた隣国での人体実験のこと、体内にたくさんの小さな魔道具が入ったままなこと、旅費としてほとんど売ってしまったけれど、きれいな石のこと。魔法を使えるなら都へ行けと言われたが、途中の町で男に犯され魔力が暴走したこと。死にかけたおかげで、都から直接迎えが来て第一部隊に入ったこと。そこから十四年間、第一部隊に所属していること。トッカはずっと黙って聞いていた。相づちがないのも、いつものことだ。魔法使いは一人で訥々と半生を語った。
「遠くに逃げてきたと思ってたのに、またあの国に近づいてるなんて……まるで呪われてるみたいだろ」
話を全部聞き終えて、トッカはどうするだろう。またいつか魔力が暴走するかもしれない、危険な男の護衛なんて、辞めてしまうだろうか。離れていってしまうんだろうか。
「呪い持ちは、お互いさまだ」
トッカが言ったのはそれだけだった。そこには嫌悪など微塵もなかったから、気が楽になる。
「聞いてもいい? なんでトッカは呪いの鎧を手に入れたか」
「……知り合いに……呪具とか魔道具に詳しい男がいて、そいつに押しつけられた」
「ふぅん、どこかで呪われたわけじゃないんだ」
「ちがう。お前の体の魔道具も、そいつなら外せるかもしれない」
「外すってもなぁ……もうけっこう肉のなか、埋まっちゃってんのよ? また切るの痛いしなー」
俺はシャツの袖をまくってみせた。古い傷痕を指でなぞる。皮膚の下になにか埋まっているような感触はない。トッカの指が伸びてきて、俺の傷痕を触る。痕をなぞるだけの、優しい触れ方だった。
「嫌ならいい」
「うーん、嫌っていうか。俺はこの国を出られないだろうけど、もし機会があれば話を聞いてみたいかも」
「………国を、出られない?」
トッカの眉が、きゅっと寄る。
「うーん、たぶん? 魔力が暴走すると町、消滅しちゃうから。俺ってば『都預かり』って形で第一部隊にいるのよねー、たしか」
国を出る出ないなんて、考えたこともなかったので確認したこともないが、国の要請ならともかく、旅行なんて名目では無理だろう。トッカは知らないかもしれないが、この国で魔法使いを国外に出す話を聞いたことはない。他国に渡った魔法使いが戻ってこない、捕まった、なんてことになったら国の損失だ。特に珍しい広範囲型攻撃魔法使いに、自由なんてないだろう。
「まぁ、けっこういい国じゃない、ここ?」
「お前は……本気でそう思ってるのか?」
「あっちの地獄みたいな国と、ここしか知らないからね。もっといい国があんの?」
「ある。一年中暖かくて、武器など必要のない国が」
「へぇー、いいね。俺も行ってみたい」
へらっと笑うと、トッカの寄せていた眉が緩んだ。
「行くか。いつか一緒に」
「うん、連れてってよ」
「わかった」
それからは馬車が止まるまで、この国より自由で、ずっと暖かい場所を想像してみた。武器がいらないってことは、魔物もいないのだろうか。そうすると攻撃魔法の得意な魔法使いは、何をして働けばいいんだろう。そんなことを考えながら、揺れる馬車でまどろんだ。トッカと二人、まったりと過ごしたが、これがのんびりできた最後の時間だった。
もう少しで現場へ到着、という山の道を進んでいるときだった。人々の怒号、金属の音、進んでいた車輪と、馬の足音が乱れる。馬のいななき、激しい揺れ、馬車が突然止まった。けたたましい金属笛が各地で響く。意味するところは敵襲。二人で顔を見合わせ、馬車の幌のなかから、そっと外を伺う。それぞれいつでも戦闘に向かう準備はできている。しかし幌の外からは、早くも戦いが収束する音が聞こえてきていた。
「ばぁーかっ! 第一に襲撃してくる山賊がいるか」
「なまくら剣研いで出直してこい!」
「くっそーっ! こんなはずじゃねーのに!」
「話が違ぇよ。なんで都の部隊が、こんな辺境に来てんだよぉ」
魔法使いとトッカは馬車のなかで視線を合わせる。うん、終わったな。どうやら山賊が襲撃してきたらしい。第一の戦士たちと、たかが賊ふぜいでは鍛え方が違う。体の作り込み方が違うから、ひとまわりも、ふたまわりも大きな筋肉で覆われた戦士たちが、無精ひげのざんばら髪をした薄汚れた男たちを、縄で括り転がしている。
「どうする? こいつら」
「連れてくのは面倒だから、この崖から蹴っ飛ばして転がせばよくね?」
「そうだな」
「わーっ、まった待った! 待ってくれ!」
「言う、言う! ぜんぶ言うから」
「別にいーや。俺たち先急いでるし、聞きたくねぇし」
「なぁ? 興味ねーわ」
「いや、ぜひ聞いて! おねげぇします」
「俺たちゃ、ここに武装した商人がすげー上等の荷を運んでくる、って聞いてたんで」
賊たちは、聞かないと言っているのに、勝手に話し始めた。一応、しかるべき場所に引き渡すという規律がある。このままでは、誰かがうっかり崖から蹴り落として、見なかったことになりそうだ。魔法使いとトッカは馬車を降り、同僚たちの方へ歩いて行った。
「あっ、上物っ!」
「なぁにが、ジョウモノ! だ。馬鹿もん」
「気安く見るな」
トッカを見た山賊を、同僚たちが蹴っ飛ばしている。見るくらいならいいだろう。
