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薬を完成させるために足りない素材は、アルノーがいつも通っている森の、少し奥まった場所に生える薬草と、山の中腹あたりに生える樹木の実、それに魔獣の骨であった。
「私一人では、ここまで森の奥には入れませんから助かります」
たまに出てくる魔獣は、近寄って来る前にすべてバルドゥイーンが片づけてくれるので、アルノーは安心して薬草採取に専念できた。
腰に巻いていたバッグから、携帯用の布袋を取り出し、マントの上から斜めに掛けている。
摘んだ薬草でも貴重なものは薄紙に包み、その他はそのまま布袋へ入れていけば、やがて布袋が膨らんでいった。
「……あっ、あった! あれがエンガですっ」
ようやく見つけたエンガの樹木から、嬉しそうに実をいくつかもぎ取って、アルノーが迷わずその一つを口にしたとき、バルドゥイーンは慌てた。
「お、おいっ、アルノー」
シャリッ、とかじった一口の実を、口の中でモゴモゴと噛みながらアルノーが返事をする。
「……どう、ひまふた? バル」
ごくん、とバルドゥイーンの目の前で喉を嚥下させたアルノーを、じっと見ていたバルドゥイーンも、我知らず一緒に喉を鳴らしていた。
催淫の媚薬の素材のはずである。
アルノーからは、そう聞いている。
「うん、大丈夫。甘くて美味しいですよ?」
にこりと笑って、手にした実を差し出してきたアルノーに、バルドゥイーンは一瞬身構えた。
すぐには実を受け取らないバルドゥイーンに、アルノーは首をかしげる。
「この実だけを食べても、何の効果もありませんからね?」
「……そうなのか?」
「もちろんです。乾燥させたり混ぜ合わせたり、色んな工程を経て薬になるわけですから」
受け取った実をかじれば、口の中には瑞々しい果汁があふれた。
シャリシャリとした食感の、クセになりそうなほど、甘い果実。
「初めて食べたが、エンガの実とは甘くて美味いんだな」
「この辺りまで登らないと生えない樹木ですから、なかなか市場には出回りませんよね」
片手に乗る程度の大きさがあるが、あっという間に食べ終われば、大きな殻のついた種がひとつ残った。
「この種が、今回の薬の原材料なんです」
「実じゃないのか」
「ふふっ、実じゃないんですよ」
いくつか持って帰りますから、実はデザートに楽しみましょう。とアルノーが嬉しそうに言った。
「なかなか、いないな」
「そうですね~」
二人はかれこれ二刻ほど歩き回り、最後の素材、ビクという魔獣を探している。
臆病で小柄な魔獣であるビクは、こうして歩き回る音にも反応して、出てこないのかもしれない。
「もう陽も高いですから、ひとまず休憩して何か口に入れましょう」
アルノーが木々の間の少し開けた場所で、いくらか枯れた葉や落ちた枝を拾い集めた。
下草の生えた土ごとそっと掘り返し、わずかなくぼみに枝や葉を重ねる。
腰のバッグから小さな火打ち石を出し、火口と合わせてカチリと擦れば、すぐ火種ができた。
バッグに入れていた携帯用の小さな金属鍋に、バルドゥイーンに預けていた革袋の水を入れると、採取した薬草をいくつか摘まんで加えた。
やがて湯が沸けば、それはそのまま薬草茶になった。
小さな金属鍋を火から下ろし、少し冷ましておく。
切った丸パンをかじりながら、エンガの実を口にする。
金属鍋から薬草茶を飲めば、思った以上に深い味わいに、爽やかな香りが鼻を抜けた。
「これは全部、今日摘んだ薬草を入れただけのお茶なのか」
「そうですよ。5種類の薬草が入っています」
アルノーがすぐ目の前にある草をひとつちぎって、バルドゥイーンに差し出す。
「例えばこれは、ツンと鼻に抜ける香りがします」
「ほんとだ。お茶と同じ香りがする」
「えぇ、これだけでお茶にするのもいいんですが、疲労回復を促す薬草なども入れてみました」
