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「それって、私の道具……」
 袋の中身を確認すれば、間違いなくアルノーの薬師の道具だった。

「俺はそんなに魔力が多いわけじゃないから、全部魔導具のおかげなんだ」
「すごい……」
 アルノーは住んでいた場所を離れて初めて、自分たちのいた街が、いかに世界から遅れているのかを知ったのだった。

 転移魔方陣があるという場所まで歩いて向かい、陽のあるうちに石造りの堅牢な砦に着いた。
 砦の門番が二人を止めて、利用許可証の提示を、と言われる。

 バルドゥイーンは、アルノーが発行された身元証明証とはまた別の、手のひらに乗るほどの薄いカードを見せていた。
 動物の姿が切り絵のように刻印された美しいカードである。

 石の板の上に置かれたカードに、バルドゥイーンが手を乗せる。
「タルブの息子、バルドゥイーン」
 と呟けば、石の板が発光した。

「どうぞ、お通りください」
 門番とは別の人間に案内され、削った石を積んで作られた廊下を進む。
 二人と肩に乗ったビクが案内人の後ろを進めば、やがてまた扉がある場所に来た。
 扉の前には、別の案内人が待っていた。

「ヴァスコーネス王都、城壁の外の砦でかまわない。よろしく頼む」
「承知いたしました、こちらへ」
 扉の中の廊下を進み、いくつかある扉の一つの前で、案内人は止まった。

「どうぞ、行ってらっしゃいませ」
 促されて開けてくれた扉をくぐり、バルドゥイーンに腕を取られて、薄く発光し浮かび上がる魔方陣の真ん中に立つ。

「バル、私、転移するなんて初めてです」
「あっという間だ……ほら」
 一瞬何も見えないくらい白く光ったと思ったら、もう到着したらしい。

 先ほどの石造りとは別の、白い壁の部屋である。
 一つしかない扉が開くと、中を覗き込んだ人が笑顔で、ようこそヴァスコーネス魔法王国へと言った。
 案内されて建物の外へ出れば、本当に転移したのだとわかった。
 まず、暖かい。まっすぐ東に来ただけなのに、なぜこんなに気温が違うのだろうか。
 そう聞けばバルドゥイーンが、アルノーたちの街自体が、ずいぶん高度のある場所に作られていたのだと言った。

 それから圧倒的に植物の緑が多い。そこかしこに背の高い木々が植わり、遠くに見える山もすべて緑に覆われていた。
 砦から見える、巨大な城壁に囲まれたのが、ヴァスコーネス魔法王国の王都で間違いないのか。
 ここからはけっこう距離があるはずなのに、城壁の端が見えなかった。

 城壁のなかは丘にでもなっているのか、ひときわ目立つ美しい建物が見える。
「バル、城壁の向こうのあの建物は?」
「あれが王城だ、あとで行ってみるか」
「私でも行けるんですか?」
「見学はできるはずだぞ……たぶん」

 ひとまず城壁を通っておくか、と促され、アルノーは頷いた。
 歩いても歩いても、城壁の大きさは変わらない気がした。

 一度道を外れて休憩をし、お茶を飲んだ。
 草の上に腰を下ろし、カップを両手で持ってお茶をすすりながら、生えている草を眺める。

 やはりアルノーが住んでいた場所とは、生えている草まで違う。
 だが図鑑でしか見たことのない草や花が、いたるところにあるのに気づくと、アルノーは嬉しくてにっこりと笑った。

「初めて見る薬草もあって、摘んでもいいでしょうか」
「ここじゃなくても、もっと質のいい草が生える場所を知っている。まだしばらくこの国には滞在するから、そこで摘めばいい」

「もっと質のいい薬草が生える場所……楽しみです」
 顔を輝かせたアルノーがかわいくて、つい魔素がなんとか、聞いたことがある気がする、と聞きかじった話を披露する。
 案の定食いついてきたアルノーに、だがきちんとした説明はできないバルドゥイーンは言葉に詰まった。

 その辺の話に詳しい人に、会いに行くつもりなのである。
 どうせ後で会うのだから、そのとき直接話を聞けばいいと教えると、アルノーはさらに瞳をキラキラさせて、いつ会えるんでしょうと満面の笑顔を見せた。