「上物を売れば、そりゃいい金になるって俺たちゃ聞いてたもんで」
「そいで、俺たちゃここで張ってたんで」
山賊たちが下卑た笑いを浮かべている。あ、やっぱこいつらぜんぶここで始末しよう、そうしよう。
「おい、誰か今すぐこいつらを、うっかり崖から蹴り落とせ」
同僚が、引くわぁみたいな顔で魔法使いを見る。
「おっさん、顔怖ぇわ」
「あぁん? こいつら連れてって何の得がある。急いでんのに邪魔だ、さっさと蹴っちまえ」
トッカをさらって売り飛ばすつもりだったとか、胸くそのわるい話だ。トッカは大事な心の嫁だ。
「おっさんがいつになく過激だな」
「逆に蹴りずれぇわ」
「てかまじで、この先魔物の暴走だろ? どうすんだよ、連れてくか?」
「まもの? ぼうそう?」
「やめてくれぇ!」
「俺たちのこたぁ、ここで縛って置いてってくだせぇ!」
「あんたたちの足止めして悪かった、謝ります!」
相談した結果、腕だけを縛って置いていくことにした。歩ければ自分たちのアジトまで戻れるだろう。このあと第四部隊までが順に通る道だ、同じ事をしようとすれば、もっと痛い目にあうだろう。
「なぁ、おまえら、商人が通るって話どこで聞いた?」
ひとつだけ、気になったことを賊に尋ねた。まだ縛られて座ったまま、すがるような目で見上げてくる。
「夕べ、下の村の酒場で」
「そういやそいつ、旅してるって」
「たしかに見たことねぇ面だった」
「あっそ」
そこまで聞くと、部隊長のところへ歩いて行った。おかしい、何かがおかしい。魔物の暴走を知って、すぐここへ出立しているのだ。しかも今回は都からの情報じゃない、北に部隊がいることを知っていて、直接要請が来ていたのに。それより一足先に、村の酒場に情報を持った旅人がいたとは。話を聞いた部隊長も、妙な話だと言いながら行き先を変えることはなかった。
「ふむ。旅人は気になるが、今向かったところで長居はしていないだろう。人為的にしろ何にしろ、我々は魔物の暴走を止めに行くしかない」
「ですよねー」
なんだかずっと、嫌な感じがする。それでも行かなくてはならない。再び幌つき馬車に戻り、乗り込む。遅れを取り戻すために、少し速度が上がるだろう。のんびり話をする暇はなさそうだ、舌をかむ。
「出立ーっ!」
合図を皮切りに、馬の足音と車輪のガタゴト回る音が聞こえ、馬車も動き出した。
現場に着くまでに、かなりの数の魔物と遭遇した。陣を組んで馬車を守りながら進んだので、思うように距離は稼げない。ようやくたどり着いたのは、日暮れ前だ。現場を見た者は全員、声をなくした。
「嘘だろ……」
「こんな………」
悲惨だった。砦の石壁は頑丈な門が破られていた。石壁は外側と内側の二重に張り巡らされている。内側の石壁が町をぐるりと囲んでいるので、町のなかは無事なのが不幸中の幸いだ。襲ってくる魔物をすべて駆逐し、手の空いた者から門の補修を突貫作業で進める。部隊長は砦の長と話をしに行った。陽が落ちる前に、やっておくべきことは多い。あとから来る第二以降の部隊のために、テントを張れる場所を確保し簡易かまどを設置する者もいる。
魔法使いとトッカは、例のごとく外側の石壁へ登り、石壁の外でうろついている魔物に小さめの魔法球を放っていった。石壁の外の魔物は、この惨状の割に驚くほど少なかった。石壁内にある魔物の死骸は、燃やさなくてはならない。なるべくひとかたまりになるよう、力を合わせて魔物を引きずり運んでいった。第二、第三が合流したら、魔物を焚く煙があちこちで上がることだろう。
「トッカ……どう思う?」
周りに誰もいないので、トッカに聞いてみる。
「魔物か」
「そう。妙じゃない? なんていうか、北より魔物の撤収が早いっていうか」
北の森では、魔物は石壁を越えようと、どんどん集まっていた。しかし西の砦では石壁内に魔物が入り、あれだけの惨状だというのに、石壁の外に魔物は少ないのである。
「統率がとれている」
「うん、何かしらの方法で魔物たちを率いることができる、とか」
自分で言って、あまりにも恐ろしい内容に、言葉が続かなかった。魔物を率いる、あるいは操る。興奮状態にある魔物を、さっと撤退させる技術が国境をまたいだ隣国に、あるのだとしたら、それは。
「俺たちだけじゃ無理だ、足りない」
この国には戦士が少なすぎる。隣国が魔物を使って、戦争を仕掛けてくるつもりだとしたら。馬を使って移動し、魔物を追い返しているだけではだめだ。
「俺たちの仕事は、魔物を駆逐すること」
ひとり焦る魔法使いの耳に、トッカの涼しげな声が届いた。
「うん」
「お前は、どうしたい」
鎧に包まれたトッカが、見下ろしていた。禍々しい鎧は肩当てに一本角の怪物があしらわれていて、目と牙をむいた口のあたりが赤く光っている。怪物と目が合っているような気がした。逃げるつもりかと、問われているような。
「俺は、俺にできることをするよ。できる限りの攻撃魔法を放ち続ける」
「お前は死なない」
「トッカが守ってくれるもんな。いざとなったら……」
「担いで、逃げる」
鎧を解除したトッカが笑っていた。石壁に吹きあげる風に、白い髪がふわりと揺れる。
「わぁ……」