アルノーは森の中だけでも十分生きていけるんだな、とバルドゥイーンが言えば、個体としては弱いですから、魔獣が出たらお終いですけどねと返ってきた。
二人が出会ったときの、アルノーの小剣使いを思い出して、バルドゥイーンは吹き出していた。
ずいぶん懐かしく感じるが、なんとそれは昨日のことなのだ。
「アルノーとは、昨日この森で出会ったばかりなんだな」
「そういえば、そうですね……もっと長いこと、知り合いのような気がしますけど」
「知り合い? 同居人だろう?」
「う……。そ、そうです」
ニヤニヤと笑ってアルノーを茶化すバルドゥイーンだが、そういう自身も尻尾をゆらゆらと揺らしている。
(見た目よりも、尻尾の方がわかりやすくていいな)
とは絶対口にしないアルノーである。
「……あ、あれっ?」
バルドゥイーンが腰を下ろし、寄りかかっている後ろの樹木に、黒っぽいかたまりが動くのが見えた。
樹の幹にくっついて、上から下へと動いている。
「バル、うしろの幹にいるの、もしかして……」
アルノーの言葉に素早く動いたバルドゥイーンが、これのことか?と言って片手を差し出した。
その手には、片手に納まってしまうほどの、小さな黒い生き物が握られている。
「これっ、ビクですよ! バル」
「え、これが?」
「うわっ、ちっちゃい。しかも樹木を行き来するなんて、知らなかったです」
きゅきゅ~、と小さな鼻声を上げる、小さな黒い生き物。
バルドゥイーンの手の中で、こちらを見上げる瞳は大きく澄んで見えた。
「これの、骨が必要だったな」
「えぇ……そうなんですが」
きゅっ、きゅぅ~、と鼻声が聞こえた。
二人を見上げる小さな黒い生き物は、バルドゥイーンに持たれたまま、逃げようともしない。
それどころか、小さな爪のついた手で、自分の顔をぬぐってはその手を舐めはじめている。
「すまん、アルノー。俺にはこの魔獣はやれん」
「私も無理ですっ」
これは逃がしてやろう、とバルドゥイーンが手を開いて地面に降ろしても、ビクは動かなかった。
不思議そうに、きゅぅ、と鼻を鳴らしたビクは、そのままバルドゥイーンの靴に乗り、スルスルと足を伝って登り、結局肩の辺りへと落ち着いてしまった。
「魔獣、なんだよな?」
「魔獣、ですね」
きゅっ、とビクが鼻を鳴らす。
バルドゥイーンの肩へ、アルノーが手を伸ばせば、ビクはそのままじっと触れられるに任せている。
ふいに、ビクがバルドゥイーンのマントの襟元に、潜り込んだ。
同時にバルドゥイーンの風の魔術が動き、こちらに向かってこようとしていた魔獣を仕留めていた。
きゅぃっ、と鼻を鳴らして、ビクが出てくる。
どうするか、アルノーと視線の合ったバルドゥイーンが、目で聞いた。
素材として必要ならば、今やる、とその目は言っている。
「ビクは、その生態をあまり知られていない魔獣です。骨が必要と聞いていましたけど、もしかするとこの小さな爪の欠片でも、作れるかもしれません」
魔獣という生き物すべてが、人を襲うわけではないのだ。
魔獣の世界にも弱肉強食のピラミッドは存在し、ビクのような魔獣は肉食ですらない。
「私、このビクを殺してまで、リカルドとの約束を守るつもりもありませんし」
どうしてもダメだったら、リカルドに手籠めにされる前に、他の街に逃げますと力なく笑ったアルノーの頭に、ビクが飛んで乗った。
きゅぃぃ、とアルノーの頭の上で鼻を鳴らすビクは、魔獣というにはあまりに可愛すぎた。
まだ幼生なのかもしれないが、危険があれば始末するまで。
このまま懐いて着いてくるなら、それもかまわないだろう。
「そんなことにはさせねーよ」
バルドゥイーンが手を伸ばせば、アルノーに触れる前にビクが飛んできて、その腕につかまった。
「あはっ、ずいぶんバルに懐きましたね」
バルドゥイーンの腕から肩に移動したビクの背中を撫でながら、ありがとう、頼りにしてますと小さな声でアルノーが言った。
