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第一部隊は列を作って石壁の外に出て行く。第二と第三も少し後ろから続いて、その後ろを補給部隊の道を確保するための部隊が連なっている。長い行列が森の方へと進んでいくのを、トッカと石壁の上から眺めていた。しばらくすると戦闘が始まった。土ぼこりが上がり、剣の音と魔物のうなり声、咆哮、悲鳴がかすかに届いてくる。遠くで待機して待つしかないわけだが、石壁の上は暖かく平和で、そよ風が心地よい。仲間たちが命を懸けて戦っているというのに、なんとものどかで、戦闘の実感がわかない。
「なぁ、トッカ」
「ん」
隣にたたずむバカでかい鎧に話しかける。トッカは鎧をつけると、首が痛くなるくらい見上げないといけない。どうやって動いているんだろうか、呪いの鎧の七不思議だ。
「おかげさまで魔力酔いは抜けてるんだけど」
「ん」
「これ、今日もポーション飲むじゃない? 大丈夫かしらね?」
大丈夫、というのは昨日なにかしらの迷惑を、トッカに掛けているから尋ねたのだが。
「………問題ない」
今ちょっと、間がありましたよね? うわ、やっぱなんかあるんだね? 酔って暴れるとか、もしかして嘔吐しちゃうとか、そっち系? だからお風呂あんなにきれいに入れてくれたの? マットはそれのせいで汚れたの? まじでこわくて聞けないわ。魔法使いの脳内では、疑問がぐるぐると渦を巻く。
「そ、そっか。わかった。また倒れたら、悪いけど頼むね」
「任せろ」
トッカだって嫌なことは断れる男だ、任せろと言うんだから任せることにする。ここの魔物はどうにかしなくちゃいけないし、どうせなにも覚えてないしな。へらっと笑って話を終わらせ、前方の土ぼこりに集中することにした。
石壁に魔物を近寄らせないのが、任された任務。森の中から土ぼこりが舞い上がり、黒い塊がいくつもこちらを目指して向かってきた。大きく息を吸い込んで、魔力を練る。なるべく遠くに放った魔法球は、ひとつ。爆撃で土ぼこりがたったが、そこを避けるように魔物たちは回り込んで走ってくる。四つ足や六つ足、避けるべき障害物のない平地だ、速度はかなり速い。
「だめだ……届かない」
森のはしまでは、俺の攻撃魔法が届かない。魔物がもっと近づいてこないと無理だ。昨日はやたらめったら打てば魔物に当たる状態だったが、今は違う。ここを守るのは、魔法使いとトッカしかいないのだ。どうすればいいか、悩むのは一瞬だった。
「トッカ、石壁の外に降りたい」
「ん」
魔法使いの腰を、大きな鎧の手が優しく掴む。
「命令違反だけど、いいのか?」
「必要なんだろう、お前は俺が守る。問題ない」
「んじゃ、頼む……っ! ってええええぇぇっっ?」
トッカは石壁を蹴り、そのまま飛んだ。落下の風を受け髪が逆立ち、耳鳴りがする。みるみる地面が近くなった、死ぬ。
「! し、ぐぎゃぁっ……っ」
ズ………ンッ……、鎧の重みで地面がへこむ。怪我もないけれど、心の! 準備が!
「死ぬかと思った。いやまじで」
絶対寿命が縮んだ。魔物と対峙するのとは、まったく違う怖さ。自分の力じゃ、どうにもならない怖さだった。
「階段……使ってぇ」
おっさんの泣き言に、トッカの凪いだ声が重なった。
「魔物だ、来るぞ」
「!」
魔法は間に合わない! とっさに動けない魔法使いを地面に立たせると、トッカがスッと前に出た。
ガアァッ、ガッ……! グォ……ンッ、………ガシュッ! ドッ……ッ!