珍しく笑っているトッカ、めちゃくちゃかわいい。この笑顔独り占めって、幸せすぎないか。
日も暮れてわずかに明るさの残る頃、第二以降の部隊も到着し、配置の済んだ場所にテントを張っていく。誰もが疲れのせいで、動きが重く雰囲気は暗かった。土地の形状ゆえ、限られた範囲に部隊ごと、まとまったテントと簡易かまどが密集している。食事を作り、明日のために食べたらすぐに寝る。半月かからず終わるはずだった演習予定が、移動しては戦う強行軍となってしまった。
怪我人は出ても、今のところ死者はいない。だからといって気分が明るくなるわけでもない。第一の戦士たちは体力もあり、普段から過酷な現場で戦っているためか、メンタルも強い。しかし他の部隊はそうでもなかった。心の弱い者、体力のない者から蓄積した疲労が、己で消化しきれず鬱憤となって外へ漏れる。ちょっとしたことで、いざこざが増えていく。イライラして、すぐ怒鳴る。喧嘩をする声が離れたテントの方から聞こえてくる。
「喧嘩する体力あるなら、明日にとっときゃいいのにな」
「なぁ、あいつらバカみてぇ」
「仲間割れして、どーすんだ?」
第一の面々は簡易かまどの周りに集まって座り、骨付き肉にかじりつきながら、そんな話をしている。第一線で互いの背中を預けるのに、仲間割れなどしていられない。むしろ命のやりとりを直接していないからこそ、まだ喧嘩なんてする余裕があるのかもしれない。その点、第一の仲間は気持ちのいいやつらだ、頭の中まで筋肉だけど。
そろそろ寝るかと、きれいにした食器を片手にテントへ向かう途中で、待ったがかかった。
「第一部隊所属、トッカくん。第四部隊長がお呼びだ、ついてくるように」
トッカは無言だが、その肩を伝令役の男が掴んで、向きを変えさせようとしている。
「待てまて、そこの君。別部隊の隊長が個人を呼び出すことは、規則で禁じられているはずだ。トッカを呼び出すなら、同時に第一部隊長も呼ぶべきだ」
男しかいないと、色々あるのだ。頭のおかしいやつが、わいせつ行為目的で呼び出すとか。力の弱いやつとか、入隊したばかりのやつは、上からの命令だと断れない。そういうものから守るための、規律がある。別部隊の呼び出しは、隊長同士でない限り個人は不可、個人を呼ぶ場合は隊長か、同程度の権限を持つ者を同席とすること。
「……ちっ。おっさんが、いちいちうるせぇな」
「いいよ、トッカ。相手にする必要ない」
確かにおっさんだが、そう言うお前だってそこそこいってるだろう。ぺっぺっとトッカの肩から、手を払う。
「なんだぁ。おっさん絡まれてるのかー?」
「面白いことなら、俺たちも混ぜてくれよ」
ドタドタと足音を立てて、同僚たちがやってくる。
「くそ……」
分が悪いとわかったのだろう、失礼な男はそそくさと逃げていった。
「トッカさん、鎧つけといた方がいいんじゃね?」
「飯食えねーだろ」
「あー、でもなぁ」
「第四の隊長、しつこいしなー」
「おっさん、いつもトッカさんに世話んなってんだから、しっかり守ってやれよ?」
「あいよ、任せてぇ」
「……不安しかない」
実際トッカは第一で一番強いしな。たとえ第四の隊長が何かしようとしても、無理な話だろう。と、誰もが思っていた。
ドゴオォォ……ンッ……。
翌朝、まだ朝露も消えない時間。ものが倒壊する派手な音がした。
「なんだ?」
「魔物か?」
まだ就寝中だった一同も、テントから飛び出してくる。本日の料理当番だった魔法使いは、昨晩の残りものをぶっ込んだ大鍋で、スープがぐつぐつ煮えるのを眺めていたところだった。目の端の方で、部隊長の旗が付いたテントが、ゆっくりと崩れるのを見た。そこには鎧をまとったトッカが立っていた。あの旗色は第四か、なんとなく何があったのかわかってしまった。よっこいしょと立ち上がると、近くの同僚に鍋を頼み、テントへと戻った。起床の時点で荷造りはできている、あとはテントを畳むだけだ。テントを片付けると、自分の荷物を背負った。トッカの荷物は体の前側で抱え込む。
第四の隊長は、トッカを怒らせた。クズ野郎とはいえ、部隊長が怪我でもすれば厳罰ものだろう。国に縛られた戦士ならともかく、トッカは元々傭兵だ。出て行けばどこでも生きていけるのである。トッカを逃がすための準備は済んだ、トッカなら逃げ切れるだろう。魔法使いは自分が追っ手の足を止めるつもりでいた。第四のテントあたりでは、まだ人が騒いでいる。無駄な土ぼこりは、倒れたテントを建て直そうとしているのだろうが、うまくいかないらしい。
「死んだかぁ?」
戻ってきたトッカに、第四の部隊長の安否を確認する。
「いや、テントの外で座ってる」
「腰でも抜かしたか」
「さぁ? うるさく触れてくるから、鎧になったらテントが折れた」
「テントが?」
「支柱が折れた」
ぶほっ。我慢しようとして、こらえようとして、失敗した。荷物を下ろし腹筋がよじれるほど笑った。涙をぬぐいながら、事の顛末を伝えた第一の仲間たちは、全員がバカでかい声で笑った。笑わなかったのはトッカ一人で、笑いの真ん中にいるのに無表情だった。自業自得、というのが全員一致の見解で、しばらくは思い出しても笑ってしまいそうだ。