(……かわいい、抱きしめたい、噛みたい、辛い)

 ずっと歩きの旅だったから、もう何週間も、アルノーを抱いていない。

 王都に入ったらまずは宿に行き、一晩はゆっくり過ごすつもりでいた。
 だがこのままでは、旅疲れもあるであろうアルノーを、ゆっくり休ませてやれる余裕はなさそうだ。

 ゆっくり疲れを取れるようにしてやりたい一方で、己の番を存分に味わいたい気持ちでまぜこぜになったバルドゥイーンの尻尾は、本人の気づかないところで切なげにブンブンと揺れていた。

 気づいたアルノーが、どうしようかなと思う。
 アルノーとて、ずっとバルドゥイーンとしていないから、今晩くらいはいいのではないかと思う。
 しばらくこの国に滞在すると言っていたのだから、多少イチャイチャしたとしても、質のいい薬草の生える場所は逃げはしないだろう。

 お茶の道具を片付けると、アルノーはバルドゥイーンに向き合った。
「バル、城壁を通ったら、宿を取りますか?」
「あぁ、たぶん」
「じゃあ、そうしたら。その、久しぶりに……」
 私と、しませんか?

 バルドゥイーンの獣耳と尻尾が、ビビビと逆立った。
 ヴァスコーネス魔法王国の転移の砦を出てから、バルドゥイーンはマントのフードを外している。
 肩のところで丸くなっていたビクも、驚いてきゅいと鳴き、アルノーの頭に飛んできた。

 ガッとバルドゥイーンがアルノーを掴み、そのまま横抱きにして、おもむろに駆け出した。
 気をつけてくれているのだろう、抱えられているアルノーの身体は、ほとんど上下に揺れなかった。

 成人男性を抱えているとは、到底思えないようなスピードで、バルドゥイーンは疲れも見せず走り続けた。

 城壁のところへ来て、ようやく地面に降ろされた。
 後ろを見れば、はるか遠くに転移の砦が見える。

「ははっ、すごい。早かったです」
 笑おうとしたアルノーだったが、金色の瞳をギラつかせたバルドゥイーンを見て、その表情も固まった。

 門番に叩きつけるように二人分の身元証明証と、自分の持つ美しいカードを提示して、バルドゥイーンは文字通り鼻息も荒く、早く早くと門番たちを急かした。

 城壁をくぐり、アルノーの腰を持って、ほとんど抱えるようにして、バルドゥイーンはぐんぐん進んでいる。
 おそらく宿に向かっているのだろう。
 バルドゥイーンがこの調子では、明日は一日動けそうもないかな、とアルノーは考える。

 一晩中果て尽くすまで何度もセックスするのと、一回、二回でおしまいにして、毎日セックスするのと、どちらが身体に負担がないかとそこまで考えて、しないという選択肢を思いつかなかったアルノーは一人赤面する。

 一人で赤くなって悶えるアルノーをチラリと上から確認して、もう今すぐうなじを噛みたい衝動を必死に抑える。
 真っ白な肌の綺麗なうなじを見ると、自分の所有印を刻みたくなる。

 これは俺のものだ、誰にも渡さない、とうなじに歯型を残すのは、いにしえの悪しき風習の名残だと、バルドゥイーンはずっと思ってきた。
 自分は絶対に、そんなことはしないと。

 だが、心の奥底から沸いてくる、番を所有し己のものと他に知らしめ、安心したい気持ちは、本能に刻まれたものなのかもしれない。

 アルノーは獣人ではない、人間である。
 いつかうなじを差し出してくれるだろうか。



 宿にたどり着く前に、アルノーが持つ伝魔通信の魔導具が震えた。
 通信はヴァスコーネス魔法王国、筆頭高位魔術師である、サキからであった。

「お久しぶり、バル。こっちに来たって、城門から連絡をもらったものだから」
「ごぶさたしています、サキ」
「到着したばかりでお連れの方も疲れているでしょう? 宿じゃなくて家に泊まったら?」