きゅっ、と返事を返したのは、バルドゥイーンではなくビクだった。
「私一人では、ここまで森の奥には入れませんから助かります」
たまに出てくる魔獣は、近寄って来る前にすべてバルドゥイーンが片づけてくれるので、アルノーは安心して薬草採取に専念できた。
腰に巻いていたバッグから、携帯用の布袋を取り出し、マントの上から斜めに掛けている。
摘んだ薬草でも貴重なものは薄紙に包み、その他はそのまま布袋へ入れていけば、やがて布袋が膨らんでいった。
「……あっ、あった! あれがエンガですっ」
ようやく見つけたエンガの樹木から、嬉しそうに実をいくつかもぎ取って、アルノーが迷わずその一つを口にしたとき、バルドゥイーンは慌てた。
「お、おいっ、アルノー」
シャリッ、とかじった一口の実を、口の中でモゴモゴと噛みながらアルノーが返事をする。
「……どう、ひまふた? バル」
ごくん、とバルドゥイーンの目の前で喉を嚥下させたアルノーを、じっと見ていたバルドゥイーンも、我知らず一緒に喉を鳴らしていた。
催淫の媚薬の素材のはずである。
アルノーからは、そう聞いている。
「うん、大丈夫。甘くて美味しいですよ?」
にこりと笑って、手にした実を差し出してきたアルノーに、バルドゥイーンは一瞬身構えた。
すぐには実を受け取らないバルドゥイーンに、アルノーは首をかしげる。
「この実だけを食べても、何の効果もありませんからね?」
「……そうなのか?」
「もちろんです。乾燥させたり混ぜ合わせたり、色んな工程を経て薬になるわけですから」
受け取った実をかじれば、口の中には瑞々しい果汁があふれた。
シャリシャリとした食感の、クセになりそうなほど、甘い果実。
「初めて食べたが、エンガの実とは甘くて美味いんだな」
「この辺りまで登らないと生えない樹木ですから、なかなか市場には出回りませんよね」
片手に乗る程度の大きさがあるが、あっという間に食べ終われば、大きな殻のついた種がひとつ残った。
「この種が、今回の薬の原材料なんです」
「実じゃないのか」
「ふふっ、実じゃないんですよ」
いくつか持って帰りますから、実はデザートに楽しみましょう。とアルノーが嬉しそうに言った。
「なかなか、いないな」
「そうですね~」
二人はかれこれ二刻ほど歩き回り、最後の素材、ビクという魔獣を探している。
臆病で小柄な魔獣であるビクは、こうして歩き回る音にも反応して、出てこないのかもしれない。
「もう陽も高いですから、ひとまず休憩して何か口に入れましょう」
アルノーが木々の間の少し開けた場所で、いくらか枯れた葉や落ちた枝を拾い集めた。
下草の生えた土ごとそっと掘り返し、わずかなくぼみに枝や葉を重ねる。
腰のバッグから小さな火打ち石を出し、火口と合わせてカチリと擦れば、すぐ火種ができた。
バッグに入れていた携帯用の小さな金属鍋に、バルドゥイーンに預けていた革袋の水を入れると、採取した薬草をいくつか摘まんで加えた。
やがて湯が沸けば、それはそのまま薬草茶になった。
小さな金属鍋を火から下ろし、少し冷ましておく。
切った丸パンをかじりながら、エンガの実を口にする。
金属鍋から薬草茶を飲めば、思った以上に深い味わいに、爽やかな香りが鼻を抜けた。
「これは全部、今日摘んだ薬草を入れただけのお茶なのか」
「そうですよ。5種類の薬草が入っています」
アルノーがすぐ目の前にある草をひとつちぎって、バルドゥイーンに差し出す。
「例えばこれは、ツンと鼻に抜ける香りがします」
「ほんとだ。お茶と同じ香りがする」
「えぇ、これだけでお茶にするのもいいんですが、疲労回復を促す薬草なども入れてみました」
アルノーは森の中だけでも十分生きていけるんだな、とバルドゥイーンが言えば、個体としては弱いですから、魔獣が出たらお終いですけどねと返ってきた。