「あいつ、プライドだけは高く、執念深いから気をつけろ」
隊員たちと一緒に散々笑ったあとで、部隊長が真面目な顔をしてトッカに告げた。
「……隊長、話がある」
「聞こう」
トッカと隊長は、第一部隊長の旗が立つテントへ入り、長いこと話し込んでいる。魔法使いは落ち着かない気持ちで簡易かまどに戻り、意味もなく大鍋の中身をぐりぐりとかき混ぜたりした。朝食の混ぜすぎて具がなくなったスープは、食べた気がしない、とみんなに不評だった。
朝食が終わり、今日も魔物を撃退するための出軍が始まる。部隊ごとにまとまっているところに、トッカが鎧の姿で横に並んで話しかけてきた。
「そこの国境を越えると隣国だ」
顎で示すのは、隣国との国境。魔物が出没せず、山中を進む術さえあれば、徒歩でも日をまたがずに、行き来できる距離だろう。
「そのすぐ先に、さらに別の国の国境があるのは知っているか」
「え、そうなの?」
トッカが言うには、隣国に屈しない民が住む地域があり、そこはもうひとつ向こうの国の領土なのだという。
「魔道具に詳しい知り合いは、その国にいる」
「へぇ……」
意外と近いところにいるもんだ。そんなことを思っていたから、トッカの言葉に俺は固まった。
「魔物を追って国境を越え、次の国境まで走り抜ける」
「え」
「それくらいの体力は、あるはずだ。できるな?」
「え?」
国境を越えて走る、って聞こえたけど。俺の頭が追いつかない。
「隊長には話をつけた」
「え? 話をつけたって、俺は無理でしょ」
しかも隊長一人で決定できる内容じゃないはずだ。
「国と契約するときに、約束をした。隊長が決定権を持っている。お前を連れて行くのが条件だ」
「は? どういうこと?」
「そのかわり、俺たちは国境を越えたところで、死んだことになる」
「それは別に、かまわない、けど」
トッカと二人でこの国を出る、にわかには信じがたい話だ。だが魔法使いはトッカを信じている。
「わかった」
覚悟を決めると、魔法使いはうなずいた。
問題はどうやって国境近辺へ向かうかだったが、隣国の国境付近から、突如魔物の大群が襲ってきた。できるだけ石壁から遠い場所で迎え撃つために、第一部隊は魔物に向かって特攻した。
どのくらい時間が経ったか、わからない。おかしい、魔物の数が一向に減らない。魔法使いはずっと、強めの魔法球を放ち続けている。強い魔法は魔力消費も大きい。両肩から斜めに提げたポーションベルトから、魔力を回復させるポーションボトルを一本ずつ取り出し、水代わりに飲みつつ攻撃魔法を放つ。魔物は後からどんどん出てくるようで、次々沸いてくる群れは途切れない。第二部隊にいる後方支援の魔法使いたちも、戦闘の時間が長引けば魔力切れがおこるのだろう、段々と張っている結界がゆるみ、ほつれていく。
体力回復のポーションが底をついた、という悲痛な叫びがいくつも聞こえる。最前線まで、ポーションを届けるはずの部隊からの補充は、すでに途切れている。回復する術を失った戦士たちは、傷ついた順に倒れていく。後方支援の魔法使いも、魔力を回復させるポーションが途切れたのかもしれない。あちこちゆるんだ結界からは、とめどなく魔物が侵入し、最前線の壁であったはずの鎧たちが戦い破れ、倒れていった。
魔法使いの魔力回復ポーションも、とっくに底をついていた。今は自分の体力をポーションで回復させ、それを指輪で魔力に変換させて、魔法を放っている。倒れていく仲間を横目で見ながら、支給された、体力回復ポーションの最後のフタを開け、中身をあおる。仲間たちの危機を理解してはいるが、回復に回せる余剰魔力などない。しかも俺の回復魔法はクソだ。使えない回復魔法に大事な魔力を回すくらいなら、攻撃魔法で少しでも魔物を削った方がいい。指輪を使い、自分の体力を削って魔力を回復させる。次が放てる魔法攻撃の最後になるはずだ。こんな仕事を好きで選んだわけじゃなかったが、覚悟はとうにできているはずだった。
どでかい攻撃魔法を放つために、大量の魔力を練りながら、隣で剣をふるう相棒を見た。いかつい真っ黒の鎧は、ところどころ赤く光って蒸気を出している。動きは素早く疲れも見せず、迫り来る魔物たちを一度自身の鎧で受け止めてから、切り伏せる。こいつを死なせるわけにはいかない、まだ若い。命を散らすには、ちょっともったいなさすぎだ。
「俺を担いで、逃げてくれるか」
魔物の咆哮と、剣の立てる金属音の激しいなか、できる限りの大声で叫べば「任せろ」と、落ち着いた頼もしい返事が聞こえた。
手にした剣を地面に突き刺し、まとっている鎧を即座に外した相棒を目にし、気分がよくなり爆笑した。担いで逃げるために、盾でもある鎧を捨てるなんて、最高の相棒じゃないか。鎧を外した涼しげな風貌は、戦場になどまったくふさわしくない。鎧の半分にも満たない、魔法使いより細い体。耳にかかる白い髪が風をはらんで、ふわりと揺れる。まるで、そこだけ白い花が咲いたようだ。
トッカを守りたい。向かってくる魔物の群れに、放てる最大級の広範囲攻撃魔法をぶっ放し、魔法使いはそのまま白目をむいて、意識を手放した。
