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 アルノーが普段通りの時間に目を覚ますと、ベッドで寝ているのは自分一人きりだった。
 隣の枕にはへこみがあり、シーツには確かに人が寝ていた形跡が残っている。
 起き抜けのぼーっとした頭で、意味もなくシーツをなでていると、徐々に夕べのことが思い出されてきた。

 熱のこもった金色の瞳、優しい口づけ、何度も何度もアルノーを撫でた指。
 別の男性に触れられた時には、不快にしか感じなかったのに、バルドゥイーンに触れられるのは、心地よかった。
 あまりにも心地よくて、身体中の力を抜いて、すべてをバルドゥイーンに委ねたのだった。
 アルノーは知らず唇を指先でなぞっていた。夕べ、バルドゥイーンに口づけられた。
 低い声がアルノーの名前を呼んでいた。アルノー、そう、こんな風に。

「アルノー」
「ひゃぅっ」
 思いにふけっていたところをバルドゥイーンに見られてしまい、アルノーは慌てた。
 あたふたと起き上がり、ねまきのシャツがはだけていることに驚いて、また慌てた。
 シャツを抱き合わせるように胸元を隠したアルノーは、そういえば男同士、そこまで恥ずかしがることもないかと冷静になる。

 女性のように膨らむ胸があるわけでなし、隠すものもないのだから、としっかり起きた頭で考えると、アルノーはベッドから出た。
 アルノーはそんなに衣服を持っていない。洗い替えの分があるくらいで、必要最低限の下着にシャツとズボン。寒い時期の毛織物とマント。
 ベッドの脇の壁に引っかけてあるわずかな服が、アルノーの持っている衣服の全てである。

 昨日着た服は今日洗うから、おのずと着る服は決まってくる。
 いさぎよくシャツを脱ぎ、ズボンを履き替えたアルノーは、くるりと振り返ってバルドゥイーンに話しかけた。
「おはよう、バル」
 はおっただけのシャツのボタンを一つだけ留めて、ベッドを整えだしたアルノーが、動くたびにチラチラと白い素肌が覗く。
「う、おはよう。アルノー」

 夕べは結局お預けをくったバルドゥイーンには、目に毒である。
 堪能するはずだった白い肌が、目の前で見え隠れしている。
「バル、そっちの角を持って引っ張って。うん、そう」
 ベッドの向かい側から、掛け布団を直すアルノーの色の薄い乳首までが、バルドゥイーンの位置からは丸見えなのだ。



 目の前に美味しそうなアルノーがいるのに、まったく甘い雰囲気はない。
 『正式なお誘い』のあとには、普通もっと甘い空気が流れるものである。

 確かに夕べは肝心のアルノーが寝落ちしてしまったから、二人の間には何もなかった。
 そもそも『正式なお誘い』を受けて、何もない、ということが普通はあり得ない。
 何もなかったということは、何かが気に入らないから、受け入れないという意味である。
 その場合は、即刻立ち去れと言われておしまいなのだ。

 だがアルノーは、バルドゥイーンを警戒するようすもなく、態度は昨日と変わらない。
 きっと、森からバルドゥイーンを支えて帰ったから、本当に疲れて眠ってしまったのだろう。

(それにしても、こんなのは、朝から刺激が強すぎる)

 早くアルノーと、一つになりたい。
 このきれいな人間を、自分だけのものにしてしまいたかった。
 今夜こそは、と期待するバルドゥイーンである。

 もちろんそれは、アルノーには一切伝わっていないことに、バルドゥイーンはまだ気づいていない。



 さて、と満足そうにひとり頷いたアルノーが、バルドゥイーンを見てにこりと笑った。
「朝ご飯にしましょうか」
 何食べたいですか? と聞かれて、即座に肉と応えると、アルノーは目を丸くした。
「バルのような獣人というのは、朝からみんな肉を食べるもの?」
 と聞かれて、バルドゥイーンは少し考える。育ったところでは、確かに食事のほとんどが肉で、野菜はなくても困らないもの、という程度の認識であった。
 そのまま伝えれば、アルノーは難しい顔をした。

「人間と獣人では、必要な食べ物が違うこともあり得ますね」
 よくよく考えたらしく、アルノーはバルドゥイーンにひとつの提案をした。
「私は獣人のことを、ほとんど知りません。もっとよく教えてくれますか」
 黙ってアルノーの話を聞いていたバルドゥイーンは、真顔のまま頷いた。
 しかし、その尻尾だけはブンブンと回り、空気をかき回し続けていた。

 バルドゥイーンの拘束で回転する尻尾を見て、互いを理解し合う、と言ったのがうれしかったのかな。と思っているアルノーである。

 一方のバルドゥイーンは、よく教えてくれますかと言われたことに、興奮していた。
 あなたをもっとよく知りたい、それは『正式なお誘い』のひとつである。
 
 アルノーはどちらかというと、清廉な雰囲気をまとった人間である。
 夕べだって、自分からバルドゥイーンを誘ったくせに、いざとなったらこわばって愛撫を受け入れるだけだったのだ。
 いや、その不慣れな感じも、それはそれでいい。アルノーという人間が、閨でどのように乱れるのか想像もつかなかった。
 このような人間に二度目までも誘われて、今すぐ飛びかからない己を、バルドゥイーンは心の中で褒めた。



