嘘はいっていない

コーヤダーイ

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27氷城

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「おはよ、ございます」
「おはよう」

 早朝目が覚めてクラースを見れば、既に準備が整っていた。何となく気恥ずかしくて背中を向けてまごまごと着替えをしていたら、新人騎士だったらよくある話で誰だってやってんだから気にするなと頭をくしゃりと撫でられた。
 現にあれで落ち着いて寝られたろ、と聞かれて初めて昨夜の抜き合いがサキのためだったのだと気づいた。クラースからは今朝も落ち着いたいつもの精気しか視えない、ほんとに良いやつなんだなとサキはクラースに心から感謝した。
 恥ずかしい秘密を見られてしまったような気分も霧散して、朗らかにサキは微笑んだ。

 隣の部屋の扉を叩けばきちんと服を着こんだマティアスが出てきた。普段よりも動きやすそうな服と靴を履いている。ちらりと見えた部屋には乱れた後など跡形もなく、もちろんラミもいない。だが先に廊下を歩き出したマティアスからはふわりと花の香りがした。

 朝食を摂りながら今後の予定を話し合う。一年中雪が溶けない山を有する北の方だからか、食事に野菜が少なく感じる。葉野菜がないのは寒さゆえだろうか、サキは少し筋が多く硬い肉を噛み切りながら考えた。

 この先で野営をしたり食事を摂る場合、サキの『空間』へと収納してきた数々の品が役に立つだろう、前世でもアウトドア好きであったサキは不謹慎かもしれないが、この旅に少しわくわくしていた。このような機会でもなければこんな場所にまで出てはこられないだろう。

 宿を出て歩き出す。転移魔法というものは行ったことのある場所か、実際目の前に見える場所に飛ぶことができる。呼び寄せを出来るマティアスなどは対象の側に転移することも出来るというから恐ろしい男である。

 今回はまず狼人タルブの居る場所へ向かう予定なのだが、現在の様子を知る術がないので直接飛ぶことは控える予定である。山道に入って三人の姿が麓の村から見えなくなると、マティアスはすかさず目視した山頂付近へと転移で飛んだ。結界で身を守りつつ山頂へ赴き、反対側の斜面を覗き込む。
 素早く目視で定めた山の樹木の間へと転移し、現在地を確認する。探索魔導具がこんなときには非常に役に立つ。回りに生き物がいないことを確認して、地図上のどこにいるのかを確認する。



 と、そこでマティアス宛てに伝魔通信の魔導具で連絡が入る。狼人タルブであった、ムスタの様子を探りに古い獣人の部族が住む土地へと近づいているという。マティアスたちがこんなに早く来るとは思わなかったので、少しでも情報を仕入れておこうとしてくれたようだ。
 もう着いたのかよ俺たち獣人の足でも半月はかかったんだけどよ、と少し納得のいかない風である。獣人は馬には乗れないし、出立時には大きな荷物を背負っていたのだから気持ちがわからなくもない、旅に出て三日目のサキたちである。

 狼人タルブたちが森の中にいるというので、結局マティアスの転移で飛んだ。



「歩かないな」
「歩きませんね」
「何の話だ?」
「あ、タルブさんお久しぶりです」
「おう久しぶりだなサキ……ほぉなるほど」

 結局歩く前に狼人タルブたちと合流してしまった。何がなるほどなのか尋ねる前にマティアスとクラース、タルブたちが話出してしまう。マティアスに不調がないか尋ねれば今日はほとんど魔力を使っていない、が答えだった。
 
 父さん一人の方がもしかして手っ取り早く来れたのでは、とサキが呟いている。しかしサキが来なければそもそもマティアスは絶対に来ないし、万が一来たとしても突然ムスタのところへ乗り込んでどういうつもりだと直接問いただすことだろう、とは誰も口にはしない。

「ムスタの結婚の噂が届いている、どういうことか知っているか」
「白熊族がどうもきな臭い、番えるような雌がいたなんて話は聞いていないしな」
「面倒だからもう直接飛んで話を聞くか」
「待て待てっ……」

 何が起こっているかわからないのだから、ひとまず待てと諭されてマティアスは魔法の構築を止めた。その時点で半分ほど魔法の構築が済んでいるのだから規格外の男である。

「かと言ってのんびり進んでもいられないしな」
「……だな」
「陣地内で騒げばこうなるよな」



 急に冷気に晒された。雪山から吹き降ろすような冷たい風に当てられて、吐く息が一瞬白く固まる。剥き出しの土だったはずの地面が氷が張ったように艶めいて見えた。
 氷がわずかにきしむ音がして白い霧のなかを何かが近づいてきていた。誰かが身じろぎして足を踏み出したのだろうか、ぱきっと足元で薄氷の割れる音が響く。
 