自分が子ども時代に受けていた隣国での人体実験のこと、体内にたくさんの小さな魔道具が入ったままなこと、旅費としてほとんど売ってしまったけれど、きれいな石のこと。魔法を使えるなら都へ行けと言われたが、途中の町で男に犯され魔力が暴走したこと。死にかけたおかげで、都から直接迎えが来て第一部隊に入ったこと。そこから十四年間、第一部隊に所属していること。トッカはずっと黙って聞いていた。相づちがないのも、いつものことだ。魔法使いは一人で訥々と半生を語った。
「遠くに逃げてきたと思ってたのに、またあの国に近づいてるなんて……まるで呪われてるみたいだろ」
話を全部聞き終えて、トッカはどうするだろう。またいつか魔力が暴走するかもしれない、危険な男の護衛なんて、辞めてしまうだろうか。離れていってしまうんだろうか。
「呪い持ちは、お互いさまだ」
トッカが言ったのはそれだけだった。そこには嫌悪など微塵もなかったから、気が楽になる。
「聞いてもいい? なんでトッカは呪いの鎧を手に入れたか」
「……知り合いに……呪具とか魔道具に詳しい男がいて、そいつに押しつけられた」
「ふぅん、どこかで呪われたわけじゃないんだ」
「ちがう。お前の体の魔道具も、そいつなら外せるかもしれない」
「外すってもなぁ……もうけっこう肉のなか、埋まっちゃってんのよ? また切るの痛いしなー」
俺はシャツの袖をまくってみせた。古い傷痕を指でなぞる。皮膚の下になにか埋まっているような感触はない。トッカの指が伸びてきて、俺の傷痕を触る。痕をなぞるだけの、優しい触れ方だった。
「嫌ならいい」
「うーん、嫌っていうか。俺はこの国を出られないだろうけど、もし機会があれば話を聞いてみたいかも」
「………国を、出られない?」
トッカの眉が、きゅっと寄る。
「うーん、たぶん? 魔力が暴走すると町、消滅しちゃうから。俺ってば『都預かり』って形で第一部隊にいるのよねー、たしか」
国を出る出ないなんて、考えたこともなかったので確認したこともないが、国の要請ならともかく、旅行なんて名目では無理だろう。トッカは知らないかもしれないが、この国で魔法使いを国外に出す話を聞いたことはない。他国に渡った魔法使いが戻ってこない、捕まった、なんてことになったら国の損失だ。特に珍しい広範囲型攻撃魔法使いに、自由なんてないだろう。
「まぁ、けっこういい国じゃない、ここ?」
「お前は……本気でそう思ってるのか?」
「あっちの地獄みたいな国と、ここしか知らないからね。もっといい国があんの?」
「ある。一年中暖かくて、武器など必要のない国が」
「へぇー、いいね。俺も行ってみたい」
へらっと笑うと、トッカの寄せていた眉が緩んだ。
「行くか。いつか一緒に」
「うん、連れてってよ」
「わかった」
それからは馬車が止まるまで、この国より自由で、ずっと暖かい場所を想像してみた。武器がいらないってことは、魔物もいないのだろうか。そうすると攻撃魔法の得意な魔法使いは、何をして働けばいいんだろう。そんなことを考えながら、揺れる馬車でまどろんだ。トッカと二人、まったりと過ごしたが、これがのんびりできた最後の時間だった。
もう少しで現場へ到着、という山の道を進んでいるときだった。人々の怒号、金属の音、進んでいた車輪と、馬の足音が乱れる。馬のいななき、激しい揺れ、馬車が突然止まった。けたたましい金属笛が各地で響く。意味するところは敵襲。二人で顔を見合わせ、馬車の幌のなかから、そっと外を伺う。それぞれいつでも戦闘に向かう準備はできている。しかし幌の外からは、早くも戦いが収束する音が聞こえてきていた。
「ばぁーかっ! 第一に襲撃してくる山賊がいるか」
「なまくら剣研いで出直してこい!」
「くっそーっ! こんなはずじゃねーのに!」
「話が違ぇよ。なんで都の部隊が、こんな辺境に来てんだよぉ」
魔法使いとトッカは馬車のなかで視線を合わせる。うん、終わったな。どうやら山賊が襲撃してきたらしい。第一の戦士たちと、たかが賊ふぜいでは鍛え方が違う。体の作り込み方が違うから、ひとまわりも、ふたまわりも大きな筋肉で覆われた戦士たちが、無精ひげのざんばら髪をした薄汚れた男たちを、縄で括り転がしている。
「どうする? こいつら」
「連れてくのは面倒だから、この崖から蹴っ飛ばして転がせばよくね?」
「そうだな」
「わーっ、まった待った! 待ってくれ!」
「言う、言う! ぜんぶ言うから」
「別にいーや。俺たち先急いでるし、聞きたくねぇし」
「なぁ? 興味ねーわ」
「いや、ぜひ聞いて! おねげぇします」
「俺たちゃ、ここに武装した商人がすげー上等の荷を運んでくる、って聞いてたんで」
賊たちは、聞かないと言っているのに、勝手に話し始めた。一応、しかるべき場所に引き渡すという規律がある。このままでは、誰かがうっかり崖から蹴り落として、見なかったことになりそうだ。魔法使いとトッカは馬車を降り、同僚たちの方へ歩いて行った。
「あっ、上物っ!」
「なぁにが、ジョウモノ! だ。馬鹿もん」
「気安く見るな」
トッカを見た山賊を、同僚たちが蹴っ飛ばしている。見るくらいならいいだろう。
「上物を売れば、そりゃいい金になるって俺たちゃ聞いてたもんで」