二人が出会ったときの、アルノーの小剣使いを思い出して、バルドゥイーンは吹き出していた。
ずいぶん懐かしく感じるが、なんとそれは昨日のことなのだ。
「アルノーとは、昨日この森で出会ったばかりなんだな」
「そういえば、そうですね……もっと長いこと、知り合いのような気がしますけど」
「知り合い? 同居人だろう?」
「う……。そ、そうです」
ニヤニヤと笑ってアルノーを茶化すバルドゥイーンだが、そういう自身も尻尾をゆらゆらと揺らしている。
(見た目よりも、尻尾の方がわかりやすくていいな)
とは絶対口にしないアルノーである。
「……あ、あれっ?」
バルドゥイーンが腰を下ろし、寄りかかっている後ろの樹木に、黒っぽいかたまりが動くのが見えた。
樹の幹にくっついて、上から下へと動いている。
「バル、うしろの幹にいるの、もしかして……」
アルノーの言葉に素早く動いたバルドゥイーンが、これのことか?と言って片手を差し出した。
その手には、片手に納まってしまうほどの、小さな黒い生き物が握られている。
「これっ、ビクですよ! バル」
「え、これが?」
「うわっ、ちっちゃい。しかも樹木を行き来するなんて、知らなかったです」
きゅきゅ~、と小さな鼻声を上げる、小さな黒い生き物。
バルドゥイーンの手の中で、こちらを見上げる瞳は大きく澄んで見えた。
「これの、骨が必要だったな」
「えぇ……そうなんですが」
きゅっ、きゅぅ~、と鼻声が聞こえた。
二人を見上げる小さな黒い生き物は、バルドゥイーンに持たれたまま、逃げようともしない。
それどころか、小さな爪のついた手で、自分の顔をぬぐってはその手を舐めはじめている。
「すまん、アルノー。俺にはこの魔獣はやれん」
「私も無理ですっ」
これは逃がしてやろう、とバルドゥイーンが手を開いて地面に降ろしても、ビクは動かなかった。
不思議そうに、きゅぅ、と鼻を鳴らしたビクは、そのままバルドゥイーンの靴に乗り、スルスルと足を伝って登り、結局肩の辺りへと落ち着いてしまった。
「魔獣、なんだよな?」
「魔獣、ですね」
きゅっ、とビクが鼻を鳴らす。
バルドゥイーンの肩へ、アルノーが手を伸ばせば、ビクはそのままじっと触れられるに任せている。
ふいに、ビクがバルドゥイーンのマントの襟元に、潜り込んだ。
同時にバルドゥイーンの風の魔術が動き、こちらに向かってこようとしていた魔獣を仕留めていた。
きゅぃっ、と鼻を鳴らして、ビクが出てくる。
どうするか、アルノーと視線の合ったバルドゥイーンが、目で聞いた。
素材として必要ならば、今やる、とその目は言っている。
「ビクは、その生態をあまり知られていない魔獣です。骨が必要と聞いていましたけど、もしかするとこの小さな爪の欠片でも、作れるかもしれません」
魔獣という生き物すべてが、人を襲うわけではないのだ。
魔獣の世界にも弱肉強食のピラミッドは存在し、ビクのような魔獣は肉食ですらない。
「私、このビクを殺してまで、リカルドとの約束を守るつもりもありませんし」
どうしてもダメだったら、リカルドに手籠めにされる前に、他の街に逃げますと力なく笑ったアルノーの頭に、ビクが飛んで乗った。
きゅぃぃ、とアルノーの頭の上で鼻を鳴らすビクは、魔獣というにはあまりに可愛すぎた。
まだ幼生なのかもしれないが、危険があれば始末するまで。
このまま懐いて着いてくるなら、それもかまわないだろう。
「そんなことにはさせねーよ」
バルドゥイーンが手を伸ばせば、アルノーに触れる前にビクが飛んできて、その腕につかまった。
「あはっ、ずいぶんバルに懐きましたね」
バルドゥイーンの腕から肩に移動したビクの背中を撫でながら、ありがとう、頼りにしてますと小さな声でアルノーが言った。
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