 朝食を食べながら、アルノーはたくさんの質問をバルドゥイーンに浴びせた。
 まずは獣人が日に三食摂らない、ということに驚いた。だいたいは日に二食である。あとは獲物が獲れれば、食べる。

 子育てまでは、群れを作ってみんなで育てるが、子どもが大きくなれば早い段階で独り立ちするから、基本的には群れないこと。

 特に獣人が村などを作って定着した生活をしていると、大抵は人間が大勢で襲ってきて結局はバラバラに散ってしまうこと。

 何でもないことのようにさらりと話すバルドゥイーンだったが、アルノーはまったく知らなかった獣人迫害の話を聞いて、目を大きく見開いた。

「……バルは、今までよく無事で」
「俺は強いからな」
 尻尾をバサリと振ってみせるバルドゥイーンは、確かに強いのだろう。
 森の中で魔物を倒したのは、バルドゥイーンのたった一撃だったのだから。

「そういえば、森で魔物を倒したのは、魔術だった?」
「あれは、風の魔術」
「風かぁ。分厚い毛皮ごと、切り裂くみたいな魔術だった」
「まぁ、そうだな。俺は風の魔術しか使えないけど、特化型だから」
 魔術師というものは、どの魔術も使えるものだと思っていたアルノーは、またしても驚き、目をパチパチまたたいた。
「魔術師って、そういうものなの? 知らなかった」
 俺も人間の魔術師のことは、まったく知らないけどな。と言ってバルドゥイーンが笑った。

 薬師のことも教えてほしい、と言われてアルノーは、実際に見ながら説明した方が早い、と二人で一階へと降りた。
 採取し乾燥させた薬草を手に説明をする。
 粉にし、秤にかけ、いくつかの粉末状にした薬草を混ぜ合わせて、薬瓶へと入れる。

「丸薬とか液体のも、作ってんのか」
 薬瓶の中身を覗きこみながら、バルドゥイーンが尋ねる。
 丸薬や、液体の薬というのは、腐らないように加工する技術が必要だから、高価である。
 粉末よりも飲みやすいので、高い金を払うことのできる層には、需要が高いのだ。

「まぁ、高い薬をこんな店に買いに来る人は、あんまりいないんだけどね」
 街の大通りからは離れた、間口の小さな店に来るのは、ほとんどが庶民である。
「金持ちはたいがい無茶を言うから……」

 話の途中で、店の扉を開けようとする音が聞こえた。
 今朝はまだ、扉の鍵を開けていなかったことに気づき、アルノーがちょっとごめんと話を切り上げると、カウンターからすぐに出ていった。

「久しぶりだな、アルノー」
 アルノーが鍵を開けると、強引に扉を押し開いて、店の中へずいと入ってきたのは臭い男だった。なんの香水をつけているのか、やけに鼻につく匂いが臭くて、思わず鼻がかゆくなる。

「この間頼んだ薬は、試作品くらいできてるんだろう?」
「できてないし、私は頼まれた覚えはありません」
 硬い表情で対峙するアルノーに、男が手を伸ばすと、アルノーが瞬間的にビクッと震えた。

「なんだか珍しい薬草だったか、素材だったかが必要とか言ってたじゃないか。金なら払うから、腕のある暇な奴にでも頼むといい」
「そういう問題じゃない」
 アルノーの腕を馴れ馴れしく掴んだ男が、その顔をふいに寄せた。

 反射的に顔をそらそうとしたアルノーが一歩後ずさるのと、バルドゥイーンの伸びた爪が男の鼻先に突きつけられるのは、同時だった。
「誰だ?」
「お客さんです」
「貴様こそ誰だッ」

 とっさに置いてあった布を頭からかぶったバルドゥイーンは、客の男より背が高い。
 大丈夫です、とアルノーに言われて爪を下ろしたバルドゥイーンに、威圧的に上から見下ろされて、客の男は狭い店内で一歩後ろに下がっていた。

「ふ、ふんッ。俺の頼んだ薬を作るために、こいつを雇ったか?」
「だから何度も、頼まれたつもりなどないと、」
「何が必要だ? アルノー」
「……え?」
 アルノーを背に隠すようにして、バルドゥイーンが客の男の前に立つ。
 男はもう一歩下がったので、店の扉に背がついた。
「作るのに必要な薬草と、素材は?」
「あ、えっとマルゴーの若芽と、エンガの実、あとはビクの骨があれば」
「よし、じゃあ取りに行くぞ」
「えっ?」

「あんたの言う薬を、アルノーにひとつだけ作ってもらう。そのかわり」
 客の男にグッと身を寄せて、バルドゥイーンは少しだけ魔術を使った。
「二度とアルノーに手を出すな」
 男の服も髪も、下から吹き上げた風で一瞬膨れ上がった。
 多少の風を男の周りだけ、ぐるりと吹かせてやっただけだ、だがそれで男には十分だったようだ。

「ま、魔術師か」
「そうだ」
「わ、わかった。だが薬は必ず作ってもらう」
「約束しよう」
 冷たい汗を身体中から噴き出させた男が、逃げるように扉から出て行くと、アルノーが何てこと約束したんですか。とため息をついた。

「あなた、さっきの素材でできる薬が何か、ご存じですか?」
「いや、知らない」
 でしょうね、とアルノーがもう一度ため息をついた。
 そして、私も作ったことはありませんから。と言ってアルノーが三度目のため息をついた。
「そんなに作るのが難しい薬だったのか?」
「催淫効果のある、媚薬です」

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