「そいで、俺たちゃここで張ってたんで」
山賊たちが下卑た笑いを浮かべている。あ、やっぱこいつらぜんぶここで始末しよう、そうしよう。
「おい、誰か今すぐこいつらを、うっかり崖から蹴り落とせ」
同僚が、引くわぁみたいな顔で魔法使いを見る。
「おっさん、顔怖ぇわ」
「あぁん? こいつら連れてって何の得がある。急いでんのに邪魔だ、さっさと蹴っちまえ」
トッカをさらって売り飛ばすつもりだったとか、胸くそのわるい話だ。トッカは大事な心の嫁だ。
「おっさんがいつになく過激だな」
「逆に蹴りずれぇわ」
「てかまじで、この先魔物の暴走だろ? どうすんだよ、連れてくか?」
「まもの? ぼうそう?」
「やめてくれぇ!」
「俺たちのこたぁ、ここで縛って置いてってくだせぇ!」
「あんたたちの足止めして悪かった、謝ります!」
相談した結果、腕だけを縛って置いていくことにした。歩ければ自分たちのアジトまで戻れるだろう。このあと第四部隊までが順に通る道だ、同じ事をしようとすれば、もっと痛い目にあうだろう。
「なぁ、おまえら、商人が通るって話どこで聞いた?」
ひとつだけ、気になったことを賊に尋ねた。まだ縛られて座ったまま、すがるような目で見上げてくる。
「夕べ、下の村の酒場で」
「そういやそいつ、旅してるって」
「たしかに見たことねぇ面だった」
「あっそ」
そこまで聞くと、部隊長のところへ歩いて行った。おかしい、何かがおかしい。魔物の暴走を知って、すぐここへ出立しているのだ。しかも今回は都からの情報じゃない、北に部隊がいることを知っていて、直接要請が来ていたのに。それより一足先に、村の酒場に情報を持った旅人がいたとは。話を聞いた部隊長も、妙な話だと言いながら行き先を変えることはなかった。
「ふむ。旅人は気になるが、今向かったところで長居はしていないだろう。人為的にしろ何にしろ、我々は魔物の暴走を止めに行くしかない」
「ですよねー」
なんだかずっと、嫌な感じがする。それでも行かなくてはならない。再び幌つき馬車に戻り、乗り込む。遅れを取り戻すために、少し速度が上がるだろう。のんびり話をする暇はなさそうだ、舌をかむ。
「出立ーっ!」
合図を皮切りに、馬の足音と車輪のガタゴト回る音が聞こえ、馬車も動き出した。
現場に着くまでに、かなりの数の魔物と遭遇した。陣を組んで馬車を守りながら進んだので、思うように距離は稼げない。ようやくたどり着いたのは、日暮れ前だ。現場を見た者は全員、声をなくした。
「嘘だろ……」
「こんな………」
悲惨だった。砦の石壁は頑丈な門が破られていた。石壁は外側と内側の二重に張り巡らされている。内側の石壁が町をぐるりと囲んでいるので、町のなかは無事なのが不幸中の幸いだ。襲ってくる魔物をすべて駆逐し、手の空いた者から門の補修を突貫作業で進める。部隊長は砦の長と話をしに行った。陽が落ちる前に、やっておくべきことは多い。あとから来る第二以降の部隊のために、テントを張れる場所を確保し簡易かまどを設置する者もいる。
魔法使いとトッカは、例のごとく外側の石壁へ登り、石壁の外でうろついている魔物に小さめの魔法球を放っていった。石壁の外の魔物は、この惨状の割に驚くほど少なかった。石壁内にある魔物の死骸は、燃やさなくてはならない。なるべくひとかたまりになるよう、力を合わせて魔物を引きずり運んでいった。第二、第三が合流したら、魔物を焚く煙があちこちで上がることだろう。
「トッカ……どう思う?」
周りに誰もいないので、トッカに聞いてみる。
「魔物か」
「そう。妙じゃない? なんていうか、北より魔物の撤収が早いっていうか」
北の森では、魔物は石壁を越えようと、どんどん集まっていた。しかし西の砦では石壁内に魔物が入り、あれだけの惨状だというのに、石壁の外に魔物は少ないのである。
「統率がとれている」
「うん、何かしらの方法で魔物たちを率いることができる、とか」
自分で言って、あまりにも恐ろしい内容に、言葉が続かなかった。魔物を率いる、あるいは操る。興奮状態にある魔物を、さっと撤退させる技術が国境をまたいだ隣国に、あるのだとしたら、それは。
「俺たちだけじゃ無理だ、足りない」
この国には戦士が少なすぎる。隣国が魔物を使って、戦争を仕掛けてくるつもりだとしたら。馬を使って移動し、魔物を追い返しているだけではだめだ。
「俺たちの仕事は、魔物を駆逐すること」
ひとり焦る魔法使いの耳に、トッカの涼しげな声が届いた。
「うん」
「お前は、どうしたい」
鎧に包まれたトッカが、見下ろしていた。禍々しい鎧は肩当てに一本角の怪物があしらわれていて、目と牙をむいた口のあたりが赤く光っている。怪物と目が合っているような気がした。逃げるつもりかと、問われているような。
「俺は、俺にできることをするよ。できる限りの攻撃魔法を放ち続ける」
「お前は死なない」
「トッカが守ってくれるもんな。いざとなったら……」
「担いで、逃げる」
鎧を解除したトッカが笑っていた。石壁に吹きあげる風に、白い髪がふわりと揺れる。
「わぁ……」
珍しく笑っているトッカ、めちゃくちゃかわいい。この笑顔独り占めって、幸せすぎないか。