聞こえたのは咆哮、重いもの同士が衝突した音が響き、剣が硬いものを叩き切る音、重いものが落ちる音。トッカの背中しか見えなくて、目に入ったのは、地面に倒れた魔物と、そこから流れる血の色だけだった。
恐ろしさも、怖さもない。あるのはトッカに対する安心感だけ。トッカは絶対、守ってくれる。だから安心して魔法を放てばいい。
「次、来てる」
「わかった」
次に備えて魔法を練ると、トッカが魔法使いの斜め前に立つ。視界を遮らず、かつ守りやすい位置に。大きな魔法球はいらない、数もひとつでいい。昨日と違って、ポーションの木箱が横に積んである状態ではない。ここに補給はこない、できるだけ魔力を節約して、確実に仕留めることに集中する。
ポーションを何本消費しただろうか。まだまだ陽は高く、魔物は森の方から追い出され、こちらに向かって走ってくる。ポーションを取り出すついでに、残りを目で数える。これで足りるか、それとも一旦引いて石壁へ補充に戻るか。ガラガラガラ……不似合いな荷車の音がして、ポーション片手に振り返る。
「あの、ポーションを持ってきました!」
鎧を着てもいない、普段着の若い男の子。荷車にポーションを入れた木箱を乗せ、こんなところまで一人で引いて来たのだ。
「え、え? 俺に?」
「はい、邪魔しないよう、もう戻ります。頑張ってください! ありがとうございます!」
「ありがとー。君も気をつけて戻れよー」
「はいっ」
全速力で石壁へ走って戻っていく青年を、ポーションを飲み干しながら片目で見送る。戦闘員ですらない少年が、危険をおかしてポーションを補給しに来てくれた、ありがたい。魔法球を練り上げながら横目で確認する、うん、これだけあれば十分助かる。魔物に向かって放った球が爆発し、魔物の消滅を見てから石壁を振り返る。青年が小さな門から内側に吸い込まれていくところだった。無事戻れてよかった、あの石壁は絶対に守らないといけない。
日没前に、森の中から人影が出てきはじめた。みんな無事だろうか、見知った顔が見えないか目をこらす。
「おっさん、なんでこんなとこまで出てきてんだよ」
「鎧もねーのに、おっさんが無理すんなって」
「昨日だって大変だったのに、大丈夫かよ」
「へっへ、みんな無事だったかー?」
「俺たちは支援魔法もあったから、問題なしだけど……」
「げっ、おっさんへろへろじゃねーか」
「トッカさん、お疲れさまっす」
「おっさんのこと、よろしく頼みます」
「ん」
「おつかれぇー」みんなをねぎらう言葉は掛けられただろうか。魔法使いはそのまま意識を手放した。倒れる不安はない、隣にはトッカがいる。
そよぐ風と明るい日射しに目が覚めると、部屋だった。きょろきょろする、昨日とちょっと部屋の感じが違う? と思ったら、昨日と反対の寝台にいた。俺の寝てる方にはマットがあって、シーツのかかった寝台。ダルいけれど、すっきりした気持ち。さっぱりした体、洗髪までしてある。自分の髪からいい匂いさせる必要があるのか不明なおっさんだけれど。叫びすぎたような、異常な喉の渇き。隣の寝台のマットが、今日ははがされている。喉渇いた、水飲みたい。また汚したのだろう、やはり魔力酔いはおそろしい。毎日マットを汚してしまうのも、申し訳なさすぎる。次は床に転がしといてくれと、トッカに頼んでおこう。
ふと目の端で赤い色に気づく。手首に……アザ? 持ち上げたシャツの袖が下がって、腕にも同じようなアザがあると知る。そりゃ昨日も一昨日も戦闘したのだ、アザもできるだろう。ふにふにと押しても痛みはない。軽い打撲なら薬を飲むほどでもない、そのうち消える。そうでなくとも、ポーションは飲みたくない。それにしても、喉の乾きがひどい。トッカはいないが、食堂の場所はわかるから、水をもらいに行こうと立ち上がる。起き上がってズボンをはき、シャツの裾をズボンに押し込んだ。ベルトを巻いて、革のベストをはおろうとして、やめた。あれは暑いし重い、出撃命令が出ているわけではないのだ。水を取りに行くくらい、シャツ一枚でも問題ないだろう。食堂までの廊下を歩いていると、前方からトッカがやってきた。
「どこへ行く」
「あ、トッカおっはよー。水もらおうと思っ……て、あれ?」
「水はある、部屋に戻るぞ」
水差しを持ったトッカにぐいぐい肩を押され、部屋に回れ右させられた。
「別に病人じゃないんだから、へーきなんだけど」
「昨日の記憶は」
「……ないです」
「まったく?」
「ないです、ごめんなさい?」
「………別にいい」
ため息をつかれた。髪をくしゃっとかきあげるトッカは、白い髪がふわふわでかわいい。って、ん?