 ぬっと立ち上がり壁のように目の前に現れたのは大きな白熊そのものであった。

(しろくま……でかいな)

 全員が見上げてもまだ上に顔がある、サキの2倍の高さはありそうである。後ろ足で立ち上がっている白熊は油断なく小さな瞳を光らせていた。薄黄色い魔力と精気とをうっすらまとっている白熊はどちらも炎のように揺らめいて視える。

「お前だったか、狼の」
「久しいな、白熊の」

 狼人タルブと目の前の白熊は知り合いだったらしい。だが挨拶を交わしたものの互いに和やかという雰囲気ではない。

(しろくまが喋ってるんですけど)

 白熊の獣人というから獣耳と丸い尻尾かと想像していれば、前世で見た動物園の白熊そのものである。その毛皮の手触りを確かめたいと思いつつも、冒険者ギルドのギルド長エフに言われた台詞が頭をよぎる。狼人タルブもきな臭いと言っていたのだから、気を抜かずにいた方がいいのだろう。
 一歩前へと進み出たクラースが頭を下げて礼をとり、ヴァスコーネス王国からの使者である旨を伝えた。

「ヴァスコーネス王国の国王エーヴェルトが家臣、クラースと申します。白熊族の族長殿に書状をお渡しするべく言い付かっております」
「正式な使者殿と見做みなそう、で、そちらの二名は」
「はい、私が旅に不慣れ故ヴァスコーネス王国魔法研究室より連れて参りました、高位魔法師でございます」
「ふむ……構わんだろう、全員付いてくるがよい」

 ふわりと四つ足を付いて身を翻すと白熊が霧の中を進み出した、四つ足を付いてもなお人間より体高がある。サキ、マティアス、クラースと狼人タルブたちがぞろぞろと付いて行けば、濃い霧の谷を過ぎたところで氷壁が出現した。
 これは人間は住みにくいであろう、サキたちは結界を張っているため寒さはないが、吐く息はすっと白い靄となって消えていく。

 いつの時代に誰がどうやって作ったものか氷壁の中にはクリスタルに輝く城があった。勝手に列を乱して触れるわけにはいかないので確認はできないが、全て溶けぬ氷で造られているのであろうか。
 
 城自体が見たことのない魔法に覆われているのを感じ、そっとマティアスを見れば眉間には皺が寄っていた。歩きながらもそれとわからぬ様、何かの魔法を構築している様子である。サキも何もしないよりはいいだろうと全員に結界魔法をそっと施しておく。

 城の最も奥まった場所で白熊が止まった。クリスタルの台座に寝そべる一際美しい白熊がそこにはいた。真白に撫でつけられた毛並みの美しい白熊は案内の白熊より大分小さい。寝そべる白熊がけだるそうな視線をよこすと、狼人タルブたちの耳と尻尾がぴんと逆立った。

 サキはあれ、と思う。この白熊は美しいが覇気がない、魔力も僅かだし精気が途切れかけているのである。身体のどこかが乱れているというわけではないので、おそらくは老齢による寿命を全うする日が近いのだろう。

「長、ヴァスコーネス王国より使者が参っております」

 案内の白熊がそっと気遣うように発言をする。長がひとつ瞬きをすれば、白熊がクラースを振り返り顎で頷いてみせた。発言を許可されたのだろう、クラースは一歩前へ進み出ると国王より預かった書状を案内の白熊へと差し出した。
 後ろ足で立ち上がり器用に書状を開くと、目を通して長の元へと進む。耳元で囁くように書状の内容を伝えているのであろう。
 聞き終えた長がまたひとつ瞬きをすれば、白熊が一歩下がってクラースの方を向いた。

「書には友好の品を持たせるとある、ここへ」

 マティアスが『空間』へと納めていた友好の品とやらをひとつにまとめた絨毯ごと取り出し床へと置いた。絨毯の上に今積み上げられたように美しく整えられた品々が、光を放っていた。
 籠に入っているのは肉塊であろうか、他にも果物や野菜など食料も多く積み上げられている。
 それらはどうやら長の気に入ったらしい、ひとつ息を吐いて長は目を閉じた。狼人タルブたちの逆立っていた毛並みがようやく落ち着いていた。



 長の元から退席し再び別の場所へと案内されたサキたちは、やたらと広いクリスタルの部屋へと通されていた。白熊がくつろぐために広くとってあるのか、天井も高くがらんと何もない部屋である。そして部屋の入口が広く扉が付いていないので、非常に落ち着かない。