 バルドゥイーンはチラリとアルノーを見る。
「サキ、俺と連れの者も、王城って見学できますか?」
「もちろん大丈夫だよ、家においで。ご飯も美味しいよ?」
「少しだけ待ってください」

 サキへの返事を待ってもらい、アルノーへと問いかける。
「古い知り合いが、家に泊めてくれるって。どうする?」
「ご飯が美味しいんでしょう? もちろん喜んで伺います」

 お世話になります、とサキに返事をすれば、お連れの方も一緒に運ぶから掴まっててね、と言って通信は切れた。

 まばたきをする間に、バルドゥイーンとアルノーは転移をしていた。
 質の良さそうな落ち着いた造りの部屋におり、黒髪の美しい人がにこにこと微笑んでいる。

「本当に久しぶり、バルドゥイーン。変わりなく元気そうで良かった」
 にこにこと微笑む美しい人は、アルノーに向き直ると、その手を取って挨拶をした。
「はじめまして、僕はサキといいます。ようこそ、ヴァスコーネスへ」
「はじめまして、私はアルノーといいます。突然すみません、お世話になります」

 バルドゥイーンに向き直ったサキは、いい人を見つけて良かった。本当におめでとうと微笑んだ。

 ソファーに座り、運ばれてきたお茶を飲んでいるうちに、続々と人が集まってきた。

 サキの伴侶だという褐色の肌をしているのは、黒豹の獣人で、ムスタと名乗った。
  ムスタによく似た、しかし肌の白い獣人はサキとムスタの息子で、スルールと名乗った。

「サキ兄様、バルが来たのですって?」
 薄茶色の髪をふわりと流した女神のように美しい女性が、全身が金色に輝くような美丈夫を伴ってやって来た。
「ムスタ、スルール、ごきげんよう」

 体重を感じさせないような軽やかな動きで、礼をした女神のような女性が微笑んだ。
「バルドゥイーン、お久しぶりでしてよ?」
「久しいな、バルドゥイーン」
「ごぶさたしています。キーラ、イェルハルド」

「こちらのかわいらしい方が、バルの番なのね?」
 いつも不遜な態度のバルドゥイーンが、完全に押し切られている。
 この中にあっては、バルドゥイーンがまるで、大人に囲まれた子どものようであった。

「はじめまして、私はキーラと申します。よろしくね」
「はじめまして、私はイェルハルド。お会いできて光栄です」
 アルノーは、こんなにまぶしい人たちに囲まれたのは生まれて初めてで、目がチカチカするような気がした。

「はじめまして、アルノーといいます。どうぞよろしくお願いいたします」
 ようやく挨拶の言葉だけはなんとか交わし、アルノーは一息ついた。

「僕の父と母もいるんだけれど、いつも出かけてばかりでごめんね? 戻ったら挨拶させるからね」
 サキが申し訳なさそうに、そう言う。

「いっ、いえ、私たちが急に押しかけたんですから……」
「ふふっ、それを言ったら、僕が無理矢理ここに来るように頼んだのだけれど」
 サキは長い黒髪をさらりと後ろに払って笑った。

 中性的な美人だが、先ほどキーラが兄様と呼んでいたということは、サキは男性なのだろう。
 黒豹の獣人ムスタも、どう見ても男性である。
 息子のスルールは、外見はムスタにそっくりで、顔の表情の柔らかさはサキによく似ている。
 アルノーの視線に気づいて、優しく微笑んだ顔はサキと同じで、親子……あるいは兄弟と言ってもいい。

 どうやって子どもが生まれたのかな? 素朴な疑問を持って首を傾げたアルノーを、バルドゥイーンが横からギュッと抱きしめてきた。

「スルール、アルノーを見すぎだ」
「……あぁ、ぶしつけなことをして、ごめんね」
 サキと同じ笑顔で再び微笑むものだから、アルノーも思わずニコリと笑顔を返す。

「アルノーも……」
 俺以外、見ないでほしい。
 小さな小さな声だったのだが、ムスタやスルールには聞こえたのだろう。
 スルールは笑みを深め、ムスタはニヤリと笑った。


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