「トッカ、ここんとこアザなってる」
「?」
頭からかぶって着るシャツは、前の真ん中に切れ込みが入っている。かぶるとき頭が入りやすいようにだが、そのシャツで隠れるギリギリのところに、いくつかのアザが見えた。
「打ち身か? 珍しいね、へーき? 俺もこのへん打ち身だらけ。痛くねーけど」
へらっと笑ってシャツの腕をまくって見せると、トッカの目がまん丸くなっていた。
「ど、どした? トッカ? 具合悪いか?」
動きの止まったトッカに焦る。トッカが体調を崩したことなんて、一緒に仕事してる数年、一回も見たことがない。
「薬。薬、飲むか? トッカに頼んで薬を……って、あぁトッカはトッカか」
もうだめだ、めちゃくちゃ焦る。どうしよう、支援系魔法使いか回復系魔法使い、どっちも呼んでくる?
ふーっ。大きな息をひとつ吐いた、トッカが。
「落ち着け」
「あ、うんおちつこうね、とりあえず、ね」
「大丈夫だ、息をしろ。水を飲め」
動き出したトッカが、水を入れたカップを渡してくれる。渡された水を飲む、んまい、もう一杯。ぐびーっと飲み干して、あれ何話してたっけ?
「これはどうってことない、すぐ消える。気にするな」
「そう? 痛くねーの?」
トッカがふっと笑った。
「痛みはないし、どちらかというと……誇らしい、だな」
打ち身が? 誇らしい? よくわからないが誉れ傷、みたいなものだろうか。トッカは戦士なのだ。それにしても、目を見開いて丸くしたトッカ、かわいすぎる。
食事をとりに部屋を出るとき、ひと悶着あった。
「やぁだって、暑いもん重いもん」
トッカが魔法使いにベストを着せようとして、本人はそれを嫌がっている。しかし心の嫁はかなり頑固である。トッカが荷物袋を開け中身をごそごそかき回し、薄手の布でできたベストを手にして、無言で押しつけた。
「もう、トッカは頑固なんだからー」
渡されたベストを着た魔法使いがぶちぶち文句を言っていると、手首辺りから肘近くまで手甲を巻かれた。できれば袖などまくっておきたいほどだが、見ればトッカはシャツの首元の紐を引っ張って結んである。さすが戦士、誉れ傷でも隠すらしい。なるほどこれも打ち身隠しだったか、それならば仕方ない。できる男は隠すのだ。魔法使いはベストも手甲も身につけ、おとなしく食堂へ行った。
食堂で森の中の様子を聞いたところによると、魔物はやはり多いらしい。二日間でだいぶ数を減らしたはずだが、通常の北の森を知る警備兵が言うには、異常だそうだ。北西の森を挟んで隣国との国境があるわけだが、一応協定を結んではいるものの、互いの国を頻繁に人が行き交う解放されたイメージはない。元々が国土を広げるために戦争を仕掛けるような国だったのだ、こうなってくるとどうにも隣国がきな臭く感じてしまう。魔物の異常発生も氾濫も、何かその辺に理由がある気がする。しかし国交問題だとかそういうのは、上のお偉いさんがやる仕事であって。現場の人間にできるのは魔物を食い止めること、それだけだ。
「いつ終わるのかねぇ」
「早く帰りたいよ」
誰がつぶやいたか、そのひとことに、みんなしんみりしてしまった。思えば演習で出立して、そのまま緊急出動で連日の戦いである。都を出てから、すでに半月以上経っていた。家族や恋人がいる戦士もいるのだ。おっさんにはそんなのいないけど、へーき。いつもそばには心の嫁がいるから。
「それで、今日はどうするって?」
「まだ通達が出てない、待機だ」