(豪華な体育館て感じだなあ)

 ここで寝るのだとしたらテントは張りたいと思うサキである。広いがゆえに話す声も響いてしまう、おそらくはそれがためこの部屋へと通されたのであろうが、皆それぞれに難しい顔をして考え込んでいた。

 ここでどうやってムスタを探すか、聞けば教えてくれるのだろうか。サキ自身はムスタのこともだが、先ほどの長の様子が気になっていた。余計なお世話かもしれないが、命が消えようとしているときに居合わせたのも運命、何かできることがないだろうかと思ってしまう。

 案内をしてくれた白熊がサキだけを呼びに来た、長が会いたいと言っていると伝えられる。クラースは止めたが何かあればここへ転移で飛ぶからと約束をして、サキは白熊の後をついて歩いていった。

 先ほどの台座へと近づけば寝そべった長がゆるりと瞼を上げた、完全に凪いだ精気である。

「その気配、あぁ懐かしやちこう」

 長に促されて台座へと上る、広い台座はサキがそっと腰を下ろしてもまだ十分に広い。

「お前にはちと冷たかろう、近う」

 さらに腕でもって促され、サキは長に抱き込まれるようにくっついた。くっついたのだからいいだろうとサキは長の真白な毛並みを撫でる。強請られて顔の周りを撫でれば、長は心地良さげに鼻息を吐いた。
 案内の白熊を下げさせると長とサキは二人きりになる。

「ここにも昔は魔族がいたものだった」

 長は目を細めたまま語り出した。この城が元々は魔族が造ったものであること、北の国ではずっと昔から魔族と獣人たちが共存していたこと。この城には魔族が残した様々なからくりが残っていること。歌を歌えるかと聞かれてサキはラミから教わった歌を歌う、ラミから教わるのは癒しの歌ばかりなのである。
 
 長を撫でながら歌を歌えば、儚げだった精気がいくらか安定したのを視てサキはにこりと笑う。

「とても楽になった優しい子、そなた名は」
「サキといいます」
「サキ、少し休むから起きたらまた歌っておくれ」
「はい」

 長が深く眠ったのでそっと台座を離れれば、案内の白熊が待っていた。四つ足のまま頭を下げて白熊はサキに礼を言った。

「我は戦士のイグナートと申す、長への癒し感謝する」
「僕はサキといいます」
「長があのように誰かと話すのも久しくなかったことだ、ありがとう」
「いえ、長はあの、ご老齢で……?」
「うむ……」

 立ち止まってしまった白熊のイグナートがサキをじっと見つめた、揺れていた精気は落ち着いて視える。

「サキ殿は魔族であるか」
「え?あ、半分ですけど」
「うむ、もしやサキ殿であれば……」
「あのイグナートさん?」

 一人で考え込んでしまったイグナートにサキはどうするかと逡巡する。喉も乾いたしお腹も空いてきた。
 しかしそうとも言いだせない雰囲気で白熊のイグナートが話始めてしまった、かつてこの城を築城した魔族たちが遺した遺物の話を。

 それは呪いであった。城内のとある一室にさる客人が入り込み、魔族の遺した何かを作動させてしまったこと。そこは今まで他の者が入っても何ともなかった部屋だという。
 現在使われているような魔法の類は一切掛けられていない、だというのにその一室から客人は一歩も出ることができないまま三ヶ月が経つのだという、つまり三か月間たった一部屋に閉じ込められているのだ。
 部屋から出られないだけで他は何ともないということだが、閉じ込められたストレスは相当なものであろう。そう聞けば確かにその客人にしては荒れている、と聞きサキは思い至る。

「もしかして客人てムスタ師匠です?」
「サキ殿ご存知であったか」
「はい、実は一切連絡が取れずに皆が心配してここへ来たのです」
「なるほどそれは申し訳ない」
「ヴァスコーネス王国ではおかしな噂が流れています」

 それは、と白熊イグナートが話そうとしたときに豪快な破壊音が響いた。舌打ちをした白熊イグナートが失礼、と言って四つ足で音もなく走り出す、サキもそれについていった。
 一部屋というには広い前世でいう体育館のような部屋から破壊音は響き、誰かのなだめいさめる声とそれに反発し怒った声とが聞こえてくる。
 扉のない開け放たれた一室で白熊の巨体に羽交い締めにされたムスタが、そこにはいた。

「まさか………サキ……?」
「ムスタ師匠……」
「よせっ、来るなっっ!」
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