日も暮れてわずかに明るさの残る頃、第二以降の部隊も到着し、配置の済んだ場所にテントを張っていく。誰もが疲れのせいで、動きが重く雰囲気は暗かった。土地の形状ゆえ、限られた範囲に部隊ごと、まとまったテントと簡易かまどが密集している。食事を作り、明日のために食べたらすぐに寝る。半月かからず終わるはずだった演習予定が、移動しては戦う強行軍となってしまった。
怪我人は出ても、今のところ死者はいない。だからといって気分が明るくなるわけでもない。第一の戦士たちは体力もあり、普段から過酷な現場で戦っているためか、メンタルも強い。しかし他の部隊はそうでもなかった。心の弱い者、体力のない者から蓄積した疲労が、己で消化しきれず鬱憤となって外へ漏れる。ちょっとしたことで、いざこざが増えていく。イライラして、すぐ怒鳴る。喧嘩をする声が離れたテントの方から聞こえてくる。
「喧嘩する体力あるなら、明日にとっときゃいいのにな」
「なぁ、あいつらバカみてぇ」
「仲間割れして、どーすんだ?」
第一の面々は簡易かまどの周りに集まって座り、骨付き肉にかじりつきながら、そんな話をしている。第一線で互いの背中を預けるのに、仲間割れなどしていられない。むしろ命のやりとりを直接していないからこそ、まだ喧嘩なんてする余裕があるのかもしれない。その点、第一の仲間は気持ちのいいやつらだ、頭の中まで筋肉だけど。
そろそろ寝るかと、きれいにした食器を片手にテントへ向かう途中で、待ったがかかった。
「第一部隊所属、トッカくん。第四部隊長がお呼びだ、ついてくるように」
トッカは無言だが、その肩を伝令役の男が掴んで、向きを変えさせようとしている。
「待てまて、そこの君。別部隊の隊長が個人を呼び出すことは、規則で禁じられているはずだ。トッカを呼び出すなら、同時に第一部隊長も呼ぶべきだ」
男しかいないと、色々あるのだ。頭のおかしいやつが、わいせつ行為目的で呼び出すとか。力の弱いやつとか、入隊したばかりのやつは、上からの命令だと断れない。そういうものから守るための、規律がある。別部隊の呼び出しは、隊長同士でない限り個人は不可、個人を呼ぶ場合は隊長か、同程度の権限を持つ者を同席とすること。
「……ちっ。おっさんが、いちいちうるせぇな」
「いいよ、トッカ。相手にする必要ない」
確かにおっさんだが、そう言うお前だってそこそこいってるだろう。ぺっぺっとトッカの肩から、手を払う。
「なんだぁ。おっさん絡まれてるのかー?」
「面白いことなら、俺たちも混ぜてくれよ」
ドタドタと足音を立てて、同僚たちがやってくる。
「くそ……」
分が悪いとわかったのだろう、失礼な男はそそくさと逃げていった。
「トッカさん、鎧つけといた方がいいんじゃね?」
「飯食えねーだろ」
「あー、でもなぁ」
「第四の隊長、しつこいしなー」
「おっさん、いつもトッカさんに世話んなってんだから、しっかり守ってやれよ?」
「あいよ、任せてぇ」
「……不安しかない」
実際トッカは第一で一番強いしな。たとえ第四の隊長が何かしようとしても、無理な話だろう。と、誰もが思っていた。
ドゴオォォ……ンッ……。
翌朝、まだ朝露も消えない時間。ものが倒壊する派手な音がした。
「なんだ?」
「魔物か?」
まだ就寝中だった一同も、テントから飛び出してくる。本日の料理当番だった魔法使いは、昨晩の残りものをぶっ込んだ大鍋で、スープがぐつぐつ煮えるのを眺めていたところだった。目の端の方で、部隊長の旗が付いたテントが、ゆっくりと崩れるのを見た。そこには鎧をまとったトッカが立っていた。あの旗色は第四か、なんとなく何があったのかわかってしまった。よっこいしょと立ち上がると、近くの同僚に鍋を頼み、テントへと戻った。起床の時点で荷造りはできている、あとはテントを畳むだけだ。テントを片付けると、自分の荷物を背負った。トッカの荷物は体の前側で抱え込む。
第四の隊長は、トッカを怒らせた。クズ野郎とはいえ、部隊長が怪我でもすれば厳罰ものだろう。国に縛られた戦士ならともかく、トッカは元々傭兵だ。出て行けばどこでも生きていけるのである。トッカを逃がすための準備は済んだ、トッカなら逃げ切れるだろう。魔法使いは自分が追っ手の足を止めるつもりでいた。第四のテントあたりでは、まだ人が騒いでいる。無駄な土ぼこりは、倒れたテントを建て直そうとしているのだろうが、うまくいかないらしい。
「死んだかぁ?」
戻ってきたトッカに、第四の部隊長の安否を確認する。
「いや、テントの外で座ってる」
「腰でも抜かしたか」
「さぁ? うるさく触れてくるから、鎧になったらテントが折れた」
「テントが?」
「支柱が折れた」
ぶほっ。我慢しようとして、こらえようとして、失敗した。荷物を下ろし腹筋がよじれるほど笑った。涙をぬぐいながら、事の顛末を伝えた第一の仲間たちは、全員がバカでかい声で笑った。笑わなかったのはトッカ一人で、笑いの真ん中にいるのに無表情だった。自業自得、というのが全員一致の見解で、しばらくは思い出しても笑ってしまいそうだ。
「あいつ、プライドだけは高く、執念深いから気をつけろ」