おのおの、待機中にできることは違う。了解(おう)と返事をして、みんな散らばっていった。待機ということは、いつでも戦闘に向かえるよう準備しておくことを指す。ポーションベルトをもうひとつ増やして、腰に巻いておくことにする。ポーションの補充もしなくてはいけないし、服やマントも裂けたり破けたりを、なおしておくべきだ。丈夫な素材を選んではいるが、使っていれば消耗もするものだ。貸りている個室に戻り、裁縫袋を取り出す。だてに三十年以上生きてない、おっさんは針仕事が得意なのだ。刺繍などはできないが、つくろいものだけは慣れている。いつものお礼も兼ねて、トッカのつくろいものも預かっておく。寝台に座り、横にちょっとした小山をつくっている、最初の一枚を手に取った。
敷地内で薬の素材を集め、時間があれば薬を作ってくるというトッカに、いってらっしゃいと声をかけ、もくもくと針を動かす。針仕事はいい、無心になって針を動かしていれば、破けた服もほつれたマントも、きちんとなおる。トッカはいいと言ったが、下履きも預かってある。こんな風に長期で野営が続くと、他より薄い生地でできてる下履きこそ、紐が抜けたり、ほつれたりする。薄いから破れたら諦めるしかないが、いつでも購入できる店があるとは限らない。つくろえば使えるものは、長く使った方がいい。寝台に腰掛けてトッカの下履きをつくろっていると、扉をノックする音がした。
「おっさん、トッカさん、ちょっといいかー」
「おう、いいぞー。入れ、はいれ」
「あれ、何だ。トッカさんいねーの?」
「トッカに用事か?」
「打ち身の塗り薬、もらえねーかなと思って」
おぉ、お前も打ち身仲間だったか。薬の世話になるなぞ、まだまだ青い。なにせ打ち身は誇らしい傷だ。
「まだ若い戦士の君には、打ち身のよさは理解できないかー。よいしょっと」
「は? なんの話、打ち身のよさ?」
たしかこっちの袋の内ポケットに、と。あぁ、あった。トッカの作った打ち身の塗り薬を取り出し、同僚に渡してやる。
「塗る前には患部をよく洗えと言っていたぞ」
「わかった、ありがとう。ところでおっさん、なに縫ってんの」
「これ? トッカの下履き、つくろってんの」
「! ……あ、うん、わかった、そっか。わりぃ、邪魔したな」
「別に邪魔じゃねーけど?」
「うん、いいんだ、俺も忙しいし。じゃ」
「おう」
ずいぶんそそくさと出て行った。下履きをつくろうなんて、格好悪いと思われたか。それでトッカも下履きはいいって断ろうとしてたのか。恥ずかしい思いをさせてしまったかもしれない、ケチなおっさんで申し訳ない。
結局出撃命令は出ず、一日待機して終わってしまった。石壁の見張りからは、魔物の姿も森から出てきておらず問題なし、と報告がきているようだ。見張りの問題なしという報告で、魔物の氾濫に気づかず事態が悪化したのが、今回の一件である。部隊長含む第一の皆とは食事時、そんな話題がでた。もっともそんな心配なぞ、意味がないかもしれないが。第一部隊は、夜間も引き続き待機命令が出ている。いつでも出動できるよう準備をしつつ、寝台に横になった。
「なぁ、トッカ」
「ん」
隣にたたずむバカでかい鎧に話しかける。トッカは鎧をつけると、首が痛くなるくらい見上げないといけない。どうやって動いているんだろうか、呪いの鎧の七不思議だ。
「おかげさまで魔力酔いは抜けてるんだけど」
「ん」
「これ、今日もポーション飲むじゃない? 大丈夫かしらね?」
大丈夫、というのは昨日なにかしらの迷惑を、トッカに掛けているから尋ねたのだが。
「………問題ない」
今ちょっと、間がありましたよね? うわ、やっぱなんかあるんだね? 酔って暴れるとか、もしかして嘔吐しちゃうとか、そっち系? だからお風呂あんなにきれいに入れてくれたの? マットはそれのせいで汚れたの? まじでこわくて聞けないわ。魔法使いの脳内では、疑問がぐるぐると渦を巻く。
「そ、そっか。わかった。また倒れたら、悪いけど頼むね」
「任せろ」
トッカだって嫌なことは断れる男だ、任せろと言うんだから任せることにする。ここの魔物はどうにかしなくちゃいけないし、どうせなにも覚えてないしな。へらっと笑って話を終わらせ、前方の土ぼこりに集中することにした。
石壁に魔物を近寄らせないのが、任された任務。森の中から土ぼこりが舞い上がり、黒い塊がいくつもこちらを目指して向かってきた。大きく息を吸い込んで、魔力を練る。なるべく遠くに放った魔法球は、ひとつ。爆撃で土ぼこりがたったが、そこを避けるように魔物たちは回り込んで走ってくる。四つ足や六つ足、避けるべき障害物のない平地だ、速度はかなり速い。
「だめだ……届かない」
森のはしまでは、俺の攻撃魔法が届かない。魔物がもっと近づいてこないと無理だ。昨日はやたらめったら打てば魔物に当たる状態だったが、今は違う。ここを守るのは、魔法使いとトッカしかいないのだ。どうすればいいか、悩むのは一瞬だった。
「トッカ、石壁の外に降りたい」
「ん」
魔法使いの腰を、大きな鎧の手が優しく掴む。
「命令違反だけど、いいのか?」
「必要なんだろう、お前は俺が守る。問題ない」
「んじゃ、頼む……っ! ってええええぇぇっっ?」
トッカは石壁を蹴り、そのまま飛んだ。落下の風を受け髪が逆立ち、耳鳴りがする。みるみる地面が近くなった、死ぬ。
「! し、ぐぎゃぁっ……っ」
ズ………ンッ……、鎧の重みで地面がへこむ。怪我もないけれど、心の! 準備が!
「死ぬかと思った。いやまじで」
絶対寿命が縮んだ。魔物と対峙するのとは、まったく違う怖さ。自分の力じゃ、どうにもならない怖さだった。
「階段……使ってぇ」
おっさんの泣き言に、トッカの凪いだ声が重なった。
「魔物だ、来るぞ」
「!」
魔法は間に合わない! とっさに動けない魔法使いを地面に立たせると、トッカがスッと前に出た。
ガアァッ、ガッ……! グォ……ンッ、………ガシュッ! ドッ……ッ!
聞こえたのは咆哮、重いもの同士が衝突した音が響き、剣が硬いものを叩き切る音、重いものが落ちる音。トッカの背中しか見えなくて、目に入ったのは、地面に倒れた魔物と、そこから流れる血の色だけだった。
恐ろしさも、怖さもない。あるのはトッカに対する安心感だけ。トッカは絶対、守ってくれる。だから安心して魔法を放てばいい。
「次、来てる」
「わかった」
次に備えて魔法を練ると、トッカが魔法使いの斜め前に立つ。視界を遮らず、かつ守りやすい位置に。大きな魔法球はいらない、数もひとつでいい。昨日と違って、ポーションの木箱が横に積んである状態ではない。ここに補給はこない、できるだけ魔力を節約して、確実に仕留めることに集中する。
ポーションを何本消費しただろうか。まだまだ陽は高く、魔物は森の方から追い出され、こちらに向かって走ってくる。ポーションを取り出すついでに、残りを目で数える。これで足りるか、それとも一旦引いて石壁へ補充に戻るか。ガラガラガラ……不似合いな荷車の音がして、ポーション片手に振り返る。
「あの、ポーションを持ってきました!」
鎧を着てもいない、普段着の若い男の子。荷車にポーションを入れた木箱を乗せ、こんなところまで一人で引いて来たのだ。
「え、え? 俺に?」
「はい、邪魔しないよう、もう戻ります。頑張ってください! ありがとうございます!」
「ありがとー。君も気をつけて戻れよー」
「はいっ」