隊員たちと一緒に散々笑ったあとで、部隊長が真面目な顔をしてトッカに告げた。
「……隊長、話がある」
「聞こう」
トッカと隊長は、第一部隊長の旗が立つテントへ入り、長いこと話し込んでいる。魔法使いは落ち着かない気持ちで簡易かまどに戻り、意味もなく大鍋の中身をぐりぐりとかき混ぜたりした。朝食の混ぜすぎて具がなくなったスープは、食べた気がしない、とみんなに不評だった。
朝食が終わり、今日も魔物を撃退するための出軍が始まる。部隊ごとにまとまっているところに、トッカが鎧の姿で横に並んで話しかけてきた。
「そこの国境を越えると隣国だ」
顎で示すのは、隣国との国境。魔物が出没せず、山中を進む術さえあれば、徒歩でも日をまたがずに、行き来できる距離だろう。
「そのすぐ先に、さらに別の国の国境があるのは知っているか」
「え、そうなの?」
トッカが言うには、隣国に屈しない民が住む地域があり、そこはもうひとつ向こうの国の領土なのだという。
「魔道具に詳しい知り合いは、その国にいる」
「へぇ……」
意外と近いところにいるもんだ。そんなことを思っていたから、トッカの言葉に俺は固まった。
「魔物を追って国境を越え、次の国境まで走り抜ける」
「え」
「それくらいの体力は、あるはずだ。できるな?」
「え?」
国境を越えて走る、って聞こえたけど。俺の頭が追いつかない。
「隊長には話をつけた」
「え? 話をつけたって、俺は無理でしょ」
しかも隊長一人で決定できる内容じゃないはずだ。
「国と契約するときに、約束をした。隊長が決定権を持っている。お前を連れて行くのが条件だ」
「は? どういうこと?」
「そのかわり、俺たちは国境を越えたところで、死んだことになる」
「それは別に、かまわない、けど」
トッカと二人でこの国を出る、にわかには信じがたい話だ。だが魔法使いはトッカを信じている。
「わかった」
覚悟を決めると、魔法使いはうなずいた。
問題はどうやって国境近辺へ向かうかだったが、隣国の国境付近から、突如魔物の大群が襲ってきた。できるだけ石壁から遠い場所で迎え撃つために、第一部隊は魔物に向かって特攻した。
どのくらい時間が経ったか、わからない。おかしい、魔物の数が一向に減らない。魔法使いはずっと、強めの魔法球を放ち続けている。強い魔法は魔力消費も大きい。両肩から斜めに提げたポーションベルトから、魔力を回復させるポーションボトルを一本ずつ取り出し、水代わりに飲みつつ攻撃魔法を放つ。魔物は後からどんどん出てくるようで、次々沸いてくる群れは途切れない。第二部隊にいる後方支援の魔法使いたちも、戦闘の時間が長引けば魔力切れがおこるのだろう、段々と張っている結界がゆるみ、ほつれていく。
体力回復のポーションが底をついた、という悲痛な叫びがいくつも聞こえる。最前線まで、ポーションを届けるはずの部隊からの補充は、すでに途切れている。回復する術を失った戦士たちは、傷ついた順に倒れていく。後方支援の魔法使いも、魔力を回復させるポーションが途切れたのかもしれない。あちこちゆるんだ結界からは、とめどなく魔物が侵入し、最前線の壁であったはずの鎧たちが戦い破れ、倒れていった。
魔法使いの魔力回復ポーションも、とっくに底をついていた。今は自分の体力をポーションで回復させ、それを指輪で魔力に変換させて、魔法を放っている。倒れていく仲間を横目で見ながら、支給された、体力回復ポーションの最後のフタを開け、中身をあおる。仲間たちの危機を理解してはいるが、回復に回せる余剰魔力などない。しかも俺の回復魔法はクソだ。使えない回復魔法に大事な魔力を回すくらいなら、攻撃魔法で少しでも魔物を削った方がいい。指輪を使い、自分の体力を削って魔力を回復させる。次が放てる魔法攻撃の最後になるはずだ。こんな仕事を好きで選んだわけじゃなかったが、覚悟はとうにできているはずだった。
どでかい攻撃魔法を放つために、大量の魔力を練りながら、隣で剣をふるう相棒を見た。いかつい真っ黒の鎧は、ところどころ赤く光って蒸気を出している。動きは素早く疲れも見せず、迫り来る魔物たちを一度自身の鎧で受け止めてから、切り伏せる。こいつを死なせるわけにはいかない、まだ若い。命を散らすには、ちょっともったいなさすぎだ。
「俺を担いで、逃げてくれるか」
魔物の咆哮と、剣の立てる金属音の激しいなか、できる限りの大声で叫べば「任せろ」と、落ち着いた頼もしい返事が聞こえた。
手にした剣を地面に突き刺し、まとっている鎧を即座に外した相棒を目にし、気分がよくなり爆笑した。担いで逃げるために、盾でもある鎧を捨てるなんて、最高の相棒じゃないか。鎧を外した涼しげな風貌は、戦場になどまったくふさわしくない。鎧の半分にも満たない、魔法使いより細い体。耳にかかる白い髪が風をはらんで、ふわりと揺れる。まるで、そこだけ白い花が咲いたようだ。
トッカを守りたい。向かってくる魔物の群れに、放てる最大級の広範囲攻撃魔法をぶっ放し、魔法使いはそのまま白目をむいて、意識を手放した。
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