全速力で石壁へ走って戻っていく青年を、ポーションを飲み干しながら片目で見送る。戦闘員ですらない少年が、危険をおかしてポーションを補給しに来てくれた、ありがたい。魔法球を練り上げながら横目で確認する、うん、これだけあれば十分助かる。魔物に向かって放った球が爆発し、魔物の消滅を見てから石壁を振り返る。青年が小さな門から内側に吸い込まれていくところだった。無事戻れてよかった、あの石壁は絶対に守らないといけない。
日没前に、森の中から人影が出てきはじめた。みんな無事だろうか、見知った顔が見えないか目をこらす。
「おっさん、なんでこんなとこまで出てきてんだよ」
「鎧もねーのに、おっさんが無理すんなって」
「昨日だって大変だったのに、大丈夫かよ」
「へっへ、みんな無事だったかー?」
「俺たちは支援魔法もあったから、問題なしだけど……」
「げっ、おっさんへろへろじゃねーか」
「トッカさん、お疲れさまっす」
「おっさんのこと、よろしく頼みます」
「ん」
「おつかれぇー」みんなをねぎらう言葉は掛けられただろうか。魔法使いはそのまま意識を手放した。倒れる不安はない、隣にはトッカがいる。
そよぐ風と明るい日射しに目が覚めると、部屋だった。きょろきょろする、昨日とちょっと部屋の感じが違う? と思ったら、昨日と反対の寝台にいた。俺の寝てる方にはマットがあって、シーツのかかった寝台。ダルいけれど、すっきりした気持ち。さっぱりした体、洗髪までしてある。自分の髪からいい匂いさせる必要があるのか不明なおっさんだけれど。叫びすぎたような、異常な喉の渇き。隣の寝台のマットが、今日ははがされている。喉渇いた、水飲みたい。また汚したのだろう、やはり魔力酔いはおそろしい。毎日マットを汚してしまうのも、申し訳なさすぎる。次は床に転がしといてくれと、トッカに頼んでおこう。
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「どこへ行く」
「あ、トッカおっはよー。水もらおうと思っ……て、あれ?」
「水はある、部屋に戻るぞ」
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「別に病人じゃないんだから、へーきなんだけど」
「昨日の記憶は」
「……ないです」
「まったく?」
「ないです、ごめんなさい?」
「………別にいい」
ため息をつかれた。髪をくしゃっとかきあげるトッカは、白い髪がふわふわでかわいい。って、ん?
「トッカ、ここんとこアザなってる」
「?」
頭からかぶって着るシャツは、前の真ん中に切れ込みが入っている。かぶるとき頭が入りやすいようにだが、そのシャツで隠れるギリギリのところに、いくつかのアザが見えた。
「打ち身か? 珍しいね、へーき? 俺もこのへん打ち身だらけ。痛くねーけど」
へらっと笑ってシャツの腕をまくって見せると、トッカの目がまん丸くなっていた。
「ど、どした? トッカ? 具合悪いか?」
動きの止まったトッカに焦る。トッカが体調を崩したことなんて、一緒に仕事してる数年、一回も見たことがない。
「薬。薬、飲むか? トッカに頼んで薬を……って、あぁトッカはトッカか」
もうだめだ、めちゃくちゃ焦る。どうしよう、支援系魔法使いか回復系魔法使い、どっちも呼んでくる?
ふーっ。大きな息をひとつ吐いた、トッカが。
「落ち着け」
「あ、うんおちつこうね、とりあえず、ね」
「大丈夫だ、息をしろ。水を飲め」
動き出したトッカが、水を入れたカップを渡してくれる。渡された水を飲む、んまい、もう一杯。ぐびーっと飲み干して、あれ何話してたっけ?
「これはどうってことない、すぐ消える。気にするな」
「そう? 痛くねーの?」
トッカがふっと笑った。
「痛みはないし、どちらかというと……誇らしい、だな」
打ち身が? 誇らしい? よくわからないが誉れ傷、みたいなものだろうか。トッカは戦士なのだ。それにしても、目を見開いて丸くしたトッカ、かわいすぎる。
食事をとりに部屋を出るとき、ひと悶着あった。
「やぁだって、暑いもん重いもん」
トッカが魔法使いにベストを着せようとして、本人はそれを嫌がっている。しかし心の嫁はかなり頑固である。トッカが荷物袋を開け中身をごそごそかき回し、薄手の布でできたベストを手にして、無言で押しつけた。
「もう、トッカは頑固なんだからー」
渡されたベストを着た魔法使いがぶちぶち文句を言っていると、手首辺りから肘近くまで手甲を巻かれた。できれば袖などまくっておきたいほどだが、見ればトッカはシャツの首元の紐を引っ張って結んである。さすが戦士、誉れ傷でも隠すらしい。なるほどこれも打ち身隠しだったか、それならば仕方ない。できる男は隠すのだ。魔法使いはベストも手甲も身につけ、おとなしく食堂へ行った。
食堂で森の中の様子を聞いたところによると、魔物はやはり多いらしい。二日間でだいぶ数を減らしたはずだが、通常の北の森を知る警備兵が言うには、異常だそうだ。北西の森を挟んで隣国との国境があるわけだが、一応協定を結んではいるものの、互いの国を頻繁に人が行き交う解放されたイメージはない。元々が国土を広げるために戦争を仕掛けるような国だったのだ、こうなってくるとどうにも隣国がきな臭く感じてしまう。魔物の異常発生も氾濫も、何かその辺に理由がある気がする。しかし国交問題だとかそういうのは、上のお偉いさんがやる仕事であって。現場の人間にできるのは魔物を食い止めること、それだけだ。
「いつ終わるのかねぇ」
「早く帰りたいよ」
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「それで、今日はどうするって?」
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敷地内で薬の素材を集め、時間があれば薬を作ってくるというトッカに、いってらっしゃいと声をかけ、もくもくと針を動かす。針仕事はいい、無心になって針を動かしていれば、破けた服もほつれたマントも、きちんとなおる。トッカはいいと言ったが、下履きも預かってある。こんな風に長期で野営が続くと、他より薄い生地でできてる下履きこそ、紐が抜けたり、ほつれたりする。薄いから破れたら諦めるしかないが、いつでも購入できる店があるとは限らない。つくろえば使えるものは、長く使った方がいい。寝台に腰掛けてトッカの下履きをつくろっていると、扉をノックする音がした。
「おっさん、トッカさん、ちょっといいかー」
「おう、いいぞー。入れ、はいれ」
「あれ、何だ。トッカさんいねーの?」
「トッカに用事か?」
「打ち身の塗り薬、もらえねーかなと思って」
おぉ、お前も打ち身仲間だったか。薬の世話になるなぞ、まだまだ青い。なにせ打ち身は誇らしい傷だ。
「まだ若い戦士の君には、打ち身のよさは理解できないかー。よいしょっと」
「は? なんの話、打ち身のよさ?」
たしかこっちの袋の内ポケットに、と。あぁ、あった。トッカの作った打ち身の塗り薬を取り出し、同僚に渡してやる。
「塗る前には患部をよく洗えと言っていたぞ」
「わかった、ありがとう。ところでおっさん、なに縫ってんの」
「これ? トッカの下履き、つくろってんの」
「! ……あ、うん、わかった、そっか。わりぃ、邪魔したな」
「別に邪魔じゃねーけど?」
「うん、いいんだ、俺も忙しいし。じゃ」
「おう」
ずいぶんそそくさと出て行った。下履きをつくろうなんて、格好悪いと思われたか。それでトッカも下履きはいいって断ろうとしてたのか。恥ずかしい思いをさせてしまったかもしれない、ケチなおっさんで申し訳ない。
結局出撃命令は出ず、一日待機して終わってしまった。石壁の見張りからは、魔物の姿も森から出てきておらず問題なし、と報告がきているようだ。見張りの問題なしという報告で、魔物の氾濫に気づかず事態が悪化したのが、今回の一件である。部隊長含む第一の皆とは食事時、そんな話題がでた。もっともそんな心配なぞ、意味がないかもしれないが。第一部隊は、夜間も引き続き待機命令が出ている。いつでも出動できるよう準備をしつつ、寝台に横になった。
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